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休息Time [随筆日記]

昨夜遅くに、東北周遊旅行から無事に帰還いたしました。 
八泊九日のドライブ旅は、何かと大変な面もありましたが…(^.^ゞ、夏の想い出としては、良い仕上がりとなったように思います。
さて・・・、 何から書こうかしら・・・?  今回の旅行記を書く前に、前回の旅行記も溜まっているし・・・
でもね、少し疲れているからかしら・・・? 今の私は泥沼に停滞しているような感じで、どんどんマイナス思考の勢力が増幅して来ていて、また不用意にアレコレと書いてしまいそう・・・。
本当に、生(ナマ)の私は最悪です。  愚痴の塊・・・、 慢の塊です・・・。
と、言うことで、 今日のBLOGは帰宅報告にとどめておいて、身体を休めながら少し思案にふけることにいたします。
今の私の課題・・・、 「人生は苦なり」 です。
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アミリヤ [随筆日記]

今日の午前中は、岩手県平泉にて観光をいたしまして、ランチの後は、今回の旅の目的地(?)である青森県三沢へと一気に車を走らせ、夕刻には無事に到着となりました。
実は この春に、アメリカ人である Brother in law の 日本への転勤が決まりまして、二ヶ月ほど前から三沢のアメリカ空軍基地内に住んでいるのです。
当然、妹も同行しておりますので、そ~ゆ~訳で 今回 青森まではるばるやって来た訳であります。

妹たちに会うのは、母の葬儀以来ですので五年半ぶりになります。 そして、三歳半になる姪っ子と会ったのは、今日が始めてになります。 
以前もBLOGにて紹介したことがありますが、私にとりまして唯一の姪であるアミリヤは、叔母バカと言われようとも、とにかく めちゃめちゃに可愛いです[揺れるハート] 写真でも電話でもない、生のアミリヤなら尚更[黒ハート]

と 言うわけで、今夜はアミリヤと遊ぶのに忙しくて、BLOGはここまでとな~り~[かわいい]
AMILIA.JPG

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私こそが宇宙の常識 [随筆日記]

一昨日、日本列島の各地に被害をもたらした豪雨も過ぎ去り、晴天に恵まれた昨日は、今年一番の賑わいで大合唱をしていた蝉たちですが、なぜか今日は一匹の鳴き声も聞こえてきません。
耳をすませば 遠くの方で 一,二匹の声は聞こえてくるのですが、ちょっと不自然な感じがしました。
そして今朝、東海地方に梅雨明け宣言がなされました。 いよいよ夏本番ですね~ イヤな季節です。
夏生まれで、しかも名前に‘なつ’の字が付くからと言って、夏が好きなわけでも 夏に得意なわけでも決してないのに、「奈っちゃんなのに夏が嫌いなの?」 とよく言われますが、「その自己基準はおかしいでしょ?!」 と思わず言いたくなります。
でも、人に対しては 「世間の非常識」 を云々思い、そう言えたとしても、自身に対しては 「私の常識」 をまったく問題にしていない私がいます。
私って、ホントに自分の尺度で 思い、考え、動いていますねぇ~・・・・・。

先日、親友のUTさんがお友達を紹介してくださるということでお食事会に連れて行ってくださいました。
彼に失礼のかからないよう、自分なりにせいいっぱいTPOに沿ったおめかしをしたつもりですが、やはりそれも自己基準で判断したものに他なりません。
もちろん100%の自信を持って何事もなしているわけではありませんが、でも、自分で思い、自分の考え付いた結論をベストとして行動をしているわけですから、「私は正しい」との判断を基にしていることに違いはないでしょう。
「私の判断基準」なんて、狂っている・・・、迷っている・・・ と仏法の上で何度聞かせていただいても、私というヤツはそこから抜け出ることは出来ません。
ただ、「あぁ、私、またやっている・・・」、「これが迷っているってことなのだなぁ~」 などと、フッとした時に気付かせていただくだけで、私は、またそれを繰り返していくのです。

さて、お食事会は錦三丁目の‘山茶郷’という隠れ家的お料理屋さんで、山の幸を中心に和風テイストのコース料理がいただける素敵なお店でした。
そして、ご紹介くださったご友人は、この近くでお店を経営されている愛さんと、その常連客で僧侶でもある松さんと星さんの三名でした。 みなさん、とても心安い方々で楽しい時間を共有させていただきました。
それから、初めていただいた岩魚の骨酒ですが、日本酒初心者の私には少々クラッときましたが、香ばしい香りがお口の中で時間をかけてゆっくりと融けるように広がってゆく感覚は、もしかしたら止みつきになってしまうかも… という感じでした。(^.^ゞ

6.16  山茶郷.JPG

お食事会の後は愛さんのお店に向かいました。 前回連れて行っていただいたBarと違って、こちらはとてもアットホームなお店で、ラフな気分で長居ができる感じです。(^-^)v
しばらくして店内は満席となり、その頃UTさんがうたた寝状態に入られたので、私は斜め後ろのテーブルでおしゃべりをしている方々の会話を何となく聞いていたのですが、そのお二方のやり取りが面白かったです。

初めにお話しをされていたのはカゴメ(仮)さんの方で、「自分の考えこそが唯一の正解」、「自分こそが宇宙の常識」、そんなところから世間の常識を一刀両断しながら自論を展開されていたのですが・・・、 これに納得できなかったのが、近くで一人で飲んでおられたサムエ(仮)さんでした。
カゴメさんの自論を 「個人的偏見」と位置付けて、サムエさんは彼なりの自論を打ち出し、カゴメさんの謝りを正そうと一生懸命にお話しをされるのですが・・・、 それは傍から見てみいれば どっちもどっちのお互いさまで、二人ともが、「自分に限って間違いはない!」とのところからお話しをされ、それを相手にも押し付けようとしているだけなのです。
周りで飲んでいた方々も少し引き気味に傍観していたのですが、私も含めて、みんながみんな「自分の常識」を基軸に二人のやりとりを眺めているのですから、どいつもこいつも同じ穴のムジナですね・・・!

さてさて、カゴメさんとサムエさんの対決を最後まで見ていたかったのですが、終電に乗り遅れるわけにはいきませんので傍観者の私が途中退場させていただくこととなりました。 残~念!
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My Birthday [随筆日記]

今日は 私のお誕生日[バースデー]
「おめでとう」って言っていただいても、当の本人はめでたくもなく・・・、思わず現実逃避にダーッシュ[ダッシュ(走り出すさま)]
でも、まぁ~、親に感謝の意だけは伝えねば・・・ と、遺影に向かって 「南無阿弥陀仏」
そうだ! 「[るんるん]Happy Birthday to You ~」の代わりに、恩徳讃でも歌いましょうか[exclamation&question]

そして今年も、お誕生日にはお決まりの、 My Self で フルコース料理をいただきました。[手(チョキ)]

7.16 My Birthday dinner.JPG

  [かわいい] オードブルは、 ズワイ蟹とホタテの冷製仕立て ・ レモンのジェレソース
  [かわいい] スープは、 トマトクリームスープ
  [かわいい] お魚料理は、 サーモンのいくら添え ・ ホワイトソース
  [かわいい] サラダは、ほうれん草と生ハムのサラダ ・ シーザードレッシング
  [かわいい] お肉料理は、 安城牛とフォアグラのステーキ ・ 付け合わせは パプリカ ・ ほうれん草 ・ 白茸 ・
               茄子 ・ ペッパーソース
  [かわいい] 主食は、 ジェノベーゼパスタ

例によって例の如く、自分で作りながらですと なかなか食欲がわかずに あまり食べられませんでしたが、有り合わせの材料で作ったにしては、けっこう美味しく仕上がりました。[わーい(嬉しい顔)]

今年はデザートは作りませんでした。 お誕生日祝い[プレゼント]にと ケーキをたくさんいただきましたので[exclamation]
なんと今年は4つも宅配されまして・・・  めちゃめちゃ嬉しいのですが、賞味期間内に食べ切ることが出来るかどうか ちょっと心配です (^.^ゞ[たらーっ(汗)] 

7.16 Birthday cake.JPG

お気遣いしてくださった皆様、ホントにどうもありがとうございました[黒ハート]

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タイに住む友達 [随筆日記]

先月、熊野詣(?)に行ってまいりました。(((^^;)
『親鸞聖人御伝鈔(下)』の平太郎さんのように、公務や領主に駈仕するためではありませんけれども…(^.^ゞ、 南紀への旅のお供に誘われまして、その霊地・社廟に踏み入ることを自心で発起して熊野へ出かけてまいりました。
と・・・、 この旅BLOGを書き始めたわけではなく、その前日の食べBLOGの方です!

翌日からの南紀への旅が早朝出発を予定しておりましたので、その前夜に予定していた別の親友とのお食事会の後には、帰宅をせずに名駅前のHOTELに泊まろうと予約をしていたのですが、当日のお昼になって 急遽 そのお食事会が彼のお仕事の都合でキャンセルになってしまいました。
5.10 Sukhontha.JPGあらあら・・・ ど~したものか・・・ と 残念がっておりましたら、夜遅くになって 「プチお食事会ならOK~!」とのお返事をいただき、仕事上がりの親友を待って、遅めのディナーにお出かけすることができました。 ありがとうございます!
行ってきましたのは、スコンター名駅店。 
こちらのとっておきは、グン チェー ナーム プラー(生エビ) と カクテルいろいろは美味しかったです! 
でも残念だったのは、ポー ピア ソット(生春巻き)・・・。 タイのお味というにはほど遠いかな!

そう言えば、最近のタイ情勢はどうなっているのかしら? と 外務省のHPを見てみましたが、実際のところはわからないですね・・・。
それで今朝、久しぶりにタイに住む友人にメールを送ってみましたが、今のところ返事はありません。 
手紙無精、電話無精、メール無精と無精者の私なので、遠方に住む友人とのご縁がどんどん薄くなってしまいますが、それを、寂しく思っている私と、楽に思っている私がいて、ちょっと複雑な心境です。

タイに住んでいるKumiちゃんとの出会いは、アメリカの語学学校でした。
日本に留学していたタイ人の男性と恋に落ちたKumiちゃんは、その彼がアメリカの大学へ留学が決まると日本での生活を捨てて彼と一緒にアメリカへ渡り、その一年後に結婚してタイに移住しました。

もう一人の友達Kumo君は、仕事で3ヶ月間タイに赴任している間に、お土産物屋の女の子と仲むつまじくなっちゃって、帰国後もちょくちょく彼女に会うためにタイに出かけたり、年に二回は彼女を日本に呼び寄せたりしているものの、交際を初めて三年以上も経つのだけれど未だ結婚に至らず・・・。

ご縁とは不思議なものですね。
仏教で、「因」が、「縁」にふれて、「果」が生ずるという、「因果の道理」を教えていただきました。
「過去」、「現在」、「未来」の三世を貫いた法則 「因果の道理」は、私の薄っぺらな知識の上では理解できたような気になっているのですが、それはとんでもない勘違いで、私は呆れちゃうほどに全くわかってはいないのです。 それをここでゴチャゴチャと注釈はいたしませんが・・・。
ただ・・・、 KumiちゃんやKumo君のような恋人との出会いというのも確かに不思議なご縁だとは思いますが、もっと もっと 不思議なのは、この私が仏法と出遇ったことです。
でも、もっと もっと もっと 不可思議なのは、この私が人間に生まれさせていたことでしょう・・・。
阿弥陀さまが造ってくださった「因」まで丸貰いして、今、私は、ここに生かさせていただいているのですね。  南無阿弥陀仏
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ナゴヤドーム スイートルーム・プライム1 [随筆日記]

