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「事実」は事実として [真宗カウンセリング]

この一週間は久しぶりのハードスケジュールで、腰をおろす暇もありませんでしたが、とても充実した時間を過ごさせていただきました。
しかしながら、体力よりも気力の方に先にくたれがきてしまい、明日は予定を変更して休息日をいただくことにいたしました。 よって、久々にBLOGの更新が出来そうです。

世間は紅葉が真っ盛りですね~~~。 私もこの一週間であちらこちらの紅葉狩りを楽しんでまいりましたが、その旅BLOGを書く前に、先日、真宗カウンセリングのワークショップに参加させていただきましたことを少しだけ書いておきたくなりました。

「真宗カウンセリングは、人間が真の人間になる道。 法(南無阿弥陀仏)を根底においた、‘今’ ・ ‘ここ’ の人格的交流により、今生の問題や苦しみ、真宗に関わる悩みや疑問などを、‘今’ ・ ‘ここ’ に湧き出るままに、語り合い、聞き合い、理解し合い、新たなる自己の発見、自己と他者との法との出会いを実現していくものです。」と提唱された西光義敞先生によって生み育てられ、その理念を引き継がれた先生方・先輩方によってその場がくっきりと現存しております。
その空間に浸けていただくことの出来たのも、不可思議なる導きによって ‘今’ ・ ‘ここ’ の私に手が差し伸べられそっと背中を押してくださったおかげで、この度で三回目の参加となりました。

今回は、「事実」を事実と聞かせていただいたなぁ~と、今、感じております。

今日まで、三歳九ヶ月になる姪っ子のアミリヤが我が家に泊まりに来ていました。
彼女は本当に私にそっくりです、 と言いますか、まるで鏡ですね。 鏡(きょう)← 教(きょう)← 経(きょう) と、逆なようでいてストレートに「私」を教えてくださいます。

本当の自分を観せられる…、真実の自分を知らされるということがこれほどまでに苦痛なことだとは思っていませんでした。
だって、理想の自分が壊されて行くんです。 いえ いえ、「これが私」と思っていた私が、実は「理想の私」であったと知らされた、ということなのでしょう。

有福の善太郎さんは、「手・足でなすことも、心に思うことも、口に言うこと、耳に聞くこと、目に見ることも、夜の寝息までもが地獄行きのタネ作りとなる自分なのだ」とおっしゃいました。
 そう思えるようになるまで聞きぬかなくてはならないと思っていました。
 そんな私なのだと、ただ聞くだけでいいと耳に流していました。
私には、「真実」を真実として受ける入れる器がなかったんです・・・。
いつかは聞ける自分だとか、そう思えないからまだダメだとか、そんなことばかりを問題にしてゴチャゴチャと空回りするばかりで、「事実」を事実として受け入れることすら出来ていませんでした。

アミリヤ キャンディ.jpgアミリヤはとてもわがままな娘です。
次から次へとやりたいこと、欲しいものが出てきます。 そして自分に気に入らないことにはすぐ腹を立てるし、虫などの生き物を面白がって殺し、食べ物も好き嫌いで粗末にします。 でも、自分は良い子だと思っています。 優しい子だと思っています。 賢い子だと思っています。
自分のやることなすこと何一つとして地獄行きのタネ作りだなんて微塵も思っていません。
そんな子悪魔のようなアミリヤがそのまんまの私なんです。 しかも、私がアミリヤに見ている自分というモノは、たかだか知れたこれっぽっちの表面的な悪でしかありません。

自分が理想としている私とは正反対の 「見るも無残、聞くもおぞましいおまえこそが真実のおまえぞ!」と目の前に突きつけられ、私はこれに必死になって抵抗し続け、目を塞ぎ、耳を背けながら外にばかり恨みつらみを並べているんです・・・。
「こんな私」を観させていただけるも御法のおかげ…、だなんて大~きなお世話です!! とんでもなく迷惑な話で、如来さまをどれだけ恨んだか知れません。
その恨みにプラスして、「どうして私を苦しめるばかりで助けんのか!!」と・・・、 「弥陀よ、出て来て無限といわれる力とやらを見せてみよ!」と・・・。 そんな自分が出てくる自分も許せませんでした・・・・・・。

でも、「自分で自分を責めている奈っちゃんも事実ならば、法によって観せられている奈っちゃんも事実なんや」と教えていただき、これを私の思いで否定しようとも肯定しようとも、‘今’ ・ ‘ここ’ に 生きて動いている私には変わりはなく、事実は事実なんだって。
理想の私を思い描いている私も、真実を受け入れることの出来ない私も、御法によって観させられている私も、そのすべての私がお目当ての私で、このお目当て(私)一人にかけられた御本願なんだって。

「弥陀よ、どこにおる?! その力を見せてみよ!!」と言っている私の目の前に置かれた法の鏡こそが如来さまであり、こんな悪タレな自分が僅かでも見えているということ自体が如来さまの御力だったんだって。

良い・悪い、出来る・出来ない という問題ではなく、「事実」は事実であり、「真実」は真実なんです。
罪悪深重な私がいるという事実、そんな私のことを如来さまは全部知っておられるという事実、これを哀れに思い立ち上がってくださった仏さまがいるという事実、その如来さまのお働きがあるという事実、そして南無阿弥陀仏となって私の口から出てくださっている事実、 それらの事実をこの私が信じようが信じまいが、知っていようが知らぬまいが、「私」の感知出来ない事実があるという事実。
そんな「事実」を前に、私の思いなど入りこむ隙間はなく、私に出来ることなど何もありませんでした。
南無阿弥陀仏
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MANU.

昨日久々にあちこちネットサーフィンしてて、再開してるのを知りました。遅くてごめん。

しっかり読ませていただきました。
南無阿弥陀仏

by MANU. (2010-11-12 17:52) 

奈っちゃん

MANU.さん、コメント どうも ありがとうございます (^-^)v
BLOGの再開に至ったのも、ワークとあの日の懇親会のおかげです。
感謝(^^) 感謝(^^♪ 南無阿弥陀仏
あの後に送ったメール、もしかして届いていないのかな? ま~ぁ、またメールさせていただきます。
今後ともヨロシクです!!
by 奈っちゃん (2010-11-13 00:17) 

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