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本当の私にかけられた願い [座談会・懇親会]

続きですが…、 YTさんとのお食事会にて仏法談話を交わすなかで、 もう一つ、 これも 聞法を始めた私が一番初めに引っかかったところのお話しが出されました。
前回のお食事会の時にもお話しした、 「ほんとうの わたし」 と出会う、というところです。

私も彼も似たような境遇の中で、自分を守るために、自分さえも騙して生きてきました。
そうしなければ、私は今日まで生きては来られませんでした。
「私は幸せと思いたい」・・・、 ではなく、 「私は幸せです」 と言い切ることに何の疑問も持たなかった私でした。

私の中には、高性能な 自動分別装置 があって、自分にとって不都合なことは無意識の内に闇のBOXへとしまい込み、その入り口さえもわからないように上から砂をかぶせてしまいます。
しかし これに失敗すると、今度は 超高性能な 自動修復装置 が作動して、壊れた心を即座に、自分に都合のよいように補修するのです。
聞法を始めた時、その闇のBOXの存在を指摘され、その蓋を開けるように指摘されて、私は必死になってそれを拒絶したのですが、いつしか闇のBOXの存在を否定することが出来なくなってしまいました。
でも、その蓋を開けることなど出来ませんでした。 怖くて、怖くて・・・  闇のBOXの存在は認めたとしても、その存在自体を懸命に拒否し続けることしか出来ませんでした。

しかし、それをどんなに否定しようとも、拒絶しようとも、既に阿弥陀さまのお手の中・・・・・
縁あるごとに そのBOXの前に立たされ、強制的に向き合わされる。
そのお力の前には、私の自動分別装置も、自動修復装置も なす術がなく、何の力にもなりませんでした。

古い、古い、セピア色の映像が巻き戻るように見えてきたものは、 甲斐甲斐しく私を護る私がいて・・・、 そこで護られている私は、ただ孤独にうずくまって泣いていました・・・・・
でも、 護る私も、護られている私も、どちらの私も私であり、 どちらの私も孤独なのです・・・。
不安で…、寂しくて…、悲しくて…、 そんな自分を見つけた時に、そっと包んでくださるあたたかな光にふれたような気がしました。
ひとり孤独に泣いている私と、一緒なって泣いてくださる方がいる。
ひとり強がって抵抗している私に、「大丈夫だよ、もう、独りで頑張らなくてもいいよ」と言ってくださる方がいる。
そこには、そのままの私を愛してくださる方がいました。

見たくも 知りたくもない私・・・、 決して認めたくない私・・・、 寂しくて孤独に泣いている私・・・、 そんな私を大きな愛で包んでくださっているほんとうの親さまは、
「自らが造った ‘業’ とは言え、 寂しい思いをさせてゴメンネ、 辛い思いをさせてゴメンネ。
わたしの力が足りないばっかりに、 あなたに悲しい思いをさせてゴメンネ、 苦しい思いをさせてゴメンネ。」
って、泣いて謝ってくださっていたのです。 こんな私に頭を下げて、「ゴメンネ、ゴメンネ」って・・・・・。
親さまを泣かせいているのは、他でもないこの私自身なのに・・・・・。
それなのに、何一つ咎めることなく、無償の愛で包んでくださり、
「もう大丈夫だよ。  わたしがあなたを護るから! 
わたしは、いつでも、どんな時でも、いつまでも ずっとずっと一緒にいるから! ‘南無阿弥陀仏’となって一緒にいるから!!
だから、思い出した時だけでいいから、‘南無阿弥陀仏’と称えておくれ。
どんな心でもいいから、ただ‘南無阿弥陀仏’と称えておくれ。」 

これを聞かせていただいても、ただ泣くことしか出来ない私です。 痛む自身の心に依存することしか出来ない私なのです。
でも、そんな私だから ‘南無阿弥陀仏’となって成就してくださり、 私に届けてくださったのです。

「‘南無阿弥陀仏’と称えておくれ」 その願いを聞くことだけが、唯一、私のお仕事なのです。
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