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高山 東山遊歩道 その2 [小旅行]

高山の三町伝統的建造物群保存地区(古い町並)から東に7,8分ほど歩いたところに、東山寺院群があり、東山遊歩道を歩きながら、その幾つかのお寺を訪問見学させていただきました。

次に寄りましたのは、東林山 香荘厳院 大雄寺(だいおうじ)。 浄土宗のお寺です。
5.29 ⑦大雄寺.JPG西山派の租・善慧房証空上人が開創の吉城郡上広瀬村にあったお寺を初代高山藩主・金森長近さんによってこの地に移築し、浄土宗の源誉受徳さんを中興開山第一世として迎えた、飛騨地方における本願念仏の最初の道場となったお寺です。
市の文化財に指定されている大雄寺の山門は市内唯一の楼門造りで、その両脇には一対の仁王様がおられます。 また鐘堂は県の文化財に指定されていて、飛騨地方最古の鐘楼なのだそうです。
私の目を惹いたのは、日本一大きいといわれる徳本上人の名号石(南無阿弥陀仏)です。
それから、境内の片隅にあった十王堂ではしばらく足を止めて見入ってしまいました。
改修されて間もないお堂には、昨年の夏に飛騨の彫刻家・高田慈圓さんの書かれた地獄絵がかけてあります。 http://takadajien.hida-ch.com/e126067.html

5.29 ⑦大雄寺(地獄絵).JPG

絵に描かれている、逃げることも出来ずに煮られて、焼かれて、食われんならんのも私ならば、泣き叫び、嫌がるものを捕えて、切り裂き、むさぼり喰っている鬼も私なのですね・・・・・
その地獄絵に光に包まれた阿弥陀さまが諸仏方とともに描かれておりました。
この阿弥陀さまが放ってくださっている御光によって、たとえ仮想であったとしても地獄があるということを知り、たとえ妄念であったとしても地獄行きである私の姿を観させていただき、たとえ妄想であったとしても、「救わずにはおれん!」との願いのもとに‘ 南無阿弥陀仏 ’と 称えさせていただいているのだなぁ~
今、こうして生かさせていただいていることの意味を、自分レベルではあるけれど、ほんのちょこっと考えさせていただいた御縁によって、すっかり忘れていた‘ 南無阿弥陀仏 ’を 口に出させていただきました。

次に寄ったのは、嫩桂山 久昌寺(きゅうしょうじ)。 曹洞宗のお寺です。
5.29 ⑨久昌寺.JPG隣接している雲龍寺の第二十七世・胸海租胆さんを開山としているお寺で、雲龍寺を本寺とした搭頭(たっちゅう/境内にある小寺)として創立されました。
境内に弁財尊天を祭った願王殿があり、財宝祈願の参拝客のお立ち拠り所なのだとか・・・
ちなみにご本尊は、阿弥陀如来さまです。

次に寄ったのは、妙観山 栄鏡院(えいきょういん)。 曹洞宗のお寺です。
5.29 ⑩栄鏡院.JPGこちらも隣接する雲龍寺の塔頭で、広くないは境内に、豊川稲荷社や千体弘法堂、それに本堂・庫裏があり、一見、とても賑やかです。
そう言えば、城山の照蓮寺の裏手にも豊川稲荷社がありました(凶のおみくじを引いた所です)が、こちらはお稲荷さんを祀ったお寺ということで、ご本尊は如意輪観音さまです。

東山で最後に寄りましたのは、海蔵山 雲龍寺(うんりゅうじ)。 曹洞宗のお寺です。
5.29 ⑧雲龍寺.JPG当初は、修験道の泰澄大師の白山社として創建し、別当の妙観寺を建立したことに始まって天台宗に属していたのですが、これが後に衰退し、旅の途中に立ち寄られた能登総持寺第四世の法孫竹窓智厳さんによってこの妙観寺跡に海蔵山雲龍寺が再建され、その師・了堂真覚さんを開山として曹洞宗に改宗されました。
現在のお寺は、初代高山藩主・金森長近さんが、本能寺の変において二条城で戦死した長子忠次郎長則の菩提寺として建立したもので、飛騨における曹洞宗最初の道場でありました。
雲龍寺の鐘楼門は、高山城にあった黄雲閣を移築したもので、市より文化財の指定を受けています。

これにて東山遊歩道、および東山寺院群の散策は終了。 「高山駅で待ってま~す!」とTuさんからの電話で脅されて(?joke!)(^o^)v、 駅にてS先生を待つ頃には、すっかり遊び疲れてクタクタになってしまった私でした。(;^_^A
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高山 東山遊歩道 その1 [小旅行]

城山公園の北東、古い町並みから徒歩10分ほどのところに 高山・東山寺院群があって、東山遊歩道沿い 1kmほどの間に 12の寺院が立ち並んでいます。
これは、京の都に憧れを抱いていた初代高山藩主の金森長近さんが高山の城下町をつくる際、京の都を模して この地にさまざまな宗派の寺院・神社を建立移築したのがその始まりだと伝えられています。

初めに寄りましたのは、真龍山 宗猷寺(そうゆうじ)。 臨済宗妙心寺派のお寺です。
5.29 ①宗猷寺.JPG高山藩三代藩主・金森重頼と重勝兄弟が、二代藩主の父・可重の菩提を弔うため、1632年に国府町の安国寺を復興した南叟宗安を迎えて開山建立したお寺です。
宗猷寺の本堂は、市重要文化財に指定されています。

