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高山藩初代藩主・金森長近 [小旅行]

中野照蓮寺から東に城山を上がって行くと二之丸公園があって、ここから高山の町並みを見下ろすことができます。 ここ城山の標高は 約 688mで、1588年に 飛騨国・高山藩 初代藩主となった金森長近氏が この山頂に居城を構え、現在は 高山城跡として城壁の一部が残っています。 と言うことで、二之丸公園から遊歩道になっている山道を登って、山頂まで行ってまいりました。 新緑に覆われた高樹を見上げながらのハイキングは、とっても 楽しかったです [黒ハート] ただ・・・、柵のない崖っぷちを歩いて行くことになるので、私のようにフラフラとしたおっちょこちょい者は、いつ足を踏み外して転落するかわからない・・・?!らしく、 「奈っちゃんを見ているとヒヤヒヤする」 と言われたのですが、そのお言葉が如来さまの御真言に聞こえて・・・、 なまんだぶつ  なんまんだぶつ 城山山頂の本丸御殿跡は思ったよりも広くはありませんでしたが、周囲の高木がこれほど生い茂っていなかった頃には、眼下に城下町、そして遠くには飛騨山脈(北アルプス)を望むことが出来たでしょう~。  この日、私たち以外には、地元の人かな? おじさんとおじさんのカップル(?)がいて のんびりと世間話などをしておりましたが、往路・復路ともに観光客らしき人と出会うことはありませんでした。 5.29  金森長近.JPGさて、私は高山に縁を持つようになってから Knさんから教えていただいて金森長近さんという方を初めて知りました。 長近さんは、1524年に美濃の国・多治見に生まれられましたが、父親の仕事の都合(?)といいますか、戦国時代でしたので、いわゆる戦に敗れて近江の国・野洲郡金森へと移住をされました。 長近さん18歳の時に織田家に仕官し、桶狭間の合戦では織田信長に功績を認められて信長の「長」の字を与えられ、名を「可近(ありちか)」から「長近」と改め、32歳になると赤母衣衆にも抜擢され、武士としての出世街道を走り続けました。 そして長篠の戦いでは、対越前一向一揆戦での戦功を重ねたことにより、51歳の時には越前大野郡の所領を与えられて城持ち領主となります。 しかし 1582年、信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると、長近さんは一旦は柴田勝家の側に付いたものの、賤ケ岳の戦いに敗れたことで、剃髪して降伏し、豊臣秀吉の家臣となります。 その2年後、秀吉に敵対する越中の佐々成政や、飛騨の三木自綱(姉小路頼綱)を討つために秀吉より飛騨征伐を命じられた長近さんはここでも功績を挙げて、飛騨一国を与えられました。 そして1600年、関ヶ原の戦いでも功績を挙げて、その功を賞され越前大野から飛騨へ転封となり、76歳の時に初代高山藩主となりました。 この経歴の中で引っかかったのは、信長の片腕として各地での一向一揆戦に活躍したということは、つまり、浄土真宗を弾圧された方なのだなぁ~ ということ・・・。 淋しいですね・・・・・・ 私、一向一揆について勉強したくなりました。
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