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貞照院 春の彼岸会 (後編 [御法縁]

午前のお説教が終わると同時に、ご住職の案内も終わらない内から参詣者らは一斉に奥の間に用意されたお斎の会場へとなだれ込み、私は、「へっ?」っという感じでその後ろ姿をのんびりと眺めながら、「浅ましい・・・」 と思いつつも、その実は、我が姿を見せつけられているようで、イヤ~な感覚でした。
春彼岸会・貞照院.JPG入れ替わり立ち替わりで、ご用意くださったお斎を私は最終組にていただいたのですが、残念ながらお惣菜の方が売れ切れ状態で…、その代わりにと三河風味の甘めで美味しいチラシ寿司を何杯もついでくださって、お腹いっぱいにご馳走になりました。

昼食の後は一人でお寺の裏庭などをお散歩し、その手入れの行き届いた美しさにホッと一息。
その後、JGさんとチョットだけおしゃべりをすることが出来てホッと二息 (*^^*)  嬉しかったです!
そして、午後からのお説教を聞こうと本堂に戻ったところで驚いたのは、あんなにたくさんおられた参詣者らの大半が、お昼御飯をいただいた後に帰ってしまわれたようで・・・ (;^_^A  午前中のあの賑わいは、お斎目当て…? と、世の現実を見せていただきました。

午後からも追善供養の法要が一時間ほど続き、その後は午前に引き続きのお説教をいただきました。
まずは尺八で一曲!
お説教師さんの尺八の腕前は、「さすが!」と言っていいほど!  私も以前は琴の演奏活動をしておりましたが、これほどの音色を奏でる方とご一緒したことはございませんでした。
しかし、その後におっしゃられた言葉に、ハタ・・・ と幻滅・・・・・。

「‘ 仏 ’ とは、悟った人のことを言います。 悟った人というのは、‘ 本当の人間としての真実の生活 ’ が 出来ると言うことです。」 と・・・・・。  そして、こう続けられました。
「尺八が上手く吹ける人はたくさんいますが、悟った人間と、悟っていない人間とでは、演奏が違ってくるのです。 自分の演奏を聴いて涙を流す人が多いのは、私のように悟った人間が演奏することで、音の中にも心がこもり、それが聴いている人たちの心に触れるからです。」 と・・・・・。

「わ~~~、 このお説教師さん、すっごいこと言っちゃっている!!」 っと、私も最初はビックリもしましたが・・・・・、 でも、後々になって考えてみたら、私も同じことをしているなぁ~ って・・・・・。

だって・・・、 「仏法を聞く」 と いうのは、 「仏に成る教えを聞く」 と いうことでしょ?!

それを、私は私の思案の中ではからって、「信心をいただいたとか、いただいていないとか・・・」、 「如来さまの御心が聞けただとか、聞けていないだとか・・・」、 これって、言葉を変えれば、「私は、仏に成る、成らない」 ということを、ただ自分勝手に言っているだけなのではないかしら・・・。
阿弥陀さまの御本願は、「おまえの後生を任せてくれ! 必ず仏にしてみせる!」 との宣言でありますが、これを私の側で勝手に、「‘南無阿弥陀仏’をいただいて、私は仏に成らせていただくのだ!」 と、都合良く持ち替えているだけじゃない・・・。
結局は、私も このお説教師さんと おんなじことを言っているのだわ… と思いました。

それにしても・・・・・  お説教は後半にかけて、その内容もどんどんとエスカレートし、最後は、口がただれるような後味の悪さが残りました。 でもそれは、お説教師さんが悪いのではありません。
そのお話しを聞いて自分がメモしたものを読み返した時、 「これは酷い!」 と 寒気がしました。
確かに、そこに書かれてある言葉は、お説教師さんがお話ししてくださったものですが・・・、
例えば・・・・・、
「‘成仏’ 出来る人はあまりいないが、力強く前向きに生きていれば、‘往生’ は誰でも出来るのです」 とか・・・、
「野生動物は、他の命を奪ってしか生きられないが、人間は、自分が殺さなくても食べることの出来る智恵を身に付けた。 だから ‘いただきます’ と言うのです」 とか・・・、
「‘南無阿弥陀仏’と口で念仏を称えている間は、阿弥陀さんの心と一つになれる。 だから臨終の間際でも、‘南無阿弥陀仏’と称えることで、前向きに生きることが出来て、死んでいけるのです」  等々・・・・・・

私は、自分の聞いてきたことこそ真実とばかりに、お説教師さんの言葉を、ただ批判材料にしているだけです・・・。 すごい悪質ですよね・・・・・。
自分自身につまづきながら、そこにず~っと留まって、如来さまの御心をチッとも聞こうとしていない・・・、
I'm OK !」  自分の書いたメモ帳には、そんな心がわんさかと溢れていました・・・・・・。
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貞照院 春の彼岸会 (前編 [御法縁]

もう、一ヶ月も昔のお話しですが、浄土宗のお寺の春彼岸会に参詣させていただきました。
朝10時からのお勤めと聞いて40分前には到着したのですが・・・  お寺はバーゲンセールのような盛況ぶりで、駐車場も満車なら、受付も大渋滞の状態! 三河の片田舎にある、さほど大きくもないお寺なのですが、この人気ぶりには正直驚きました。
長々と並んで受付を済ませた後は、お茶室にてお抹茶をいただき、そのあと 本堂へと向かいましたが、
貞照院 彼岸会.JPGこちらの方も大賑わいで・・・ (^-^ゞ
なんたって、坊さま方が唱えるお勤めの声よりも、参拝者の私語の方が大きいのですから・・・!
まぁ~、 坊さまの中にもニコニコとおしゃべりをしている方もおられるし、お勤めと言っても、先祖供養と称した寄付者の名前の読み上げにしかすぎないので、ついついよそ事を言いたくなる気持ちもわからないではないですが… 、 仮にも法要の最中なのに・・・ と 内心 思ったのであります・・・。 

さてさて、長~く感じたお勤めの後のお説教は、お話しの合間に尺八を吹いてくださる「尺八説法」と称した個性的なスタイルのお説教だということで、ちょっとだけ興味津々!

お話しは、まず自己紹介から入られ、重ね重ねのご自身の自慢話しが延々と続き、「あら あら・・・?」という感じで始まりましたが、そんなご自慢ネタ話しの中より興味深く聞かせていただいたのは、耳根(にこん)についてのお話しでした。

人間の感覚をつかさどる器官は、 眼根(げんこん・視覚)・ 耳根(にこん・聴覚)・ 鼻根(びこん・臭覚)・ 舌根(ぜっこん・味覚)・ 身根(しんこん・触覚)の 五つがあり、これを「五根(ごこん)」と言います。
中でも、「耳根」というのは、五根の中でも胎児である内より最初に働き、 寝ている間も常に働き続け、 そしてこの世の寿命が尽きて心臓が止まってもなお最後まで働く器官だと言われているそうです。
それは何ゆえかと問えば、 「聞く」ということが、五根の中でも一番重要な働きであるからに他ならないからだと教えていただきました。

お説教では、「だから、わたしの尺八の音色を聞いて、心洗われることが大切なのだ・・・」とのお話しになってしまいましたが・・・(^^ゞ
私の中では、 「あぁ、なるほど! 真宗でも、‘ 聞く ’ ということが一番大切なことであると教えていただき、‘ 聞く ’ ということ、これ一つが出来ないから、‘ 易行道 ’ でありながら、‘ はなはだ難し ’ なのだ!」 と、味合わせていただきました。

この後のお説教は、尺八という楽器の歴史から使い方に至るまで懇切丁寧にご説明いただいて、 「いったい、いつになったら御法のお話しをしてくださるのだろう・・・?」 と思いながら聞いていました。
所々に、「念仏」とか、「阿弥陀」とかいう言葉も出てくるのですが・・・、 でも・・・  私はどうしても、「それはあなた(説教師)の自論でしかないじゃない!」 と、 自分本位で、傲慢な聞き方しか出来ませんでした・・・・・。

ただ一つ心に残ったのは、 「 ‘ 極楽往生 ’ という言葉は、死んだ後に極楽に生まれるという意味ではなくて、今を前向きに楽しく生きて往くということです。 現に ‘ 死 ’ なんて漢字はどこにも使われていないでしょ?!」 と 言われたことに、 「あぁ、なるほど・・・」 と思いました。
でもそれは、お説教師さんのその言葉に対して納得が出来たという頷きではなくて、 ここにこそ自身の大きな間違いがあるのだと、ハッと頷けるところがあったからです。

世間に流布する仏教は、後生に良い所(極楽)へ往くための前提にある「今生」を、いかに有意義に 且つ 円満に過ごすべきかを教えたものという位置づけであるのに対して、 私が聞かせていただいているものは、自身が今生で蒔き散らかした悪業のタネ(因)の結果として後生を受けて行かねばならず、この「後生」に焦点をあてて、これを解決するための教えという位置づけで、「今生」は、そのためのいただきものなのだと自身のところでは受けているつもりでした・・・・・・。

でも 結局は 私も俗世間の一人・・・・・、 どんなに尊い真実を耳にしていても、 その仏法を 「今生」事の一つとして取り込み、 「後生」のことなんてチッとも考えることなど出来ていないのです・・・・・。
人として生まれさせていただき、真実の教えと出遇わせていただきながらも、 世間にまみれ・・・、 自身の思いにどっぷりと浸かり・・・、 そら事・たわ事に振り回されながら一喜一憂しているのみで、 「後生」のことなんて、まったくもって蚊帳の外なのです。
それなのに偉そうな顔をして、御法だ 仏法だ! 聞いた 知った! と、 自惚れいっぱいに講釈して、自身も我法一色に染まっていることに、まったく気が付いていないのです・・・。

そんな自分に、「おまえ、何様のつもり?!」 と 尋ねると、 「オレ様じゃ!!」 と 大威張りの私が悪びれもせずふんぞり返っていました。
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五条川 [御法縁]

ここ、五条川のお花見は去年初めて訪れてとても好きなお花見場所になりました。
そう言えば・・・・・、 あの時は御法座の場で、ある先輩お同行さんに御法以外の面から容赦なく浴びせられた言葉に気持ちが委縮してしまって、そんな私を心配してくださったYuさんが、お悩み相談がてら気晴らしになればと連れて来てくださったのが五条川のお花見で、それがお初のデート(?)でした。
あれから一年・・・・・・   いろいろなことがありました・・・・・・。
今年はYuさんの方が傷心で・・・・・、 でも、私の方も相変わらず去年と同じ先輩お同行さんのことや、その他諸々のことで悩める日々が続いているので、今年は二人ともが暗く落ち込んだままに五条川のお花見に行ってまいりました。
4月6日。 桜の花は満開の峠を過ぎたところでちょうど見頃。 そしてお天気も快晴。 私たちの暗く沈んだ心持ちなどはまったく無意味なほどに絶好のお花見日和でした。

五条川.JPG

ダメですね・・・・・  やっぱり言葉が続きません・・・・・  今日は、とっても後ろ向きです・・・・・
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那古野神社で 「カン」問答 [御法縁]

鶴舞公園を後にして次に連れて行ってくださったのは那古野神社で、こちらは私にとってはお初でした。
夕闇が次第に濃くなり、境内に所狭しと立ち並んだ露店の明かりも華やいできて・・・、 だけど、肝心の夜桜が出店の屋根に遮られてなかなか見ることが難しく、ここは桜を鑑賞するというよりも、桜の下の露店を楽しむ! といった日本人ならではお花見(?)スタイル!
全天候型で、お天気に左右されることなくお花見気分を味わえるとあって、とっぷりと日が暮れた頃より仕事帰りの団体客等で露店の宴席も賑わってきました。

お花見(那古野神社・).JPG

私たちは彼の馴染み(?)の露店に入って腰を落ち着け、まずはドリンクをオーダーしました。
彼が、「燗(カン)でお願いします」 とオーダーすると、その女性店員さんは、「缶(カン)はありません、グラスしかないんですけど・・・」 と・・・ (^-^;
「グラスでいいんですけど…、燗(カン)でね!」と、彼が再びオーダーすると、「ですから、うちは缶(カン)ではお出し出来ないんです!」 と女性店員さん・・・ (^-^ゞ
これでやっと私も気付いて・・・!(^^;)  そ~なると 可笑しくて! 可笑しくて!!
「カン」をめぐってのやり取りがしばらく続いてやっと、「あぁ! 熱燗の燗(カン)?!」 と、その女性店員さんも気付いて笑いだしたのだけれど・・・、  自分の思い込みを唯一とし、 自分の考えを良しとして、 相手の言葉をこの耳に聞いていながらも、相手の言いたいことが聞けていないというのは、 何も仏法聴聞に限った事ではないのだなぁ~ と 二人で味あわせていただきました。

那古野神社の露店を堪能した後は、徒歩で名駅まで夜のお散歩!
そうそう、 この日は家を出る時に慌てていて、靴を選ばずに普段用のドタ靴で出かけてしまったので足元はとても恥ずかしかったけれど、でも、ウォーキングには最適でした(^-^)v

お花見帰り・咲串おかげ屋.JPGこの後、名駅三丁目の 咲串おかげ屋 という居酒屋さんに連れて行っていただきました。
新装オープンの串揚げとおでんが自慢のこじんまりとしたお店で、とても雰囲気がよかったです。
メニューに食べたいものはたくさんあったのですが、何せお昼間から食べ続けているのでお腹に隙間がなくて・・・(^-^ゞ、
別腹自慢の私ですが、〆のデザートすら入らなかったのは残念でした・・・!
でも、彼がお手洗いに行っている間に仲良くなった店員のゆりかちゃんが、会計のレシートにメモ書きで、「今度はデザートを食べに来てくださいね」とのメッセージを書いてくださったその心遣いに、また訪れたいお店になりました!