次に寄ったのは、宝樹山 善應寺(ぜんのうじ)。 曹洞宗のお寺です。
5.29 ②善應寺.JPG上杉家の家臣であった姉小路頼綱(三木自綱)が、織田信長の家臣へと鞍替えしたおりに本拠を飛騨国・松倉城に移し、この時、自身が帰依していた真言宗の寺院を建て、観音様を本尊として祀ったのが善応寺なのだそうです。
本尊の如意輪観音はインドのマガダ国で造られ、中国より日本へと渡来したものだそうです。

次に寄ったのは、常栄山 法華寺(ほっけじ)。 法華宗陣門流のお寺です。
5.29  ③法華寺.JPG法華宗の総本山である本成寺・第十世の日扇さんが飛騨国府の生まれで、その故郷に法華本門の道場がないことを憂いてこの地に一宇を創建し、本成寺・第十一世の日嚢さんを開基としたお寺です。
その後、高山藩主三代・金森重頼氏に預けられた熊本城主・加藤清正氏の嫡孫・光正氏が逝去した一周忌の菩提追善のために、高山城の一部を移築建立したのが現本堂だそうです。

次に寄ったのは、明眼山 天照寺(てんしょうじ)。 浄土宗のお寺です。
5.29 ④天照寺.JPG鎌倉時代に天台宗の真空明照さんが開基・創建されましたが次第に衰退し、江戸時代になる頃、浄土宗の僧侶・源誉存応さんによって改宗開山されました。
明治時代までは、寺裏にある東山白山神社の官職を兼ねた別当(神宮寺の社僧長)だったそうです。 
現在はユースホステルを経営されていて、外国人観光客に人気なのだとか!

次に寄ったのは、高隆山 素玄寺(そげんじ)。 曹洞宗のお寺です。
5.29 ⑤素玄寺.JPG初代高山藩主・金森長近さんの菩提寺として、二代藩主・金森可重さんが開創され、格翁門越さんを住持として迎え、その師である天翁秀梅さんを開山としたお寺です。
しかし、その二十数年後に寺が炎上したため、高山城三ノ丸にあった評議場を移築改修したそうです。 このためお寺は内も外も寺院らしくなく、大名屋敷の書院造の遺構なのだそうです。 

次に寄ったのは、護法山 洞雲寺(とううんいん)。 浄土宗のお寺です。
5.29 ⑥洞雲院.JPG隣接する大雄寺にあった5つの塔頭(洞雲院、林香院、正定院、栄寿庵、双応院)の一つで、大雄寺の中興・源誉受徳さんのお弟子・専宗さんという方が創立したお寺です。
専宗さんが亡くなられて100年の後に浅間山が大噴火をして飢饉が起き、この時の流行り病で亡くなったたくさんの乳幼児を供養するためと、境内には子安地蔵堂があります。

(つづく)
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高山藩初代藩主・金森長近 [小旅行]

中野照蓮寺から東に城山を上がって行くと二之丸公園があって、ここから高山の町並みを見下ろすことができます。 ここ城山の標高は 約 688mで、1588年に 飛騨国・高山藩 初代藩主となった金森長近氏が この山頂に居城を構え、現在は 高山城跡として城壁の一部が残っています。 と言うことで、二之丸公園から遊歩道になっている山道を登って、山頂まで行ってまいりました。 新緑に覆われた高樹を見上げながらのハイキングは、とっても 楽しかったです [黒ハート] ただ・・・、柵のない崖っぷちを歩いて行くことになるので、私のようにフラフラとしたおっちょこちょい者は、いつ足を踏み外して転落するかわからない・・・?!らしく、 「奈っちゃんを見ているとヒヤヒヤする」 と言われたのですが、そのお言葉が如来さまの御真言に聞こえて・・・、 なまんだぶつ  なんまんだぶつ 城山山頂の本丸御殿跡は思ったよりも広くはありませんでしたが、周囲の高木がこれほど生い茂っていなかった頃には、眼下に城下町、そして遠くには飛騨山脈(北アルプス)を望むことが出来たでしょう~。  この日、私たち以外には、地元の人かな? おじさんとおじさんのカップル(?)がいて のんびりと世間話などをしておりましたが、往路・復路ともに観光客らしき人と出会うことはありませんでした。 5.29  金森長近.JPGさて、私は高山に縁を持つようになってから Knさんから教えていただいて金森長近さんという方を初めて知りました。 長近さんは、1524年に美濃の国・多治見に生まれられましたが、父親の仕事の都合(?)といいますか、戦国時代でしたので、いわゆる戦に敗れて近江の国・野洲郡金森へと移住をされました。 長近さん18歳の時に織田家に仕官し、桶狭間の合戦では織田信長に功績を認められて信長の「長」の字を与えられ、名を「可近(ありちか)」から「長近」と改め、32歳になると赤母衣衆にも抜擢され、武士としての出世街道を走り続けました。 そして長篠の戦いでは、対越前一向一揆戦での戦功を重ねたことにより、51歳の時には越前大野郡の所領を与えられて城持ち領主となります。 しかし 1582年、信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると、長近さんは一旦は柴田勝家の側に付いたものの、賤ケ岳の戦いに敗れたことで、剃髪して降伏し、豊臣秀吉の家臣となります。 その2年後、秀吉に敵対する越中の佐々成政や、飛騨の三木自綱(姉小路頼綱)を討つために秀吉より飛騨征伐を命じられた長近さんはここでも功績を挙げて、飛騨一国を与えられました。 そして1600年、関ヶ原の戦いでも功績を挙げて、その功を賞され越前大野から飛騨へ転封となり、76歳の時に初代高山藩主となりました。 この経歴の中で引っかかったのは、信長の片腕として各地での一向一揆戦に活躍したということは、つまり、浄土真宗を弾圧された方なのだなぁ~ ということ・・・。 淋しいですね・・・・・・ 私、一向一揆について勉強したくなりました。
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高山 中野照蓮寺 [小旅行]

