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「命」は、大切ですか? [御法座・仏法]

二月の支部法座、 先のBLOGに引き続き、協和発酵キリンが行った 「命の大切さ」 についての意識調査にあった質問項目、「みなさんは日頃、命の大切さについてどの程度意識されていますか?」 との設問についてお話しくださいました。
この調査結果では、「日頃から命の大切さについて考えている」との回答をされた方が90%以上もおられたのに対して、「命の大切さについてまったく考えていない」と答えられた方は0.5%だったそうです。(1,000人中)
私は、この問いかけに対して、「そもそも私は、命を大切だとは思っていない…」。 だから、答えられないと思いました。
「命は大切」という一つの言葉になってしまっていることに違和感をもってしまうのです。
これをズバリ、S先生に指摘されました。 「みなさんは、命を大切だと思っていますか?」 と・・・。
じゃ~ぁ、「命」は、大切か or 大切じゃないか、と問われれば、やはり大切だとは思いますが、それは知識の上での答えにしか過ぎず、何故に大切なのかが、自分の本心と噛み合ってこない…、と思いました。

でも、先生のおっしゃりたかったことは、やはり もっと もっと 大きなことで…、 「みなさんは、その大切だと思われている命を、本当に大切にしていますか?」 と、問われました。
そして 続けて、「その大切にしている命とは、どんな命ですか?」 と、問われました・・・・・
その答えは、「自分の命」です。 
「他の命」、自分以外のものの命のことなど微塵も考えてはいません・・・、 「自分の命は大切」ということです。
この私の命は 何にも代え難く 大切であるが故に、この私の命のためにならば、他の命を奪い取ることは平気! 自分の命を生き永らえさせるためになら、他の命が犠牲になるのは已むを得ない! と・・・・・。

「命は、恐ろしいものです」 と 先生はおっしゃいました。
「強いものが、弱いものの命を奪って何が悪い!!」 という世の中、 自分の命のためになら、何を仕出かすかわからないこの私の命・・・、  自分の思いを実現させるためになら、なんだってするこの私の命・・・、  滅茶苦茶に 醜くて、滅茶滅茶に 恐ろしいものだと思います。

『大無量寿経』下巻の、五悪段の中に、「大命(だいみょう)まさに終わらんとして、悔懼(けく)こもごも至る」 というお言葉があります。
この娑婆での命が尽きようとする臨終の時、後悔と、恐怖の念が入れ混じっ起こってくると説かれた経文です。
「大命」の「大」とは、「仏さま = 他力」 のことを言います。 なぜ、私の命に「大」を付けられたのでしょう・・・?
私は、私が実感できる範囲内での、親のおかげだとか、他の命を犠牲にしているだとか、そんな目に見えたものの様々な御恩徳のおかげで生かさせていただいているのだということには何となく頷けますが、阿弥陀さまの御命を頂戴しているというところで、頭がさがっているでしょうか・・・、 そこで御法を喜べているでしょうか・・・。

先生は、私が数々にいただいている縁他力のその根底には、仏さまの御命があるのだと説いてくださいました。
その上で私自身を振り返ってみた時に、 あぁ…、やっぱり私は一人じゃなかった・・・、 如来さまの御苦労を踏みつけにして生きてきたのだ・・・、 と 知らされて、お念仏がこぼれました。

私は、この私の命を生かすために、ほんとうに多くのものの命を犠牲にして生きてきましたし…、 他の命を奪い取ることでしか生きてこられませんでした。
それを当たり前のこととして、懺悔 も 感謝もなく生きているのが私です。
それなのに私は、すごく すごく 浅いところで、「私が生きていては迷惑になるばかりだから、死んだ方のがいいのです…」 などとほざいて・・・・・、
今、私がこの命を絶てば、それこそ 今日まで、私を生かすために奪い取ってきた無数の命を、無駄死にさせてしまうことになってしまいます…。
なぜに今日今時まで、生かさせていただけているのか・・・、 そのためにどれほどの命が犠牲になってくださったのか・・・、 それらを考えることなど出来る私ではありません。 またこれは、考えて出てくる答えでもありません。

この私一人を生かすために犠牲になってくださった無数の命…、 そこに阿弥陀さまが無量の御命を投げ出してくださっているのだということ、 そのお力を得る為の御修行・御苦労をしてくださったのだということ、 それは一重に、自分のことしか考えることのできない、無慚無愧の私がいたからです・・・。
どうしてこんな私の為に御苦労をしてくださったのか…、 これをお聞かせにあずかるために、人として生まれさせていただき、この瞬間まで生かさせていただいているのです。
すべての命、すべてのおかげさまの根底にある阿弥陀さまの願いの上にいただいた命・・・、 「大命」です。
それを私は・・・・・・
ただ、「ごめんなさい」しかありませんでした。 ただ、「南無阿弥陀仏」しかありませんでした。

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