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曇り桜の木の下で in 鶴舞公園 [御法縁]

うかうかしていたら、日本列島の桜がすべて散ってしまいますね。 いいかげん ここらで今年のお花見回想録を書いておかねば!

お花見(鶴舞公園).JPG

今年最初のお花見は鶴舞公園へ連れて行っていただき、親友と二人で名古屋の桜を堪能しました。
この日のお天気は分厚い雲の垂れこめた曇り空で、これを鏡に写したように、ご一緒した彼の心も今までになくどんよりとした曇り空… (^-^ゞ
そんな彼の心模様などお構いなしに、周囲には所狭しとブルーシートが敷かれ、薄桃色の桜の下には、ほの赤く陽気になった無数の老若男女が、何がそんなに嬉しいのか… 楽しそうに騒いでおりました。

私たちも、彼が用意してくれたクマさんシートに腰をおろして、ビール片手にお悩み相談!
でもね、それがとっても明快なお悩みで・・・、 私にとっては少し嬉しくもあるお悩みなのでありました♪
「今週末の御法座に誘われたけれど、行きたくないんだ・・・」とおっしゃる彼…。
「それじゃ~、断れば?!」というと、 「いや~、それはね~~~」と口ごもられる・・・ (^-^;
私自身、同じ経験を 何度も 何度も・・・、 というより、御法座の度に毎回経験していることなので、彼の気持ちは手に取るようにわかるのです。

私も聴聞を始めて3,4ヶ月の間は、御法座に出ることが楽しくって、仏法聴聞の出来ることが嬉しくってしょうがないという時期がありましたが、 ある日 パタッと…、 「御法座なんか出たくない・・・・・  この会館の玄関ドアを開けたくない・・・・・」という思いに駆られました。
その時、この旨をS先生にお話しすると、 「あぁ、よかった! 安心したよ!」とおっしゃられ、目を点にしている私に、「聞きたくないという気持ちが出てきてよかったね!」と言ってくださいました。

今にして思えば、仏法聴聞を始めた頃のあの喜びは、「よう聞きに来てくれたなぁ~!」という如来さまの喜びが我が身に移っていただけで、当の私自身は、「仏法なんか聞きたくない!」という思いを、ずっと ず~~~っと変わることなく三世を貫いて持ち続けているのですよね・・・。
その、「仏法なんか聞きたくない!」という自称が、光明によって照らし出されてきたことで、ハッキリと自分ところで観せられる、そこまでお育ていただいたからであります。

だから、彼の心を悩ます、「今週末の御法座、 本当は行きたくないのだけれど・・・」という悩みは、すごくよくわかるし、嬉しくもあったのです。
でも、申込期限はとうに過ぎているし、定員がいっぱいで参加したくても参加できないかもしれない・・・  それなのに、行こうか…、行くまいか…、と 悩んでいる彼の姿は、可笑しくもあり、尊かったです。

仏法なんて聞きたくないないですよ・・・。 決してきれいで楽しいお話しを聞かせていただける訳ではなく、醜く汚い自身の本性を指摘され、それを我が身で受けていかなくっちゃいけないんですもの・・・・・
その真実を聞きたくないから、過去世より ずっと ず~~~っと 逃げ続けて、 それを良しとして ずっと ず~~~っと 迷い続けて来たのですから。
それが、いまここで自分がどうこうして簡単に転換できるものじゃないんです・・・。 過去世からそうであったように、現世でも、来世でも、私は変わることがないんです・・・。
そんな私に、飽きもせず、腹も立てず、しつこく執念深く ずっと ず~~~っと 付き添って、「聞いて! 聞いて!」と叫び通しで私の行く末を心配してくださるお方がおられたのです。

今、やっと出遇わせていただいた。 お光に照らされた私を観させていただいた。 そのお心を感じさせていただける身にしていただいた。
私をここまでお育ていただくのに、いったいどれほどのご苦労があったのか・・・、 そんなことをまるで考えることのない私に、「ただ、聞いてね!」 って・・・・・・

聞けないまんまで、聞かせていただきましょうね!   南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏
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「光」 と 「影」 [御法縁]

前BLOGでお話ししたYZさんとは対称的に、この四ヶ月間でお話しする度に変わっていかれるなぁ~ と 感じられるのが、今、法友として一番身近にいてくださるYTさん。
前々回のお食事会では、何をお話しして、何を聞かせていただいたのか、もうまったく覚えていないけれど、連れて行ってくださったお店と、そこで食したものだけは、一ヶ月を過ぎた今でも覚えています。

和志かぶと屋.JPG

そうそう! 一番印象に残っているのは、そのお店の照明でした。
天井に取り付けられてあったライトの向きが悪いのか、私の後頭部を照らすライトのみが やたらと明るさを放っていたため、私の前に出されるお料理の全てが、私の影で暗く見難くなってしまうのです。
ライトアップされたお料理を食べることがあっても、ライトダウンされてシャドースパイスが乗っかったお料理をいただくのは初体験で、それが 気になって 気になって・・・  何とか自分の影がお料理にかからないようにと首を傾けてみたり、腰をひねってみたりしながら、自身の影を回避させようとアレコレとはからってはみるのですが、やはりどうしたって自分の影が邪魔になってしまうのです・・・。

お料理は、五感でいただくもの!  視覚を満足に活かせないというだけで、お料理の味まで変えてしまう ‘ 私の心 ’ というヤツは、本当に恐ろしいものですねぇ~。
そして、食欲などの欲心が満たされた状態でなければ、命を喰らうこの口から、代わって出てくるものは愚痴ばかり・・・。
照明一つで仏法談話どころではなくなって、 私にとっていかに御法が二の次、三の次という まことお粗末なものであるか・・・、 まったく、「いったい何のためのお食事会なのかしらね~?」と、呆れるばかりです。

そして、たまらずに店員さんを呼んで、「照明の向きを変えてください!」とお願いをしましたら、その女性店員さんが不安定な脚立に乗って、慣れない手付きでカンカンに熱くなったライトの向きを変えてくださいました。
でも、ほとんど効果はなかったです・・・。 だけど、これ以上のわがままは言えない・・・ と思い、あきらめて我慢することにしました。
それからしばらくして男性店員さんが現れ、「今、電球が届きました!」 と。
不自然な照明で私の前に暗い影が出来てしまったのは、私の正面頭上のライトの数か所が球切れを起こしていたせいだと知り、店員さんが電球を取り換えてくださったのと同時に目の前の影は消えて、おかげでテーブルの上のお料理もとても美味しそうに見え、そうなると心持ちまで華やいできました。
ライト一つでコロコロと変わる心・・・。 これによって味覚まで変わってしまうし、お話しする内容まで違ってくるのだから・・・  「我」てヤツは、究極のわがまま怪獣です。

それにしても・・・・・、  私の影を造り出しているのは、この私自身なのですね・・・・・・・

私には、光を造り出すことは出来ませんが、その光によって自分の造った影を観させていただくことが出来るのです・・・・・・
もし、 私が存在していなければ、 私の影も存在していないのです。
もし、 光が当たっていなければ、 私は自分の影を観ることは出来ないのです。

店員さんが電球を取り換えてくださった時、 パッ と明るくなりました。
私は、ただ椅子に腰かけて、暗いだの、お料理が不味くなるだの、傾けた首が痛いだの と 文句や愚痴を並べていただけで、私は何もしていません。 私の手柄など何一つとしてありません。
「明るくなってありがたい!」と、ライトをつけてくださった店員さんに、ほんの表面的な感謝をしながらも、しかし、そう思ったのもその瞬間だけで、後は当たり前の如くお料理をいただきながら、偉そうに 「如来さまは、云々・・・」などとほざいているのですからねぇ・・・ 私って何さま? です・・・。
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僕は嬉しくて仕方がない [御法縁]

とうとう名古屋のお花見シーズンも終わってしまいました。
今年もたくさんお花見に出かけることが出来ましたが、これを書きとめる時間がなくて・・・・・
ここ一ケ月半の間、カレンダーにぎっしりと書き込まれたスケジュールを日々こなし、ずいぶんと頑張ってきたようにも思いますが、「私・・・、何をやっていたのだろう・・・」と、刻々と流れ行く時間の中で、自分のやっていることの小ささに、フッとため息の出る思いもあります。
今月のスケジュールもほぼ埋まっていたのですが・・・、 訳あって今のところ空白に戻すことにしました。
さてさて、今日は過去の写真を眺めながら、今思うところをぼちぼちと書いていこうかなと思います。

先月の講習会の翌日、名古屋での仕事を終えたYZさんとお食事に出かけました。
名駅からほど近い、マグロの解体ショーが売りの居酒屋さんでの仏法讃談??? (^-^ゞ

さかなや道場.JPG

アレアレ? っと思ったのは、もう四ヶ月も前からYZさんは同じことばかりおっしゃっていて、「今」も「私」も抜けているな… と・・・。
昨年11月、 「僕は嬉しくて仕方がないんだ」と言ってホクホクしていた彼に、「何がそんなに嬉しいの?」と横やりを入れた数日後、深夜の電話で、「僕のこの喜びは、僕の阿弥陀さまが喜んでおられる喜びなんだ」と言い換えられたものの、やっぱり嬉しそうな彼・・・。
これを私にも納得させたいからなのでしょうか? 彼は会う度に同じことをお話しくださり、やはりこの日も、「僕が喜んでいるのではなく、阿弥陀さまが喜んでおられるんだ」との力説をされました。

「でもね、阿弥陀さまの喜びを感じることが、仏法を聞くこととは違うでしょ?」 等々・・・、 彼の言葉を一向に賛辞しようとしない私に対してとうとう彼が切れかかり、少し荒々しい口調になってきてしまったので私は話題を切り替え、無口になって彼の言葉に耳を傾けました。
すると、やはり彼の中にはモヤモヤとしたものがあるのでしょうねぇ・・・、 彼の方から先ほどの話題にふれてきましたので、私は自身の感じるところをお話しさせていただきました。

その人 その人のところで沸き起こる「喜び」に対して、私は何ら肯定も否定もしませんが、その「喜び」にしがみついている間にも、私は真っ逆さまに堕ちて行っていると聞かせていただいています。
そんな私に対して如来さまはどんなお気持でおられるのでしょうか・・・・・

もともと私には、「後生を解決したい」だとか、「真実信心が欲しい」だとか、そのような尊い願いなどサラサラありませんので、間違ってこれらを獲たとしても、喜び心なんて起きて来ないと思うのです。
この私は、殺生をして喜び、欲楽に溺れて喜ぶばかりです・・・。
そんな私ですが、ほんの時折、「人間に生まれさせていただいたことを喜ぶ心」に触れさせていただいたり、 「南無阿弥陀仏の御心を聞いてその不思議な御徳に喜ぶ心」と出遇わせていただいたりすることの出来る身にさせていただけたのです。
私一人をここまでお育ていただくのに、いったいどれほどの御苦労を如来さまはしてくださったというのでしょうか・・・  それを思えば、「ただ勿体ない・・・」・・・  それだけです。
だから、御縁や体験の喜びに留まっていては申し訳ないなぁ~、 もう一歩進んで、如来さまの御心に触れさせていただけたらいいのになぁ~ ・・・ と思って、その旨をYZさんにお伝えしました。
彼が、これをどのように思ったのかはわかりませんが、私は自分のところで改めて、「虚仮不実の私が何を言う・・・」と、 結局は、「真実の喜び」に背を向けている我が身を知らされました。
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御坊縁日一如さん (後篇 [御法縁]

「御坊縁日一如さん」の法要説法、午前の部、 10分ほどの休憩をはさんで二座目の御法話(?)にて、この説教師さん… とても浄土真宗とは思えないとんでもないお話しをなされた。
「この御本尊の阿弥陀さまは、いつもこの場に立っておられるわけじゃない。 みなさんが 今日 ここに来たから、阿弥陀さまもここに現われてくださった。 だから本堂に誰もいなくなったら、いつものように阿弥陀さまは連台の上に腰をおろして休まれる」 と・・・・・
これを聞いて私は、背筋の寒くなる思いがしました。  そして自分が怖くなりました。  それから・・・、 私の中から出てくるどんな思いも、一時しのぎの言い訳にしかならないと思いました・・・。

この後のお昼休みには縁日にて大好物のたい焼きを購入し、これを食べながら露店を散策してから別院の付近でLaunchのいただけそうなお店を探したのですが見つからず・・・、 門前のお肉屋さんで揚げたてのコロッケを購入して境内でいただきました。

お昼からの法要は、正直 「もう けっこう!」との思いがあったのですが、この日の夕方にお友達との約束が入っていたので、それまでの時間つぶしに仕方なく本堂へと向かいました。

お昼からの参詣者は午前の部の半数ほど・・・。 そして、『正信偈』のお勤めでは、ほとんどの人たちが口を閉じたまま聞き流している中、私は本堂のほぼ中央に座して声高らかに、音痴全開で 『正信偈』のお勤めをさせていただきました。 そんな私につられてか、隣り合わせた人や、前後の人たちがパラパラと声を出し始めて、後半になるにつれ少しずつ『正信偈』をあげる声が大きくなってきたことが、とても嬉しく思いました。

でも午前のお座と同様に、お勤めが終わるとほとんどの参詣者は本堂を後にし、午後からの御法話(?)を聞こうという人は、ほんの数人しかありませんでした。
その三座目のテーマですが・・・、 説教師さんが、自死者の遺族の集い(家族に自殺された遺族たちの追悼法要と精神ケアを目指した集まり)に参加された時のお話しをしてくださったのですが・・・、 残念ながらそのお話しの中身から、如来さまの御心を見出すことは、私には出来ませんでした・・・。