5.29 昼食・夕食.JPGこの日のLaunchは、高山別院の参道を出た国道沿いに 「政かつ」という美味しいトンカツ屋さんがあるとKnさんから教えていただいて、三人で行ってまいりました。
私は、ランチセットのヒレカツ定食をお店自慢の自家製みそダレでオーダーいたしました。 
これ (^o^)v  ボリュームもお味も文句なしで、お気に入りのお店に登録決定です!!
政かつさんは、トンカツだけじゃなくて エビフライもジャンボで美味しいんだよ~! との情報を耳にしまして、それが記憶から抜けていなかったせいでしょうか、この日の夕食にS先生たちと一緒に行ったレストランでは、エビフライカレーをオーダー・・・、 昼・夜ともにフライを食べてしまったということに、今、気が付きました・・・(^.^ゞ

ランチの後は、この冬にKnさんと一度訪問したのですが、積雪のために中まで入れなかった「照蓮寺」に再び行ってまいりました。
「高山別院照蓮寺」ではなく、通称「中野照蓮寺」と呼ばれている方のお寺で、城山の中腹にあります。

1253年、親鸞さまのお弟子であられた嘉念坊善俊さまが飛騨国に入られて白川村に正蓮寺(中野御坊)を建立し、飛騨の国に浄土真宗の教えを広めてくださいました。
しかし、1488年、正蓮寺九世の明教さんとその兄・教信(三島将監)さんは、飛騨国の大名・内ヶ島氏との勢力争いで対立し、その結果、正蓮寺は内ヶ島氏によって焼き討ちにあい、三島将監さんは戦死、明教さんは自害されたそうです。
その後、明教さんの子・正蓮寺十世の明心さんは内ヶ島氏と和睦して「正蓮寺」を復興し、寺名を 「光曜山照蓮寺」と改めました。
この頃、飛騨高山藩初代藩主となった金森長近氏は、内ヶ島氏を後ろ盾にもって勢力を増幅させた照蓮寺を恐れて、1588年に 照蓮寺を 白川村から高山城城下に移転させました。 これが、現在の真宗大谷派高山別院・光曜山照蓮寺です。
しかし、照蓮寺は移転したものの、白川村にはその本堂と正蓮寺の開基であられる善俊さまのお墓が残っておりましたので、これを「照蓮寺掛所心行坊」として存続させていたのですが、白川村にダム建設の話しが持ち上がり、1961年、照蓮寺のあった中野地区は御母衣ダムによる水没のため高山市城山に移築させることになりました。 それが「中野照蓮寺」です。
移築した建物のうち、本堂は1504年頃の建立だそうで、これは真宗寺院の中で最も古い御坊とされ、国の重要文化財にも指定されております。

本堂に入った時、少し異質な‘気’を感じました。 何かザワザワとした・・・・・・・。
内部はとてもシンプルな造りで、一般の真宗寺院とあきらかに違う点は、境界線を設けて一段敷居を高くしたような内陣がなく、畳座の奥に須弥段・・・ というよりもお仏壇があって、言うなれば 聞法道場といった感じで、 そ~ですね~ぇ、 会館の道場をタイムスリップさせたような感じとでも言いましょうか?!
まずは合掌をして、しばらくの間お念仏をいただきました。 
この時、内観しながら得体の知れぬザワつき感が何なのかを探ってみたのですが、結局はわからず終い・・・、 しばらくしても治まることがなく、そんな感覚に追い立てられるかのように本堂を後にしました。

5.29 B.照蓮寺.JPG

境内には、白川村から移転した嘉念坊善俊さまの御陵もあります。
その横を通り過ぎて、一旦お寺から出た照蓮寺の裏手に、古くて小さな稲荷神社がありました。
そこに、「ご自由にどうぞ」 とのおみくじがありましたので、現世利益を願って一本引いてみることに[るんるん]
パンパカパ~ン[黒ハート]  「 凶 」 が出ました~ぁ~[exclamation][exclamation]
「一業さみしく落ちる象。 勝賀事かんばしからず。 正業にはげみて運をつかむべし。」 だそうです。
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飛騨高山・宮川朝市 [小旅行]

今回の高山法座ではなく、前回の高山法座にプラスアルファーして楽しんだ高山小旅行の旅BLOGですが、まだ完結出来ていないまま、先に今回の高山法座での感想等を書き始めてしまいましたので、続けて読むとおかしな感じになってしまいますけど、 まぁ~、BLOGですので、書きたい時に書きたいものを書きましょ~! ということで、再び時間を一ヵ月ほど巻き戻しまして、前回の高山旅BLOGの続きを書こうと思います。

5.29 朝食.JPG御法座当日の午前中は、十数年ぶりにして二回目の宮川朝市に行ってまいりました。
高山へは毎月のように来ているのですが、朝市は午前中しか開催されておりませんのでフリーで前泊しないことには見ることが出来ず、今回やっと朝市観光をすることが出来ました!
宮川朝市は、江戸時代より高山別院照蓮寺の参道付近で始まった朝市に端を発し、それが現在のように宮川沿いに移ったのは60年程前のことだそうで、お土産物をはじめ、お野菜やお花、手作り雑貨など、季節感たっぷりに色々なものが売られています。
そして、どうしても目に付いてしまうのは立ち寄りの飲食物 (^-^)v  今回は、地ビールに飛騨牛串、それからおわら玉天なる変わったお菓子をいただきました。 他にも地酒ソフトや飛騨牛まんなど食べたいものだらけです!

