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死への思いは変わらぬままに… [Poem]

   人は、一人では生けて行けません。
   でも、独りになりたい時があります。
   このまま、ず~っと独りでいようと決心した時、
   それはきっと、人との縁を切るのではなく
   この世との縁を切ることになるのだと思います。

   人は、決して一人では生きて行かれません。
   でも、どうにも独りになろうと心の動くことがあります。
   そうすると、涙が溢れて来るのです・・・
   訳もわからず、泣けてきちゃうのです・・・

   悲しくて、苦しい時には、逃げ出したくて死を望み、
   嬉しくて、楽しい時にも、これで終わりと死を求め、
   いつも いつだって 私は生きることに後ろ向きです。

   今日の夕方、少し元気のない親友から届いたメールに、
   「生きていることそのものが悪いことなのかもしれない」
   と、書いてありました。
   私は、幼い頃から、ず~っとそう思って生きてきました。
   だから、いつも 待っている・・・  死を待っている・・・

   本当は違う! 私は生きたいの! って叫んでも、
   この迷った脳裏は、光り輝く後生の幻影を描き出して
   私の目の前に、勿体ぶりながらチラつかせるのです。

   本当は違う! 私は死にたくなんかないの! って叫んでも
   真っ暗闇の中で、やさしく囁きかけられたその声に、
   言われるがままに手を引かれ、
   更に 更に 奥深い闇の世界へと導かれてしまいます。

   仏法を聞くとは、私の後生を聞くこと・・・。
   それは、私の思いで作りだした後生を聞くのではなく、
   真実の鏡に映し出された私の今と過去と未来を聞くということ。
   でも、聞いても、聞いても、聞いても、聞いても、・・・・・・
   一向に寄り添わないのが私です。

   真実に盾突いて、癇癪を起こして、逃げ惑うばかりの私です。
   だから、常に真実の方から寄り添ってくださっているのです。
   真実に背を向けて、駄々をこね、逃げ回るばかりの私です。
   でも、そんな私のそのまんまを、
   大きな 大きな 力で、マルっと丸のまま包みこんでくださっている。

   だから私は変わらない・・・ 何も、なんにも変わらない・・・
   「私は生きていてはいけない存在なのだ」との考えも変わらない、
   ただそれが、どんなにか如来さまを悲しませることになるのか、
   ただそれを、知ってしまっただけのことなのです・・・・・・
   南無阿弥陀仏
   南無阿弥陀仏
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