ただ、三座目の最後の部分で、説教師さんが、「実は今日、このお座にわたしの母が来ています」 と お母様を紹介されたところで、こんなお話しをしてくださいました。
「わたしがまだ何もわからない幼い頃より、母はわたしのもみじのような小さな手を合わせて、そこに念誦をかけ、念仏を申すことを教えてくれました」 とのお話しが、私の心にストンッと入ってきました。
でもそれは、お説教師さんが言われたような家族愛に留まらず、時を超えて、一人ひとりのところで受け継がれてきたお念仏の相続という意味であって、 今、ここの私のところに届けられた真実の御働きに、ほんの少しだけふれさせていただいたような気がしました。  南無阿弥陀仏

最終四座目には、「念仏を称える」ということについてお話しをしてくださいました。
お説教師さんの理解し難い我法はさて置き… (^.^ゞ  でも、こんな面白いお話しをしてくださいました。
「念仏を申したことでこんな発見した! 念仏を称えている時って 息を吐きながら声に出しているなぁ~と・・・  これって 生きているってことだよなぁ~と・・・  その呼吸の ひとつ ひとつの中に、仏さまが現れてくださっているということにハタと気付いた!」 と…。
まぁ~、 お念仏でなくとも、人間を含めた動物の大半は、声を発する時には息を吐き出していると思うのですが・・・、 上げ足とりはナシとして…(^.^;、 本当に、一息 一息が、なんまんだぶつ様なのだよ! と、教えていただきました。

最後に、 「人は、存智では助からない。 信智で助かる。 法で言えば廻向。 わたしがするのは廻信。 これを心に刻んでお家に帰っていただきたい」 と、 も~~~ぉ、ウズウズするほどに突っ込みどころ満載のお言葉で締めくくられて一如さんの法要法話は終了いたしました。
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御坊縁日一如さん (前篇 [御法縁]

毎月12日、東本願寺名古屋別院では、『一如さん』といわれる御坊縁日が催されていて、御法話も聞かせていただけるとの情報を得たのでさっそく出かけてまいりました。
「一如さん」とは、名古屋東別院の開基であられる一如上人(東本願寺第16代)のことで、そのご命日にちなんで執り行われているのが「御坊縁日一如さん」ということなのだそうです。
午前10時前には別院の境内に何軒かの露店が立ち並び、食料品から生活雑貨に至るまで多種多様な出店(お年寄り向けのお店(^.^ゞ)が軒を連ね賑わっていました。

御坊縁日一如さん.JPG

その縁日を横目に通り過ぎてまずは本堂へと向かうと、堂内にはすでに200人ほどの参詣者が座しておられ、それからしばらしくて 『正信偈』 のお勤めが始まりました。
お東の節で『正信偈』をあげるのは久しぶりだったので、かなり音痴な声を出してしまいましたが、 浄土真宗では僧侶も在家も共に声を合わせてお勤めすることをお勧めくださった蓮如さまのおかげで、 また『正信念仏偈』を書き遺してくださった親鸞さまのおかげで、 こうして南無阿弥陀仏の御徳を声に出させていただけることを とても とても嬉しく思いました。
ただ・・・、 そのスピードがメチャメチャに早い!  この時私は本堂の一番後ろに座していたので、僧侶方のスピードについていけない在家方の声につられて、必要以上に散漫したお勤めとなってしまいました… (^-^ゞ

お勤めが終わると参詣者の動きはいっきに慌ただしくなり、説教師さんの御法話が始まっても、これに耳をかたむける者は少なく、みな順次、お仏前へと参ってお賽銭をチャリ~ンと落とし、軽~く頭をチョコンと下げただけで次々に帰って行ってしまわれる・・・。
その傍らで説教師さんは 「御法話」 という名目でイベントのPRを熱弁されておられる・・・。
こんなんでいいのか、真宗教団! と、 他人事ながら嘆かわしくなってきました。  南無阿弥陀仏

御法話 一座目の大半は、別院のイベントPRと、説教師さんが気に入られたサラリーマン川柳の紹介でした。  どのような川柳をPICKUPしてくださったのかと言うと・・・・・
「あなただけ 言った妻が あなたどけ!!」   「老夫婦 会話はずむが… かみ合わず」  「くじ運は 悪い方だと 妻を見る」  などですが・・・、 よほど夫婦関係でご苦労をされているのでしょうねぇ…

さて… 、 この後は、仏法ならぬ我法のお話しに入られました。
「念仏とは、自分の生活をはかりにかけるということ。 念仏を称えて仏さまの教えに適った生活をしているか自分自身ではかってみることが大事」 とのお勧めに、私の頭の中は、「?????・・・・・」 
なんだか宇宙語を聞いているみたいでした・・・・・・
私は 最前列のど真ん中… つまり御本尊の真正面に座して・・・、 向かって左手の柱際でお話しをされている説教師さんの方には目もくれずに、 ただひたすらに眉間にシワを寄せながらメモを取りつつ、 私自身のお念仏を小さな声で繰り返しちょうだいしながらお話しを聞かせていただいていたのですが・・・ (^-^ゞ  説教師さん…、 そんな私の存在がかなり気になっているご様子で、 まぁ~ 彼の方からすれば、私こそ異星人的存在に見えていたのでしょうね~ (^-^ゞ

当の私はといえば・・・、 自分が 「知った」・「聞いた」 との知識を、絶対に間違えのないものとして 説教師さんのお話しされることを 否定したり…、 嘲たり…、  この本堂にいる誰よりも自分が一番立派な念仏者だなんて思い込んで、偉そうにお念仏を口にして・・・、  スゴイよ、コイツは!!!  最悪だ!!!!!   南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏
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「食べ物」という命はありません [御法縁]

YTさんとのお食事会。 「新鮮なお魚料理」 が自慢の居酒屋さん、ということで、チクチクと頭に往来するのは、「殺生」 の二文字でした。
店の軒先に、シラウオが、食べられるとも知らずに元気よく泳いでいるのです。
いくら「美味しいから」と言われても、踊り食いをするのはチョットねぇ~・・・、 でも、かき揚げならいいよね!なんて・・・  つまり、自らが喰ろうて殺すことは後味が悪いけれど、誰かが殺してくれたモノならばOK~! って・・・・・・
何なんですかね~、私って・・・・・・  食うてる自分自身を、極悪人とは思えなくても、 もしも、喰らわれる身になれば、我が身を喰らうようなヤツは、地獄の鬼よりも恐ろしい極悪人だと罵りますよ・・・!

以前、S先生よりお聞かせいただいた御法話で、妙好人のお一人、有福の善太郎さんが残されたお言葉が、お料理を目にするたびに思い浮かんでまいります。

        この善太郎は
        煮られにゃならん、焼かれにゃならん、突かれにゃならん
        何万劫も、この善太郎は
        苦しみうけてかなわんのこの善太郎なれども
        ここに阿弥陀如来の、助けてやろう、救うてやろうのお慈悲

因果の道理の前に、 私がこの魚の命を 直接的に奪おうが、間接的に奪おうが、そんなの何の理屈にも 言い訳にもならないのです・・・。
この私が生きて行く為に、他の命を平気で奪い取っている事実に、何ら変わりはないのです・・・!

G先生より、「‘食べ物’ という命は一つも存在しないのだよ」 と 何度も 何度も 教えていただきました。
「あぁ、そうだ、 その通りだ! 私が勝手に ‘食べ物’ と称して喰ろうているだけで、この私自身がそうであるように、誰もみな ‘食べ物’ としてこの世に生まれてくる命など一つもないのだ!」 と・・・・・、 お聞かせいただく度に、「そうだ、そうだ」と頷くのですが、 その舌の根も乾かないうちから、「あぁ、お腹が空いた!」とこの口はほざくのです!

この日に食べたハマグリのように、生きたまま網に乗せられ焼かれにゃならんのです・・・。
この日に食べたイワシのように、皮を剥がされ、串に刺されて、炭火で焼かれにゃならんのです・・・。
この日に食べたなめろうのように、内臓をえぐり出されて、身を切り刻まれにゃならんのです・・・。

それなのに、何とも思っていない私・・・・・・。 因果の道理も、知った、聞いたで、右から左・・・。
尊い御法話も、「あぁ、いいお話だった」でそれでおしまい・・・、 何一つとして聞けていない・・・。

私にとって尊いものは、 我が身、 我が心、 そして我が命 だけなのです・・・・・・。
「なんて浅ましい!!!」
そうは思えない私に、「これは、とんでもない重い罪なのだよ… 深い 深い 迷いなのだよ…」と教えてくださったのは、御法だけです。
そしてそんな私を、「かわいそうだ…、哀れだ…」と言ってくださっている方がおられるのです。
こんな私を、「放ってはおけぬ! 救うてやらねば!」と、自らの命を投げ出して、立ち上がってくださったお方がおられるのです。  南無阿弥陀仏…、 南無阿弥陀仏…

平々淡々とではありますが、こんなことを口にしながら飲み交わせるのも、法友あってのことですね。
南無阿弥陀仏…、 南無阿弥陀仏…、 南無阿弥陀仏…
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まだ聞いてない、救われてない… [御法縁]

さて… (^-^; 高山法座のBLOGを書き始めたところで脱線が始まって・・・、 無常にも時は流れ・・・
戻るに戻れなくなるほど日々のスケジュールに追われ・・・、 書きたいことが書ききれぬままに次の予定…、その次の予定とこなしていくうち、 3月も半ばとなってしまいました。
もともと、「奈っちゃんのBLOGは、タイムラグがあり過ぎ!」との評判のこのBLOG・・・、 脱線ついでに、もう一つだけ、こちらを先に書いておこうと思います。

3月の定例(?)交流会は、私が 先の高山法座で チョット落ち込むところがあって、みんなに声をかける元気を喪失してしまったために、2月に引き続きYTさんと二人だけの交流会となってしまいました。
そんなこともあって、「じゃ~、次回の交流会で使えそうな新しい会場 (お食事処…、というか飲み処(^.^)?  いえ いえ、 御法を語り合うのに最適なお店!) をリサーチしましょう!」 ということになり、YTさんが事前に調べてくださったお店の何軒かを見学しながらの街ぶらデートからはじまりました。
名駅三丁目の内通り、 初めてお散歩してみましたが、街の飲食店組合みたいなものでもあるのかしら? どのお店もアンティーク・モダンな外観に統一されていて、魅力的なお店がたくさん建ち並んでいました。
YTさんがリスト・アップしてくださったお店だけでも、週一のペースで食べ歩いたとして、全部を回り切るのに半年はかかるわね!(^-^ゞ というほど、入ってみたくなるような素敵な飲食店がたくさんありました。

その中で、今回入店することになったのは、「魚正宗」 という 新鮮な魚介類が自慢の、魚食い切り居酒屋さんです。(←お店のキャッチコピーです(^^))
まず、お店の軒先に並べられたピチピチの魚介類が目を惹きますし、店員さんの呼び込みといいますか、何気ない声かけにも心を惹かれました。 店内も明るくって、素朴な感じがとても良いです。
食したメニューは、写真参照 (*^^*)  どのお料理もホントに新鮮で美味しくって、お酒もGOOD[黒ハート]
何よりも、店員さんの応対が気持ちいいですし、客層も悪くなく、気持ちよく長居をさせていただきました。
YTさん、魚正宗さん、どうもありがとうございました (#^^#)♪

魚正宗

さてさて、前置きが長くって、肝心な仏法談話を書くスペースが少なくなってしまいましたが…、(^-^;  ひとつくらいなら書けるかしら?!  でも・・・、 どんなお話しをしたのだったかしら?…((^^;)?

そうそう、一番気になったのは、「わたしは、まだ聞いていない、まだ救われていない」 と言う言葉です。
確かにそうかもしれません・・・・・・。  でも、自分自身を見た時、それが一番に悲しいのです。
いえ・・・、 正確には、 私が悲しいのではなく、 如来さまが悲しいのです。

        仏智疑う罪深し   この心おもいしるならば
            くゆる心をむねとして    仏智の不思議をたのむべし

「必ず救う!」という御本願の前に、 「救われる自分」だとか…、 「まだ救われていない自分」だとか…、 そんな客観的な自分ばかりを問題にしていまいた。
「どうか聞いてください!」との如来さまの願いの前に、 「聞けるはず」だとか…、 「聞けてない」だとか…、 「聞く」という言葉ばかりを問題にして、如来さまの御心も、私自身も抜けていました。

「仏智を疑う心が、どうしても破れない・・・」、 どうして! どうして! どうして! と・・・・・・
それ そのものが、広大無辺な仏智を 小さな 小さなものにして、 自分の頭や心で理解できるものとしている ‘無明の塊’ そのものではないか・・・。
そう気付かせていただいたのも、仏智に照らしていただいからこそであるのに、 「だから救われないのか・・・」、 「だからこそ救っていただけるのではないか・・・」 と、 私はどこどこまでもカラ回りをするばかりです。
この心が、阿弥陀さまを泣かせ続けてきたのです。 私が、阿弥陀さまを泣かせているのです。

「わたしは、まだ聞いていない、まだ救われていない」 と言う彼の言葉に、そんな自分を観させていただきました。
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高山観光 ちょっとだけ酒蔵めぐり [御法縁]

先週末は、高山支部法座に参加させていただきました。
今回は、なぜか・・・(^-^ゞ  (知る人ぞ知る)紆余曲折の末にバスチケットを購入して、午前10時半のバスにて、YTさんと二人で高山へと向かいました。
高山駅には、午前のお仕事を終えたKnさんが待っていてくださって、私のわがままで、三人で高山ランチをいただくことになりました!