あれ~? と思いましたのは、「みだらしだんご」の文字です。 名古屋では、「みたらし団子」と、「た」に濁点は付けませんので、「みだらし」 と 「みたらし」 の違いは何なのかしら? との疑問に出合ったわけであります。
しかし、地元の人に聞いても答えを得ることが出来ませんでしたので、帰宅してから調べてみました。

「みたらし団子」という名称は、京都が発祥なのだそうで、これを江戸時代初期に飛騨高山藩主となった金森氏が、京の菓子を飛騨に持ち込んだのが始まりとの説が残っているそうです。
しかし、飛騨の「みだらしだんご」の特徴は、京都ような甘いタレ味ではなく、砂糖不使用の醤油味で、団子の個数も、京都が一串に3~4個であるのに対して、飛騨は5個と異なります。
もしかして、しょうゆ味を「みだらし」、甘口を「みたらし」? とも思ったのですが、飛騨では、「みだらし」と「みたらし」を区別することなく、すべてがお醤油ベースのお団子です。
したがって、「みだらし」と「みたらし」の違いや意味は結局わかりませんでしたが、今回調べていて、へ~ぇ~ と 思ったのは、愛知県や岐阜県ではファーストフード店や和菓子売り場などで当たり前のように見かける「みたらし団子」ですが、他県ではほとんどお目にかかることはないのだそうです。
ちなみに「名古屋のみたらし団子」は、飛騨と同じ5個玉のものが多く見られ、でも、お味は京風の甘口タレです。 とても美味しいですよ!!
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飛騨古川 One day Trip (partⅡ) [小旅行]

飛騨古川といえば、三寺(さんてら)参り ですよね!
古川の三寺参りとは、古川町にある浄土真宗・本願寺派の三つのお寺で、いわゆる報恩講さんが1月9日から16日の間にとり行われ、特に七日目に当たる1月15日(御七昼夜)には、夜を徹して各寺ともに、読経や御伝鈔の拝読、また説教(?)などもいただけるそうです。
特徴的なのは大きなろうそくで、町内のメインストリートには雪像の巨大ろうそくが立ち並べられるのですが、これは、祖師親鸞さまの御恩徳を偲ぶためのおつとめが徹夜で行われることから長時間灯すことの出来る大きなろうそくを奉納したことがその始まりだと伝えられております。

三寺とは、「白豹山 本光寺」、「照耀山 円光寺」、「朝光山 真宗寺」 の三ヶ寺で、いずれも江戸時代前期に大谷派から本願寺派に転派した浄土真宗の寺院です。

5.28 真宗寺・本光寺・円光寺.JPG

「白豹山 本光寺」 の本堂は、十四間四面総檜造りで飛騨で最も大きい木造建築物なのだそうです。
御本尊となっている方便法身尊像は、1485年に蓮如上人から賜ったもので、蓮如さまが裏書をされた絹本着色の絵像というのは大変に珍しいのだそうで、岐阜県の重要有形文化財に指定されているそうなのですが・・・、 残念ながら本堂はいつも閉まっていて、まだ一度もお目にかかったことがありません。

「朝光山 真宗寺」 は、荒城川が宮川に合流する朱塗りの今宮橋の袂にあって、飛騨高山藩主 金森氏から提供された土地に建立されたお寺なのだそうです。
こちらのお寺も閉まってはいたのですが、窓ガラス越しに御本尊を拝見させていただくことができ、その本堂正面に見ることができる金箔を施された彫刻は、飛騨の匠によって彫られた 「麒麟」、「龍」、「亀」の彫刻で、遠目越しでも見事でした。

三寺の中で、唯一、本堂に上がることができたのが、「照耀山 円光寺」でした。
こちらも普段は閉まっているとのことですが、たまたま須弥檀の修復作業中ということで、お仏壇も御本尊もない空っぽの本堂でしたが上がらせていただくことができました。
円光寺の本堂は、江戸時代前期の建立ですが、室町期の建築様式で建てられていて、また山門は、高山城主であった金森長近氏の建てた増島城の城門を江戸時代に移築したものだそうです。
こちらには、親鸞さま真筆と伝えられる九字名号と十字名号の寺宝があるそうなのですが、御本尊も 御名号も 何も見ることは叶いませんでしたが、本堂の片隅に飾られた、地元の児童らが描いた阿弥陀さま像の絵は、とってもあたたかいお光を放っておりました。

さて、300年以上の伝統をもつ古川の三寺参りですが、観光協会のガイドフックを見ておりますと、大正時代には報恩講さんとしての意味を既に失ってしまったようです。
雪深い飛騨の村では何の娯楽も見い出せず、村民にとってこの三寺参りが冬の唯一の楽しみであり、宗派を超えた参拝客で本堂は満員御礼だったようです。
そしてそれは若者の出会いの場ともなり、この頃には、「祖師聖人の御恩徳」ではなく、「縁結びの行事」として全国に知られ、現在に至るまで恋の御利益を求めて多くの人たちが参拝されるそうです。
また、行事の中には、灯篭流しや祈願三寺周遊朱印状なるものもあって、浄土真宗の教えはどこへ行ったのやら・・・ との状況のようであります。

