SSブログ

「親孝行」 とは [御法座・仏法]

二月の支部法座、 「‘命の大切さ’というテーマについて」の御法話をS先生よりいただきました。
協和発酵キリンという製薬会社が、20代~60代の男女1000人を対象に行った「‘命の大切さ’に関する意識調査」の結果をもとに、「余命一ヶ月だとしたら、あなたは何をしたいですか?」との問いかけをされました。
以前(半年ほど前)、同じ質問をされた時には、「海外旅行」と答えた私でしたが、今回、改めて‘今’の自分に問うてみた時・・・、 まず、「実際のところは、そうなってみないとわからないなぁ…」 と思いました。
でも、先日、この私の命を考えた時に…、 この命の幕引きを思うた時に、 「後腐れなくこの世を去りたい」 との想いから、 「私が存在したことでご迷惑をおかけしましたことに、ごめんなさい…」 と、 そして 「今日までお世話になったことに、ありがとうございました…」 と、これを申し上げてからこの世を去りたいという気持ちがわき起こったことを思い出して、この旨を発言させていただきました。

余命一カ月・・・、 協和発酵キリンの調査結果(世間)では、 一位に、「親孝行」41%、 二位が、「お世話になった人への恩返し」36%、 三位には、「世界中を旅行」31%、 この後に、「食べたかったものを食べる」、 「疎遠の友人に会う」、 「社会貢献」、 「恋・結婚」、などと続きました。
これに対してこの会場では、「後生の一大事の解決」という意見が数多く出され、言われてみればそれもあるかな?とも思いましたが、何にせよ、ここでは、「自分のことしか考えていない私」というのが知らされたわけであります…。

この調査結果を受けて、先生より 「第一位に挙げられた‘親孝行’ ですが、どんなことが‘親孝行’だと思いますか?」との質問をされました。
私には既に親がおりませんので、この質問に 即 思いつくものはありませんでしたが、皆さんのお答を聞いていて、「自分が思う親孝行と、親の願っている親孝行と、はたして合致するのだろうか・・・」という思いで聞いていました。
だって、親であれ、子であれ、みんな自分の方からしか物事を見られないのだし、所詮は自分のことしか考えられないのが人間ではないか・・・ と思ったからです。
でも、先生がおっしゃりたかったのはそんな小さなものではなく、「親孝行をする」ということは、
「自分で考えているような親孝行で返せるほど生易しい御恩徳を受けてきたわけじゃない! 何一つとして、その御恩徳に報いることの出来ない、親不幸の自分と出会わせていただくことが本当の親孝行と言えるのではないですか・・・」 と。

今、私の中で 「親」 といったら、「阿弥陀さま」 と出てきます。  実の親を亡くしているだけに、真実の御法と出遇わせてくださった母 = 真実の親さまである阿弥陀さま という妄念(?)に依存しているのでしょうか・・・。
その親さまの御恩徳は、私が思慮できるような小さなものではないと思うのです。
だって、その御恩徳を少しでも感じることの出来るような私であったならば、「親孝行とは?」と問われた時に、親さまの側に立って即答が出来たはずでしょう…。
でも私は、自分勝手な考えしか出てきませんでした。 如来さまのお心どころか、実の親の心にさえもふれることの出来ないような私なのです…。 すべてが自己中心的で、自分本位の妄想しか持ち合わせていないよう私なのです…。
そんな私に、親さまからいただいた御恩徳などわかろうはずがありません。
それ故に、 私には、その御恩徳に報いようとする心などわき立たず…、その御恩をお返ししようとする心すら微塵も持ち合わせてはいないと思うのです。

今日、教えてくださったこと。
真実の教えを聞かせていただいた上で、親不幸しか出来ない自分の姿を知らされ、初めて 親孝行と言えるのです。
聞いても、聞いても、如来さまのお心に背くばかりの本当の自分を見せていただく以外に、如来さまの御恩徳などわかろうはずがありません。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。