飛騨高山中華そばの「なかつぼ」場所は、駅から7,8分歩いた裏路地にある 飛騨高山
中華そばのお店で、YTさんがリサーチして、Knさんが
太鼓判を押した、「なかつぼ」というお店です。
私がいただいたのは、ワンタン入り高山ラーメンと、焼
餃子と、内緒でビールを一口!(^.^)
とっっっても美味しかったですよ~!  とくに餃子の皮がお気に入り(^-^)v  それから、カウンター席のおじさんが食べていた とりの唐揚げがおいしそうだったなぁ~、 また行きたいです!!

ランチの後、Knさんとは暫しのお別れ・・・、 YTさんと二人で高山観光酒蔵めぐりをしました。
と、その前に! おいしそうな香りに誘われて、食後のデザート…、 ではありませんが、 飛騨牛の牛串と、飛騨牛のあぶりにぎりをご馳走になっちゃいました o(^o^)o キャッ!
お腹いっぱいだったのに、めちゃめちゃ美味しくって、おかわりモードでした!
ここで川柳を一句  「殺生して…  うまい うまい と  涙する・・・」  さて、どんな涙?

最初に向かった酒蔵は、宮川沿いの田邊酒造場さん。  でも、朝市の時間しかオープンしていないみたい・・・ 残念! って思ったら・・・、 後で観光案内所のおじさんから聞いたのですが、午後からの出入り口は、東側からのみだそうで…  不親切にも、お店には何の案内もなかったのでわかりませんでした。

この後、平田酒造場さん・・・、 かと思ったら そうではなく、その西裏にある酒屋さんでした。(^.^;
ここの醸造所は別の場所にあるそうですが、試飲させていただいたお酒は、とってもよい香りで、口当たりもサラッとしていて、とても美味しくちょうだいいたしました。 でも、ごめんなさい! 名前も 何も 覚えていなくて・・・。

次は、YTさんお勧めの二木酒造さんにうかがいました。 酒蔵としてはとても素敵な作りです。
でも残念だったのは、工事中のせいでしょうか…、 お酒の香りではなく、コールタールの臭いでむせかえるようでした。
ここは無料の試飲はないようです。 YTさんがオーダーされたお酒をちょこっと飲ませていただきましたが・・・ (^^ゞ  お子ちゃまには、チッと 濃すぎました… (^^;)テヘッ
ここでYTさん、手土産で持ってきた二升のお酒にプラスして、期間限定の生酒をお買い上げ~ ♪(^-^)

次は、川尻酒造場さんです。 ここは、人を見る目がないですですね~! (^.^)ナンチャッテ!
でも、お酒マイスターの彼と、辛口ブロガーの私を完全無視するなんて・・・、恐れ入りました!

この後にうかがった船坂酒造さんは、上記の酒蔵さんとは正反対で、お酒に無知な私のために、とても丁寧な解説を、必要以上に延々としてくださり、もちろん無料で試飲もさせていただきました。
こちらでは、初めて 「どぶろく」なるものを飲ませていただきましたが、不思議な味のお酒ですね~、 クセはありますが、嫌いな味ではありません。
熱心にお話しをしてくださった白川郷のどぶろく祭りに、一度行ってみたくなりました。

酒蔵めぐりの最後に訪問したのは、原田酒造さんです。 ここは、前にKnさんと一緒に来てお酒をいただいたお店です。 今回は、無料試飲だけさせていただきましたが、美味しかったです。
こちらのお店には「酒ゼリー」なるものが売っていて、毎回気にはなっているのですが、未だ食べたことがないので、次回こそは挑戦してみようかな!なんて思っています。 ただし、「次回」なるものが存在すれば・・・ の話しですが…(^-^;

さて さて (#^.^#)  すっかり観光気分で、存分に遊んでしまいましたが、もうすぐS先生が到着される時刻なので高山駅へと戻って先生をお出迎え(*^^*)! Tuさんの車に乗せていただき一路F家へと向かいました。

高山 カキフライ定食御法座会場のF家は、「ただいま~」と言いたくなるような、あたたかくって、ほんわり春のようなお家です。
TMお母さんと三週間ぶりの抱擁を交わしてから、S先生、Knさん、Tuさん、YTさんと私の五人で夕食を食べに出かけました。
私がオーダーしたのは、カキフライ定食。
「油物はチョット…」 とか言いながら、後のことを考えずに、ゴッツ油物をいただいて、胃がちょっと変…(^^ゞ

そんな こんなで始まった高山支部法座! 一体、私は何をしに高山まで来たのでしょう・・・・・
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手のかけられぬ ‘南無阿弥陀仏’ [御法縁]

浄土宗のご法要で、これだけBLOGが連載するとになろうとは思ってもみなかった私ですが・・・、
有り難いことですね。

浄土真宗・・・、 いえ いえ、 私が聞かせていただいているお念仏の教えでは、 「私は、迷いの命であることも知らずに、自分中心にしか生きられず・・・、 罪を罪とも思えずに、自身で造った業によって苦しみ、堕ちて行かねばならない身・・・、 そんな私を 哀れ… 憐れ… との大悲の御心で、「救わずにはおれん!」と立ち上がってくださったのが 阿弥陀如来さま。
その如来さまが ご自身の命をかけて大願を建ててくださり、これを成就してくださったのが ‘ 南無阿弥陀仏 ’ の 御名号。
その御心を聞けない私だからこそ、‘ 南無阿弥陀仏 ’ となって、私の口から飛び出てくださる。
‘ 南無阿弥陀仏 ’ は、「もう 迷わせん!」 という、強い 強い 誓いの上に建てられた、如来さまの勝利宣言であり、 私のために、寿命無量 ・ 光明無量 となってくださった 真実の親さまのお名前なのです」 と お聞かせいただいております。

これをあきらかにしてくださったのが、法然さまで、それを親鸞さまがお取り次ぎくださった。
しかし・・・、 ここでは、そうは説かれませんでした・・・・・。

「この世も、あの世も、安心して過ごせるのがお念仏の教え。 ただひたすらにお念仏を唱えれば、必ず仏さまが守ってくださる。 お念仏は呪文じゃなくて、ご本願(お約束)。 だからこそ頼りになる。」 と・・・・・

こんなお話しをしてくださいました。
「お説教師さんが アメリカ布教中に激しい腹痛に襲われて、「死ぬかもしれない!」と、 ‘死’と向き合った時に、初めて ‘ 本当の念仏 ’ が出てきました。  これこそ、‘ 後生の為の念仏 ’ でした」 と ・・・・・・・  そして続けておっしゃいました。
「この痛みから解放してほしい!と思って唱えるのは、‘今生の念仏’ であり、 このまま死んだらお浄土へ!と思って唱えるのは、‘後生の念仏’ であります。
我が身に ‘死’ を思うと、頼みになるのは阿弥陀さんしかおらず、ほんとうに腹の底から念仏が唱えられるのです。
だから、困った時に念仏にすがることは、なんら恥ずかしいことではないのです。 
そのおかげで、私の腹痛は大事に至らずにすみました。 念仏のおかげです」 と・・・・・・

‘ 本当の念仏 ’ 以外のお念仏って・・・、 ‘ 偽物の念仏 ’ ってことでしょうか・・・?
‘ 今生の念仏 ’ というのはわからないでもないですが、‘ 後生の念仏 ’ というのは、いささか疑問です。
なんだか、とても自分が屁理屈好きだということを実感してしまい、イヤな感じです・・・ (^-^;

でも・・・ ‘ 南無阿弥陀仏 ’ に、本当も、偽物も、ありませんよ! 
それに、 ‘ 南無阿弥陀仏 ’ は、私のものではありません。  私が、手のかけられるものではないのです。
だって、 ‘ 南無阿弥陀仏 ’ だけが、この世でたった一つの真実なのですから。

‘ 南無阿弥陀仏 ’ を称える時、「有り難い」だとか、「助けてください」だとか、いろいろな心が出てまいります。
でも、 「どうして 私の口から ‘ 南無阿弥陀仏 ’ と出てくださるのだろう?」 ということを考える人など 世間では まずいないでしょう。
だけど、そこに如来さまの一番の御苦労があると私は思うのです。  だって、すごいことですよ!!!

そんな 大きな 大きな お念仏を、いとも容易く口に出させていただける場所に連れてきてくださった順さん、どうもありがとうございました。 そして阿弥陀さま、 南無阿弥陀仏…、南無阿弥陀仏…
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お釈迦さまの説かれた「無常」 [御法縁]

ご用意していただいた お斎(おとき)は、それは それは 大層なお料理でした。
3550644もちろん精進料理ですが、いったい何種類出していただいたのかしら?
(写真に収めた以外にもまだまだありました!)
それに、どれも これも とっても美味しかったです。
もったいないですね・・・。  御法を聞かせていただいて、 かつ、お念仏の称えやすい場所に身を置かせていただき、 その上、煩悩まで満たしていただけるなんて・・・、 ほんとうにもったいないです・・・。

午後からの法要も、檀家さんや参列者の現世利益や先祖供養のための名前の読み上げやお焼香といったお勤めに一時間近くも費やしてから、午前に引き続いてのお説教をいただきました。

浄土宗のお話しは、教学的に聞けば興味深い学問であろうかと思われます。
でも、法然さまは、『一枚起請文』にて、「学問をして念のこころを悟りて申す念仏にもあらず」 とおっしゃいました。
そして、「ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、うたがいなく往生するぞと思い取りて申す外には別の仔細候わず」 と 続けられています。
「往生極楽のための ‘ 南無阿弥陀仏 ’ であり、 今生欲楽や、自己安心のための ‘ 南無阿弥陀仏 ’ では、決してないのだよ」 と お示しくださった法然さまの教えに対して、 「諸々の念仏を後生のことだけと思うのは間違えである」 と言われたお説教に、私は一番の矛盾を感じました。

お説教の中で、「死んだ先のことがわからず、不安の毎日を生きている私たちに、「念仏申しておる者は、すべて阿弥陀さんがお助けくださるから、安心してこの世を生きて行きなさい」と法然上人はおっしゃられた」 と申されましたが・・・。
教学的な理屈をこねれば、そんなこと、どこに書いてあるのかしら? と、突っ込みたくもなりますが、 たとえそれを抑えたとしても、お釈迦さまのお説きくださった仏教とは矛盾が生じてしまいます。

お説教師さんが冒頭にお話しくださった通りに、この世は常ならん無常の世なのです。
これに私自身ももれることなく、この身体は刻々と年老いて、この心も刻々と変化し続け、とどまることを知らないのです。
その 「無常」 を、 大きく取り違えているように私には聞こえました。

だって、お釈迦さまのお説きくださった「無常」とは、「あっ」とも、「うっ」とも言う間のない、一寸先には、堕ちて行かねばならない真っ暗な穴(‘死’)が存在していると説いてくださっているのであって、明日があるなどと悠長なことは一言もおっしゃっておられないのです。
そこに、「今生を どう 幸せに生きるか?」 だなんて・・・、 それは御法ではないと私は思うのです。
一刹那、一刹那の 「刹那無常」のその先に、 ‘今’ かも知れぬ 「一期無常」という命の終焉をむかえなければならないというのが、お釈迦さまの説かれた「無常」であり、 これに驚きを立てぬ私に代わって、驚き、憐れみ、救わずにはおれん!と立ち上がってくださったのが阿弥陀さまなのであります。

法然さまがお説きくださった通りに、往生極楽のための ‘ 南無阿弥陀仏 ’ であり、 反して言えば、地獄行き間違いなしという者の為に、これを救う唯一の力となってくださったのが、‘ 南無阿弥陀仏 ’ なのであります。
もちろん、 ‘ 南無阿弥陀仏 ’ の現世利益のすべてを否定するわけではありませんが、決して、この世を安心に生きていく為、今後の人生の為の ‘ 南無阿弥陀仏 ’ ではないと、私は強く心に思うのです。

それから、同文中にある、「うたがいなく往生するぞと思い取りて」 というところ、 地獄より他に行き場のない私を、必ず救う!と宣言された御本願の御心に、まるまる思い取られてこその ‘ 南無阿弥陀仏 ’ だと 私はいただきました。
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浄土宗でいうお念仏の教え [御法縁]

浄土宗のお寺でお説教を聞かせていただくのは初めてでした。
全体の流れとしては、主軸がなく、突っ込み所満載…、 という感じでしたが、そのすべてを含めて、私なりに聞かせていただいたところを書いておこうと思います。

まずは世間話しから入られ、トヨタのリコール問題より、「驕るものは久しからず」という言葉を通して、「世の無常」ということをお話しくださいましたが、ここで早々に 「?」。
要は、幸せも 成功も 続くものではなく、その不安や 苦しみを 解決する方法を教えてくださったのがお釈迦さまであると・・・。
そうなのかなぁ~・・・・・・、 お釈迦さまは、「生・老・病・死 の苦しみ」 を解決するために、何もかもを捨てられて、その道を極められたのではなかったかしら? それを説いてくださったのが、仏教ではないのかしら?

