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ギルガメシュ 「私の死」 [心]

今日(2/17)は、「ノアの洪水の日」なのだそうです。
昔、父がキリスト教を信仰していた影響で、「ノアの箱舟」の物語は、幼い頃より知っていました。
始めて読み聞かされた時、「どうして雄♂と雌♀の二匹じゃないとダメなの?」との質問をした覚えがありますが・・・、 さて・・・? 何と答えてもらったのかは覚えておりません。

仏教の『経典』というのは、お釈迦さま自らが語られた御言葉・御教えを、羅漢となられたお弟子さま方が書き遺してくださった記録であるのに対して、キリスト教の『聖書』というものは、イエスさまが語られた御教えではなく、過去の伝承的な物語や後世の使徒らが書かかれた著書の集体本であります。
その一つに「ノアの箱舟」のお話しがございますが、これは、インド神話やギリシャ神話など、世界各国に同じような物語がいくつも残されております。
中でも 『ギルガメシュ叙事詩』にあるウトナピシュティムの洪水物語に、興味深い一節を見つけました。
ギルガメシュというのは、古代メソポタミア(紀元前2600年頃)に実在していた王様なのですが、彼の死後、神格化された彼の伝説を叙事詩にした説話集が『ギルガメシュ叙事詩』と呼ばれているものです。

ギルガメシュはかなりの暴君で、その横暴を見かねた神は彼のライバルとしてエンキドゥという野人を地上に遣わしました。 地上に降りたばかりのエンキドゥは智恵なき獣でありましたが、聖娼婦シャムハトとの六晩七日による「交わり」によって野人性を失い、代わりに知恵と判断力を得ました。
その後ギルガメシュとエンキドゥは何度も対決するのですが力互角にて決着がつかず、そんな中で二人の間には友情が芽生え無二の親友となって旅と冒険を繰り広げます。
物語にはギルガメシュとエンキドゥの種々の伝説が書かれているのですが、彼らの数々の行いは神々の怒りをかうこととなり、神によって作られたエンキドゥは、神の意向により死してしまいました。

ギルガメシュは、自分と同等の力を持つエンキドゥが死んだことから、「自分も死すべき存在である」ということを知り、今まで何にも恐れることのなかった彼が、「死の恐怖」に怯えるようになったのです。
そしてギルガメシュは、「永遠の命」を手に入れるための旅に出て、その途中でうわさに聞いたウトナピシュティムという人を求めて西へと向かいました。 その人は、神が起こした大洪水の時に箱舟を作ったことにより永遠の命を手に入れたと言われている人でした。
ギルガメシュは、その最後の旅でウトナピシュティムという人に会って不死の薬草のありかを聞き出したのですが、しかし、それを手に入れることは出来ませんでした。

「自分の死」というものを、「この私の死」と受け取るというのは簡単に出来ることではございません。
ギルガメシュは、エンキドゥの死によって、「人間は死ぬものだ」ということ知り、それは「自分も死すべき存在であるのだ」と我が身に知らされて、生れて初めての恐怖というものを体験しました。 「自分の死」という恐怖です。
親友を失ったギルガメシュは、別離の苦を知り、「死」という苦に埋没して、己が己を衰弱させ、生きていることの苦というものを知ったのだと思います。 その根源は、「自分の死」です。

ギルガメシュの「永遠の命」を求める旅の過酷さは物語に書かれておりますが、自分の命を削ってまで、自分を生き永らえさせるモノを追い求めるなんて・・・、まことに、まことに虚仮なことでございます。
永遠の命が 欲しくて 欲しくて たまらない・・・。 私は死にたくない・・・。 死ぬのが怖い・・・。
言いかえれば、欲望全開のままに、自分が「今」死ぬとも知らずに、自分のして来たことの責任を負いたくない。 それ故に、自分の力で、頑張って、頑張って、命がけでなんとかできると自分を信じ、何とかしようと生き踏ん張っている・・・。
それが私の姿です。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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