5.28 夕食と渡辺酒造・蓬莱.JPG高山小旅行の初日は、二時間の飛騨古川観光を終えて宿に入り、その食堂にて夕食膳をいただきましたが、ひと品 一品 家庭の味を楽しめて、ビジネスホテルとは思えないほどの、またお値段不相応なくらい豪華な夕食でございました (^-^)v
そして夜には懇親会! 義敞先生のご本を通して感じたところをお話ししたり、チョット酔っぱらって、泣きながら 笑いながら 楽しい時間を過ごすことが出来ました。
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飛騨古川 One day Trip (partⅠ) [小旅行]

今週末からは、またまた高山に行かせていただく予定です。
それなのに、先月の高山旅行記が放ったままになっておりましたので、「これはマズイ!」ということで、ここらで久しぶりに旅BLOGを書くことにいたします (^.^ゞ

六月初頭…、初夏と言うよりも晩春といった気候の中、私自身、まだ精神的に不安定な状態から抜け切れていなかった頃でしたので、高山法座への出席も、自分だけで決断していたならばきっと参加できなかったことと思います。
でも、前から引っ張ってくださるお力と、後ろから押してくださるお力とに、マルっと丸ごと包まれて、高山まで行くことが出来ました。 ありがとうございました。

御法座に出るのは一ヶ月ぶり・・・。 御法を恨み、生きていることに嫌悪し、体当たりで如来さまを殺し続けながら自身の殻に閉じこもったまま怯えていた私に、如来さまはたくさんの人を遣わして優しい手を差し伸べてくださいました。 「聞いて! お願いだから聞いて!」 と・・・・・。

いつも通りにバスで高山へと向かったのですが、今回は見かけ丈夫を装わなくてもよい法友と一緒でしたので、久しぶりに動き始めた「今」の「私」と向き合いながら高山まで行くことができたように思います。

5.28 つづみ・菜っぱ.JPG13時少し過ぎに高山駅に到着。 まずは遅めの Launch Time ということで、高山中華そばの専門店 「つづみそば」 に入店しました。 
こちらのお店は、アルコール類もサイドメニューもなく、高山ラーメンのみの一本勝負のお店ですが、お味はホントに美味しいです! スープが、私が今までいただいた高山中華そばの中で一等賞でした。
そして食後のデザートならぬ、レイのアレ[手(チョキ)] ということで、フラフラっとお散歩しながらビールと飛騨牛串を探し求めて、鍛冶橋の袂にある「菜っぱ」というお店で牛串をオーダーしたのですが、出していただいたのは飛騨牛の握り?! お店の方が間違えちゃったみたいです。
でも、そのおかげで牛串と握りの両方をごちそうしていただいちゃいました(^-^)v ど~もありがとうございました!

食後は、高山本線に乗って、途中、車窓からF家に手をふりながら、飛騨古川へと向かいました。
飛騨古川に来るのは4年半ぶりで、雪のない古川の町を見るのは初めてでした。

5.28 三嶋和ろうそく.JPG最初に立ち寄ったのは江戸から続く生掛和ろうそくの老舗 三嶋和ろうそく店さんで、7代目当主の優しいおじさんに、とても丁寧に実演解説をしていただきました。
そして、高山の古い街並みではなかなか味わうことの出来ない、古川の普段着の静かな古民家通りには、渡辺酒造店と蒲酒造場の二軒の造り酒屋があります。
先に寄ったのは、白真澄が有名な蒲酒造場さん。 店内に入って真っ先に目に付いたのは、端午の節句飾りで、源頼朝を大将にした五段飾りとも七段飾りとも言えなくはない大そう立派な五月飾りがありました。 飛騨地方では、桃の節句も端午の節句も一ヵ月遅れでお祝いするそうです。
次に寄ったのは、彼もご推奨、蓬莱が有名な渡辺酒造店で、こちらでは たっくさん試飲をさせていただいちゃいました[黒ハート] ごちそうさまです! 
そして、私ではないのですが、お買い上げもいっぱい(?)で、σ(^.^ゞ この夜ごちそうになりました[exclamation]
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河津バガテル公園 [小旅行]

先週、河津バガテル公園のローズガーデンを見に行ってきました。
その日はあいにくの雨模様となってしまいましたが、その分お客さまの入りが少なくて、のんびりゆったりとバラの花を鑑賞することができました。
でも、傘も持たずにふらふらと歩いていたのは私だけ・・・(^.^ゞ  風邪をひかなくてよかったです!

