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「こころ」 萩原 朔太郎 [詩・言葉]

     こころをばなににたとへん
     こころはあぢさゐの花
     ももいろに咲く日はあれど
     うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。

     こころはまた夕闇の園生のふきあげ
     音なき音のあゆむひびきに
     こころはひとつによりて悲しめども
     かなしめどもあるかひなしや
     ああこのこころをばなににたとへん。

     こころは二人の旅びと
     されど道づれのたえて物言ふことなければ
     わがこころはいつもかくさびしきなり。

萩原 朔太郎さんの 「こころ」 という詩です。
この詩と出合ったのはホントに偶然で、偶々NETで目にして私の心を捉えました。

私は日々、自分の‘思い’を軸にしながら、その私の‘思い’に振り回されて生きています。
それが‘迷っているということ’だ、と聞かされても、これを悪いことだとは思えないと開き直り、したがってこれを止めようとも思いません。
そもそも‘我’を軸にして生きていることが、イコール、‘迷いの根源’だなんて聞いても右から左の私です。
そんな私の‘思い’などに関係なく、真実一如の仏さまは、「おまえは無始よりその‘我中心の心’のために迷って来たのだぞ!」とおっしゃっているのだと教えていただきました。
「そしてこれからも、おまえのその‘我’を中心とした性根は変わることなく、それ故に永遠に迷い続けて行かねばならないのだぞ!」 と聞かせていただきました。
しかし、自分を見れば、何度聞かせていただいたとてもその性根はまったく変わらないのです。

この詩を始めて目にしてしばらくした後、この詩を元に 「ゲド戦記」というアニメ映画の挿入歌 「テルーの唄」という曲が作られたということを知り You Tube で聞いてみました。
手嶌葵さんという歌手が歌っておられるその曲は、原作の詩以上に私の心にしみこんで来て、私はこの曲をとても好きになりました。

     夕闇迫る雲の上 いつも一羽で飛んでいる 鷹はきっと悲しかろう
     音も途絶えた風の中の 空を掴んだその翼 休めることはできなくて
     心を何にたとえよう 鷹のようなこの心 
     心を何にたとえよう 空を舞うよな悲しさを 

本当の意味の 寂しさ・悲しさに気付くことなく、独り生きて、独り死んで行かねばならない私です・・・
「音が途絶えた」のではなく、私は何も‘聞く気のない’ヤツなんです…、 ‘聞けない’ヤツなんです…。
だから、休むことなく後生へと向かって歩み続けたその先で、「空(くう)」を握りしめたまま死んで行かねばならない身なのです…。

     雨のそぼ降る岩陰に いつも小さく咲いている 花はきっと切なかろう
     色も霞んだ雨の中 薄桃色の花びらを 愛でてくれる手もなくて
     心を何にたとえよう 花のようなこの心
     心を何にたとえよう 雨に打たれる切なさを

私は、岩場に咲く一輪の花のようにいつも孤独で、その命は、花のようにとてもはかない…。
切なくて・淋しくて、孤独に押し潰されそうになっても、自分一人ではどうすることもできず…、 この命が尽きるひの日まで、ただひたすらに愛でてくださる手を待ち続け、孤独の雨に打たれ続けて行くばかりです…。
生まれ咲いて、散り死ぬまで、真実の愛ををただ求め、ひたすらに求め続けたあげくに、私を愛してくれたたったひとりの存在である私自身の我愛にさえも裏切られて、独りっきりで死んで行かねばならない身なのです…。

     人影絶えた野の道を 私とともに歩んでる あなたもきっと寂しかろう 
     虫の囁く草原(くさはら)を ともに道行く人だけど 絶えて物言うこともなく 
     心を何にたとえよう 一人道行くこの心
     心を何にたとえよう 一人ぼっちの寂しさを

孤独いっぱいの私にピッタリと寄り添って、こんな私を一方的に愛してくださり、共にこの堕ち行く道を歩んでくださるお方がたった一人だけいます。 なんと心強いことでしょう! 喜ぶべきことでしょう!
それなのに私には、これを喜ぶ心もなくて、ただひたすらに己ばかりを あて・頼りにしてしまう・・・。
その方のお心を無視し、背いて、その方を悲しませることしか私はできません。

こんな私の前に立たれて、「そのまんまの君でいいから、これだけは聞いてください」と、その方は頭を下げておっしゃいました。
それは、たった一つのお願いでした。 そしてそれは、とても簡単なお願いでした。
そのお方は、 私が、どう思おうが、思うまいが…、 また、信じようが、信じまいが…、 たった一言でいいから 「我が名を称えておくれ!」と…、  聞く気もなく、頭の下がらないこの私に向かって、「我が名を称えてください!」と、十劫もの昔から、こんな私と向き合って深々と頭を下げられ叫び続けてくださっていました。

そのお声は既に私の耳に届いています。 それでもまだ、私は自分の‘思い’に囚われながら、自分の心に振り回されて生きています。
そのお方は、そんな私だと百も承知の上で、三世に渡って私に寄り添い、ずっと ず~っと 叫び続けてくださっているのです。
そのお方こそ、私一人の為に ‘南無阿弥陀仏’ となってくださった私の如来さまなのです。

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