スポーツ観戦にはまったく興味のない私ですが、「特別観覧席だよ~!」 と聞いて興味津々!
と言うことで、ナゴヤドームまで 中日 vs 広島 戦を 見に行ってまいりました。
試合は14時からでしたが、12時半にはナゴヤドームに着いてプライム1の専用ゲートから入場。
受付嬢に案内されるままエレベーターで四階に上がって扉が開いたところでビックリ驚きました。
フロント前にズラリと整列したスーツ姿のスタッフ十数人に 「いらっしゃいませ」と一斉に頭を下げられて、「ここは どこ?!?!?」 と、勘違いしそうな接待ぶりに 一瞬 ひるんだものの、いやはや・・・、特別待遇されているとの意識を持つことは、貪欲が満たされると同時にイヤなプレッシャーを感じるものです。
そして、ふかふかの絨毯が敷きつめられた廊下をスタッフに先導されてルームまで行く途中にも、すれ違う別のスタッフがいちいち立ち止まり仰々しく頭を下げて声をかけてくださるのですが、そんな応対に慣れていない私は、いちいち頭を下げ返して挨拶をしてしまい、その廊下がとても長いものに感じられました。

6.27 ナゴヤドーム.JPG

スイートルーム・プライム1は、定員10名の個室で、応接室のようなお部屋と、布張りシートのバルコニー観覧席があって、ゆったり贅沢に野球観戦を楽しむことのできるVIProomです。
今回、Daneの会社から勤続年数に準じたご褒美として招待券をいただき・・・、と言いましても、抽選に当たった私たちを含めた五組のペアーがこのルームに集うことになっているのですが、さてはて、どんな顔ぶれがそろうのか楽しみです。
一番乗りの私たちは、ゲームの前に昼食を済ませてしまおうと先に食事をさせていただきました。
スイートルーム・プライムでは一切の飲食物の持ち込みが禁止されているので、数少ないメニューの中からオーダーするしかないのですが、この海鮮丼は超薄のお刺身に 上げ底のご飯、その上 お味噌汁はダシなしのインスタント? といった感じなのですが、お値段は 2,625円とメチャ高! 会社負担でなかったら、たぶんオーダーすることはないでしょ~(((^^;)

食事中、次の一組が入室されました。 本人(社員)は不参加で、妻と娘(高校生)のペアーでした。 「お父さんとは一緒に出かけたくない」との理由から、母娘での来場となったようです。
食事が終わった頃には、次の一組が入って来られ、こちらは、本人(社員)と息子(二十代前半)のペアーでした。 でも、父と息子の間には会話はなく、息子さんは父親の隣に座ることすら倦厭しているようでした。
予想外にも夫婦での来場が少ないなぁ~と思っていたところに四組目のペアーが入室され、こちらは仲良しご夫婦のようでホッと安心。 奥さんとも気楽におしゃべりすることができました。
そして最後の一組は、本人(社員)とその父親(老人)で、無口なおじいちゃんにはあいさつすらしていただけませんでした。
今の世の中といいますか、世間ってこんなものなのだろうな~ぁ~ と、リアルな人の世を垣間見た気がいたしました。

さて、肝心の試合の方ですが、連敗中の広島にホームグラウンドにてボロ負けの中日・・・(^.^ゞ
と言ってしまうと寂しいものがありますが、まぁ~、愛知県民ということでドラゴンズに肩入れしている程度の私にとっても、中日が負けてしまったのはチョット残念でありました。

それにしても、ファンというものはシビアーですね~~~
相手チームが失敗すると歓声を上げて大喜びをしたり・・・、応援しているチームが失敗すると罵倒して怒ったり・・・、 私の癖と言いますか性分で、その度ごとに選手の気持ちに感情移入をしてしまって、ゲームを楽しむというよりも、人間を悲しんでいたように思います。
それで気分転換がしたくなって、途中、部屋を出て階下に降りて行くと、窓の外は夕立ちの真っ最中で土砂降りの雨と雷! 「お~~~! こっちを見ていた方のが楽しいかも♪♪♪」としばし窓辺にて夕立見学 (*^^*)

6.27 和花の宝石箱.JPG試合が終わって帰る頃には雨もやんでいましたが、この夏一番の蒸し暑さの中、人波に押し流されながらの帰宅はとっても疲れます。 
途中、ウィンドーショッピングで時間をずらして帰路に着き、夕食をいただくために居酒屋へ入ったのですが・・・、 寄ったお店がよろしくなくって、本当に美味しくなかったです。 
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私が最後に見るモノは・・・? [随筆日記]

今日、先輩法友の葬儀に参列させていただきました。
特に親しくお付き合いをさせていただいたわけではありませんでしたが、彼女の訃報を聞いた時に、「奈っちゃん、早く信心をいただきないよ」と、顔を会わせる度に言ってくださったことが、まるで昨日のことのように思い出されました。
彼女の姿をお見かけしなくなってからもう一年近くも経っていたことに気が付いて、自分の薄情さにいささか驚きました。
居て当たり前…、 居なくても当たり前…、 自分以外のことにまるで関心がないのですね、私は・・・。

葬儀会場へ行くことには、正直、不安がありました。  会うのが怖い・・・。  そんな人たちと顔を会わせるのは久しぶりだったから・・・。  でも、この先ず~っと避けて通ることなど出来ない道だし・・・・・。
それに、亡くなられた先輩同行さんからいただく最後の言葉・・・ と言いますか、 「彼女の死を御縁に、私は何を聞かせていただくのか」 ということ念頭に 葬儀への参列を決めました。
でも、会場に着いてからはやはり緊張の連続で、こちらからあいさつしようにも、目も合わせていただけなかったことに気持ちが萎縮してしまい、お導師をされるS先生の姿を見た時には 一瞬 ホッとしたものの、後は壁際にへばりついて目立たないように、相手の気に障らないように後退りをしてしまいました。

式の前に、亡くなられた先輩同行さんの肉体と対面をさせていただきました。 この世の遺物であるその肉体も、あと数時間の後には、骨壷に入るほどに小さく砕かれてしまうのですね・・・・・。
彼女のお顔を拝見した時、涙が溢れてきました。 何の涙かはわかりません・・・。 ただ、私の知っている彼女は、もうここには居ませんでした。

式の最中にも、先生の読経を聞きながら、時折、訳のわからない涙があふれてきました。
『正信偈』を読ませていただいている時にも、称名念仏をさせていただいている時にも、フッとした何かに触れて湧き上がってくる感情があるのですが、それが何なのかよくわからないまま涙が溢れてまいりました。
でも、なぜに葬儀は悲しいのでしょうか・・・・・・・
もう会えないから?・・・・・  でも、生きていても会えないという時には悲しみは湧いてこないのに、死という理由で会えないことには悲しみが湧いてくるのですね・・・・・、 それが不思議に思えました。

人は、この世を去る時に何を見ながら逝くのでしょうか・・・・・
きっと私は、最後の最後まで、儚い夢を見続けながらこの世を去るのでしょうね・・・・・

彼女は、今、どこに居るのかしら・・・?  
そんなことを考えながら、私は、私自身の甘い夢の行く末が、灰のように砕かれ 崩れ落ちていく幻想を目にして、それを都合よく打ち消しながら、妄念で妄想を塗り固めてバカみたい! と、自身に呆れ返りました。

告別式が終わった後、S先生が短い時間でしたが御法話をしてくださいました。
この世で私が描いたもの・・・、作り上げてきたものも、願い続けてきたことも、そのすべての夢物語は一つ残らず終焉を迎える無常のものだけれども、如来さまが私にかけてくださっている「願い」は、私が死した後も…、また、その願いが満たされた後も、有常にこの私一人に働き続けてくださるのですね・・・。  南無阿弥陀仏
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阿久比町 花かつみ [随筆日記]

久しぶりに何の予定も入っていない晴れた日の朝、今日はのんびりと過ごしたいと思う私が、外出すべきだと言っている私の言い訳に負けて、背中を押されるようにお出かけすることになりました。
行先は、数日前に通りがかりの見知らぬおじさんから教えていただいた阿久比町にある「花かつみ園」という所です。
その時に教えてくださった情報を頼りにNETで検索をして、未知の場所へ、見たことのない花を求めていざ出発です!

自宅から車で一時間弱、以外に近場でした。 場所は、デンソウ阿久比製作所の北側にある下芳池越しの小さな園で、駐車スペースも十数台分しかありませんが、平日ということもあって余裕で駐車できました。
その「花かつみ園」の入り口にイベント用の大きなテントが張ってあったので、「入場料が必要なの?」と 一瞬 身構えてしまいましたが、駐車料金も入園料も無料でした。
でも、入り口に立っていたおじさんに、「奥さん!」と呼び止められて、ちょっと不機嫌に心の中でそのおじさんを睨みつけながら、言われた通りに受付け(名前と住所の記載が必要)だけは済ませましたが・・・、
ほんの少し(?)前までは、「お嬢さん」と呼びかけられていた私が、近頃では「お姉さん」と呼ばれるようになり、ここにきて「奥さん」なんて声をかけられて・・・、 あぁ 無常~ ・・・・・。

6.17  花かつみ..JPG

さて、私は 「花かつみ」という花を初めて見ました。
「花かつみ(花勝見)」は、万葉の時代より和歌に詠まれたアヤメ科の野花菖蒲(ノハナショウブ)のことで、一見、カキツバタに似ていますが、それよりも2~3割ほど小さな花です。
阿久比町の花かつみは、室町時代に伯耆の国(鳥取県)よりこの池に移植されたと伝えられており、徳川家康の生母・於大の方は、桶狭間の合戦に出陣した家康の武運長久を願い、「花勝見」というその名に因んで神仏にこの花を捧げたそうです。
しかし、次第にその花株は減少し、江戸時代後期には徳川家への献上花とされ門外不出のお花止めとなったそうですが、時代の波に翻弄され、大正時代にはとうとう絶滅し、「幻の花」となってしまったとのことです。
阿久比町の花かつみは、その後に一株だけ発見されたものを保護し増株させたものだそうです。

万葉集に残る花かつみは、中臣女郎が大伴家持に贈った恋の歌に出てきます。

    をみなへし 佐紀沢に生ふる 花かつみ   かつても知らぬ 恋もするかも

<私訳>平城京の辺りは女郎花の花がたくさん咲いていますが、そこにある佐紀の沢には「花かつみ」という稀な花が咲いています。
私は過去にいくつかの恋を経験しましたが、それは数多い女郎花の花のようなもので、私があなたに寄せる恋心は、まるで花かつみのように未だかつて経験したことのないほどの想いを抱くことになるかもしれません。

大きなお世話かとは思いますが、中臣女郎さんに忠告してあげたいですね、「それは不幸の始まりですよ」 な~んてね・・・・・。
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形原温泉 あじさいの里 [随筆日記]

日中ゆっくりと書斎に籠もっていられる日が、週に一回あれば良い方・・・・・。
「何をそんなに生き急いでいるの?」 と聞かれても、自分ではそんなつもりなどサラサラなく、ただ楽しく毎日を生きていたいだけ・・・。 学生時代からず~っと、そんな生き方をして来たように思います。
思い返してみれば、「スケジュール帳の空白は‘ムダな日’」と感じていたことも過去にはあって、でも、そこへ無理にスケジュールを押し込んですべての空白を穴埋めてしまわなければ気が済まないとまでは思いませんでしたが、結果的に 「来るモノ拒まず」で、一ケ月間ビッシリと埋められたスケジュール表に満足していた私がいたことも確かです。
でも、母の四十九日の法要を終えてから一年ほどの間は、中綿を抜かれたぬいぐるみのように、肉体的にも精神的にもク垂れた状態で、必要最小限度の義務的なスケジュールがポツリ ポツリと入っているだけのスケジュール帳にもウンザリとしている私がいて、まるで引き籠もりのような状態がしばらく続きましたが、あれから五年が過ぎて、今は、スケジュール帳をいっぱいにしたい私と、真っ白にしたい私と、両極端の私が共存しているように思います。

そんな中、「明日は空いている?」 と、いつもの親友からのお誘い電話。 
そしていつものように 「はい」 と答える私。
「それじゃ~、出かけよう!」 と言われて、小さな戸惑いを感じながらも、やはり 「はい」 と答えてしまう自分に、「私は、どうしたいの?」 と 自問してみるのですが、「出かけたいけれども出かけたくない・・・、出かけたくないけれども出かけたい・・・」 と、どっち就かずで定まらないまま、いつも流さ流されて行く私・・・・・。
それでも、一旦 「出かける」 と 決めてしまえば前向きに楽しみを求めてしまうのも また 私。
「どこへ行きたい?」 との問いには、いつもの如く 「花のある場所」 と答え、行先をアレコレと考えるところから楽しみに心に染め抜いて、「出かけたい私」が、「出かけたくない私」へ、無意味な言い訳を始めるのです。

そして出かけた先は、「形原温泉 あじさいの里」です。
去年は、少し盛りを過ぎた夜のあじさい園を見に来ましたが、今年は、まだ咲き揃ったばかりのあじさいの花に迎えられました。
こちらのあじさい園には、約120種、50,000株のあじさいが植栽されているそうで、ゆっくり じっくり 色々なあじさいの花を楽しむことが出来て楽しいです。

6.10  形原あじさいまつり.JPG

あじさい園の中央には補陀ヶ池という池があるのですが、その名に興味を惹かれて由来を尋ねましたら、あじさい園に隣接したお寺の名前より来ているのだそうです。
圓通山補陀寺は曹洞宗のお寺で、その昔、境内より湧き出した温泉が形原温泉の起源となったとのことで、今でも形原温泉郷の守護寺として尊崇されているのだそうです。
また、こちらのお寺には行基さんが作られたと伝わる馬頭観音像なるものがあるのだそうですが、特別な時か、または特別な人(?)にしか公開されていないとのことで・・・、 どのような観音さま像なのか、実物を見てみたいものですね~!