5.24 河津バガテル公園b.JPG10年ほど前にオープンしたこの公園は、パリ市ブーローニュの森にあるバガテル・パークのローズガーデンを模しており、現在 約1,100種 6,000本以上のバラが植樹されているそうです。
公園のウェブ・サイトによると、「バガテル」とは フランス語で 「小さくて愛らしいもの」 という意味なのだそうですが・・・、 ここ最近、親友とよくピアノの話しをしているせいでしょうか、私は 「バガテル」と聞いてベートーベンを思い浮かべました。
もともと、フランスにあるバガテル公園は、セーヌ川のほとりに建つ小さな小屋が発祥ということで「ガバテル」という名前が付けられたそうですが、クラシック音楽でいう「ガバテル」とは、「ちょっとした曲」という意味に解されます。
でも、河津バガテル公園は、「バガテル」と言うにそぐわないほど、広くて美しいバラの園でした。

5.24 河津バガテル公園a.JPGバラを大きく分類すると、「オールドローズ」 と 「モダンローズ」 とに分けられます。
「オールドローズ」は、1867年にフランスのJ・B・ギョーによって発表された「ラ・フランス」という品種以前から存在していたものをいい、それ以降に発表された品種は「モダンローズ」と呼ばれています。
そのモダンローズに区分される 「イングリッシュローズ」という新しい系統のバラは、イギリスのバラ育種家であるデビット・オースチン氏が、オールドローズの特性である芳香と、四季咲きが特性のモダンローズとを交配して作り出したもので、色・香り・形に至るまで、様々なバリエーションの新品種を作り出しています。

さてさて、以前にも書きましたが、バラの歴史はとても古く、古代ギリシア以前からその存在が確認されていて、ここ日本もバラの自生地として世界的に知られているところであります。
『万葉集』にも、「茨(うまら)・(うばら)」という呼び名でうたわれていて、また江戸時代初期になると西洋バラが日本に入ったことをきっかけにバラの園芸栽培も行われるようになったとの記録が残っています。

5.24 河津バガテル公園1.JPG

バラについては、まだまだ書きたいことがたくさんありますが、今回はこの辺までにしておきます。
あぁ~、そう言えば・・・、 昨日、内閣総理大臣を辞任された鳩山由紀夫氏のおじいちゃんで、55年前の首相であり、自由民主党の初代総裁でもある鳩山一郎氏は、バラの愛好家として有名で、身体が動けなくなるまでバラの栽培に熱中していたそうです。

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菜の花畑で、私と私の仏さま [小旅行]

さすがの奈っちゃんも、熱が39℃を超えると動きも鈍くなりますね~ (^^ゞ
でも、丸一日 身体を休ませてあげることができたので、なんとか熱も38℃台まで下がって・・・、
それに、どうしても断ることのできない用事だったので、なんとか気力でカバーして、表向きは元気に出かけてまいりました!(^-^;

お家まで迎えに来ていただき、 さぁ~、 どこへ行くのでしょうか…? と 行先はドライバーにお任せして・・・、 今の私に出来ることは、ただ、その彼の傍らにいてあげることだけです。

ある人に言わせると、 私は、 ‘ 気配 ’ に とても敏感な体質なのだそうです。 でも、心のもろさ故に、その気配に飲みこまれてしまいがち・・・。
でも今日は、ちょっとだけしっかり者の私になって心の両手を広げてみると、彼の様々な感情が私の中に流れ込んできました。 緊張、後悔、反省、喜び、プライド、悲しみ、遠慮、安堵・・・・・ などなど。
「会って、よかった・・・」 と 思いました。

人は、人に頼ることで、人として成長出来るのでしょうね。
人生の中で、無駄なこと、無意味なことって、唯の一つ足りともありません。
それに、偶然ではなく、すべてが必然であると私は思うのです。

伊良湖の牡蠣・蜊お昼少し前に伊良湖岬に到着しました。
「大あさりが食べたかった…」だ そうです。(^-^ゞ
私は、牡蠣を注文しました。
「一昨日から何も食べていない胃袋に、いきなり生ガキなんか入れちゃって大丈夫か?」 と言われて、「あぁ、そっか~」 とも思いましたが…、目の前に巨大な牡蠣を見せられたら、 「ここで食べておかんかったら後悔するかもしれん・・・」 と思って、後のことは考えずに巨大牡蠣を生にてオーダー(^-^)v  おぉぉぉぉ~ 海の味がする~ぅ!!!

食後に海岸を少しお散歩してから菜の花畑に向かいました。
渥美半島の菜の花まつりは、毎年1月の上旬~3月末までやっていますが、見頃は3月の上旬です。
そして半島の随所に菜の花畑は点在していますが、お薦めは、国道42号線沿いの旧伊良湖フラワーパーク跡地にある菜の花畑が一番広くて眺めもGOODです。 ここはライトアップもしているので、夜に訪れてみるのもいいかもしれませんね! (今年のライトアップは、3/22までです)

渥美半島菜の花まつり

彼が、言葉少な気に、ポツリ ポツリと語り始め・・・、 そして、静かに涙しました・・・。
家族でも、恋人でもなく、心友だから、 流す涙に言葉という装飾は必要ないんです。
彼が、彼らしくいられるために・・・、 そして、安心して自分と向き合える居処になりたいと思いました。

自分と向き合うのって、自分にしか出来ないことです。
それなのに、ちゃんと自分と向き合うことって、すごく すごく 難しいことです。
だけど、今を生きて行く上でも、また、御法をお聞かせいただく上でも、自分自身と向き合うことって、ものすごく大切なことだと思うのです。
そこに、他者の入る余地は微塵もなく、私と私なのです。 敢えて言うならば、私と私の阿弥陀さまなのです。
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養老の滝 [小旅行]

千代保稲荷神社の 参拝… ではなく、散策を終えて、再びドライブ。 
少しずつ元気を取り戻して来てはいるものの、どうしても会話になると変に頭が働いてしまって話す言葉が見つからないという感じで…、 せっかく誘ってくださったのに…、申し訳なく思います。

