2月の輪読法座 [座談会・懇親会]
「行かなきゃ~・・・・・」 でも、 着て行く服が決まらない・・・、 遅刻するくらいなら行かない方がいい・・・、 このまま辞めちゃった方が楽になれる・・・、 そんな言い訳の数々を、 自らに課した 「いただいた御法縁の ひとつ ひとつを、大切に引き打受けて行く」という ゆるゆるの誓いが 何とか制し勝って、京都行きの列車に乗ることが出来ました。
今日の御法縁を、自分に負けて握り潰すようなことをしたら、私はきっとこの先、ず~っと逃げっぱなしになっちゃう…、 でも、そうはなりたくない…! という気持ちが、私の中にしっかりと生きていたように思います。
駅で、仏法とは無関係の友人とバッタリ出会いました。
その友達を見かけた瞬間から元気に手をふっている自分に驚き…、 また、友人とすご~く明るく会話をしている自分にも驚き…、 でも、そんな私をつめたく冷やかに傍観している自分がいることにも驚きました。 「私…、 嘘の塊・・・?」
友人と別れてからの私は、いったい何を考えていたのでしょう…、 思い出せません…。 本をひざの上に置いたまま、消え去ってしまうような妄想の世界にドップリと浸かっていました。
京都駅でNOちゃんと会い一緒に会館へ向かったのですが、今度は、先ほどと違って全然しゃべることが出来ないのです…。 会館に着いてからもYKさんの隣に座ったものの、私の方から話す言葉が全然見つかりませんでした…。
「やっぱり 私…、 しゃべれない?・・・ 何しに来たの?・・・ ここにいてもいいの?・・・」
そんな時でした。 S先生が、私の肩にそっと手をふれて、「よう来たなぁ、よう来てくれたなぁ~」と声をかけてくださり、それで緊張の糸が一気にほぐれて、「私…、S先生の前では、頑張らなくてもいいんだ…」って思ったら、ホッとして、嬉しくて、隣にいてくださることにすごく安心することができました。
今日は輪読会でしたが、文中からも、そして先生やお同行さん方の言葉を通して、この席ではドップリと御法に浸けていただくことが出来たように思います。
自分が、‘自分の死’と向き合った時に はじめて知らされた様々なことが、みなさんのお話しを通して 自分の中で確認され、ほんとうに、「今、死ぬ」というのが抜けたら、それは仏法ではないなぁ… ということを感じさせていただきました。
そこのところに立った時、「聞けた」 ・ 「聞けない」 を 問題している私って いったい何なん?って・・・
しかれば穢悪濁世の群生、末代の旨際を知らず、僧尼の威儀をそしる。
今の時の道俗、おのれが分を思量せよ。 (『化身土巻』本)
S先生がおっしゃられた通りに、自分自身に目を向けた時、 やっぱり私は間違っている…、 御法とは寄り添わない私だなぁ~ と・・・、 そんな私の闇を照らしてくださるお光に導かれて、今日、私は ここに座らせていただくことが出来たのだなぁ~ と 思いました。
御法座が終わって S先生から 「辛かったなぁ~」との言葉をいただいた時・・・、 「私…、 誰かにわかってほしくて、今日、ここに来たんだ!」ってことを、自覚しました…。
御法座の最後に、「甘えてもいいんやで~」と、仏さまのお心を説いてくださった先生のお言葉を、まるまる今生事で受け止めてしまった私でしたが、S先生ならきっとわかってくださると思って甘えさせていただきました。
不思議なんです・・・・・・
先生にお話しを聞いていただく中で、今まで 押さえて 溜めこんできた気持ちを ひとつ ひとつ 言葉にしていく内に、 自分では気付かなかった 自分の気持ちが 浮上してきて、 「あぁ… 、 私 、こんなふうに思っていたんだ…」 って 知ることが出来ました。
そのように先生が聞いてくださったからだと思います。
貴重なお時間を いっぱい いっぱい 私のためにいただいて、S先生、ほんとうにありがとうございました。
そのおかげで、久しぶりに 地に足をつけて立っている感覚です。
この後、いつもの場所で待っていてくださる法友方のもとへ行ってきましたが、すっかり普通にお話しすることが出来ている自分にビックリです。 先生にお話しを聞いていただく前の私とは、別人みたい!(^^ゞ
TNさん、NRさんには、ホントに親身になってアドバイスをしていただき、私はすごく幸せ者です。 ありがとうございました。
終電ギリギリに帰宅の途につき、日付が変わっての深夜帰宅になってしまいましたが、帰り道、自分の御法に対する姿勢を反省…(というか…(^^;) することはあっても、暗く落ち込む気持ちにはならなかったです。
