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トラウマ [心]

秋の聞法旅行・・・ ではなく、先週から約一週間、京都へ「聞法」と「旅行」に行ってまいりました。
とても楽しかったです。 書きたいこともいっぱいあります。 でも、書けないんです・・・。
「今の私」が無い・・・、 というよりも、「今の私」を見失ってしまった・・・、  「今の私」って・・・?

ただ、何となく書いてみます。

今日一日時間をかけてやっと出てきたものは、怒り任せの父の顔でした。
でも・・・、 たぶん、父自身はシラッとした顔をしていたのだと思います。 冷静に思い返してみても、そんなに恐ろしい表情をした父の顔は思い出せません。 いつも人をバカにしたような平静さを装った父の顔しか思い出せません。
しかし、私の中にはものすごく恐ろしい形相で迫り狂っている父の顔が出てきます。 
そして、いつも聞かされるあの一言を空耳に聞くたび、すがり付きたくとも恐怖におののいて、一瞬にして我を見失ってしまう・・・。
責めることが愛の証だと言われました。
でもそれは、私にとって身体の痛みよりもはるかに大きく心の痛みを増幅させるばかりで、私は、いつの間にか無意識の内に自分の感情を消し去る術を身に付けてしまったのだと思います・・・。

「トラウマ」。  この言葉に違和感を覚えます。 そんな短い単語で片付けられるものじゃない!!

身体に受ける暴力も、耳に受ける暴力も、ダイレクトに心を切り裂く。
私は、神でも仏でもない! 人の思いを叶えることも出来なければ、その心を読み取ることも出来ないし、それが故に理想通りに動くことも出来ません・・・。  それを咎められても、ののしられても、罵倒されても、私には出来ない、どうしたって出来ない・・・

理不尽と思える言葉であってもこれを御法として聞くことの出来ない私が悪い。 私の存在こそが悪。
その通りです。
次々に浴びせられるそんな言葉に、私の心は刃も盾も失って、ただ言われるがままの我が悪を受け止め、我が罪を認め、それ故に「謝れ」との言葉には拒絶もなく、否定することなく謝罪の気持ちが沸いて出てきます。
でも、霧がかった靄の中から謝罪の言葉が出てきた後のその空いたスペースには、「空虚」という文字が埋まっていく感じがします。
こんなふうにして感情は消えていくのだなぁ~と、それを、ただ虚ろに眺めているだけの私がいました。

今は、何もかもが虚しい・・・・・
目の前を通り過ぎていく時間に、小さな恨みを感じながらも、それを「虚しい」という言葉で覆い隠している、そんな感じです。

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