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高山 中野照蓮寺 [小旅行]

5.29 昼食・夕食.JPGこの日のLaunchは、高山別院の参道を出た国道沿いに 「政かつ」という美味しいトンカツ屋さんがあるとKnさんから教えていただいて、三人で行ってまいりました。
私は、ランチセットのヒレカツ定食をお店自慢の自家製みそダレでオーダーいたしました。 
これ (^o^)v  ボリュームもお味も文句なしで、お気に入りのお店に登録決定です!!
政かつさんは、トンカツだけじゃなくて エビフライもジャンボで美味しいんだよ~! との情報を耳にしまして、それが記憶から抜けていなかったせいでしょうか、この日の夕食にS先生たちと一緒に行ったレストランでは、エビフライカレーをオーダー・・・、 昼・夜ともにフライを食べてしまったということに、今、気が付きました・・・(^.^ゞ

ランチの後は、この冬にKnさんと一度訪問したのですが、積雪のために中まで入れなかった「照蓮寺」に再び行ってまいりました。
「高山別院照蓮寺」ではなく、通称「中野照蓮寺」と呼ばれている方のお寺で、城山の中腹にあります。

1253年、親鸞さまのお弟子であられた嘉念坊善俊さまが飛騨国に入られて白川村に正蓮寺(中野御坊)を建立し、飛騨の国に浄土真宗の教えを広めてくださいました。
しかし、1488年、正蓮寺九世の明教さんとその兄・教信(三島将監)さんは、飛騨国の大名・内ヶ島氏との勢力争いで対立し、その結果、正蓮寺は内ヶ島氏によって焼き討ちにあい、三島将監さんは戦死、明教さんは自害されたそうです。
その後、明教さんの子・正蓮寺十世の明心さんは内ヶ島氏と和睦して「正蓮寺」を復興し、寺名を 「光曜山照蓮寺」と改めました。
この頃、飛騨高山藩初代藩主となった金森長近氏は、内ヶ島氏を後ろ盾にもって勢力を増幅させた照蓮寺を恐れて、1588年に 照蓮寺を 白川村から高山城城下に移転させました。 これが、現在の真宗大谷派高山別院・光曜山照蓮寺です。
しかし、照蓮寺は移転したものの、白川村にはその本堂と正蓮寺の開基であられる善俊さまのお墓が残っておりましたので、これを「照蓮寺掛所心行坊」として存続させていたのですが、白川村にダム建設の話しが持ち上がり、1961年、照蓮寺のあった中野地区は御母衣ダムによる水没のため高山市城山に移築させることになりました。 それが「中野照蓮寺」です。
移築した建物のうち、本堂は1504年頃の建立だそうで、これは真宗寺院の中で最も古い御坊とされ、国の重要文化財にも指定されております。

本堂に入った時、少し異質な‘気’を感じました。 何かザワザワとした・・・・・・・。
内部はとてもシンプルな造りで、一般の真宗寺院とあきらかに違う点は、境界線を設けて一段敷居を高くしたような内陣がなく、畳座の奥に須弥段・・・ というよりもお仏壇があって、言うなれば 聞法道場といった感じで、 そ~ですね~ぇ、 会館の道場をタイムスリップさせたような感じとでも言いましょうか?!
まずは合掌をして、しばらくの間お念仏をいただきました。 
この時、内観しながら得体の知れぬザワつき感が何なのかを探ってみたのですが、結局はわからず終い・・・、 しばらくしても治まることがなく、そんな感覚に追い立てられるかのように本堂を後にしました。

5.29 B.照蓮寺.JPG

境内には、白川村から移転した嘉念坊善俊さまの御陵もあります。
その横を通り過ぎて、一旦お寺から出た照蓮寺の裏手に、古くて小さな稲荷神社がありました。
そこに、「ご自由にどうぞ」 とのおみくじがありましたので、現世利益を願って一本引いてみることに[るんるん]
パンパカパ~ン[黒ハート]  「 凶 」 が出ました~ぁ~[exclamation][exclamation]
「一業さみしく落ちる象。 勝賀事かんばしからず。 正業にはげみて運をつかむべし。」 だそうです。
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