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罪悪を観るということ [座談会・懇親会]

Kzさんに、「これは、自力ですか? 他力ですか?」との質問をされたので、「分けて考える必要はないと思いますよ! だって私は自力の塊ですから、自力の中から他力は出てきませんもの!」と答えると、妙に納得されて、 「じゃ~、聞け、聞け、と言われるが、わたしはちゃんと聞いています。 自力そのままに聞いていけばいいのでしょ?!」とおっしゃられました。

先日の座談会でOG先生から言われた一言に傷つき、「聞け」と言われることに 嫌悪感を抱いてしまったそうです。
難しいですよね~、 「聞くひとつだ」、 「ただ聞くだけ」、 と言われて、聞いた・知ったを口にすると、「全然聞けていないじゃないか!」と否定され、 否定されるからと口黙ると、それはそれで叱られる。
でも、「じゃ~、どう聞けば?」と 問えば、 やはり「方法論を聞いてどうする!」と指摘され、また、時には真剣に聴聞したつもりになっていても、やっぱり ダメ出しの完全否定をされると、 「ただ聞くだけ!って言われたから、ちゃんとそのままに聞いている! それも 真剣に聞いているじゃないか!  それのどこが悪いんだ!」と居直ってしまう。
そうなってしまったことで、「聞く気がないのなら帰れ!」と先生に言われて、「なんて失礼なヤツだ!」と腹が立ったのだということをお話ししてくださいました。

「聞く」ということについて 私が 云々することは出来ませんでしたが、 「どうかお願いですから聞いてください」と 頭を地べたにすり付けて頼んでくださっている方が、今、私の目の前におられるのですよ、 と 私が聞かせていただいたところを お話しをさせていただきました。
でも、「聞く」ということ・・・ これは私自身の課題であると… 、 「私がどう聞いたか」ではなく、「どんな私に、何を聞かせてもらったのか」ということを 私自身がもっとちゃんと知るべきだと思いました。

また、「罪悪観、無常観をとりつめなければ 本当に聞けないんのですか?」と質問され、そのあとに KIさんが、「罪悪観をとりつめ、機(自分自身)をいじりだしちゃったら、浄土真宗ではなくなってしまうのではないですか?」と付け加えられました。
「どうして?」と尋ねると、「機(自身)を問題にして正すそうとすることは、聖道門でしょ?」と…、 だから、罪悪ノートをつけることも自力の修行になるのではないかというので私の受けたところをお話しさせていただきました。

まず、罪悪を正せとは誰も言っていないですよということをお話ししてから、自身の体験をお話しさせていただきました。
「罪悪ノート? 何、それ?」 と、私も最初は反抗的に聞いていました。 だって、自分の思量で罪悪の判断なんかしてどうなるの?って…
でも、実際につけてみて思ったのです…。  初日、 せいぜい書けても10項目程度のことでした。
お聖教には、「暇なく罪悪を造り通し」と説かれているのに、自覚出来る罪悪なんてほんの僅かなものなんです。
二日目、 昨日と同じような事柄ばかりが書き並びました。 つまり、悪いことだと知っていても、何も更正する気がなく、「悪いことだとは思うけれど…、でもしかたないじゃん…」 って開き直っているんです。 
いえ…、 知識の上で「悪」と聞かされているだけで、少しも「罪悪」だと認めていないのだと思いました。
三日目、 書くのが嫌になりました。 自身が造る罪悪は、一つたりとも見たくない…、 認めたくない…、
仏さまの説かれた「私」など聞きたくないのです。  結論、仏法なんか聞きたくないんです。
四日目、 罪悪ノートをつけないことの言い訳だけは次々と出てくるのです。 そこには、先生のおっしゃることよりも、仏さまのおっしゃられたことよりも、自分の考えを善しとする私しかいませんでした…。
それは、親鸞さまのおっしゃられた 邪見驕慢 の 私 そのものでした。

そんな時、MO先生から、「五悪段は、お釈迦さまの訓戒だ」と教えていただいたことを思い出しました。
お聖経の教えを、ただの言葉として聞いていてはすぐに忘れてしまいますし、それでは一方通行です。
お釈迦さまが、誰に向かって説かれたお言葉なのか、何を願って説かれたお言葉なのかを考えた時、「あぁ…、 ‘私’が抜けていてはお話しにならない!」と思いました。
五悪段は、どんな私に向かって、どんなお心で説いてくださったのか、 私の造った「悪」、そのひとつひとつを自分の身を通して聞かせていただいた中に、はじめて、「あぁ、ここの私にかけてくださったお心だった…!  ここにこそ仏さまの願いがかけられていた…!」と私は受け取りました。

それは、罪悪ノートという提議をしていただいたことで、‘私’を抜いて仏法はあり得ないということに気付かせていただき、同時に、仏さまの御光によって観させていただいた「罪悪」の中でこそ聞かせていただけるのだと私はいただきましたので、これをお話しさせていただきました。

この時、フッと気付いたんです。
第18願に相応すべき、「唯除五逆 誹謗正法」は、誰か?! ということです。
それが、「私」とピッタリ合った時に、はじめて18願のお心に触れさせていただくことができるのではないでしょうか。

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