次に、法然さまのお徳についてお話しくださり、お釈迦さまが説いてくださった八万四千の法の中より、法然さまが、「お念仏」という教えを選び取ってくださったその御恩に感謝するのが、「智恩」ということなのだとお話しくださいました。
ほんとうにその通りですよね。 ほんとうに、法然さまのご苦労があっての浄土門ですよね。
お釈迦さまをはじめとする 七高僧方の 並々ならぬ御苦労があって、阿弥陀さまが私にかけてくださった願いを聞かせていただけるのです。
この私の口から、出させて、聞かせていただいている「南無阿弥陀仏」 は、私一人のために阿弥陀さまが造ってくださり、諸仏・諸菩薩方の御苦労によって届けていただい賜物なのだと・・・。

しかし、お説教師さんは、「法然上人の そのお徳は、歴代の天皇から 50年ごとに授かっている ‘大師号’ に示されている」 と言われるのです。 法然さまは、大遠忌法要のたびに朝廷より ‘○○大師’ という称号を賜り、それを七つも持っているから日本一の高僧なのだと・・・・・。
そんなこと・・・・・・、 法然さまは望んではおられません・・・。 
先に読まれた、法然さまのご遺言である 『一枚起請文』には、そんなこと、一言も書いてありません。

この後、こんな質問を出されました。
「なぜ、私たちは、法然上人が広められたお念仏の教えを感謝する必要があると思いますか?」 と。
その答えは、以下のようにお話しくださいました。
「死んだらどうなるのかな?と不安になった時、お念仏を唱えた者は 必ず極楽往生出来ると法然上人が説いてくださり、死ねば親しい人たちがお浄土で待っていてくれると教えてくださったおかげで、私たちはこの世を安心して生きて行くことが出来るのです。 だから、こんな安心に生きることの出来るお念仏の教えを説いてくださった法然上人には 感謝しなければならないのです」 と。

つまり・・・、 お念仏の教えとは、「ただ念仏申せば、すべてを阿弥陀仏が引き受けてくださる。 だから、無常の世で苦しむことがあったとしても、安心して生きて行かれる」 ということをあきらかにしてくださったのが、法然上人なのだと・・・・・。
その証拠に、と、 土佐の国に伝わる昔話をしてくださいましたが、簡単に言うと、法然さまよりいただいたお手紙を家宝にしているそのおかげで、歴々家内安泰に暮らすことができて、それも これも、お念仏の教えで先祖が浄土から守ってくださっているからだ…、とのお話しでした・・・・・。

一時間ほどの説教が終わり、私の雑感としては、 「みんな、それで ほんとうに安心できるの?」 という疑問が、第一に残りました。
突っ込み始めたら切りがありませんが、上から目線で、自分の思いでしか聞くことのできない私に、 「そんな自分はどうなの?」 と問うた時、「私の考えこそが正しい」としている自分を目にして、寒気が走りました。
私こそ、法然さまのご遺言が、全然聞けていないじゃない・・・! そのお心を、聞こうともしていないじゃない・・・! それに、虚仮不実の私が、何を偉そうに! と・・・・・・
真実は、‘南無阿弥陀仏’ だけなのに。
午前の部の締めくくりに称えさせていただいたお念仏は、そんなことを考えながら称えさせていただきました。
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御忌会 (法然さまの御命日法要) [御法縁]

行事鐘が鳴り渡り、本堂に僧侶の方々が並んでご入場。 総勢12名のお坊さまで、皆、ねずみ衣(墨染色の法衣)を着ておられて、香にかすむ須弥壇は独特の雰囲気に包まれました。

3549886それなのに、参列者の無駄話は一向に止まず、「あなた方は、いったい何をしに来たの! そんなにおしゃべりをしたいのなら本堂から出て行ってよ!」と言いたくなるほどお勤めに無関心な方々が多数おられました。 が…、
当の私は… といえば、口にこそ言葉は発しないものの、「浄土宗の僧侶はみな剃髪をしなきゃならないのかなぁ~? でも、あの人だけはふさふさの頭髪をかぶっているし…、 それに、あっちの人たちは、剃髪と言うよりも自然消滅のような・・・」 (((^^;) などと、ふざけたことを考えていて・・・ 結局は同じ穴のムジナです。

さて、今回の法要は、「御忌会(ぎょきえ)」であり、これは、浄土宗のみならず、浄土仏教の御教え、お念仏のお徳をあきらかにしてくださいました法然さまの、その御命日に営われる法要であります。
今、ここの私のところでいただいておりますお念仏は、法然さまの御苦労があってのお念仏であり、これを想いますと、ほんとうに今回のこの御縁に、目がしらの熱くなる想いがこみ上げてまいります。
法然さまは、1212(建暦2)年1月25日に 京都の吉水にて、御歳80歳でお亡くなりになられました。 
その法然さまのご遺徳を偲んで、ご遺訓の 『一枚起請文』 を拝読するご命日法会が 御忌会であります。

浄土真宗しか知らない私にとって、『一枚起請文』というのは、まったく馴染みのないものでありましたが、これは、法然さまがお浄土へ還られる直前に、法然さま自らが記したご遺言であります。

  唐土 我朝に もろもろの智者達の沙汰し申さるる観念の念にもあらず。
  又 学問をして念のこころを悟りて申す念仏にもあらず。
  ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、うたがいなく往生するぞと思い取りて
  申す外には別の仔細候わず。
  ただし 三心 四修と申すことの候うは、皆決定して 南無阿弥陀仏にて往生するぞと思う
  うちにこもり候うなり。
  この外に奥ふかき事を存ぜば、二尊のあわれみにはずれ、本願にもれ候うべし。
  念仏を信ぜん人は、たとい一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、
  尼入道の無智のともがらに同じうして、智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし。
  証の為に両手印をもってす。  浄土宗の安心起行この一紙に至極せり。
  源空が所存、この外に全く別義を存ぜず、滅後の邪義をふせがんがために所存をしるし畢んぬ。

法然さまのお心が、痛く 痛く 伝わってきます。  南無阿弥陀仏… 南無阿弥陀仏…
「ただし、三心(至誠心・深心・回向発願心)、四修(恭敬修・無余修・無間修・長時修)と申すことの候うは、皆(私が)、決定して(いただいて)、南無阿弥陀仏 にて 往生するぞと思ううちに、(すべて)こもり候うなり。」 なんです。

御忌会のお勤めは、一時間以上にわたって、そのほとんどの時間を 先祖供養や家内安泰祈願の名前の読み上げで終わってしまいました。

なぜ、この私の口からお念仏を出させていただけているのでしょう・・・、 このためにどれほどの御苦労があったのでしょう・・・、 これをお取り次ぎくださった法然さまのご恩徳に報いるに、何ができるというのでしょう・・・  等々を考えた時、 「‘南無阿弥陀仏’ と申して、‘ おまえの後生は任せてくれ ’ というお心を聞かせていただく以外には、別の仔細候わず。」 と、 ただ、‘南無阿弥陀仏’ しかありませんでした。
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戒律のお寺 貞照院 [御法縁]

ひょんなことで 順さんから誘われて、浄土宗のお寺のご法要に参詣させていただくことになりました。
順さんのお家は浄土真宗なのだそうですが、「真宗の坊さんはだらしなくて嫌い!」という理由から、個人的に浄土宗に帰依されていて・・・、 でも、 仏法だ…、御法話だ…、お念仏だ…、なんて世間では そうそう口には出来ませんものね…、
そんな時、とある葬儀会場にて、私が、浄土宗の僧侶であり友人のJGさんと親しそうにおしゃべりをしている姿を見られて、「もしや この人は 浄土宗に御縁の深い人ではなかろうか・・・?!」 と 思ったらしく、勇気を出して声をかけてくださったそのおかげで、順さんとの出会いの御縁をいただいうえに、浄土宗との御縁もいただき、今回の参詣に至ったわけであります。
そしてこの度は、順さんが帰依されているお寺、貞照院さんで 「‘御忌(ぎょき)’ といわれる法要が営われるので 一緒に行かないか」 とのお誘いをいただきまして、興味津々に参詣させていただくこととなった次第であります。

貞照院さんの起源は、今から340年ほど昔に、法然院忍微上人の指導を受けて不断念仏道場の草庵を築いたことに始まるそうです。
門前には、大きな‘南無阿弥陀仏’の石板があり、その先の坂道を登って行った突き当たりの右手に、たいそう趣のある茅葺の山門があって、その手前には、「不許葷辛酒肉入門内」と書かれた石柱があります。
これは、「葷辛、酒、肉、門内に入るべからず」 ということで、つまり、「臭いのキツイものや、お酒、お肉を食した人は、このお寺には入れませんよ」 という ただし書きであり、いわゆる ここ貞照院さんは、戒律のお寺なのであります。

親鸞さま以前の僧侶は、肉食妻帯の禁制を守っており、法然さまもその戒律を守られたお方でありました。
その流れを汲んで、貞照院さんも寺内においては肉食妻帯を禁じ、それゆえに歴代のご住職は 皆 未婚であったそうです。
しかし時代の波には逆らえず、寺の後継者問題などもあって、最近就任せられた現ご住職は、この寺始まって以来の、初めての妻子持ちであられるのだそうですが、しかしながらここは戒律のお寺…、 寺内に住むことは許されずに、寺の外にて住居を構え、通い住職をされているのだそうです。

さて、茅葺の山門をくぐるとお寺の境内であります。 
さすが、JGさんの親寺ですね~…、 落ち葉ひとつを情緒に変えてしまうほどにきれいに整えられた境内、 いや はや、 とても落ち着きます。

本堂は特別に大きなものではありませんでしたが、こちらも凛とした風情があります。
ただ…、とても違和感を感じてしまうのは、やはり座したままの如来像と、その仏像の真ん前に、仏さまを背にして鎮座する法然さまの像が、とても不自然で・・・・・
阿弥陀さまは、十劫もの昔より、立ちづめ、呼びづめ、叫びづめで‘南無阿弥陀仏’となってくださったとお聞かせいただいているのになぁ~・・・、 これをお説きくださった法然さまが、如来さまに背をむけて座っているなんて・・・、 それに…、 仏さまと私の間に‘像’が割り込んでいて、なんだか納得のいかないものがありました。・・・・・
しかし、そんな違和感を感じるが故に、思わずお念仏を称えたくなった私でありました。

さて…、 受付を済ませると奥の茶室へと案内をしてくださいましたのでトコトコと歩いて行くと、「奈っちゃん! なんでここに居るの?!」 と、JGさんの驚く声に呼び止められました。 「ハハハ(^o^)ゞ  も~ぉ、バレちゃった?! でも、会えてよかった (^-^)!」 と ちょっとだけ会話を交わしてからお茶席へと入りました。

ここが また すてきなお茶室で、無駄がなくって、やはり落ち着く感じです。
お抹茶をいただい後に、半東さん(亭主のお手伝いさん)が、「大椿の花をご覧になられますよ」と言って茶室の障子戸を開けてくださいました。
見事ですね~ぇ~!  とてもご住職お一人では手が回らないだろうと思うほどの広い裏庭があって、その茶室の軒先には、今が盛りの大椿の花が美しく咲き誇っておりました。

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高山旅 御法縁になまんだぶつ [御法縁]

ひらゆの森から戻って高山のお家で一服。 おやつに、私の大好きな米粉のケーキを出していただき、おかわりまでしちゃいました。 昨日から、めちゃめちゃ 普通以上に食べています (^_^;)
夕暮れ、窓の外は、雨からみぞれへと変わり、次第に重たい雪へと変わっていきました。
それを、何も考えずに、ただ、ぼ~~~っと眺めている時間が、とても心地よかったです。
いいなぁ~ ・・・・・・  こうして、雪が降り積もるのを見ているのって、すごく好きです…。

帰りのバスの時間が近づき 荷物の整理をしていると、TMおかあさんがたくさんのおみやげを持たしてくださいました。 カバンも ココロも いっぱいです。
玄関を出ると、路面は既に真っ白・・・ このまま玄関前で雪だるまになっていたい気分です…。[雪]
職場から呼び出しのかかったTuさんとはここでお別れ。 私は、TMおかあさんの車に乗せていただき、Knさんと三姉妹弟と一緒に、駅近くのショッピングセンターに立ち寄ってからバスセンターまで送っていただきました。
ちょっとあわただしいお別れになっちゃいましたが、言葉にしきれないほど感謝の気持ちでいっぱいです。

バスの時間まで30分程…、  一人になると、何だかすごく自分に対してわがままな気持ちが出てきました。
夜闇を背にしたウィンドーに映った自分の顔を見て…、 先ほどまでの私とは別人みたい… と思いました。
あたたかな家族に癒されて、 賑やかなこどもたちに癒されて、 すっかり忘れていた自分の真っ暗闇の部分が、露骨に顔をのぞかせて…、 それで、なんだか苛立って…、  たまらずに、ウィンドーから目をそらしました。
でも、イライラした気持ちも、真っ暗な気持ちも、ますます強くなるばかり・・・、   私…、 いったい、どうしちゃったんだろう・・・・・・・
昨夜、Knさんや Tuさんとお話ししていた時には、あんなに前向きにスッキリとした感じがあったのに、また逆戻り?!