ただ、ここまでお光に照らされ、願われているのに、 私 、いったい何やってるの!! という腹立たしさはありました。
今日の御法縁を、自分に負けて握り潰すようなことをしたら、私はきっとこの先、ず~っと逃げっぱなしになっちゃう…、 でも、そうはなりたくない…! という気持ちが、私の中にしっかりと生きていたように思います。
駅で、仏法とは無関係の友人とバッタリ出会いました。
その友達を見かけた瞬間から元気に手をふっている自分に驚き…、 また、友人とすご~く明るく会話をしている自分にも驚き…、 でも、そんな私をつめたく冷やかに傍観している自分がいることにも驚きました。 「私…、 嘘の塊・・・?」
友人と別れてからの私は、いったい何を考えていたのでしょう…、 思い出せません…。 本をひざの上に置いたまま、消え去ってしまうような妄想の世界にドップリと浸かっていました。
京都駅でNOちゃんと会い一緒に会館へ向かったのですが、今度は、先ほどと違って全然しゃべることが出来ないのです…。 会館に着いてからもYKさんの隣に座ったものの、私の方から話す言葉が全然見つかりませんでした…。
「やっぱり 私…、 しゃべれない?・・・ 何しに来たの?・・・ ここにいてもいいの?・・・」
そんな時でした。 S先生が、私の肩にそっと手をふれて、「よう来たなぁ、よう来てくれたなぁ~」と声をかけてくださり、それで緊張の糸が一気にほぐれて、「私…、S先生の前では、頑張らなくてもいいんだ…」って思ったら、ホッとして、嬉しくて、隣にいてくださることにすごく安心することができました。
今日は輪読会でしたが、文中からも、そして先生やお同行さん方の言葉を通して、この席ではドップリと御法に浸けていただくことが出来たように思います。
自分が、‘自分の死’と向き合った時に はじめて知らされた様々なことが、みなさんのお話しを通して 自分の中で確認され、ほんとうに、「今、死ぬ」というのが抜けたら、それは仏法ではないなぁ… ということを感じさせていただきました。
そこのところに立った時、「聞けた」 ・ 「聞けない」 を 問題している私って いったい何なん?って・・・
しかれば穢悪濁世の群生、末代の旨際を知らず、僧尼の威儀をそしる。
今の時の道俗、おのれが分を思量せよ。 (『化身土巻』本)
S先生がおっしゃられた通りに、自分自身に目を向けた時、 やっぱり私は間違っている…、 御法とは寄り添わない私だなぁ~ と・・・、 そんな私の闇を照らしてくださるお光に導かれて、今日、私は ここに座らせていただくことが出来たのだなぁ~ と 思いました。
御法座が終わって S先生から 「辛かったなぁ~」との言葉をいただいた時・・・、 「私…、 誰かにわかってほしくて、今日、ここに来たんだ!」ってことを、自覚しました…。
御法座の最後に、「甘えてもいいんやで~」と、仏さまのお心を説いてくださった先生のお言葉を、まるまる今生事で受け止めてしまった私でしたが、S先生ならきっとわかってくださると思って甘えさせていただきました。
不思議なんです・・・・・・
先生にお話しを聞いていただく中で、今まで 押さえて 溜めこんできた気持ちを ひとつ ひとつ 言葉にしていく内に、 自分では気付かなかった 自分の気持ちが 浮上してきて、 「あぁ… 、 私 、こんなふうに思っていたんだ…」 って 知ることが出来ました。
そのように先生が聞いてくださったからだと思います。
貴重なお時間を いっぱい いっぱい 私のためにいただいて、S先生、ほんとうにありがとうございました。
そのおかげで、久しぶりに 地に足をつけて立っている感覚です。
この後、いつもの場所で待っていてくださる法友方のもとへ行ってきましたが、すっかり普通にお話しすることが出来ている自分にビックリです。 先生にお話しを聞いていただく前の私とは、別人みたい!(^^ゞ
TNさん、NRさんには、ホントに親身になってアドバイスをしていただき、私はすごく幸せ者です。 ありがとうございました。
終電ギリギリに帰宅の途につき、日付が変わっての深夜帰宅になってしまいましたが、帰り道、自分の御法に対する姿勢を反省…(というか…(^^;) することはあっても、暗く落ち込む気持ちにはならなかったです。
ただ、ここまでお光に照らされ、願われているのに、 私 、いったい何やってるの!! という腹立たしさはありました。
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