SSブログ

高山 東山遊歩道 その2 [小旅行]

高山の三町伝統的建造物群保存地区(古い町並)から東に7,8分ほど歩いたところに、東山寺院群があり、東山遊歩道を歩きながら、その幾つかのお寺を訪問見学させていただきました。

次に寄りましたのは、東林山 香荘厳院 大雄寺(だいおうじ)。 浄土宗のお寺です。
5.29 ⑦大雄寺.JPG西山派の租・善慧房証空上人が開創の吉城郡上広瀬村にあったお寺を初代高山藩主・金森長近さんによってこの地に移築し、浄土宗の源誉受徳さんを中興開山第一世として迎えた、飛騨地方における本願念仏の最初の道場となったお寺です。
市の文化財に指定されている大雄寺の山門は市内唯一の楼門造りで、その両脇には一対の仁王様がおられます。 また鐘堂は県の文化財に指定されていて、飛騨地方最古の鐘楼なのだそうです。
私の目を惹いたのは、日本一大きいといわれる徳本上人の名号石(南無阿弥陀仏)です。
それから、境内の片隅にあった十王堂ではしばらく足を止めて見入ってしまいました。
改修されて間もないお堂には、昨年の夏に飛騨の彫刻家・高田慈圓さんの書かれた地獄絵がかけてあります。 http://takadajien.hida-ch.com/e126067.html

5.29 ⑦大雄寺(地獄絵).JPG

絵に描かれている、逃げることも出来ずに煮られて、焼かれて、食われんならんのも私ならば、泣き叫び、嫌がるものを捕えて、切り裂き、むさぼり喰っている鬼も私なのですね・・・・・
その地獄絵に光に包まれた阿弥陀さまが諸仏方とともに描かれておりました。
この阿弥陀さまが放ってくださっている御光によって、たとえ仮想であったとしても地獄があるということを知り、たとえ妄念であったとしても地獄行きである私の姿を観させていただき、たとえ妄想であったとしても、「救わずにはおれん!」との願いのもとに‘ 南無阿弥陀仏 ’と 称えさせていただいているのだなぁ~
今、こうして生かさせていただいていることの意味を、自分レベルではあるけれど、ほんのちょこっと考えさせていただいた御縁によって、すっかり忘れていた‘ 南無阿弥陀仏 ’を 口に出させていただきました。

次に寄ったのは、嫩桂山 久昌寺(きゅうしょうじ)。 曹洞宗のお寺です。
5.29 ⑨久昌寺.JPG隣接している雲龍寺の第二十七世・胸海租胆さんを開山としているお寺で、雲龍寺を本寺とした搭頭(たっちゅう/境内にある小寺)として創立されました。
境内に弁財尊天を祭った願王殿があり、財宝祈願の参拝客のお立ち拠り所なのだとか・・・
ちなみにご本尊は、阿弥陀如来さまです。

次に寄ったのは、妙観山 栄鏡院(えいきょういん)。 曹洞宗のお寺です。
5.29 ⑩栄鏡院.JPGこちらも隣接する雲龍寺の塔頭で、広くないは境内に、豊川稲荷社や千体弘法堂、それに本堂・庫裏があり、一見、とても賑やかです。
そう言えば、城山の照蓮寺の裏手にも豊川稲荷社がありました(凶のおみくじを引いた所です)が、こちらはお稲荷さんを祀ったお寺ということで、ご本尊は如意輪観音さまです。

東山で最後に寄りましたのは、海蔵山 雲龍寺(うんりゅうじ)。 曹洞宗のお寺です。
5.29 ⑧雲龍寺.JPG当初は、修験道の泰澄大師の白山社として創建し、別当の妙観寺を建立したことに始まって天台宗に属していたのですが、これが後に衰退し、旅の途中に立ち寄られた能登総持寺第四世の法孫竹窓智厳さんによってこの妙観寺跡に海蔵山雲龍寺が再建され、その師・了堂真覚さんを開山として曹洞宗に改宗されました。
現在のお寺は、初代高山藩主・金森長近さんが、本能寺の変において二条城で戦死した長子忠次郎長則の菩提寺として建立したもので、飛騨における曹洞宗最初の道場でありました。
雲龍寺の鐘楼門は、高山城にあった黄雲閣を移築したもので、市より文化財の指定を受けています。

これにて東山遊歩道、および東山寺院群の散策は終了。 「高山駅で待ってま~す!」とTuさんからの電話で脅されて(?joke!)(^o^)v、 駅にてS先生を待つ頃には、すっかり遊び疲れてクタクタになってしまった私でした。(;^_^A
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。