バスに乗ってからも、頭の中にはイヤなことばかりが沸き立ってきます。
特に、あの方からメールで言われた言葉が、耳元で繰り返し聞こえるような気がして・・・・・
そんなに何度も読み返したわけじゃないのに、なんでこんなにもちゃんと覚えちゃっているの?! と思った時・・・、  始めて彼に対して怒りの気持ちが出てきていることに気が付きました。

その時その時の感情任せに体当たりされ、 いつだって自分の言い分は間違いは無しとばかりに責めてきて、そしてメールの最後には、いつも決まって捨て台詞を一言!!
なんだかすごく腹が立ってきました。 でも、腹が立ってきたことでちょっとだけスッキリしてきた感じです。
それに、少し嬉しい気がしています。
私は、いつも、何を言われても、言われるがままに落ち込んで、責められるままに自分自身を責めるとしか出来なかった私なのに、今、初めて相手に対して怒りの心が出てきたんです。
すごいことだと思いました! なんか、一歩前進?って!  これも、心の内を言葉に出して話すことが出来たから…、 それを言葉に出来て、聞いてくださった方がいたからだと思いました。

今回の高山旅、本当に行くことが出来てよかったです。 得難いものを たくさん たくさんいただきました。
YMおかあさん、Kn兄さん、そしてTu兄ちゃんと三姉妹弟たち、 大変お世話になり、ありがとうございました。
そして、この御法縁に 南無阿弥陀仏 ・・・
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平湯温泉 日帰り温泉ツアーの巻 [御法縁]

2時間くらいは眠れたでしょうか? 朝の7時半、こどもたちの声で目が覚めました。
身支度を整えて居間に下りて行くと、みんな朝から元気にゲームで盛り上がっていて(#^.^#) 私はその傍らのソファーで横になりながら同人誌に目を通していましたが、さすがに眠たくてr(^^;)、 視覚から脳に伝達されることなく、同じページを何度も読み返していたようなぁ・・・ (^.^ゞ

しばらくして、TMおかあさんがお店から帰って来られ朝食の支度をしてくださいました。
お手伝いをしなければと思ったのですが・・・・・、 幸せに浸っていたくて、動けませんでした。
なんだか、テレビドラマの一場面の中に自分がいるみたいで・・・。
お台所から トントン、グツグツ と 調理をする音がして、美味しそうな日本の朝の香りが漂ってきます。
お料理をしているおかあさんの後姿を眺めるのって、何十年振りだろう…  なんだか、とても幸せな気分です。
お兄さま方はまだ睡眠中ということで、TMおかあさんとこどもたちと一緒に朝食をいただきました。
「家族」という集合単位でいただく朝食というのも久しぶりです。 とっても美味しかったです(#^^#)

しばらくしてお兄さま方が起きてきて、食卓でアレコレとお話ししているうちにお昼近くになってしまいました。
さ~ぁ、 お出かけです ![車(RV)]

お天気はあいにくの雨模様でしたが、雪景色の中のドライブはとても楽しかったです!
途中、ゆいちゃんが、「退屈でつまらない…」 と言うので、「しりとりゲームをしましょう!」と提案しました。
基本的には私とゆいちゃんの二人で単語を出し合っていましたが、車内みんなで頭をひねって考えて、とても賑やかなドライブとなりました。
それにしても…、 TMおかあさんは、お尻に 「~ん」 の付く単語をたくさん言っていたなぁ~ (^^ゞ

高山のお家から一時間ほどのドライブで到着したのは、奥飛騨温泉郷 ・ 平湯温泉にある ‘ひらゆの森’ という温泉施設です。 平湯温泉には何度か来たことがあるのですが、ここは初めてです。
館内はかなり広くて、一番奥にあるレストランへ行くまでにずいぶんと歩きましたが、館内の床はすべて温泉湯の床暖房になっていて、畳敷きの上を裸足で歩くのは気持ち良かったです。

3524988お昼ごはんにいただいたのは、「焼きカレー」
始めていただいてみました。 チーズカレードリアですね!
美味しかったです!
左の写真は、Knさんがオーダーした 「焼きラーメン」 です。
こちらも美味しそうです!

Lunchの後は温泉です。[いい気分(温泉)]
平湯温泉は、乗鞍岳のふもと 海抜1,283m地点にあって、奥飛騨温泉郷の中でももっとも歴史が古く、開湯は戦国時代といわれています。
江戸時代末期に書かれた『平湯温泉記』には、武田信玄の家臣が攻め入ったさい、峠越えの疲労と硫黄岳の毒ガスにより動けなくなってしまった時に、白い老猿が湯だまりで傷を癒していたのを見たのが発見の由来とされています。

温泉は・・・・・、 結構 あわただしかったです (^^ゞ
ひらゆの森の女湯には、内湯が2つと、大きなお庭に露天風呂が9箇所もあります。
こどもたちが一つ所に1分もジーッとしていないので、手を引かれるままに、氷点下の雨のそぼ降る中、露天風呂のハシゴをしてしまいました (^_^;) 
こんな入浴方法は初体験でしたが、一日体験ママさんの気分が味わえて楽しかったです!
入浴後もこどもたちに手を引かれるまま、館内の探検に 鬼ごっこに と、 手が二本しか付いていないので一本分足りませんでしたが、みんなで元気にひらゆの森を堪能しました。
ちなみに、ジジ&ババ(?)は、お休み処で睡眠中~[猫]

帰り道、ドライブイン赤かぶの里での試食三昧 そして、「いっくんの赤いコマ事件」と、飽きることなく楽しませていただきました。
日帰り温泉ツアーは、ホントに とっても楽しかったです。 また行きたいです、高山の家族みんなで!
お邪魔虫かとは思いますが (^^ゞ

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高山の家族に癒されて… [御法縁]

Knさんのお家に着くと高山のおかあさんがいつもの笑顔で出迎えてくださいました。
本当に不思議なご縁です。
何の所縁も義理もない私を、こうして温かく迎え入れてくださるなんて、普通では在り得ないお話しです。
私がこうしてここにいられるのは、如来さまの慈悲の御心を根底に、唯一つの願いを聞かせんがために手を尽くしていただいた御法縁、如来さまからの賜物だと、それ以外には考えられません。
高山のお家には、いつも いつも 南無阿弥陀仏さまが溢れております。

夕食前には宿題を終えたTuさん家の三姉妹弟も揃い、また、仕事を終えたTuさんも帰宅して夕食タイムです。
今夜は、なんと!なんと! 飛騨牛のしゃぶしゃぶです! すごい~
それに、私の大好物なおかあさんお手製のイモの煮っ転がしと、ドデカイ焼きあゆ、その他盛りだくさんで、落ち込んでいたことなどすっかり忘れてしまいました。 ホントに… (^_^;)
それに、ここ最近はあまり使っていなかった胃袋も この日は絶好調で! 今回の高山訪問は、私にとって何よりのお薬になりました。

夕食の後は子供たちに邪魔されながらも、Knさん、Tuさんに、たくさんお話しを聞いていただき、たくさんお話しをしていただいて、本当に有意義な時間を過ごすことができました。

Knさんには、今生事の悩みまですっかり聞いていただいた上に、慰めていただいて、Tuさんには、「東海支部? やめちゃえばいいじゃん! 高山があるんだし!」 ってすごく簡単に言われて、深いところで悩んでいたのを救い上げていただいような気がしました。
KnさんとTuさんは、どことなく対照的な雰囲気ではありますが、私に対してはいつも同じところにいてくださいます。
この日は特に、いつもとは違った とてもリラックスされたお二人とお話しが出来て、ホントに、いっぱい いっぱい お話しして、 書き始めたらきりがなくなってしまいます!

子供たちも寝静まり 深夜をまわった頃、TMおかおさんが 以前 同人誌に投稿された原稿を朗読してくださいました。
この日、私はTuさんの涙を初めて見ました。
Tuさんは少し酔いながらも、「親には感謝しきれない」と何度も口走っておられて、その親から 「これだけは聞いて! 聞きなさいよ!」 と願って読まれたその原稿、御法を、「聞きたくない! 聞きたくないんだ!」と ダダをこねる子供のように泣き喚き・・・ そのTuさんの姿に、私は自分を重ね合わせて涙しました。
それは私の姿でした・・・。  仏法なんて聞きたくなくて…、 聞いたって全然身に付かなくて…、 それなのに…、それなのに…、 時々 フッと 親の願いだけは感じちゃうことがあるから、 だからよけいにもどかしくって、自分を責めて・・・。
親さまからは、貰いっぱなしで…、 貰う一方で…、 それを感謝できないどころかいただいたものにケチまでつけているような私なんです・・・。
ほんとうに、何も返せない・・・・・  だって、返せるようなものなど、何も持っていないもの・・・・・

亡くなった母のことを想いました。  母は、私のために自らの命までも投げ捨ててくださった・・・・・
それなのに、私は 何も返せない・・・・・  何にも返すものがない・・・・・
そんな私だから、親さまは、お返しするものまで与えてくださったんです。
‘南無阿弥陀仏’は、私のものじゃないけれど、 これしか返せるものがないのだと、この夜、Tuさんの涙に教えていただきました。

泣き疲れたのか、飲み過ぎたのか、Tuさんは先に寝室へ行かれ、Knさんがソファーで寝息をたてている間、TMおかあさんがずっとお話の相手をしてくださいました、 いつもなら、もう寝ている時間でしょうに・・・
そしてお風呂をいただいてから居間に戻ると、今度はKnさんがお話に付き合ってくださって・・・、 この日は一日中 Knさんとお話していたのに、まだまだ全然 話し足りない 聞き足りない感じで、二人で明け方近くまでお話しをしました。
自身の不信を言葉に出来る場所が、 それを聞いていただける場所が、 ここにはありました。 なまんだぶつ

4時半を過ぎた頃、用意してくださったあたたかな布団にもぐりこみましたが、なかなか寝付けませんでした。
でも、眠れないことは 全然 苦になりませんでした。
ただ、とても満たされている感じに、眠ってしまうのがもったいない と 思いました。

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Kn兄さんと高山観光 ~古い町並編~ [御法縁]

城山公園から帰り道は、ず~っと下り坂なので楽々です。
その途中の坂に、‘えび坂’と名付けられた坂があって、この坂に差しかかる手前のところで、Knさんがこんな歌を歌ってくださいました。
[るんるん] えび坂の 電気の下のおかめ石 そのまた下の割れめ石 ・・・ 」 と。
そして、「ここがえび坂です! さて、歌の歌詞にあった‘おかめ石’とはどの石のことでしょうか?!」 と!
全長100mほどのえび坂ですが、その三分の一ほどの距離の北側に、高山城の城壁址と思われる背の高い石垣が聳えていて、その石の数は数百を超えるでしょう。 
ヒントは歌の中にあるとのことで、「 ♪ 電気の下の…」、 あぁ、そっか~! と 電灯を探すと、ありました!
石垣のほぼ中央辺りです。
その外灯の下の石に目をやると、 あっ! ありました!! 発見です!!! ‘おかめ石’ と ‘割れめ石’ と その間には、歌には出てきませんが ‘七・三分けの細面くん石 (勝手に命名)’ もありました(^^)v 
なんだか、とても嬉しいです (*^^*)

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‘えび坂’という名の由来ですが、高山城へと続くこの道は、敵の侵入を防ぐために多所で折れ曲がっていたことから「海老の背のように曲がった坂道」という意味と、その坂が急勾配だったことから「海老のように腰を曲げて上る坂道」という意味でその名が付けられたそうです。

えび坂を下りてさんまち通りから三町伝統的建造物保存地区、いわゆる古い町並のメインストリートに入って南の方へと向かいました。 そして、原田酒造場にてちょっと休憩。 
この地区には八箇所の酒蔵があるそうです。 私はお酒とストレスにはめっきり弱い体質なので、あちこちで飲酒を楽しむことは出来ませんが、原田酒造さんでの囲炉裏のぬくもりを感じながらの休憩には、ほっと一息つけました。  Knさん、新酒のお味はいかがでしたか(^^)?

この後は、高山市制記念館をチラッと覗いてから、朱塗りの中橋を渡って高山陣屋前へ。
そして再び三町の古い町並へ戻って、今度は私のお気に入りのお店でショッピングを楽しみました。[手(チョキ)]
それから、新しくお気に入りにリストUPした和菓子店で、えごま餅を購入! とっても美味しかったです ♪

高山の町は、古い町並に指定されている通りだけではなく、一本奥まった静かな通りにも、また、新しい商店街にも見所はたくさんあります。
たとえば、町のあちらこちらで見かけるブロンズの置物も、どれもこれも個性があって面白いですし、神社好きの方など、秋葉さん(秋葉神社の祠)めぐりをするのも楽しいかもしれません。
本町通りの商店街にも変わりダネのショップ や 意味深な看板 など発見できますし、その他生活地域でもレトロな建物に出会うことができます。
次回は、そんな高山もBLOGにUPしていきたいと思っています。

さてさて、もうすぐ夕暮れです。 しっかり遊んで、すっかり笑顔を取り戻すことができました。
高山駅に戻ってバスターミナルからKnさんのお家に向かいます。
バスの車内では学生時代の面白い思い出話しやら、いろいろ・・・(#^.^#)  お話しは全然尽きません!!

