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‘ 真実の信心 ’ とは? [詩・言葉]

ギンヨウアカシア今年も、庭のアカシア(ミモザ)の木が たくさんの花をつけ、春の訪れを告げてくれました。
なんだか、毎年同じことを書いている気もしますが・・・
(^-^ゞ
以前、スペインを旅した時に、とても大きなミモザの木の並木道を通って、それがちょうど満開で、木いっぱいに咲く黄色の小花がとても美しくって、すっかりミモザに惚れてしまったのがきっかけで、帰国後 さっそく庭にミモザの木を植えたわけであります。
我が家にあるのは、分類学的には「ギンヨウアカシア」という木ですが、毎年、二月の終わり頃になると、鮮やかな黄色の花を咲かせて、庭に春を訪れを教えてくれます。

春なのに・・・・・?  春だから・・・・・?  まぁ~、 季節は関係なのかもしれませんが、寒さが緩むこの時期には、何かと 訃報が 数多く 耳に入ってまいります。
そんな中、先週、お父様を亡くされたばかりのOGさんと、お電話にて、いつものように長々とお話しをさせていただくことができました。
私なんかでは何のなぐさめにもならないでしょうが、それでも気分転換にお話しなど聞いてあげられたらいいな…、 な~んて思ってお電話をしたのに…、 結局は、折り返し電話をいただい上に、私の方が たくさんお話しを聞いていただくことになって、優しさと、勇気を、たくさんいただいちゃいました。
ホント…、 お念仏者というのはすごいですね・・・。  立っている場所が、私とは全然違うように思います。
それに、彼の一言って、ものすごくお腹に響くんですよね・・・・・。  だから、モノ覚えの悪い この私の頭にも残るのでしょうね~・・・・・、 もっとも、記憶に残したところで何の意味もありませんが・・・・・。
今回のお電話でも、 ズシン! ときたお言葉をたくさんいただきましたので、今、覚えているだけでも、書き留めておきたくなりました。 そして、ご縁のある方にも聞いていただきたくなりました。
OG語録です。

「私は 私や!   他人の 否定も 肯定も 関係ない!  私と 私のあみださんの 問題や。」

「みんな一人や~。  私も一人や~。  だから、私一人の ‘ なんまんだぶつ ’ や!」

「‘ 人間 ’ 相手に、 ‘ 私 ’ を わかってもらえることなんて無い!
 でも、あみださんだけは、 全部 ‘ 私 ’ を わかってくださっている。」

「聞く度ごとに、 ‘ 私が聞き誤っていました ’ と 聞くのが、聞法や。」

「本音を、言え! 言え!  ここは、極悪人の集まりや!」

それから、こんな質問をされました。
「‘ 真実の信心 ’ とは、何か?」 と 聞かれたら、奈っちゃんなら 何て答える? って・・・。
私は、 「私からは出てくるはずもなく、また、私とは寄り添うこともない、仏法を信じる心にふれさせていただくこと…。 阿弥陀さまの御心を、感じさせていただくこと…。」 というようなことを答えました。
OGさんは、決して私の言葉を否定することはありません。 でも、こう教えていただきました。
「‘ 仏願の生起本末 ’ を聞きて、 計らっているか、 任せられるか やないかなぁ~。
‘ 疑い心がなくなる ’ と言うのは、 御法を聞いて、 計らわず、 手段を交えず、 疑わずに、そのまま聞けてるかが、‘ 真実の信心 ’ とちゃうかなぁ~ と、わたしは思うよ。 ‘ 聞即信 ’ の教えやからなぁ~。」 と。

OGさんとお話しをしていると、いつも いつも、「私って、ものすごく小さいなぁ~、めちゃめちゃ浅いなぁ~、全然わかっていないなぁ~」 って 思います。
でも なぜか、それが嬉しくもあるのが不思議な感じです。
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