この後もう一か所、あじさいの名所として知られる岡崎の桑谷山荘へ Launchを兼ねて行ってまいりました。
こちらは多少なりとも標高が高いせいか、まだツツジの花が色よく咲いてはいるものの、あじさいの花はほんのりと色付いている程度で、残念ながら 「お花見」と言うより「お葉見」で終わってしまいました。
でも、鶯の声が 「ホ~ホケキョ(法~聞けよ)」と何度も聞かれて・・・・・、耳が痛いと思いつつも、お念仏をさせていただきました。

6.10  桑谷山荘.JPGさて、桑谷山荘は岡崎市の保養施設とあって、お値打ちにお食事することが出来ます。
しかも、食事をすれば無料で大浴場(ハーブ湯)に入浴させていただくことが出来ると聞いて、とっても入りたかったのですが 希望叶わず 残念・・・。 次回のお楽しみとなりました。
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豊橋加茂しょうぶ園 [随筆日記]

新聞の一面に豊橋加茂しょうぶ園の写真を見て渋滞を覚悟で行ってまいりました。
案の定、平日だと言うのに近隣の農道はマイカーの長~い列。 広くはない駐車場から一台出ては一台入るといった状態なので、しばらくはのんびりと Music time ♪ ごゆるりと待ちましょ! と思っていたのですが・・・、 普段から「行列」を目の敵にしている友人と一緒に来てしまったために、渋滞を見るなり 「[ちっ(怒った顔)]帰る!!」 と言われてしまい・・・・・・、 でも、私が[もうやだ~(悲しい顔)]うつむいたまま黙り込んでいたら、少し離れたところにあった公共施設の駐車場に車を停めてくださったので、少し歩かなくてはいけませんでしたが、無事に加茂しょうぶ園へ行くことができました! よかったです[わーい(嬉しい顔)]
歩くことは嫌いではないので、しょうぶ園までの道のりを私なりに楽しみながらの散歩道、 自然は もう すっかり夏に衣替えをしていました。

6.10  豊橋加茂花菖蒲.JPGさて、NETで 「加茂菖蒲園」とSearchすると、まず、静岡県掛川市の加茂花菖蒲園がTOPに出てきますが、こちらは江戸時代に庄屋さんであった加茂家の邸宅前に作られた花菖蒲園であります。
今回 私が訪問したのは愛知県豊橋市にあります 「加茂しょうぶ園」の方で、こちらは 賀茂町 という地名からこのように名称されていて、この二ヶ所の菖蒲園に関連性はありません。
掛川の「加茂花菖蒲園」も素晴らしいですが、今回初めて訪れた豊橋の「加茂しょうぶ園」も見応え十分で素晴らしかったです。

賀茂しょうぶ園の面積は、3,700m2で、3系統(江戸系・伊勢系・肥後系)で約300種、3,7000株の花菖蒲が植えられているそうです。
公園の入り口から奥までズラリと、絨毯が敷き詰められているかのように鮮やかな紫色のラインが続き、花の香りこそしませんが 「貴紫に薫る」とでも言いましょうか、それは見事な花菖蒲園でありました。
また、公園中央の朱塗りの加茂たいこ橋のポイントも高いですね!

6.10  豊橋加茂花菖蒲園.JPG

花菖蒲園の北に隣接した加茂神社にも行ってみました。
ここは、京都の上賀茂神社より勧請して創建され、徳川家康が長篠設楽ヶ原の戦いへ出陣の際、戦勝祈願として御幡料を寄進し、この戦に圧勝したのもそのおかげ(ご利益?)ということで、家康さんが深く信仰した神社なのだそうです。

加茂神社の鳥居をくぐったところに、夏越神事の “茅輪(ちのわ)くぐり” がありました。
これは、茅(ちがや)という草を編んで、直径1間(1.8m)ほどの輪っかにしたもので、これを8の字にくぐり抜けると罪穢れや災疫いを祓ってくれるという御利益があるそうです。 (^.^ゞ スゴイですね~~~!
その横の立て札には、こんな歌が書いてありました。
「みな月の なごしの祓 する人は  千年の命 のぶといふなり」  これまたスゴイですね~~~!
ということで、見学終了。 再び花菖蒲園に戻って心を潤して(?)から帰路につきました。
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三河の応仁寺(蓮如さん) [随筆日記]

油ヶ渕花しょうぶまつりに行ったついでといいますか・・・、 隣接してある 松光山 応仁寺に寄せていただきました。 

6.3 蓮如さん(応仁寺).JPG

去年のBLOGにも書いたのですが、今から550年ほど前、ここ油淵の海岸に浮き藻に乗って漂着した4,5歳ほどの少年が、後に京都へあがり蓮如上人のお弟子になられた如光さんで、また当時、比叡山による迫害を受けていた蓮如さまを三河の国にてかくまうために尽力されたお方で、これにより1468年に蓮如上人はこの地を訪れることになりました。
三河の国に移られた蓮如さまは、如光さんの育て親である杉浦の屋敷に住まわれて、ここを拠点に三河の国にお念仏の教えを広められ 100もの道場を開かれたそうです。
この時より杉浦の屋敷は「唯願寺」と名付けられ、「栄願寺」と改名した後に一宇を建立して「松光山・応仁寺」となりましたが、この付近の人々からは「蓮如さん」という名で親しみ深く称されています。
三年越しの三河国での布教を終えられた蓮如さまが、「またいつの日にか戻ってくるだろう…」、と言い残してこのお寺を後にされたことから、蓮如さまが帰って来られるその日まで寺に住職は置かずにお待ちしようと、現在も無住職・無檀家のまま地元の門徒衆の手によって大切に護持されているお寺です。
しかし現実的な話、寺形態を保持するためには住職が必要ということで、この付近にある三つの西本願寺系のお寺のご住職らが数年ごとに交代で住職を兼任してくださっているそうで本願寺派に属しています。
そんな訳で、ここ「蓮如さん(応仁寺)」の本堂が開けられるのは年に数日しかないのですが、油ヶ渕の花菖蒲が咲く頃には比較的開放されている日が多く、この日も門徒さんらが開けてくださっていたので早速寄せていただきました。

6.3 壺坂霊験記.JPG

本堂に入ると、その右手にお寺には似つかわしくない二体のマネキン人形が展示してあって、お参りをした後に近づいてみると、案内板に「壷坂霊験記(つぼさかれいげんき)」と書かれてありました。
「はて・・・? 浄土真宗とどのような関係があるのだろう?」と思って近くにいた人に聞いてみたのですが、「さ~ぁ・・・?」とのお返事 (^.^ゞ  そこで、家に帰ってから調べてみました。

「壷坂霊験記」は、明治の初期に作られた人形浄瑠璃だそうで、盲人の夫・沢市の妻・お里が、毎日こっそりと壷坂寺へ出かけているのを知った沢市が、お里は浮気をしているのではないかと疑ったのですが、実は自分の目が見えるよう願かけに行っていたのだとわかってお里に詫び、同時に、観音様に願ってもこの目は治らないのだと落胆して、こんな自分が生きていてはお里に迷惑をかけるばかりだと考え、谷から身を投げてしまいます。
これを知ったお里も沢市の後を追って身を投げるのですが、そこに観音様があらわれて二人の純愛を褒め、二人とも生き返らせた上に沢市の目も見えるようにしてくださったのだとさ。 めでたし、めでたし、というお話しだそうで、やはり浄土真宗とも仏教とも結び付かないストーリーでした。
ちなみに、お話の舞台となった壷坂寺は奈良県にある真言宗のお寺で、この説話によって目の観音様として全国から訪れる参拝者が絶えないのだとか。

そして本堂に入って左手の壁前には絵屏風が展示してあり、これに題名などは付いていなかったのですが、屏風の左端上に、「信心を獲得せよ」 との張り紙がされていました。 有り難い「?」ですね!
この絵は、如光さんの意向で蓮如さまがこの地に御下向された場面を描いたものだそうで、いただいたプリントには以下の文が書かれてありました。
「上は天子様を始め、下は万民に至るまで、蓮如様でなければならぬ様、数珠を持たぬ者は恥、念仏を称えん者は人の交わりも出来ぬという様なご繁昌であった。
比叡の僧に責め立てられ、大谷の御堂は焼かれましたが、この様な御堂は何遍たりともできまする、
と、安芸方眼 又 蓮如様と御真影がなくなりたれば大勢の御門徒達が、闇より闇に迷わにゃならん・・・」
さて・・・・・・・・・ ここから書き始めると、長く 長く なりそうなのでやめておきましょう~ (^-^)!
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油ヶ渕遊園地 花しょうぶまつり [随筆日記]

今年も、油ヶ渕遊園地の花菖蒲を見に行ってきました。
ここは、母との想い出の場所・・・、 と言うことを毎年BLOGに書いているのですが、そのBLOGサイトを毎年引っ越しているので、今年も新鮮な気持ちで書くことが出来ます。(^-^)v

6.3 碧南  花しょうぶ祭り.JPG

見せかけであっても、まだ父と母とが共に外出することのあった頃・・・、もちろん、母の病状がまだそれほど進行していない頃のことですが、両親と一緒に初めてここ油ヶ渕園地に花菖蒲を見に来ました。
二回目に訪れたのは、それから数年後・・・、 難病を患った母を一人置いて父が家を出た後、寝たきりなった病床の母を介護していた時に、「菖蒲の花が見たい」という母の希望によってここ油ヶ渕園地を訪問しました。
あの日はよく晴れていて、自力で体温調節の出来なくなっていた母の体調を気にしながらの外出でしたが、満開の花菖蒲に癒されてか、辛い現実を一瞬でも忘れることの出来たかのような母の穏やかな表情に私自身も癒されて、車イスを押す手も軽やかに、母と共に静かに流れる時間の中を過ごしました
あの時、母が「食べたい」と言って指さした露店のたい焼き。 嚥下障害のために時間をかけてしか食べられなかったけれど、「美味しい」と言って笑った母の顔が忘れられなくて、あれからたい焼きは私の好物になりました。

母が花菖蒲を見たのはその年が最後で、その翌年にはドクターより外出を禁じられ、それから半年後の冬の日に、母はこの世を去りました。

母が亡くなってからの一年間は、まるで引きこもりのような生活をしていた私でしたが、その翌年、私は母との想い出の中を彷徨うように、ここ油ヶ渕遊園地の花菖蒲を見に行きました。
あの時、食べるでもなく買ったたい焼きを手にしたまま、一人泣いていた私に声をかけてくれたおじさんがいて、日曜カメラマンだと言われたそのおじさんが、カメラのお話しや撮影旅行の時のお話などしてくださり、ホッと慰められるような時間を過ごさせていただきました。

その翌年も花菖蒲の咲く頃に油ヶ渕園地を訪れましたが、 「時が心を癒した…」と言えばきれいにも聞こえますが、非情な私の心は母の死から立ち直り、この年には涙することなく花菖蒲を眺めている私でした。
そんな私に、この年も、園地のすぐ横にあるお寺の管理人だと言われるおじさんが声をかけてきてくださって、そのお寺を丁寧に案内してくださいました。