次に到着したのは、むかし話しで有名な 養老の滝 でした。
下の駐車場に車を止めて、そこから眼下に小川(滝谷川)を見下ろしながら坂道を上って行くのですが、その途中の川辺でご大層なカメラを構えている方々を何人か見かけました。 いったい何を撮っているのかしら? この冬枯れの山で…。
ここは紅葉の名所にもなっているそうで、この道沿いと川の両岸にはりっぱな紅葉の木々が立ち並んでいました。 もっとも今は、一枚の葉も残ってはいませんが…、 紅葉シーズンであれば、さぞや 見事な風景が見られることでしょうね~!
でも 今日はオフシーズンでしかも平日…、 沿道のお店も OPENしていたのはたったの一軒だけというもの淋しさでしたが、今の私にとっては その方のが気楽な感じでよかったです。
坂を上り始めてから10分ほどで滝の近くまで行ける観光リフト乗り場に着いたのですが…、予想通り、やはり今日は運休中でした…。 このまま歩いても行かれるのですが、金山さんのご意見に従って滝の近くまで車で行くことになり、今上って来た道を引き返すことにしました。

その途中で、孝子源丞内(こうしげんじょうない)の墓と書かれた旗がたくさん目に付いたので立ち寄ることにしました。 言わずと知れた「養老孝子伝説」の主人公のお墓です。

「今から1,200年ほど昔のお話です。 美濃の国・養老山麓に、親を敬い大切にしている源丞内(げんじょうない)という貧しい樵(きこり)が年老いた父と住んでいました。
或る日、源丞内が薪をとりにいつもよりも山奥へと入って行くと、谷深い岩壁から流れ落ちる水を見つけて、「もしこの水が酒であったならば老父は喜ぶだろうなぁ」と思ったその時、苔に足をすべらさせて転んだまま、しばらく気を失ってしまいました。
そして源丞内が意識を取り戻した時、不思議と何処からかお酒の香りが漂って来るので辺りを見回してみると、岩間の泉から山吹色の水が湧き出ているのを見つけたのでフッと掬って舐めてみると、なんとお酒の味がするではありませんか。
源丞内は、さっそく瓢(ひさご)にそれを汲み入れて持ち帰り老父に飲ませたところ、老父は大好きなお酒に大喜びをして、日に日に若返ってゆきましたとさ」 という『古今著聞集』に伝えられるお話です。

この不思議な水のお話はやがて都の元正天皇の耳にまで届き、「これは親孝行の心が天地の神々に通じた結果だ」とおおせになって、天皇御自身飲浴せられ「老を養う若変りの水」ということを実感されたそうで、この時の年号を「養老」と改められたそうです。 すごい逸話ですね…!

でも、もっと もっと スゴイモノを発見しました!!!
この 孝子源丞内さんのお墓のある 養老寺 は、なんと、浄土真宗大谷派のお寺だったんです!
それなのにね! それなのにね! 本堂には 「不動明王像が安置」され、境内には「不老長寿にご利益」の文字!
そして何よりもビックリ驚きなのは、ご本尊が、阿弥陀如来さまではなく、 十一面千手観世音菩薩さまなんですよ~![あせあせ(飛び散る汗)]
ねっ、ねっ、ねっ?!  ビックリでしょ!!  私は、とってもビックリしました!!!

でも、そんなビックリな感動も胸の内にしまい込んで、再び車に乗りました。
そして、駐車場を出るところで、もう一つ「浄土真宗 東本願寺」と書かれた看板を発見して「わお~!」と注目すると 大きな文字で 「養老説教場」と書かれてありました。 興味津々です!!!
どうやらこの階段を上がったところにあるようなのですが…、 金山さん、こ~ゆ~ことには全く関心のない方なので…、 私がお寺好きであることは重々承知してくださっているのですが、私は、「行ってみたい…」と言い出せずに、この言葉も胸の内にググッとしまい込みました。

3533374さて、車で10分ほど細い山道を上った先にある駐車場が、養老の滝から一番近い駐車場で、ここに車を止めて滝を見に行きました。 
養老の滝は、幅4m、落差32m。 「日本の滝百選」と「名水百選」に選ばれている名瀑、名水です。
そ~ですねぇ~、 私が受けた印象は、「水が落ちている」と言うよりも、「白龍が水となって駆け登る」と言ったイメージの滝でした。
もう一つ、 滝に打たれる修行をするには、もって来いの滝ではないかなぁ~ なんて思いました。

養老の滝もなかなか素敵でしたけど、上の駐車場から望む岐阜の平野も、とってもすばらしい風景でした。
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千代保稲荷神社 [小旅行]

相変わらず不眠続きの毎日ですが、体調の方は まずまずです。 お友達に、「寝ない分だけ寿命が縮むぞ」と言われましたが、そ~ゆ~迷信にも笑って応えられるほどになりました。
私、この一年で 随分と強い子に成長したような気がします…。 なんちゃって(^.^)

今日は、久しぶりに連絡をくださった金山さんが、気分転換になればとドライブに誘ってくださったのでお出かけすることにしました。
でも なんだか 何をするのにも億劫で…、 「楽しい」だとか、「悲しい」だとか、今まで当たり前のように湧き起こっていた感情ですら、今は わざわざ起こさなくてはならないほどに鈍く動かない感じです…。
「ドライブは好き! → 好きなことは楽しいはず! → 楽しいことならしたいはず!」 などと、こんなふうに理屈っぽく感情の行方を決めることにも面倒くささを感じている私がいます。
そして外出することを決めても、今度は身体(行動)がついてこなくて、また理屈でおだてて自分を動かし、言われるがままに「はい、はい」と事を運ぶ…。  感情だけ睡眠中なのかしら…?