今日は、Kn兄さんのお家でお泊りです [黒ハート]
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中野照蓮寺 [御法縁]

真蓮寺を後にしてまっすぐ南に向かうと安川通りと交差します。 この安川通りの坂道を‘ぶんねもん坂’と言うのだそうです。 由来はハッキリとしませんが、「文衛門さん」というのが訛ったのではないかということです。
さて、ここからはしばらく上り坂が続きましたので少々息が上がってしまいましたが…(^^ゞ、 たどり着いたのは城山公園の中腹にある中野照蓮寺というお寺です。
ここは、知る人ぞ知る古刹ということで、Knさんが案内してくださいました。

先に訪れた光曜山照蓮寺(高山別院)と、ここ中野照蓮寺は、同じ寺名でありますが、同じお寺であって 同じお寺ではありません。 ややこしいですね (^^;)  先の記事<2/13・高山別院「光曜山照蓮寺」>と重複するところもあるかと思いますが、ざっと記しておきます。

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1253年、親鸞さまのお弟子であられた嘉念坊善俊さまが飛騨国白川郷に入られて正蓮寺(照蓮寺)を建立されると、飛騨国に浄土真宗の教えが広まって一大勢力となりました。
時は移り戦国時代、正蓮寺第8世の明誓さまの後を継がれたご長男の教信さまが還俗したため、弟の明教さまが正蓮寺第休9世を継承され、兄弟で協力して浄土真宗の勢力を拡大していったのですが、この一大勢力を恐れた帰雲城城主の内ヶ島為氏(白川郷領主)によって正蓮寺は焼き討ちにあい(1488年)、兄の教信さまは戦死、弟の明教さまはかろうじて逃げ延びることができました。

その後、蓮如上人の仲裁によって、明教さまの跡を継がれた正蓮寺第10世の明心さまと内ヶ島為氏との間で和睦が成立し、1504年、飛騨国白川郷に寺院を再興して、この時 「正蓮寺」から「光曜山照蓮寺」に改称されました。

しかし今度は、照蓮寺と内ヶ島氏との連携を恐れた飛騨国高山藩初代藩主の金森長近氏が、1588年に光曜山照蓮寺を高山城城下に移転させます。 これが真宗大谷派高山別院光曜山照蓮寺です。

光曜山照蓮寺が高山城下に移転した後も、正蓮寺の本堂と善俊さまのお墓は白川郷にあって、「照蓮寺掛所心行坊(中野御坊)」として存続していました。
ところが、1961年(S36年)、白川郷荘川村中野にあった照蓮寺(中野御坊)は、御母衣ダムの建設によって湖底に沈むことが決まり、高山市城山の二之丸跡に移転されることになりました。 
そして移築されたのが城山の照蓮寺で、中野照蓮寺と称されているこのお寺です。
ですから、同じお寺でありながら 同じお寺ではないんです (^^)v

この時移築された中野照蓮寺の本堂は、1504年頃の建立(室町建築)で、浄土真宗寺院では我が国最古の遺構として国の重要文化財に指定されています。
また、中門は1574年の建立、梵鐘は1334年の銘があり、共に岐阜県の重要文化財の指定を受けています。

せっかく頑張って坂道を登って来たのですが、残念ながらお寺は雪に埋もれていて拝観は出来ませんでした。
でも、次回の楽しみが出来ましたので、雪融けを待ってまた必ず来たいと思います。

また、中野照蓮寺の隣には、福来博士記念館というのがあって入場券はお寺とセットになっているようです。
福来友吉さんというのは、明治2年に高山市にお生まれになった科学者さんで、東京帝国大学哲学科心理学を専攻され、透視・念写などの超心理学的能力について研究・発表されたのですが、これに非難を受けて大学を追放されてしまったそうです。
ちなみに、以前ヒットしたホラー映画「リング」の題材も福来さんよりちょうだいしているのだとか…
こちらも次回のお楽しみということで!
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眞蓮寺 「あなたの信仰は何ですか?」 [御法縁]

高山別院の境内で、念願の雪だるまを作ることができました。
手のひらサイズの小さな雪だるまを幾つも作って、木柵の上に一つずつ飾りました。 とても楽しかったです。

別院の周辺には、いくつかのお寺が軒を連ねています。 その中で、山門を出たところの右手にあるお寺に立ち寄りました。 松栄山 真蓮寺 というお寺です。

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真蓮寺は、真宗大谷派のお寺で、その歴史は古く、開基は400年を遡ります。(室町時代)
その頃の飛騨における真宗伝播を読むと、応仁の乱や加賀の一向一揆、それに真宗内の宗派争いまで複雑に絡み合ってまいりますので、歴史好きな方ならばなかなか興味を引くお話しであるとは思いますが、それをここに記するにはチョット無理があるかと思われますので控えたいと思います。
一つだけ、ここ真蓮寺は、先に訪問した高山別院照蓮寺と時を同じくしてこの地に移転されたお寺で、開基した三島教信さまは、照蓮寺第8世の明誓さまのご長男で、真蓮寺第3世の明賢さまの時に、本願寺9世の実如さまから御本尊と寺号をたまわったとのことです。

今回、真蓮寺に立ち寄ったのは、先の記事<2/12・飛騨国分寺と中村久子さん>に書きました、中村久子さんゆかりのお寺だと言うことでちょっと覗かせていただきました。
でも、お話しをうかがうと、中村久子さんよりも現住職の三島多聞さまの方が有名なお方のようですね (^^ゞ
お会いしたかったです。 でも、「多聞」さまですかぁ・・・ 「一聞」さまだったらよかったですね! ナンチャッテ 
その三島多聞さまがお話になった中村久子さんのお話しを記事で読ませていただきました。

  久子さんに、「あなたの信仰は何ですか?」と問うと、久子さんは「親鸞さまです」とこう言うんです。
  「浄土真宗」とは言いません。
  どうしてかというと、「親鸞聖人が念仏を喜ばれたように私は喜んでいるのです」という押さえどころが、
  「私は親鸞さまを信仰している」という言い方になっている。
  親鸞聖人が念仏を喜ばれたように喜んでいるということ自体が「浄土真宗」であるということです。
  看板掛けたくらいで浄土真宗なんかにはなりません。
  親鸞聖人の教えを通して念仏を喜べる者となった、言うなれば 『人と比較しなくてもすむ自分の発見』
  です。                                 《中村久子さんのお話/真蓮寺住職 三島多聞より》

と おっしゃられているのですが・・・・・・・
もし 私が、同じように 「あなたの信仰は何ですか?」と問われたら、私は、「親鸞さまです」とは決して答えないですね。
そ~ですね~・・・  「私は、私を信仰しています」 と、私の側から見たら、そう答えるでしょうね。
「信仰」とは、「信じ敬うこと」 と辞書にはありました。
本文にある、「親鸞聖人が念仏を喜ばれたように私は喜んでいるのです」 というところですが、 「親鸞さまの喜ばれたお念仏」と、「私の喜んでいるお念仏」とが一味であるならば、「自分しか信仰することの出来ない こんな私に向かって、南無阿弥陀仏さまの方から信仰してくださっているのだ」 と 祖師聖人をはじめ善智識方が教えてくださったことにコクンと頷け、 その 「こんな私」 というところで聞かせていただけるお念仏に喜べるのではないか と私は味わっているのですが…。

真蓮寺の壁面にはたくさんの在り難いお言葉の書が貼ってありました。 多聞さまの書でしょうか。
そして、本堂前の掲示板には、 「 阿弥陀には へだつる心はなけれども 蓋する水に 月は宿らじ 」 という お言葉が掲げてありました。

私は…、 もし仏法を聞かせていただくご縁と出遭わせていただけてなかったら、月が宿っているということなど知る由もなかったでしょうし、 私に蓋があるということも知り得ることなど出来なかったでしょう…。
ましてや、この愚痴の口から出てくださる‘南無阿弥陀仏’のお心を、聞かせていただく資格すらない私であったとは・・・・・       南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏
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高山別院 「光曜山 照蓮寺」 [御法縁]

3523433鍜治橋を渡ったところで左に折れた宮川沿いの細い道が、毎朝 年中無休で出店の
立ち並ぶ ‘宮川朝市’の通りです。
今日は、すでにお昼を回っているので通りは殺風景なものですが、その代わり、この
道から見下ろした宮川に鳥の足跡を発見しました。
縦横無尽に ふらふら ぐるぐる と歩き回ったその足跡を見ていて、なんだか自分の人生を見ているようで・・・・・  きっと、死ぬまでこんなことを続けるのでしょうね… と思ったら、チョットだけ切なくなってしまいました。

弥生橋から江名子川沿いを上がって行く道には、今回始めて訪れました。
こんな素敵な場所があったのですね~  高山には幾度となく来ているのですが、今まで知りませんでした。
ここにも古い町並があります。  下二之町大新町の伝統建造物保存地区は三町のような派手さはありませんので、落ち着いた雰囲気の高山が味わえました。

3522917そしてお楽しみのLunchは、桜橋の袂にある「京や」という郷土料理のお店に連れて行っていただきました。
私がいただいたのは、‘とろろざるそばと在郷盛合せの定食’で、おそばも お惣菜も とっても美味しかったです。
でも、ちゃんと食事が出来たのは、本当に久しぶりでした。 それだけでもすごく嬉しかったです。
そして、この Lunch time に、私の胸の内をKnさんにお話しすることが出来て…、 それをKnさんがまじめに聞いてくださって…、  ここしばらく自分の中に絶え間なく沸き立ってくるグチャグチャッとしたものを、一つも吐き出すことなくず~っと押さえ込んできましたので、それを一つ、二つと言葉にして表に出せたことで、とても気持ちが軽くなりました。
みっともない愚痴ばかりを並び立てていたと思いますが、イヤな顔ひとつせずに聞いてくださって、ホントに 感謝 感謝です。  どうも 有り難うございましたm(__)m

食事の後は江名子川沿いを散策しながら、あいあい傘で高山別院へ向かいました。

高山には、お東(真宗大谷派)の別院があるだけで、お西(本願寺派)の別院はありません。
ここ、高山別院の正式寺名は 「光曜山 照蓮寺」 と言い、その起源は鎌倉時代にまで遡り、開基は親鸞さまのお弟子であられる嘉念坊善俊(かねんぼうぜんしゅん)さまという方だそうです。
親鸞さまと善俊さまとの出会いは、親鸞さまが関東より布教をなされながら戻られる途中の伊豆三島にて、親鸞さまの説かれた阿弥陀仏の御本願の教えに感銘を受けられお門弟となったのだと伝えられています。
善俊さまは白川村に専修念仏の道場を構えられ、これを正蓮寺と称し、飛騨の奥深い山里に浄土真宗の教えを広められました。

室町時代、相承した第9世・明教さまの代に、白川の郷に増加した真宗門徒に恐れを抱いた在地の土豪・内ヶ島氏によって道場が焼き討ちに合い焼失したため、一時は念仏の教えが断絶しかけたものの、第10世・明心さまが、本願寺8世・蓮如さま、そして本願寺9世・実如さまに帰依され、1504年に白川郷(荘川村)に九間四面の本堂を再建されて、これを「光曜山照蓮寺」と改称されたそうです。

戦国時代、豊臣秀吉の命により飛騨に侵攻した金森長近(飛騨高山藩主)氏は、照蓮寺との協調政策をとり、1588年、第13世・明了さまを請じて高山城の城下(現在地)に照蓮寺を移転し堂宇を建立、 以後、照蓮寺は金森氏と手を結んで勢力を拡大していったそうです。

江戸時代、1692年に飛騨国は天領となったものの寺領は従前のとおり安堵されましたが、後ろ楯を失った照蓮寺は一気に衰退し、さらに末寺との間に軋轢が生じ、衰退の一途をたどります。
しかし1703年、第17世・一乗さまはこの事態を打開するべく、照蓮寺を本山に献上し、それ以来本山の掛所「高山御坊」としました。

照蓮寺は8回にも及ぶ火災と再建の歴史をもっているそうで、焼失の度に飛騨門徒の浄財と労力を結集して木造檜皮葺の本堂を再建してきましたが、昭和39年の放火による焼失の後は、規模を縮小して耐火建築で建立し、現在に至っているとのことです。

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高山教区御遠忌のテーマが、本堂に大きく掲げられていました。

   (小さな字で)             今、いのちが、あなたを生きている
   (大きな字で)             雑行を棄てて本願に帰す
  (中くらいの字で)       このままでいいのか、今の世・この私

と言うものでした。
Knさんと一緒に  「???????? ちょっと・・・・・ 難だよね~ぇ (^_^;)」 って… (^^ゞ

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手長・足長 谷口与鹿さん [御法縁]

Kn兄さんとの高山デート、最初に立ち寄った飛騨国分寺では、こんなお話しもしてくださいました。
この大イチョウ、 何万ものイチョウの葉が音を立てて一斉に舞い落ちてしまうことがあるそうです。
そんな現象の起きた年の冬は、大豪雪に見舞われるのだとか…。
飛騨地方にお住まいの方々には申し訳ないのですが、一気に舞い落ちる大イチョウの葉の乱舞というものを、私も一度目にしてみたいと思います。

この後も尽きぬ会話を楽しみながら高山ぶらぶら、 そしてクラシカルな趣のある喫茶店に入りました。
そこでお店のメニューに 「小倉トースト」を発見! 名古屋の文化が高山に進出ですね!
ここでは、趣味のお話しや昔の思い出話しなどをたくさんしてくださいました。

お天気は小雨のままですが気温もそれほど低くはなくて、今のところはお散歩デートも順調です。
宮川にかかる鍛冶橋の欄干に設置された 足長像 と 手長像。 以前、勝さんよりチラッとお話しを聞かせていただいたような記憶はあるのですが、その内容は覚えていなくて…(^^ゞ  と言うことで、調べてみました。

この二体のブロンズ像は、春の高山祭(日枝神社)で曳き出される恵比寿台(上三之町上組)とよばれる屋台に取り付けられた 手長・足長の彫刻を模したものだそうです。
元となった彫刻は、高山の彫師 谷口与鹿(よろく)さんが 1848年に作られた 手長怪人像 と 足長怪人像 で、これは元々 『山海経(中国最古の地理書)』に登場する人種なのだそうです。
怪人とは言うものの 手長は「山」を、そして足長は「海」を意味する神さまとして崇められているので、祭りの屋台にはうってつけですね!
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恵比寿台に取り付けられた足長・手長は、『日本神話(出雲神話)』の‘ヤマタノオロチ退治’という物語に登場する夫婦神で、足名稚(アシナヅチ) と 手名稚(テナヅチ) の物語を題材にして彫刻されたのだそうです。
ちなみに、『古事記』に出てくる 足名椎命 と 手名椎命、そして、『日本書紀』に登場する 脚摩乳 と 手摩乳は、同一神だということです。

その『出雲神話』を以下に簡単に紹介しておきましょう。
昔々の物語です。 出雲の国の肥河(斐伊川)の上流に住んでいた アシナヅチ(夫) と テナヅチ(妻)の間には 8人の娘がおりました。
ところが、毎年、ヤマタノオロチがやって来ては娘を食べてしまうので、今年もオロチのやって来るこの時期が近付いてきて、このままでは最後に残った末娘のクシナダ姫まで食べられてしまうと毎日泣いて暮らしていたのでありました。
そんなある日、高天原を追放されたスサノオの尊が、肥河の上より流れてきた箸を目にして、川上に人が住んでいるのかと思いその川を上ってみると、そこに美しい娘と老夫婦が泣いているではありませんか。
訳を聞いたスサノオの尊は、クシナダ姫を妻としてもらいうけることを条件に、ヤマタノオロチ退治を請け負ったのでした。
そしてスサノオの尊の罠にまんまと引っかかったヤマタノオロチは剣で切り刻まれて死に絶え、クシナダ姫は約束どおりスサノオの尊の妻となったのだそうです。