そして去年、やはり油ヶ渕園地の花菖蒲を目当てに訪れたのですが、何の因果か偶然か、やはりウォーキング途中だと言われたおじさんから声をかけられて、ヒマラヤ山脈のお話しなどを長々と聞かせていただきました。

でも・・・、 三年も連続して、ここに来る度に見知らぬおじさんとのご縁が出来るのは何故かしら?
そんな不思議な期待を胸に、今年も花菖蒲を見に油ヶ渕園地を訪れたわけでありますが・・・・・
やはり、一人のおじさんから声をかけられて、そのおじさんの自慢話と世間話を聞かされ、それと半田にあるという穴場の花園とうなぎ屋さんの情報を提供していただきましたので、また機会があれば行ってみたいと思います。

さて、肝心の花菖蒲の方ですが、油ヶ淵花しょうぶまつりは、碧南市にあります自然湖「油ヶ淵」に隣接した公園で、6月25日(金)まで開催されております。
1万9,000㎡の敷地に 110品種 3万株の花菖蒲が植えられているそうで、期間中は夜の9時までぼんぼり照明が灯され、週末には様々なイベントも企画されているようです。
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友人とパソコンの「死」 [随筆日記]

奈良より無事に帰還したものの、ドライブ疲れというよりも精神的な気疲れでダウン・・・。
帰宅して早々にシャワーを浴び、すぐにベッドへと潜り込んでウトウトしていると、しばらくして帰宅したDaneに起こされ、「悪いニュースがあるんだけど・・・」 と言われました。
「何・・・?」 と尋ねた私に、少し口ごもりながら、「今朝方、大橋君が火事で亡くなったんだ」 と・・・。

今日の朝刊記事にも載っていたのですが、小さな電気店を営む友人の店舗兼住宅の二階自宅部分から出火して、一旦は外へと避難した大橋さんでしたが、逃げ遅れた次女を助け出すために再び煙火の中へ飛び込んだまま、戻ってくることはなかったそうです。

大橋さんは、大手電気店の修理部やメーカー元に見放されたパソコンのデーターをも復活・修復させてくれるほどパソコンの知識に長けていて、それを無償に近い形で引き受けてくださるので四方から依頼が絶えず・・・。
実は、私もパソコンの修理をお願いしていて、彼に一台預けてあったのですが・・・・・・。
火災現場を見に行ったという別の友人の話しでは、焼け残っていたとしても消火の際に水浸しになっているだろう… と。

なぜかしら・・・・・  その話しを聞いても、新聞を読んでも、心が枯渇した池のような感覚というか・・・、 また、強く口を押さ込んで何も吐き出すまいと力んでいるようでもありますが・・・、 それといった感情が浮かんでこないのです。
知人が事故で亡くなりました。 「あぁ・・・、本当に、いつ、何が起こるかわからない身なのだなぁ~」
データーの詰まった大切なパソコンがダメになりました。 「あぁ・・・、すべては ‘無’に返るのだなぁ~」
それだけなのです・・・・・・。
「かわいそう」だとか、「残念」だとか、「悔しい」だとかいった賑やかな感情からは見放され、ただ淡々と、「仏説まことやなぁ~」 と・・・、 まるで他人事のように・・・・・
そう! 他人事なのね?! よくはわかりませんが、遠くの話しを、遠くの方で聞いているような気がします。

私は、ぼんやりと 「死」を恐れていない自分を見ています。
また、大切にしている想い出や、残しておきたいすべてのものと別れる覚悟が出来ているかのように冷めています。
そんな錯覚が、「生」 や 「者」 ・ 「物事」 への執着を鈍らせているのかもしれませんね。
でも、それとは逆に、「死」に畏怖している本心を誤魔化すために、自己防衛でそれらを心の奥深くに抑え込んでいるのかもしれません。

いずれにせよ、「自分のことは自分が一番よくわかっている・・・」、という妄想に取りつかれていながら、「自分のことなのにまるでわからない・・・、わかりたくもない・・・!」、と駄々をこねているだけの私なのだということだけは、見えたような気がします。
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かわづ花菖蒲(はなしょうぶ)園 [随筆日記]

わかづ花菖蒲園河津バガテル公園のご近所さんで、入園セット券にすると「お得」という文句につられて立ち寄ったのは、かわづ花菖蒲園。 でも、こちらは・・・・・
ウェブ・サイトには、「5,000㎡の敷地に130種25,000株の花菖蒲」と書いてあるのですが・・・、 まったくスカスカ という印象。  園内も雑なら、周囲の景観も悪いし…、売店には誰もいないし…、HPに書いてあるような特典もないし…、わざわざ入場料を支払ってまで見に行くようなところではなかったなぁ~ というのが率直な感想です。
と云うことで、これ以上 何も書くともありませんので、今日は「菖蒲」について書いてみようと思います。

「菖蒲」と書いて、「ショウブ」 とも 「アヤメ」とも読むことができますが、これは同じものではありません。
また、「菖蒲(ショウブ)」というと 花を思い浮かべがちですが、それは「花菖蒲(ハナショウブ)」であり、「ショウブ」 と 「ハナショウブ」 も 同じものではありません。

まず、「菖蒲(ショウブ)」ですが、これはサトイモ科の植物で、端午の節句の飾りとして、また菖蒲湯として知られているもので、その花は、株の根元付近に小さな蒲の穂に似た形状で咲いていて、一見して「花」とは見えず、とても地味な感じです。
一方、「花菖蒲(ハナショウブ)」の方は、アヤメ科に属しており、お馴染みの 「アヤメ」 や 「カキツバタ」に似た 豪華な大輪の花を咲かせます。

さて、「花菖蒲(ハナショウブ)」 と 「菖蒲(アヤメ)」ですが、これに 「カキツバタ」を加えて、その違いを見分ける方法は花弁にあります。
「アヤメ」の特徴は、外側の花びらの基部に、黄色と紫色の稜目模様が見られます。
「カキツバタ」の特徴は、稜目模様は見られず、外側の花びらの中央に淡白黄色の斑紋があります。
そして「ハナショウブ」の特徴は、外側の花びらの基部に黄色の筋状の斑紋が見られることと、上記二種よりも花が大きく、色も豊富で、観賞用として徳川の時代より品種改良が盛んに行われるようになって以来、今ではその数 5,000種類を超えていると言われています。

花菖蒲が花を咲かせるのは、わずか三日間です。 雨を好み、短い命を懸命に咲かせるその姿に、私は心惹かれます。

唐突ではありますが、1181(治承5)年、親鸞さま 9歳の時に、青蓮院の慈円(慈鎮和尚)さまのもとで得度をなされました。
慈円さまは、天台宗の座主を4度も務められた高僧であられますが、歌人としても高名なお方で、『拾玉集』や『千載和歌集』などにその名を連ねておられます。
親鸞さまが得度なされたおりに、「 明日あり と思う心の 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは 」 と詠まれたお歌を、深くお受け取りになり感銘なされたのも、慈円さまであられたからこそでありましょう。
その慈円さまが 『拾玉集』に、このようなお歌を残されております。

    野沢潟 雨やや晴れて 露おもみ   軒にそよなる 花菖蒲かな   <慈円僧正>

「花菖蒲(ハナショウブ)」 という呼び名が初めて登場したのは、慈円さまの詠まれたこのお歌からだそうです。

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鶴舞公園 バラの園 [随筆日記]

5.14 サワデーすみ芳.JPGお花を見れば少しは元気になれるかしら・・・・・
そう思って鶴舞公園に出かけてきました。
お昼少し過ぎに家を出て、公園に向かう途中に列車の中で突然
ひどく咳き込んでしまい、一時はどうなってしまうのかしらと… 
苦しくて、とても心細い思いをしましたが、無事に公園までたどり
着くことが出来ました。
そして食欲はなかったのですが、予定通りに休憩を兼ねて 駅の
近くにあるタイランド料理のレストラン・サワデーすみ芳さんに入店して、店員さんにお薦めの食欲の出るメニューを伺い、「二色カレーのランチセット」をいただきました。
レッドカレー と グリーンカレー、それにトムヤムスープもとても美味しくて、食欲のない割にはたくさん食べることができ、最後のデザートをいただく頃には体力も復活! 私のお気に入りのお店です。

Launchの後に鶴舞公園へ向かいました。
先月、お花見に訪れた桜の庭は、もうすっかり新緑に衣替えをして、今は誰一人としてその桜の木を見上げてくれる人は無く・・・・・  それでも桜の木は、花を身にまとっていようが…、葉を身に付けてようが…、 外からの視線も声も、何一つとして取り合うことなく、凛としてそこに佇んでいました。
あの春の日の賑わいが嘘のように静まり返った都会のオアシスには、のどかな時間が流れています。
それに、こんなにきれいな青空を見たのは、久しぶりかもしれません。
頭の中に音楽が流れて、目をつむれば光に包まれていることを感じられる・・・・・
ほんのわずかな時間でも、そんな「時」を過ごせたことを、今は幸せに思います。

鶴舞公園のバラ園は、特に広くもなければ、もの珍しい品種があるわけではないけれど、ただのんびりとバラの香りに包まれていられる・・・、 それがいいんです。

5.14 鶴舞公園のバラ(yellow).JPG中国盛唐の詩人 李白は、
     不向東山久   東山に向わざること久し
     薔薇幾度花   薔薇幾度か花さく
     白雲還自散   白雲還りおのずから散ず
     明月落誰家   明月誰が家にか落つ
と、詩に残しています。

私訳) 久しく行っていない東山のあの薔薇の花は、あれから何度めの開花を迎えたことであろう・・・。
(東山に住んでいた友・謝安が逝って、何度めの春を迎えることになったのだろう・・・。)
あの白き雲のように、私も、業に任せて散って逝く・・・。
あの月が沈むが如く、私も、どこかへ堕ちて行く・・・。

鶴舞公園には、幾つかの想い出があります。  でも、あれ依頼・・・、 ここに来るといつも同じことを想い出すようになりました。
鶴舞公園のすぐ横にある 名古屋大学病院。  私の母は、ここで探し求めていた自身の病名と出会い、 それと同時に余命の宣告をされました。
母が入院していた時にも、この公園のバラの花は、美しく、誇らしげに咲いていました。
それを想い出すのです・・・、  まるで昨日のことのように、あの日の出来事を想い出すのです・・・・・。
この世に残された者は、薔薇の花の咲く季節を数えては想い出に浸ったりなどしていますが・・・、 しかし、明日は我が身です・・・。
私自身、明日もこの空の下に居られるという保証はどこにもありません・・・。
それを、自らが 望んだとて・・・  望まなくとて・・・  白雲還りおのずから散ず、 明月誰が家にか落つるんです・・・・・・
5.14 鶴舞公園のバラ(red).JPG

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浅野屋交流会 5月 [随筆日記]

やっと外出できるようになってきて、顔見知りの人とも会えるようになってきました。
でも法友はどうかしら・・・? 大丈夫かしら・・・? まだそんな不安が拭い切れないまま、YTさんとFMさんが誘ってくださって、久しぶりに復活した浅野屋交流会に参加させていただきました。
今回は私のリハビリも兼ねていただきメンバーはYuさんをプラスした たったの4人だけでしたが、それでも途中で息が詰まってしまって・・・・・、 食べることで誤魔化してはいたものの、やはり居たたまれずに一時的に離席をさせていただくこともありました。

そんな中、「それは異常なことではなく、そ~ゆ~時もありますよ!」 と FMさんが声をかけてくださったことで少し安心することができました。
「PTSDは治りますか?」 との質問にも、ドクターの視点からあれこれとお話ししてくださり、「不安障害などはデーターで測れるものではないけれど、5年前 10年前と比べたら研究もかなり進んでいるし、その単位で見ていったら将来には全く違ったものも出てくるでしょうしね! 治りますよ!」 って・・・。
それで安心できたわけではないけれど、「この場には居られる・・・」 と、ただそう思いました。