でも今日は、お出かけをしてよかったです。 とても楽しかった… と、思います。

考えてみたら、家族以外の人とお話をするのって、高山へ行って以来なので一週間ぶりなんです。
MAILやBLOGで 毎日 文字を発信していますので、ついついしゃべっているような気になっていたのですが…、 久しく会話とご無沙汰してしまうと、人はしゃべれなくなってしまうものなのでしょうか…?  今日のドライブでは、あまりお話しすることが出来ませんでした。
「何があったのか話して」と聞いてくださっても、「いっぱい いっぱい ありすぎて、言葉が見つかりません…」としか言えませんでした。 もっとも、お話ししたとて わかってくださるとは とても思えなかったので、「話しても無駄…」との思いから 押し黙ってしまったのも事実です…。
孤独ですね・・・・・  私は、自分の孤独に目暗がりになっています・・・・・。

しゃべれなかった理由はもう一つあります。
私は…、 やはり、ここにいてはいけない気がする・・・・・。 と、 子供の頃から感じてきたことを、先般の一件で、改めて指摘されたことで、「自分が存在している」ことが怖い…、 と言いますか…、 うまく言えませんが…、 独りでいる時には忘れていた、「生きているだけで迷惑…、 迷惑にしかなっていない私…」というところに強く囚われて、「こんな私に何が言える? 私なんかがモノを言えた義理か!」という思いで、何かしゃべろうとする度に、自分で自分にストップをかけてしまう…、そんな感じでした。
私…、幼い時のままですね…、 あの頃から、何も変わっていなかったのですね・・・・・

今日は快晴の青空で、風もなく暖かくて最高のドライブ日和でした。 遠く雪をかぶった山並みがとても美しく見えました。
何気なく交わす言葉は自然に出てくるのに・・・、 私は、言葉に出来ない胸の内を誤魔化すかのように、車の窓を開けて目を瞑ったまま風を感じていました。

到着したのは、岐阜の‘お千代保(おちょぼ)稲荷神社’というところでした。
京都の伏見稲荷、愛知の豊川稲荷と並んで、日本三大稲荷の一つともいわれているそうです。
東口の大鳥居の前に車を止めて参道へ向かうと、そこから門前町の商店が100軒以上軒を連ねて、まるで縁日にでも来たかのように…、 八百屋さん、漬物屋さん、お菓子屋さん、お麩屋さん、洋服屋さんに、縁起物のお店に、お土産屋さんなどなど、平日だというのに たくさんの参拝客で賑わっていて、私も少しだけ元気をいただきました。

3532251東大鳥居から100mほど歩くと、右手に小さな鳥居があって、そこに二・三軒のお供え物屋さんが呼び込みをしていました。 「油揚げ と ろうそく、持って行ってよ! 30円だよ~!」って!
立ち寄って見ると、おばさんたちが手際よく 三角に切った油揚げに一本の稲藁を通して輪っかにし結びながら、製造しつつ、販売しつつの商売をしておられ、参拝客らはこれを手に持ってお稲荷さんの境内へと向かわれる。

千代保稲荷(通称「おちょぼさん」)は、境内も拝殿もとても小さくて、どうしてここが 日本三大稲荷? と問いたくなるほどですが、「へ~ぇ、そ~なんだ~!」と、軽く驚きのある神社でした。
でも、とてもいい感じ! 何が?って、 おちょぼさんって、神社でありながら、神社らしくないんですもの!
おさい銭箱もあるにはあるのですが、ほとんどの参拝者は、入り口で購入した30円の油揚げを捧げるだけでした。
なおかつ、掲示板には、 「当神社では、御札・御守り等の販売も、朱印帳の記入もしておりません」と書いてありました。
また、拝殿前におみくじはあったのですが、そこに料金の記載はなく、チョコンと置いてあるお菓子の空き箱には1円や10円玉が数枚入っていたのみで、「ご自由にお引きください」と言わんばかり!
商売っ気のない、なかなか珍しい神社でした。 

おちょぼさんを後に再び門前町の通りに出て、今度は南大鳥居の方へと向かって歩き始めました。
その途中、串カツや土手煮の香りにそそられながら、また、草餅やたい焼きに伸びる手を押さえながらの散歩道…、 フッと気がつくと、私、結構~ 元気になってきていました。
そして、「楽しい」という気持ちが自然に湧いてきて、それが「嬉しい」と思えました。
「思いなんて関係ない! 悪だ! 捨て物だ!」と言われますけど、「思い」があるからこそ、思われている・願われている その御心を聞かせていただくことができるのではないのでしょうか? なんて…、 言い訳ですかね…。

そんなことを考えながら門前町をのんびりとお散歩。
そこで興味を惹いたのが 通りにある何軒かのお食事処で、そのショーウィンドーには、モロコの甘露煮、鮒のみそ煮、鯉のお刺身や、鯰(マナズ)のかば焼きなど、珍しい川魚のメニューが並んでいました。
変わりモノ…、 食べてみたい気がしましたが、これまたグッと堪えながらも、久しぶりの食欲に、やっぱり嬉しいと感じている私を発見しました。
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