鍛冶橋の欄干に設置された足長と手長の二体の像を見ていても、とてもこのお話しとは結びつきませんが、恵比寿台に取り付けられた手長怪人と足長怪人の像は、彫師 谷口与鹿さんの会心作として名高い評価を受けているとのこと、 ぜひ、実物を目にしたいですね。

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飛騨国分寺 と 中村久子さん [御法縁]

途中、バスは霧の影響を受けて、高山駅には10分ほど遅れて到着しました。
すっかりきれいに整備された高山濃飛バスセンターのターミナルで待っていてくださったKnさんとは、報恩講以来ですから、ちょうど一ヶ月ぶりの再会になります。

バスターミナルを出て高山市内を ぶらり ぶらりと お散歩しながらいろいろなお話しをしました。
そして最初に立ち寄ったのが、飛騨国分寺です。
746(天平18)年に、聖武天皇の勅願によって行基さまが開かれた高野山真言宗のお寺で、樹齢1,250年以上ともいわれる大イチョウや、飛騨地方唯一の三重塔が有名なお寺です。
でも、ここでKnさんがお話ししてくださったのは、境内の一角になる「悲母観音像」を寄贈された中村久子さんという方のお話しでした。
中村久子さんという方は、浄土真宗の教えを聞いておられた方だそうですが…、 それなのに、 なぜ 観音像? なぜ 真言宗のお寺に? と いささか疑問も残るのですが…、 それは横に置いといて、この女性は、過酷な運命に負けることなく力強く今生を生き抜かれた方のようです。
私は 今回 Knさんに教えていただいて、初めてこの方の存在を知りました。

中村久子さんは、1897年(明治30年)にここ高山市でお生まれになった女性です。
彼女は、2歳の時に左足におこした凍傷を発端に それが次々と転移して、その影響から 高熱と激痛に襲われ続け、幼い頃より過酷な業の中を生きてこられました。
3歳の時にはその凍傷がもとで特発性脱疽となり、治療する間もなく左手首からポロリと崩れ落ち、その後、両手両足を幾度となく切断しなければならないという業に見舞われます。
そして、7歳の時には最愛の父と死別し、その翌々年には生活苦より母が再婚した新しい父親から、「久子を人目にさらすな」と言われ、おしいれに閉じ込められての生活を余儀なくされたそうです。
しかし、後にその養父によって久子さんは見世物小屋に身売りされ、「だるま娘」という名前で芸人として働くことになりました。
見世物小屋では、母に教えてもらった裁縫などを両手の無い体でやって見せる事が芸であったそうです。

その最愛の母も、久子さんが23歳の時にこの世を去ってしまいました…。 
しかし、その翌年には良縁あって結婚され、その一年後には長女を出産なさいました。
ところが、その翌年には祖母と死別し、間をおかずして夫とも死別…。
またその翌年には再々婚をして次女をもうけるも、その夫とも翌年に死別…。
そして、その翌年に再々々婚したものの、その夫との間にできた三女を翌年に亡くすという、すさまじいほどの業を背負った女性でした。

久子さん35歳の時、今度は死別ではなく離婚をして、四度目の結婚(再々々々婚)で中村姓となりました。

1937年(昭和12年)のことです。 久子さんが41歳の時に、来日していたヘレン・ケラーさんと会うご縁に恵まれ、この時、久子さんご自身で作った日本人形をヘレン・ケラーさんへ贈ったというお話は有名だそうです。

1942年(昭和17年)の興行を最後に、久子さんは、22年間にも及ぶ見世物芸人の生活に区切りをつけ、それ以後は、夫や娘に背に負われて日本全国へと講演に回る日々を死ぬ直前まで続けられたそうです。
そして、1968年(昭和43年)、まだ雪融けぬ弥生の頃、久子さんは脳溢血により高山市の自宅にて72年の波乱に満ちた生涯に幕を閉じられました。

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さて、飛騨国分寺の境内にある「悲母観音像」ですが、これは昭和40年に久子さんが、「観音様に世の母の心を託し、悲しみもつらさも嬉しさも、もろもろの思いをそこに込めて親と子の絆を念ず」 との思いを寄せて寄贈されたものだそうです。

そして、中村久子さんが42歳の時のこと、 ある東京での講演を終えた後、拍手に混じって 「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏・・・」 というお念仏が聞こえてきたそうです。
それは、久子さんの講演を聞きに来ていた、浄土真宗の書家である福永鷲邦さんという方の称えるお念仏でした。
そこで福永さんより 「歎異抄」をいただいた久子さんは、親鸞さまの御教えに深く感銘されて浄土真宗に帰依されたとのことです。

最後に、中村久子さんが残された言葉を二つ、記しておきます。

[かわいい]      お念仏なさいませ、一切は仏様におまかせすることです。
        どんな時も仏様は私たち衆生をいだきかかえていて下さるのです。
        お念仏させて頂きましょう。

[かわいい]      人の命とはつくづく不思議なもの。
        確かなことは自分で生きているのではない。
        生かされているのだと言うことです。
        どんなところにも必ず生かされていく道がある。
        すなわち人生に絶望なし。
        いかなる人生にも決して絶望はないのだ。
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高山行きのバスにて揺られて… [御法縁]

名古屋のお天気はにわか雨。
雲の切れ間から所々に青空が覗いているので、気温が低ければ雪になっていたかもしれません。
しかし名古屋市内を抜けると雨も本降りとなり、岐阜県に入ると雨はますます強くなってきました。
高山のお天気はどうなのでしょう…。  雪ならば嬉しいのですが…。

車窓からの風景を目で追いながら、頭の中では過去を見ている私に気付いて、今の私は、なんて心が貧しいのだろう… ということに唖然としました。
草木を愛でることが好きで、 水の流れを感じることが好きで、 風の音を聞くことが好きで、 そんな、自然に抱かれるままに自然と心を寄せ合い、語り合いながら生きてきました…、 今日まで育てていただきました…。
それなのに、今の私は自分としか会話をしていないではありませんか・・・・・・
目は外向きに付いて、己を見ずして外ばかりを見ています。 同様に、耳も外向きに付いているというのに、今の私は、外の声を聞かずして内の声ばかりを聞いています…。
そんな自分を発見して、何故か、「不憫だ…」 と思いました…。

また、旅に出たい…!  不思議なお力に導かれるまま、 不思議なご縁に導かれるまま!
自然に抱かれることのできる場所ならば なお いいですね…。
自分ではなく、自然の声に耳を傾けて、心をまるごと委ねてしまいたいです…。  ゆりかごで眠るが如く…。

そう思った時、一つの橋を渡りました。 そして、その川の流れを見ながらこんな発見をしました。
「川は、流れて行く」 だけではなく、 「川は、流れて来る」 のです。

窓の外は相変わらずの雨模様ですが、郡上八幡の辺りから雪景色の田園風景が見られるようなりました。
そしてフッと思いました…。  「この雪…、 いつまでもつのでしょう…」 雪に意思はないけれど、もしあったとしても、雪の意思とは無関係に雪は解けてしまうでしょう。 それが雪の自性であり、道理ですから…。
そして、この私の命も、私の意志とは無関係に、いつとは知らず消えてなくなってしまうもの。
これも私の意志とは無関係に、ただ一つ ‘我’という心だけを残して・・・・・・

それにしても・・・・・、 「自分は死なない」 という自信は、いったいどこから生まれてくるのでしょうね・・・・・・

雪景色を眺めながら、フッと思いました。
「後に‘妙好人’と称賛されるようになった方々で、何の苦もなく御信心をいただいた方などおられるのでしょうか…」 なんて…
会の中には、「別に信心を求めていたわけじゃないけどいただいちゃった」とか、「私は稀にみる早さで慶喜した」などと言われる方もおられるので一概には言えないと思いますが、多くの方々は 「苦しい…、 辛い…」という思いをして、 「どうにかしてくれ!」 と、喉から手を伸ばしながら、我が仏敵と戦ってきたのではないでしょうか…。
そのような身にさせていただくこと自体、稀で、尊いことなのに、私はこれを逆恨みして、 仏さまに食って掛かってきたのです…。  なんて恥知らずな…!  なんて恩知らずな…! 

疑い心も、いつも いつも 私が仏さまの上に立っているから止まらないのです。
でも、逆立ちしたってどうしたって私は仏さまの下になることなど出来ない輩で…、 だから仏さまの方から頭を下げてくださったのだと、善智識方を遣わして、耳で、目で教えてくださる…。
その御心に触れさせていただいた ホンの一時だけは、「あぁ、もったいない…、 ごめんなさい…」 と思っても、今生事に振り回される度に、また仏さまを踏みつけて…、 その繰り返し…、繰り返し…、止むことがありません…

あぁ・・・、 今、何故にこんなことを知らされるのでしょう・・・・・  バスが空いていてよかったです…。

‘南無阿弥陀仏’をボソボソっと称えさせていただきながら思いました。
私が、いかなる心に振り回されていても、 御法に対してどんなしらけた心でいても、 如来さまに背を向けながらその御心にたて突いたとても、 如来さまは、いつも いつも 私と向き合って、 私一人だけを願ってくださっている…。
だからこそ、 いつだって、どこにいたって、 こんな時でも 教えてくださるのですね。

今回のことは、誰にも語るでもなく、会からもそっと身を引こう… と考えていた私でした。
この高山の旅を、会の卒業旅行にしようと位置づけていた私でした。
でもこの時、この行きのバスの中で、「高山で、私を迎えてくださる方々に、今の私をさらけ出せたらいいなぁ」 と思いました。
仏さまという御縁で取り持っていただいた家族…、 高山のお母さんとお兄さんたちに、心の内をさらけ出してしまいたい… と。
その勇気を、私にください。

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雪の高山 聞法旅行 [御法縁]

10日(水) 久しぶりに通勤ラッシュの列車に乗車。 
たくさんの人に囲まれれば囲まれるほど、自身の内へ内へと入り込んで、独りの世界になっていきますね…。

名駅に着いて人波に流されるままに改札口へと押し出され、排出されてもしばらくはグイグイと流されて、そしてようやく人と人との間に数十センチの隙間がうまれたので何とか自分で方向を定めて、人さまの邪魔にならない柱の陰へと身を寄せ一息・・・。

そこでクルリと振り返りって改札口の方を見た時、下車した人たちが止めどもなく流れ出て来るその様は、まるでダムから放水された水のようで、次から次へと吐き出されては 前へ 前へと押し流されていく…
そこで 一瞬でも立ち止まろうものなら何が起こるかわからない… という危険を十二分に含みながらも、誰もが皆、自分の思いの中に没頭していて、そんなことは考えもしていない・・・。 
一歩先の落とし穴は見えずとも、数時間後の自分の存在のシュミレイションはしっかりとその脳裏に捉えていることでしょうに…。
それに、その落とし穴にハマった時に出会うであろう「本当の自分」が存在していることを、この中の幾人の人が知っていると言うのでしょう…
このラッシュアワーの一コマを目にしながら、「この人たちの流れ着く場所はどこなのだろう…、そこには何があるのだろう…」 と フッと思い…、 でも、「他人事ではない自分の行く末は?」 と 問うた時・・・・・・  「何もわかない・・・・・」 という答えしか出て来ませんでした・・・・・

しばらくして、「さぁ、バス乗り場へ向かわなきゃ!」と、自分の進むべき方向を見定めると、私が行くべき道は、今、私が隠れ立っている場所から改札口を挟んで反対岸の方角だということに気付き、一瞬、二の足を踏みました…。
改札口から雪崩のように排出されている人波を掻き分けて、この流れを超えて行かねばならないの?!
まるで寸劇、「二河白道」 の 世界ね! なんて…
「すみません…、ごめんなさい…」と言いながら、流れの速い人波に逆らって自分の進むべき道を行く…。
私のせいで渦巻いてしまったその流れに、露骨に嫌な顔をされて押し飛ばされながらもその河を横切る…。
まさに寸劇、「二河白道」 !  そして心の中でこう叫ぶ、「主人公は、この私よ!」 と!

そうしてやっとたどり着いた所は、高速バス乗り場。  でもそこは、ゴールではなく、スタート地点でした。

高山行きの高速バスを待っている間、Knさんからメールが入って今日のデートプランをアレコレ考えてくださっているご様子。 私の心に晴れ間をいただきました。

ここ最近のことですが…、 ただ落ち込んでいただけではなく、それなりに自分と戦わねばなりませんでした。
精神疾患というのは、内疾患以上に一般的には理解されにくいものです。
皆 だれも、自分自身が基準ですからね、 「自分はそんなことで落ち込んだりしないのに、どうしてお前はそんなことで気を病むのだ!」 という周囲からの声にまず追い込まれます。
でもそれ以上に、自分で自分を追い込んでしまう性分・・・・・
それが少しでも抑えていられるうちに何とかしておかないと…。 いったん自分を見失ってしまったら取り返しのつかないことになりかねませんので、それなりに自分と戦わねばなりません…。

今回の高山行きは、こんな状態の私にとって最新の治験薬だったのかもしれません…。
誰にも迷惑をかけたくない…、 会とも、御法とも、距離をおこう…、 一人で何とかしなければ…、 私はそんな思いに捕らわれていたので、前々から楽しみにしていた今回の高山行きですが、実はすごく迷うところがあったのですが…。
でも、Knさんからメールをいただくうちに少しずつ心が治癒してきて、ご迷惑をかけることしか出来ない私ですが、大きなお力が働いてくださって整えられた今回の御縁を、自ら断ち切ることはしたくないという思いが湧いてきました。
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