それから、「ストレスが原因で自律神経に障害が起き、それが身体症状に現れるなんて信じられない」 とおっしゃっられた方に対しても、 FMさんが、「自律神経失調症は特別な症状ではなく、極々一般的にもみられるものですよ!」 ってお話ししてくださったことで、 「私、一人じゃないんだ・・・」 って、すごく単純なところで嬉しかったです。

先週、久しぶりに病院へ行ってきました。
そこで、幼児期に受けたある出来事が心的外傷となって脳にダメージを与えてしまったのだということ。
そのために極端な心的ストレスを受けると、自己攻撃型という性格と相まって、自身の領域を超えたところでいろいろな心身症状が出てしまうのだということ。
その原因を自分の中で整理しつつ、また引き金となるストレスを回避しつつ、自己処理作業で慣らしていきましょうと言われました。
同じようにFMさんにも、「抱え込まずに流していきましょ~」 と言われて・・・、 そう言えば、以前YTさんからも、「奈っちゃんは、全部受け止めちゃうらねぇ~」 って言われたことを思い出しました。
そして、法海に流しても 流しても、止めどもなく次々と溢れ出てくる自分の思いにウンザリとしながらも、「私には流す場所があるんだ」 ということに、もったいないなぁ~ と 少し嬉しくなりました。

事実上、今回の交流会は私にとって、ホントにリハビリになりました。
久しぶりに御法のお話も聞かせていただいて、お念仏もたくさんいただきました。
Yuさん、YTさん、FMさん、どうもありがとうございました。

5.14 浅野屋交流会.JPG

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今年のGW [随筆日記]

GWに入って東北の桜も咲き揃ったようですね!  これが散ってしまわないうちに、私のお花見日記を書きあげねば・・・  との 気持ちは いつもあるのですが・・・・・。
でも、今日も何も書く気になれないのです・・・。 それに、体調の方もおもわしくなくて・・・。
今年は静養のGWとなってしまい、家で身辺整理をする他には、メールにて外の世界に少しふれたくらい・・・。
そんな中、楢さんとのメールで、 「私の為なんかに・・・」 って、そう言ったら、叱られてしまいました。
「仏教では、そんなのを ‘ 卑下慢 ’っていうのですよ」 って。  なんだかちょっぴり嬉しかったです。
楢さんのお仕事にはGWもなければ決まった休日もないのですって…。  お坊さまですからね!
そして、こんなお話しをしてくださいました。

毎日、幾千幾万の命が喪われ、 人以外の命を考えたらそれは無数で、 だから、「死ぬのは当たり前」 だと思っているわたしがいて・・・、 でもわたしは、わたしが生きるために犠牲になった命については、とても無頓着なのだと・・・。
また、お仕事で葬儀に行かれても、その「死」は、仕事を御縁にして見せられた「他人の死」であり、自分とは無関係なモノと受け流し・・・、  でも、親しい人の「死」には打ちのめされて、喪失感や孤独感、また虚無感に襲われる・・・ が、しかし・・・、 やはりそれは「他人の死」であって、「わたしの死」ではないのだと・・・。

私は、今まで いったい 何を聞かせていただてきたのだろう・・・ と・・・・・・
楢さんとのメールで、そんなことを考えさせられるGWとなりました。

本当は、御法座に行く予定でした・・・。  宿泊が無理でも、日帰りなら、とも思っていました・・・。
でも、行けませんでした・・・・・・
一旦、「行く」 と決めた御法座を、直前になってキャンセルをしたのは、今回が初めてのことでした。
軽い、対人恐怖症です・・・。
信頼していた方々から、 私が私であることに嫌悪感をおぼえる との告白をされて・・・、 それで落ち込んでいたところに、これを相談した方から、 被害者面をしている君の方こそが加害者だ とクギを刺されて・・・  それで、自分をどうしたらよいのかわからなくなってしまいました・・・・・・。
私が笑顔でいても、座っていても、歩いていても、私が私であることが人を傷つけている・・・、 私は常に加害者となって周囲の人を傷つけている・・・、 この事実をちゃんと受け止めるのに・・・、 というか、 その恐怖心を克服するのに、もう少し時間がかかりそうです。

でも、そんなことを含めて、このGWにはいろいろと考える時間が出来ましたし、ありのままの自分を見せていただく時間となりました。
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夜 の 岡崎城 と 藤の花 [随筆日記]

子供の頃・・・、 小学生の頃の話しですが、 夜遅くに自室の窓からこっそりと抜け出して、夜闇の中で冒険ゲームをすることが好きでした。 
実家は小高い丘の上にあって、都会とはかけ離れたとても静かな場所で、東西南北、どの道を下りて行こうにも暗い森の小路を抜けて行かねばなりませんでした。 
家から東方の森の中には墓地がありましたので、そちらの方角にだけは行く気になれませんでしたが・・・、 父に叱られ泣いた後には、必ずと言っていいほど部屋を抜け出して、夜の闇に飛び込み、そして夜闇に抱かれながら、一人妄想の世界に酔いしれたものです・・・。
現実逃避・・・・・  なのでしょうか・・・?

私は、夜が好きでした。
昼の空は何も答えてはくれないし、日の光は、見たくないモノ・聞きたくないモノを差し出してくる・・・。
でも、夜の空には果てしのない宇宙が広がっていて・・・、 そこに月があるように、そこには、私が求めているものと、その答えがあるような気がしたのです。
それに、夜闇は私自身をも包み隠してくれるし、風や水などの自然の声を伝えてくれので、それが一番、心優しかったです。
だから、夜の森がとても怖くても・・・、 一人でいることが不安で淋しくても・・・、 それでも独りぼっちの部屋で孤独と闘いながら過ごしているよりは全然マシ・・・ と、 よく 夜闇に慰めていただいたものです。

先日、藤の花の名所を調べていましたら、見に行きたいなぁ~ なんて気持ちになって・・・、 
外出することには酷く億劫だったのですが、そんな自分の心に叱咤して、岡崎公園の藤の花を見に行ってきました。
到着したのは、既に夜の八時近く・・・。 一台の車も停まっていない駐車場に不安を覚えつつも、既に葉桜となった桜並木を通り過ぎて、藤棚まで歩くこと5分。 ライトアップはされていたのですが、やはり人っ子一人おらず貸切り状態でした。
周囲一面には、酔ってしまいそうになるほど藤の花の芳香がただよい、そんな中、うっとりとしながらその藤棚を見上げると、藤の花の合間から月が私を見ていました。 もうすぐ満月です・・・。

岡崎公園・夜フジ.JPG

まるで藤の花に群がる虫のように、花から花へとへアチコチへと落ち着きなく歩きまわりながら写真撮影をした後、ベンチに腰掛けてしばらくの間、黙想をしました。
すごく 「今」に囚われている・・・、 「私」に囚われている・・・、 そんな私を猛烈に嫌悪している私に、 「それが、おまえなのだよ!」って・・・・・、  そんな声を耳にした時、人の気配を感じて目を開けてみると、一組のカップルさんが来場され、これにて貸切終了となりました。
それで、ただなんとなくベンチから立ち上がり・・・、ただなんとなく駐車場とは反対の方向へ歩き出し・・・、 それ故に、ただ何となく岡崎城の方へと向かいました。

この道は、以前使っていた通勤路です。  岡崎支店に赴任していた時、毎朝・毎晩、駐車場から銀行まで、この公園の中を通り抜けて通っていましたので、夜の公園を一人で散歩することに抵抗はありませんでした。
でも、この時、勤務時代のことを思い出したわけではなく、 なぜか、子供時代に深夜のプチ家出をして楽しんだ、夜闇の冒険ゲームのことが思い出されました。
結局は、昔も今も、現実逃避・・・?  なんて言葉を打ち消しながら・・・・・・・

夜の岡崎城.JPG

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落合公園 ・ 愛知県森林公園 [随筆日記]

今日の外出予定もキャンセルにして、一日中、自宅にお籠もりさんです・・・。
身辺整理でも始めようかと思っていたのですが・・・、 朝一番から さっそく 意気消沈させていただけるメールをちょうだいしまして・・・、 それに対して私の方も 売り言葉に 買い言葉で、自己嫌悪のぬかるみに チャポンと はまってしまいましたので・・・、 自己逃避したくて、今日一日、久しぶりに趣味のお部屋に籠もり、洋裁などをして過ごしました。
出無精がちょっと進歩して、半分、引き籠もり状態であるのにも関わらず、 初夏用のスカートを 4着も作ってしまい・・・、 私、いったい ど~するつもりなのかしら・・・・?!
でも、出来栄えは上々です!  ちょっとロングなカーディガンと組み合わせたら可愛いかも~!!

さてさて、 東北地方では今日から桜まつりの開催される所が数多くあるそうですが、この寒さで桜の開花は遠退き・・・、 花のない 桜まつり となる会場が多数あるようです。
ここ名古屋の桜は もう すっかり葉桜となってしまいましたが、私のお花見BLOGの方は、まだ五分咲き程度しかアップ出来ておりませんので、ここらで もひとつがんばって記しておきたいと思います。

落合公園.JPG

4月上旬のとある晴れた日に、プータ君のお供でドライブデート!
「何処へ行きたい?」 と聞かれたので、 「桜の咲いているところ!」 とオーダーをして、連れて来ていただいたのは、春日井市にある落合公園という所で、桜の名所というだけあって、平日だというのに駐車場は満車状態! そして園内も多くのお花見客でかなり賑わっておりました。
歩くことすら苦手という運動オンチなプータ君のことは放っておいて、一人寂しく園内を放浪したのですが・・・、 ぜんぜん気分が乗れない私・・・・・。 
それは何故かな? って・・・、 今、振り返って考えてみると、 私、疲れていたのだと思います。
「独りでいると、どんどん落ち込んでしまい、ウツになって死にたくなる・・・」 と 口にしたプータ君のことが心配で、空いている時間のほとんどを彼に注ぎ込み、自分の時間すら持てない毎日に、かなり疲れていたのだと思います。

落合公園の次に向かったのは、私のお気に入りプレイスの一つ、東谷山フルーツパークでしたが、そこへ行くまでの渋滞がひどくて、渋滞嫌いのプータ君に、「行くの止め!」 と言われてしまったので、結局、訪問することが出来ず・・・、  でも、寂しかったくせに、無邪気な笑顔を振舞っている私・・・。  そんな私に、もう一人の私が 「ガンバレ!」って声援を贈っていました・・・。

森林公園芝生広場.JPG

その分の時間を、愛知県森林公園に寄っていただきました。 こちらもたくさんの家族連れで大賑わい。
ここではプータ君と一緒にお散歩をしていたのですが・・・、 プータ君・・・、 途中で疲れてきてしまったようで、とても不機嫌に、「疲れた! もー帰る!」 っと 一言・・・
この時は 私も、さすがに何の言葉も見つからず・・・、 笑顔もぎこちなくなって・・・、 「ガンバレ!」って自分を励ます声も息をひそめてしまいました。
でも、プータ君には、こんな寂し気な表情は見せたくないなと思って、少し距離を置いて歩きました。

帰り道・・・、 車内の空気は重く・・・、 疲れが、ドーッと出てきてしまったように思います。
そして、大好きな桜の花が、ハラハラと散っていくようでもありました・・・・・。
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「甘える」 と 「甘えさせる」 [随筆日記]

今日の名古屋は晴天。 でも、まるで冬に逆戻りをしたような冷たい北風が身に応える中、高山行きのバスへと乗り込みました。
車窓から4月の雪が舞い落ちる風景を目にしながらも心は晴れず・・・、なんだか今、とても複雑な心境で・・・、このモヤモヤとした心の内を書かずにはいられなくなって、バスの中でパソコンを広げました。

ここ最近、カウンセリング知識の豊かな先生や諸先輩方から、「もっと甘えてもええんやで」 との言葉を数多くいただき・・・、 それでも、その言葉に甘えることはなかなか難しくて・・・、 だけれど、そんなお声やお心に支えられているおかげで、 「私…、一人で頑張らなくてもいいんだね…」 って・・・、 「苦しいよ~、 不安だよ~」 って泣いている私の心の隣りにいてくださる…、 そっと寄り添っていてくださっている師や友に、ぎこちなく寄りかかりながら、ほの温かい安心感に包まれている私がいます。
でも今、「甘え」 ということがよくわからないのです・・・。 「甘える」 ということよりも、「甘えさせてあげる」 ということの意味がわからなくなって、それに押し潰されそうになっています。

私が、父のように慕ってきた親友・・・。 その彼からはよく、「僕は、君の甘えは許せない!」 と言われ続けてきました。
でも・・・、 私は、甘ったれのくせに甘え下手で、人から甘えられることに、自分の拠り所を見つけていたように思います・・。
今年に入ってから、その親友の情緒が不安定になる度に、私なりに彼に寄り添い、私が許容出来るギリギリのところまで追い込まれながらも、彼からの甘えを受け止める努力をしてきたつもりです。 私自身、そうしたかったんです。
だから何度も 何度も 苦しい思いをしながら、 それでも私には、その甘えを見捨てる勇気が持てなかったし、 折れてしまいそうな親友の心を支えていてあげたい…! という自惚れを棄てることも出来ませんでした。

でも、今は少し違う気持ちがわいてきたように思います・・・。
昨夜また、その親友から酷く責められて・・・、 この時、 「私・・・、 彼の甘えを受け止めるよりも、 私自身をもっと甘えさせてあげてもいいのではないのかしら・・・」 という思いが出て来ました。

「君は、今生事の悩みに振り回されていて、まるで仏法が抜けている! 自分の‘思い’に捕らわれて、仏法がまるでない!」 彼のそんな言葉から始まって、私が語る言葉も、無言の時間さえも叱責され、「逃げるな! 向き合え! 甘えるな!」 と・・・・・

「御法」という言葉のもとにならば、何を言っても何をしても許されるのでしょうか・・・?
「御法」を凶器にすることも方便と言えるの…? それも如来さまの教えなのでしょうか・・・?
以前も、「御法」という名目のもとに、「死ね!」 と言われたことがありました。
その言葉を使わなくとも、人を自死の淵に追い込むことは出来るし・・・、 でもそれって、やっぱり仏法とは受け取れないのです・・・。 私は彼の口癖である、「仏法を聞くためならば死んだってかまわない!」 という言葉に合点できないのです・・・・・

彼が語る言葉の裏には、彼自身が抱えている大きくて重い問題があることもわかっているつもりです。
だから、私に出来る範囲で何とか力になりたいと思い、彼の甘えにも応じてきたつもりなのですが…、 昨夜は・・・、 彼の吐き捨てるような苛立ちを身に受けながら、 「もう限界・・・」 と思いました。
でも、変な責任感みたいなものが邪魔をして、今、すごく複雑な心境です・・・。
今日は、心の内を文字にしてみても、何も見えてきません・・・・・・・

もうすぐ高山に着きます。    それだけで、ちょっとホッとしています。 
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「明日ありと・・・」  [随筆日記]

今日は久しぶりのOFFtimeです。 本当に久しぶりで、OFFdayもスケジュールの内という感じです。
しかし、お天気は荒れ模様・・・ 今日の雨・風で、近畿・東海地方の桜も散ってしまうでしょうねぇ~

09 岡崎公園1


          「 明日ありと おもう心の あだ桜   夜半に嵐の 吹かぬものかは 」
 
親鸞さまが9歳で得度される時に詠まれた歌でありますが、昨日、G先生と二人でお花見の話しをしている時に、先生がフッとつぶやくようにこのお歌を口にされました。
その、ぼんやりと遠くの方を見つめておられるG先生の脳裏には、いったいどのような情景が映っているのかしら… と思いつつ、 今、私の目の前30cmも離れていないに所におられるG先生が、幻のように消えてしまいそうで 怖い… と思いました。
その時、「無常やなぁ~・・・・・」  と… そうおっしゃったG先生の声が、目に見えたような気がしました。

でも、私の頭の上を、「無常」という単語だけが虚しく通り過ぎるだけで、この私の身には全然かかってきません・・・
それどころか、「無常」であるとの教えを、自身に都合よく味わっている・・・  そんな自分に虚しさを感じました。

G先生は、先生御自身の全存在を通して、この私の為にものスゴイ御説法をしてくださっているのだなぁ… と思っています。
「生きている」 との感覚の裏には、「死」 という現実があって、 それが背中合わせの表裏一体となっているのに、 私は、「今」とも知れぬこの無常の命を、「明日はある」との思いで塗り消してたくて一生懸命になっているのです。
それを 「一生懸命に生きている」との、一見きれいに見える言葉で誤魔化しながら、「今」を過ごしているのです・・・・・。
でも、G先生は、 フッとした仕草で・・・、 フッとした言葉で・・・、 「無常を無常とも思わず、 罪を罪とも知らず、 その邪見ゆえに無始より生死の迷いを繰り返し、この先も変わることなく迷い続けていくお前であるぞ!
そして、いつとは知らず、ただひとたび無常の嵐が吹いたならば、 造りに造った悪業の種によって、真っ逆様に堕ちて行くしかないお前であるのだぞ!」 と・・・・・、
G先生は、私の五感すべてに訴えかけてくださっているように思います。

これを私が、 そう思おうが 思うまいが、 そう信じようが信じまいが、 その事実を ‘ただ’ お聞かせに預かっていこうなぁ・・・ と。
そんな御縁をいただいたことを、 時には有り難く思ったり、 時には疎ましく思ったり、 そんな「私の思い」を超えた所に、 「そんなお前の後生は任せてくれ!!」 との叫び声を ‘ただ’ お聞かせに預かっていこうなぁ・・・ と。

傍目には、私がG先生の腕をとって歩いているように見えるかもしれませんが、 実際は、私がG先生の腕にしがみついているだけなのです・・・  この手に握りしめて、私が安心していたいだけなのです・・・。

孤独に怯え・・・、 真実から目を背けて・・・、 ガツガツの欲の心で「死なない命」という妄念にしがみ付いている私に、「南無阿弥陀仏」 と 称えることを教えてくださったG先生と、 「桜並木を一緒に歩きたいね~[かわいい]」 と語り合いながら、 二人で妄想の世界を想い描いていたひと時を、とても とても 幸せだなぁ~ と感じました。
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庄内緑地公園 ・ 洗堰緑地の堤防 [随筆日記]

気象庁は、今春、名古屋の桜の開花予想日(第三回目)を3月22日とし、満開は29日頃になると発表していましたが、実際は3月18日に開花を宣言し、満開を25日頃と訂正発表しました。
しかし、開花宣言後の寒波の影響によって満開までのカウントダウンはペースダウンし・・・、 この分では、私が名古屋を留守にしている間に桜は満開を迎え、そして私が帰郷する頃には散ってしまうだろうなぁ~と、半ばあきらめモードで広島へと旅立ったのでありますが・・・、 なんの、なんの・・・! 私の帰りを待っていてくれたかのように、帰郷した翌日に満開を迎えた桜たち!
ということで、今週は、お礼参りと称してお花見三昧にお出かけです!!!

庄内緑地・桜

何ともさわやかな晴天に恵まれたこの日、おまかせコースで最初に連れて行ってくださったのは、西区にある庄内緑地公園でした。
庄内川の小田井遊水池を利用して、「水と緑と太陽」をテーマにつくられた40haもある大きな総合公園。
桜よりも薔薇の方が有名な公園ですが・・・、 そういえば、桜もバラ科に属するんですよね!

バラ科は、全世界に 107属 ・ 3,100種あり、分類学的には大きく4亜科に分けられています。
♪ バラ亜科には、薔薇、木イチゴ、山吹などが属しています。
♪ サクラ亜科には、桜、梅、桃、さくらんぼ、アーモンドなどが属し、見た目も味覚も楽しめちゃいます!
♪ ナシ亜科には、リンゴ、ナシ、ビワなどの他に、早春を彩るボケや、紅葉美しいナナカマドが属します。
♪ シモツケ亜科は、ユキヤナギ、シモツケ、などが属しています。

さてさて、 ヤマザクラなどをはじめとする古来より自生している自然種だけでも数十種類以上の品種が数えられるサクラですが、これに交配種や栽培品種などを含めると 600種類以上もの種が自生していると言われています。
私たちがもっとも馴染み深く、サクラの代名詞ともいわれている 「ソメイヨシノ(染井吉野)」ですが、こちらは比較的新しい品種で、江戸時代末期に開発され、明治以降に全国各地に広められました。
その「ソメイヨシノ」について語りたいことは山とありますが(私はとってもサクラ好き)、お話しが長~~~くなりそうですので、今日のところは省略!

そうそう、まずは庄内緑地公園にて、ちょうど満開を迎えたばかりのソメイヨシノを眺めながらの春のお散歩・・・ とても心地がよかったです。
園内には桜の他にもたくさんの春の花々たちで花壇は賑わっていましたが、私のお気に入りは緑の土手に春を彩る無数のタンポポ。 なんだか好きなんです、 当たり前のように咲いているタンポポが・・・。

この後、庄内川の北側、名古屋の西区と北区の境界にある 洗堰(あらいぜき)緑地に案内くださり、堤防に咲く桜並木の下をお散歩。 春を堪能できました。

洗堰緑地・桜

今日のためと 思ひて標し あしひきの   峰の上(をのへ)の桜 かく咲きにけり   <大伴家持>
大意) 今日のためにと思って標しをつけておいた峰の桜がこんなにも咲いたよ!
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広島旅から帰還しました。 [随筆日記]

お久しぶりでございますぅ~ (^-^ゞ
BLOG・・・、 また また 滞っておりますが、今回は無言のままお引っ越しをした訳ではなく (前科三犯…(^.^)?)・・・、 ホントに書く暇がなくってご無沙汰をしてしまいました (;^_^A
書きたいことは山と溜まっているのですが・・・、 今日も一週間ほど前から広島の方へ出かけておりまして、実は今さっき帰宅したばかりなんです。
(この場にて、広島でお世話になりました皆さま、どうもありがとうございましたm(__)m)

というわけで、明日からは順次・・・、 書きたいのに 書けないでいる日記(たぶん一ヶ月分くらい)を、記憶にある範囲でボチボチと書き込んでいけたらいいなぁ~なんて思っております。  したがって今夜はこれにて失礼 (^-^; と、言いたいところですが・・・、 今、少し心に引っかかっていることをちょこっとだけ書いておきたいと思います。

親友の一人が、今までにないほどの気落ちをしていて・・・  「一人でいると、死にたくなってしまう・・・」 と、激しく落ち込んでいます・・・。
過去のお話しになりますが・・・、 私は、その親友によって 何度も 何度も 辛い目に合い、死にたくなるほどに追い込まれたことも少なくはありませんでした・・・。
そんな時、いつも思いました。 「この人は、どうしてこんなにも容易く人を傷つけることが出来るのだろう・・・。 どうして傷ついた人の気持ちを理解しようとしないのだろう・・・。 なぜにいつも自分の正当性ばかりを口にするのだろう・・・。」 と、 そんなことを幾度も思ったものです・・・。
でも今、その親友は、「気持ちが落ち込む」ということを自らに初めて経験しながら、ほんの少しだけ落ち込んでいる人の気持ちに触れることが出来ているようです。

つい先日、私はその親友との御縁の中でギリギリのところまで追い込まれて…  そこから立ち直るのに、たくさんの時間と、たくさんの愛情を要しました。
この時、ボロボロになった私の心にそっと寄り添って優しい言葉をかけてくださった恩師から、 「そんな友達のことなど、見限って拒否することはできないの?!」 と提言されて初めて気付いたことがありました。
私自身、「その親友との縁はきれいさっぱり断ち切ってしまいたい!」 と思っていたのに、「私・・・、 親友を見捨てるなんて出来ません・・・」 と・・・、 師の問いかけによってそんな自身の感情(思い)を知り、正直とても驚きました。
師より続けて、「どうしてその親友を見捨てることが出来ないの?」 と聞かれた時、 「その親友は独りぼっちだから…」とか、 「私自身がその親友を必要としているから…」だとか、そんなことを口にしたのですが・・・、 後々になってもう一度考えてみた時、 「どうして私は自らを苦悩に追い込むようなことをしているのか・・・」 と、 正直、自分に対して呆れるような思いばかりが強くこみ上げてまいりました。

でもその後、その親友が徐々に自身を取り戻していく中で、 「奈っちゃんが見放さずに寄り添っていてくれたから生きていられる」との言葉をいただきとても嬉しく思ったのと同時に、 私自身、師やその他たくさんの親友らのおかげによって生きていられるのだと改めて知らされたことで、こんなイメージを抱きました。
私の命の主軸には 「なんまんだぶつ」のゆるぎない一本柱が立っていて、 でも私はそこから一生懸命に逃げ出そうとしながら、あっちにふらふら、こっちにふらふらと、我欲のままに自らが不幸になるタネまきをしつつ、自らを苦悩に追い込むタネを拾い集めている・・・。
その「なんまんだぶつ」の主軸は揺るぎのないものであるのにもかかわらず、私はそれを自分の思いの上に立てて絶え間なくふらふらとしているわけで・・・、 そんな私を四方八方から支えてくださっているのが、師であり、友であり、家族であり、 その方々のおかげで私は生きていられるのだなぁ~ と・・・。

今回の広島への旅行中にも、電話やメールなどで私に出来る範囲の時間をフルに使ってその親友に寄り添ってきたつもりなのですが・・・、  力不足ですね・・・  その親友から当て・頼りにされたとしても私は何の力にもなれません・・・・・
「生きる」 って、 容易いようでいて、とても難しいことです。
その親友との関わり合いの中で、私は自分自身の限界を感じながらも、自分に出来ることは何か… などと考えてしまいます・・・・・   「どうしてその親友を見捨てることが出来ないの?」 との、恩師が問うてくださったその答えを、探し続けながら・・・・・。
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この ‘命’ ひとつのために・・・ [随筆日記]

今月に入ってから・・・、特に高熱で寝込んで以降のカレンダーには余白の日がなく、なんだか毎日がとっても忙しくって、書斎に腰を落ち着けている時間がありません。
だからBLOGに書きたいことは日々有り余るほどにたくさんあるのですが、なかなか更新が出来なくて…
そうこうしている間に、記憶も新しい体験に順次上塗りをされているので、振り返って書こうにもなかなか難しいものがありますが、すきま時間をみつけて少しずつでも書いていけたらいいなと思っています。(むちろんタイムラグは必須うですが…(^^ゞ)
でも今日は、日記よりも、今、心に想うことを書きとめておきたいと思います。

数日前のTVニュースで、「胴体に針金の巻き付いた野良犬を発見! かわいそう…」との報道を、「またか・・・」 と、いささかウンザリとした気持ちで耳にしました。
少し前には、崖の途中で身動きが取れなくなった野良犬だとか、井戸に堕ちた野良猫だとかの救出劇がさも美談に取り上げられ、そんな野良犬・野良猫に引き取り手が殺到したとの後日談も心温まるお話しとして報道されていましたが、私はそれらを冷めた目で、しかも腹立たしく見ることしかできませんでした。
だって・・・、ニュースで取り上げられた動物救出劇なんて年間に片手にも満たず・・・、 しかしその裏で、動物愛護センターで殺処分される犬・猫たちは、環境省に報告されている件数だけでも、年間に30万件を軽く超えているのです。
ニュースに取り上げられれば美談なのですか?! 野良犬一匹を飼い犬にすることが、そんなに立派な行いなのでしょうか?!

動物愛護・管理法という人間のエゴで、生きることを否定された犬・猫たち・・・。 彼らの命を奪う権利って何なのですか?! 
動物愛護センターに持ち込まれた彼らは、早ければその日の内に、狭く 冷たい 鉄の部屋の中に押し込まれて 窒息死をさせられるのです。  何のためにですか?!  誰のためにですか?!

先日来よりこのBLOGでも、「生き物の命を喰らう私」ということを申し上げてまいりました。
この私が生きていくために、他の命を平気で喰らい、これを悪いとも思わず・・・、 また、他の命を奪うことでしか生きて行かれない私なのに感謝の念もなく・・・、 つまり、他の命に対して、「ごめんなさい」もなく、 「おかげさま」もなく、 「ありがとうございます」もない者が、 「野良犬がかわいそう! あのワンちゃんを助けてあげたい!」だなんて、よく言えたものです!!
そんな一部の人間の偽善をニュースにするよりも、毎日、毎日、何百頭もの犬・猫たちを無残にも殺している現実を私たちは知るべきだと思います。
私が、美味しいだの、不味いだのと言って食べている肉や魚の命が、この私の口元へ運ばれてくるまでの事実の現場を、私たちはちゃんと知るべきだと思います。

それだけじゃないですよ・・・・・・。
今日、口にした飲み物や、加工食品。 それらが店頭に並べられる前に、いったいどれだけの命が犠牲になったのかをご存知でしょうか?
私たちがそれらを口にする前に、「動物実験」と言う名のもとに、たくさんの命を奪ってきているのです。
ラットや猿などの身体、命を使って、毎日、毎日、過酷な生体実験が繰り返されているのです。
その数、日本国内だけでも 年間に 数千万の命を 私たちは平然と奪っているのです。

人間のエゴで窒息死させられる犬・猫たちの死に際を・・・・・
私たちが口にする牛・豚が屠殺(とさつ)される現場を・・・・・
動物実験で苦しみ死に行く動物たちの最後の瞬間を・・・・・
それらを目にしたら、少しくらいは、「ごめんなさい」と思えるかしら? 「ありがとう」と思えるかしら?
その現実から目をそむけたまま、「命は大切」などとほざいている私って、いったい何様なのでしょう?!

私の命は、数限りない命の犠牲の上に立っているのだという事実と、 因果応報という真実を考えた時、 その根底にあるのは、やはり無量寿如来さまの 大きな 大きな愛の中に生かさせていただいているのだなぁ と・・・  そう思わずにはおれません。
そして私には、そこにかけられた如来さまの願いを聞かせていただくことしか出来ないのです。
南無阿弥陀仏
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人生に 「無駄」の余地なし [随筆日記]

先ほど届いた友人からのメールに、「今日も一日を無駄に過ごしてしまった・・・」 と書いてあり、少しだけ寂しい気持ちになりました。
確かに、そ~ゆ~日もあるのかもしれません・・・・・・
そうですねぇ~… たとえば学生時代には、試験勉強をしなきゃならないというのに、読書やゲームにマル一日熱中してしまい、「あぁ…、今日一日を無駄に使ってしまった・・・」と後悔したり…、 たとえば恋愛熱中時代には、恋の悩みにマル一日ボ~ッとしてしまい、「はぁ・・・、今日一日、私はいったい何をしていたのだろう・・・」と自身に呆れたり…、  確かに、「無駄な一日を過ごしてしまった」と思うことはありますねぇ~。
でも、それは ‘ 私の言い分 ’ なだけではないのでしょうか・・・。
つまり、私が自分勝手に、「無駄な一日」 と 決めてかかっているだけのことではないのかしら… っと 思って、 そんなことを ただ思いつくままに書いてメールの返信をしました。

実際、今日一日をどのような過ごし方をしようとも、人生において 無駄な時間なんて、一秒足りともないと思うのです。

その友人は、今日は、何をして時間をつぶそうかと途方に暮れ、ただ時が過ぎ去るのを待つような一日を過ごしてしまったようです。
でも、私は思うのです。 そんな、無駄と思えるほどの退屈な時間が、今の彼には必要だったからこそ、そ~ゆ~時間をいただけたのではないのかなぁ~ って・・・。
でもね、 私の欲を言えば、 せっかくそのようなお時間をいただいたのですから、 「今日は、何をして過ごしたらいいのか…」 ではなく、 「今日、わたしは、何をしたいのか…」 を 考えていただきたいな って思うのです。
時間をつぶすために、喫茶店に入って、読書をするのではなく、 コーヒーが飲みたいから喫茶店に入って、本が読みたいから読書をする というように、 仕方なく時間を過ごすのではなく、自分の意思で時間を過ごしてほしいな って思うの・・・。
だから、「今日は、ボ~ッと考え事をしていたいなぁ」とか、 「今日は、のんびりと何も考えずに過ごしたいなぁ」とか、 そうしたいとの想いを自らに確認してから、これをできる範囲ですればいいのです。

「私の人生」って、 私だけのものであって、 でも、私だけのものではないと思うのです。
だって…、 人間として生まれさせていただいた不思議の中の「私の人生」なのですもの、 私が自分で仕組んで生まれて来たわけでもないし、 自分一人で今日まで生きて来られたわけでも決してありません。
その不思議の御力に生かされている「私の人生」を、仕方なしに過ごしては申し訳ないではないですか!

あなたは、今、何がしたいのですか?
それをすることの妨げとなっているものは、いったい何なのですか?
もしもそれが乗り越えられない壁であるのならば、次にあなたがしたいことを考えてみてください。

私の人生は、この私一人のために、不可思議光如来さまがすべてを御用意してくださいました。
あなたの人生も同様に、あなた一人のために御用意してくださって、それをあなたは賜っているのですから! あなたの人生は、あなた自身で、あなたらしいスタイルを作り出して、この時間を過ごしていただきたいな って思うのです。

人生という時間の中で、私が「無駄に過ごした」と思うことがあったとしても、「無駄」の入りこむ隙間なんて、全然ないはずです。
だからこそ、「無駄に過ごした」と思うことのできないような時間、人生を、自分スタイルで作って行けたらいいな って私は思うのです。
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称えるられるのは‘今’だけです [随筆日記]

地球温暖化の影響が、私の中にまで変化をもたらしているようです。
子供のころより、晩春から夏にかけての時期には体調を崩しがちで、歳を重ねるごとに嫌な症状の出てくる回数も増して、身体的にとても辛いなぁ~と感じることが多くなりました。 まさに無常は我が身で味わえるものですねぇ~。
でも、三月からこんなにひどい症状が出るのは初めてで・・・、 年齢のせいにはしたくないので、地球温暖化のせいにしてみました。(#^.^#)
でも まぁ~、 誰のせいにしようと、何のせいにしようと、受けて行かなければならないのは私自身です。
業ですねぇ・・・・・・。

今日は、午前中は何とか座っていられたのですが、午後からは横になっていても苦しかったです・・・。
夜になって少し持ち直してきたので、何か書いておきたいなぁ…と思って、ベッドから這い出て来ました。
お布団の中で、半分 気を失いかけながら、 そう言えば以前、 「自分の心や、身体に、お天気を問うように、「今日はどんな感じ?」 と 聞いてあげてね!」 と教えていただいたことを思い出しました。
振り返ってみると、2,3日前から前兆はあったし、今朝だって身体の悲鳴を無視して無理をさせてしまったなぁ~と、今更ながらチョットだけ反省・・・。

「まだ、大丈夫だから」・・・、 「私は、大丈夫だから」・・・、 そ~ゆ~タカをくくった思いが、 「私は、まだ、死なない!」 と、真実から目をそむけている姿なのだろうなぁ…、と 思いました。
そういう今だって、座っているのがやっとの状態・・・。 でも、 「もうちょっと頑張れる」 と・・・。
すごく無駄なことに頑張っていますよねぇ~  捨てモノにばかり力が入って、 真実はそっちのけです。

そうそう、 世間で氾濫している、「一度きりの人生のために」とか、「一生懸命に生きる」とかいうたぐいの言葉が、キラキラと頭の中に輝いているのです。
「真実を聞く?」 ・・・・・・   生憎、そんな上等な「耳」など、残念ながら持ち合わせてはおりません・・・。
私は、「‘ 私の思い ’ しか聞けていない・・・・・」

荒い呼吸の中で、フッと思い出して、お念仏を称えてみました。     続きませんよ・・・・・・
この時、どんな心が出てきたのか、もう覚えてはいませんが・・・、 ただ、 「お念仏を称える身にさせていただいたのなら、お念仏を称えられる内に称えておかないと・・・・・・!」 と、思ったことだけは覚えています。
そして、それは、‘ 今 ’ しかないのだなぁ~、 と・・・・・・・
でも、「‘ 今 ’ しかない! さぁ~、お念仏をさせていただこ~ぅ!」 と、思い立つ内から、息が切れてしまうかもしれないのです。
しかし、そう聞かせていただいていたとても、 「明日の用事は外せないしなぁ~、 今晩中に、何とか体調を回復させねば!」 と、 真反対のことを思い描いているのが私なのです。   南無阿弥陀仏…  南無阿弥陀仏…
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本当の私の姿を、私が聞く [随筆日記]

メール・・・  来ました・・・・・・   一言だけの・・・
ダメですね~・・・  お返事を返してしまいました・・・・・
メールが・・・  また、来ました・・・・・・   やはり、一言だけの・・・
今度は・・・  お返事は、しない方のがいいと思いました・・・・・

聞名さんが 残された御文に、こんなのがあります。

     「人の不幸の始まりは、この目が外に向かってついているところにある」と 目のせいにして
     悪いのだが、そう言いたくなるほど、歯がゆいほどに自分が見えない、見ようとはしない。 

「仏法を聞く」というのは、仏さまの目から見られた「本当の私の姿を聞く」ということなのだとも教えていただきました。

仏法と出遇うまで、私は、「私が知っている私」 こそ 「本当の私」 であり、それ以外に「私」 は ない と 思っていました。  ところがそうではありませんでした。 
これは仏法に限ったことではなく、心理学者の ジョセフ・ラフト氏 と ハーリー・インハム氏 が考案した理論で、 「ジョハリの四つの窓」 というのがあり、以下のように分類されています。
   ・ 開かれた窓 (Open Self)    自分も他人もよく知っている窓(私)
   ・ 見えない窓 (Blind Self)    他人だけが知っていて、自分は知らない窓(私)
   ・ 隠された窓 (Hidden Self)   自分だけは知っているが、他人は知らない窓(私)
   ・ 未知の窓  (Unknown Self)  自分も他者も知らない窓(私)
仮にこれが四等分できたとしても、「私が知っている私」というのは、半分しかないわけです。
しかも仏法では、その「私」を全否定されます・・・・・。 

聞名さんは文中にて、「自分の本当の姿はわからないが、他人のことならよく見えるし、なんとでも言える。
しかし自分のこととなると、人の忠告には聞く耳を持たず、理性も常識もなく、頭に火がついて、けんめいに自分の正しさを主張する。」 と言われました。  ほんとうにその通りだと思います。

世間事のお付き合いの中でも、自分にとって都合の悪い「私」というところを指摘され、否定されたならば、傷つきますし、腹も立つでしょう。
ましてや、仏さまの真実の目から見られた「私」というのは、そんな生易しい「私」などではなく、目を覆い、耳を塞ぎたくなるような「私」です。
もしこれを、目の前で光輝く如来さまから直々に言われたのであれば、言葉もなく、「ははぁ~」と頭も下がるかもしれません。
ですが、自分と同じ泥凡夫の輩から、「仏さまのお言葉だ! 仏説だ!」 との看板を振りかざしながらこれを指摘されようものならどうでしょうか・・・。
恩師や尊敬する先輩から強くこれを指摘されたならば、口ごたえすることも出来ずに、やり場のない感情に右往左往して、それを聞き入れるどころか、自分の傷を癒すことにすべてを費やしてしまうのではないでしょうか…?
逆に、年下の後輩からこれを指摘されようものなら、プライドが先だって、それを聞き入れるどころか、邪見驕慢な我が身であることも忘れ、感情任せに相手に食ってかかるのではないでしょうか…?

何にしても、私は自分を正しく見る目をもっていなければ、真実の私をちゃんと聞ける耳も持っていないのです。
御法だ、仏説だと言いながら、他者の悪点ばかりを批判、否定しているその口の、当の持ち主である自分自身を棚に上げて、仏法だなんてありえないですよね…。 だって、仏法は、この私が聞かせていただくものですもの。 
あぁ・・・、 他の誰でもない・・・、 そんな 醜く、浅ましく、自惚れいっぱいの、外しか見られない邪見な私というのを、この私自身が聞かせていただかなくっちゃ! ってことを フッと思って書いてみました。 
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「人の死」という御法縁 [随筆日記]

ETさんからお声をかけていただき高山へ遊びに行く日が決まりました。 と、思ったら、その日の内に私のお友達の訃報が入って、お葬式に出席するため 日程を一日ずらしていただくことになりました。
と、思ったら、今度はKHさんの方に訃報が入って、結局、今回の高山行きの御縁はなくなってしまいました。
死は、誰の都合にも耳をかたむけてはくれませんね。 もちろん、自分の死さえも自分の都合通りには決してなりません。

水曜日の お通夜、そして 木曜日の 葬儀・告別式 と 初七日の法要に お手伝い、参列をさせていただきました。
私、ご遺体を見る度に思うのです。 
「私」と言えなくなった肉体は、本当に空っぽなんですよね・・・。 
そこに‘ 死体 ’が 横たわっているのではなく、名前のつけられた‘ 肉体 ’が 横たわっている・・・、 と…。
ですから、それは 既に「人間」にあらず・・・、 ゆえに「死」も 無し・・・、 というのが 、私の感じているところです。

そして、仏法を聞かせていただく身になってからですが、葬儀は、「故人とのお別れ」ではなく、「自分とのお別れ」なんだなぁ~ って思うのです。

亡くなった彼女は、自由奔放で、チャレンジ精神旺盛でいて頑張りやさんなので それなりに成功を収め、そして とても 自分に正直に生きてきた人でしたし、それが許される境遇にも恵まれていました。
しかし、どんなに裕福で、どんなに幸せな人生を送り、長寿を全うできたとしても、また、その逆に、辛く、惨めで、不幸な人生であったとしても、死を前にしたら、今生のことなど何の意味があるのでしょうか…、と 思いました。

彼女の亡骸を見ながら涙がこぼれ落ちました。 でも、何の涙だったのかわかりませんでした。
この時、「わたし」と言っている私があるからこそ、はじめて御本願が存在するのだなぁ…、と思いました。
「生」があるからこそ、「死」が存在する。 「生きること」 は 「死ぬこと」であり、「死ぬこと」 は 「生きること」 …、
これを考えた時、 「不実」と「真実」、 「闇」と「光」、 私のどの部分を 切っても 取っても、仏さまとは正反対なのだなぁ~、と・・・  しかし、それでいて一対なのだなぁ~、と・・・。

それから、こんな発見をしました。
弔問客は、僧侶に向かって合掌はせずとも、遺体に向かってなら自然に手と手を合わせるのです。
また、祭壇の絵像や名号に「南無阿弥陀仏」と向かわなくても、遺体に向かってなら「南無阿弥陀仏」が出てくるのです。
‘南無阿弥陀仏’って何なんだろう…? って思いました。
その答えを、初七日のお勤めが終わった後に、ご住職が説いてくださいました。
「お念仏は、亡くなられた方の往生供養のために、私たちから故人へと差し向けてあげられるものです」と・・・・・
ちなみに、浄土宗での葬儀でしたので、浄土真宗しか知らない私がモノ申すことなど何もありませんが・・・
でも、これを聞いて、とても複雑な心境になりました・・・。  それを、一言ではとても語りきれません・・・。

ただ、この時に湧き上がった自身の心を、私のお念仏に返していった時、 「人の死」ほど大きな御法縁はないのだなぁ…、 そして、身近な人の命を犠牲にして聞かせていただいても、何とも動かない私なのだなぁ…、 と いうことを教えていただいたように思います。

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外食療法?  [随筆日記]

先週末・・・、 パソコンを買っちゃいました。 で、 カードで購入した後に、「支払い…、ど~しよ~…」と…、 今、頭を悩ませております。
今まで使っていたデスクトップPCですが、どうも不良品に当たってしまったらしく、一年ごとに電源が入らなくなるというトラブルに見舞われ、また今年も一週間ほど前から休眠状態に入ってしまわれたので、修理に出している間 しばらくは ノートPCで対応していたのですけど、、、、、今日、思いきって最新型のPCを買ってしまいました。
Windows7、まだ使い勝手がよくわかっていないので部分的に使いづらい点も多々あるのですが、メモリーが増えただけにセキュリティソフトの影響も少なくサクサクと動いてくれるので、一日の時間を有効的に使えて いい感じです (^^♪
あと 問題は、購入資金の決済だけです…。  買っちゃってから何なんですけど… (^^ゞ

お仕事の方がなかなか来なくって…、 やはり実績もないし、ブランクも空いてしまったので難しいですね…
世の中そんなに甘くない…  また、一からのスタートです。

そんな中、大きな贅沢は出来ませんが、小さな贅沢を! ということで、気分転換を兼ねて 二日続きで launchに行ってきちゃいました。

3537260一昨日は、「ひとしお」 という ラーメン屋さんで、‘ひとしお坦々麺’(¥750)というのをオーダーしました。
まず、麺が美味しいです! オリジナル麺ということですが、平たいくてウェーブのかかった太麺はスープに絡みやすく、その食感は シコシコとして NICEです~ (^^)v
またスープの方は、ゴマペーストをたっぷりと使用したスープで、坦々麺の割には辛過ぎずに とても美味しかったです。
そしてお決まりの焼餃子(¥350)と、お値段に惹かれて水餃子(¥350)もオーダーしちゃいましたが、どちらも美味しかったです。 特に薄皮で具にこだわった水餃子がお薦めです!
店内の雰囲気もWoodを基調に広々とした作りで落ち着けるし、ウーロン茶や薬味のサービスも嬉しいですね!

3537261昨日は、「ナンファー」 という タイ料理のお店に行きまして、店員さんお薦めの「カオソイ」(セットメニューで¥1,000)というお料理をいただきました。
これは、タイ北部のチェンマイ地方に伝わる郷土料理だそうで、ターメリック(ウコン)とカー(タイジンジャー)などをペースト状にしてカレーペーストと炒め、ココナッツミルクでのばしたカレーラーメンです。
これに、ライム・赤玉葱の酢漬け・青菜の漬物を薬味としてトッピングしいただきます。
メッチャ辛いです! でも、妥協なくタイの香辛料をふんだんに使っている感じに加点します(^.^)
セットについたサラダのドレッシングにもタイのこだわりが感じられ、タイ米はジャスミンで炊いてあるのかな? クセのない味と香りでした。 それらデザートも美味しかったですが、コーヒーだけは いまいちだったかな?!
お店の雰囲気は、小洒落た喫茶店風で、もっとタイの雰囲気があってもいいのかなぁ~とも思いました。

何にしても、家にいると、自分で食べたい物を調理したとしても、ほとんどお腹に入っていってくれないので、今は外食という手段を使って栄養補給をしている感じです。
でもね、外食することで外の世界にも触れられるし、ちゃんと一人前は食べられるし、少々お金はかかっちゃいますが今の私には必要かな~って思っています。

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雨の降らず、地、固まらず [随筆日記]

天気予報は雨と言っていたのに…、 空はどんよりと曇ってはいたものの雨は落ちてきませんでした…
まるで、私の心模様と同じような空模様の一日でした。

そんな中、今日はどうしても出かけなければならないご用があって、久しぶりに外出しました。
気分転換になるかなと期待しながら出かけたのですが、何を目にしても心の泥濘から離れられず、なんだか余計に落ち込んでしまった感じです…
でも、外出したおかげですごく疲れてしまったせいか、帰宅後に少しうたた寝をすることができました。
体調は少しずつ平静さを取り戻しているので、精神的にはかなり落ち着いてきているのだと思います。

近々、お仕事に復帰したいな! なんて考えています。 ライターの方のお仕事です。
久しく書いていないし、仏教なんていう余計な知識(?)を身につけてしまったために、世間的な文章が書けるかどうかはわかりませんが、まずはアルバイト程度のことから再開しいと思っています。
でもいつかは…、 仏法を私なりに実感したところで、それを文字に出来たら…、 それはそれで素敵なことだと思います。

しかし、その仏法ですが・・・  このまま聴聞を続けていくべきかどうか…、 離会すべきかどうか…、 それは日々毎々に思いが変わって行きますので、今は何を決心することもなく、ただその時々の心の赴くまま、今の自分に正直に進んで行けたらいいなぁと思っています。
そして何よりも、一日も早く抜け出したいと思うあのトラウマから脱出しなければ…! との願いを実現させたいと思っています。
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