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さくら さくら [随筆日記]

先週、四月初めの週末には、まだ一分咲きだった桜の花。
この一週間は体調を崩してしまい、どこへも出かけることが出来ないままに過ごしてしまいましたが、今日は支部法座のある日…、どうしても出席せねばならなくて渋々と外出をするにあたり、乗車駅からは少し離れているものの、桜まつりをしている公園の駐車場に車を止めようと思い、少し早目に家を出ました。
そろそろ満開を迎えているかなぁ・・・と思っていた桜の花も、既に満開を過ぎていて新芽が出ていることに少々驚き、「時の過ぎるのは何と早いことか」と、目に実感いたしました。

「諸行は無常である」と言葉にするのは簡単なことです。
でも、これを我が身に引き寄せた時、「諸行無常」とどれほどにわかっていると言えるでしょうか・・・。
時計の針を見ていれば、刻々と時間は過ぎていきますが、自分自身はどうなのか…、ということです。
細胞レベルで言えば刻々と歳をとっているでしょうし、感覚的にも時間が過ぎて行くのは理解できます。
同じことですが言い方を変えれば、「生ある者は死す」と言うことです。 生れさせていただいた以上は、必然的に死に向かって生きているということを、我が身がどれほどにわかっているか?と言うことです。

キャンパス.JPG左の図は御法話で示された、生れてから死ぬまでの一生を山の絵にしたもので、例えば80歳まで生きたとすれば頂上は40歳です。
しかし、自分の寿命などわかる人はおりませんから、この図が完成するのは死んだ後のことになります。
ただ、この日の御法座でG先生が、「今、みなさんはどの辺りにいるでしょうか?」と質問をされた時、誰もがみな、この図のどこに今の自分を置こうかと迷いながらも、「半分を過ぎたところかなぁ?」、「もう終わりの方かしら?」なんて言っていることに私は少し驚きました。

この図でいけば私はちょうど山頂の所になりますが、仏法を聞くということは、今が何歳であろうとも、自分はいつも一番右端の下のところ、「死(80歳)」の淵にいるのだということを聞かせていただくことです。
生死というのは例え話でも何でもない、自分自身のことなのです。
でも、これは頭でわかっているだけのこと・・・。
実際の私は、やっぱりお山のてっぺんにいて、「死」が…、「終点」がどこにあるのか、まったく問題にしていないのです。

さくら さくら
今朝、車を止めた駐車場に夜になって戻ると、フロントガラスの上に桜の花びらが数枚落ちていました。 見上げればチラホラと舞い散るさくら。
さくら さくら
こうして今日が終わるということは、刻々と死に近づいていているということです。
桜のことでも、他の誰の事でもなく、この私が落ちる日が今とも知れずに近づいているということです。
さくら さくら
舞い散る桜の花びらを手に取るように、私は親の手元へと落ちて行きます。 南無阿弥陀仏

キャンパス (3).JPG

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Tsunami (津波) [随筆日記]

もう三週間も経つのですね、あの巨大地震、あの大津波から・・・・・・
地震が発生したのは、2011年3月11日14時46分頃、太平洋岸三陸沖が震源地でした。

伯父の消息は未だ不明のままです・・・。
4月1日現在で、死者 1万1734人、行方不明者 1万6375人、避難所生活者は 16万6千人を越えると言われています。 父の実家のある宮城県だけでも今現在で 7千数百人の方々の死亡が確認されており、阪神・淡路大震災で亡くなられた方の数を大きく上回ってしまいました。
甚大な被害をもたらしたのは、もちろん地震そのものの大きさ、日本国内観測史上最大のマグニチュード9という過去にない程の大きな揺れもありますが、この地震によって発生した計測不可能なほどの巨大津波による被害は、測り知れないものであります。
三陸海岸では15メートルを軽く超え、岩手県大船渡市の綾里湾においては、30メートルを越える津波が押し寄せたとされています。 ひとたまりもありません。

幼い頃、松島湾で海水浴を楽しんでいる時に父が言った言葉を思い出しました。
「津波というのは、大きな波が来るだけじゃなくて、海水が突き上がって押し寄せて来るのだよ」と。
小学生である私の背丈ほどの津波でも家が壊されてしまうほどに、海の力は大きくて怖いのだと父は教えてくれました。 でも、その頃の私には、「海水が盛り上がる」というイメージをすることすら出来ませんでした。
その後、アニメやシネマなどで津波を取り扱ったものもいくつか目にしましたが、それは腹が立つほどに今回のものとは似ても似つかない、甘くきれいなものでした。
今回、TVnews や Youtube などで見た津波の映像は、それまでイメージしていたものとは全く違って、海水の透明度もなければ、泳いて行かれるようなものでもありませんでした。

「Tsunami(津波)」という語が国際語として使われるようになったのは、ちょうど65年前の今日、1946年4月1日に北太平洋を震源とするアリューシャン地震によって発生した津波が、ハワイ島に甚大な被害をもたらしたことがきっかけになったそうです。
マグニチュードは7.8。 アリューシャン列島のウニマク島では海抜40メートルの高台にあった灯台が破壊されたそうです。 これを受けてアメリカで「Tsunami」という言葉が学術用語として使用されるようになりました。

それよりも更にさかのぼること50年、1897年にラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が出版した著書の中において、英語の文献として初めて「Tsunami」という語が使われました。
これは、『 Gleanings in Buddha-Fields 』、日本名で『仏の畠の落穂集』という著書の中にある 「A Living God (生神)」 という章に、和歌山県で起きた大津波の記録がほぼノンフィクションで書かれてあります。
1854年、作中主人公である浜口五兵衛さんは、のちの逓信大臣となられた浜口梧陵さんのことで、大津波から村人を守るために、村の稲束に火を放ったまま寺の鐘をつかせ、村人全員が丘へ避難するまで消火せずに、村民の命を救ったというお話です。

何事においても、想像しているだけは本当のことは何一つとしてわかりません。
実際に体験・経験した人でなければ、その怖さ、辛さ、悲しさはわからないことです。
それでも人は、時が経てば忘れてしまうのですから・・・・・
また、そうしなければ生きて行かれないというもの事実でしょう・・・。
人間のもろさというものを、この身に、この心に、感じずにはおれません・・・・・・・

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春です。 年度末です。 [随筆日記]

三月も今日で終わってしまいます。 と言っても、後一時間と少々です。

今日は朝から気分が優れなくて、やらなければならないことは山とあるのに何も手が付かず、バルコニーに置いてあるブランコに乗って揺られながら、貴重の時間を、ぼ~っと過ごしてしまいました。
春の冷たい風は、少し火照った頬には心地よくて、そんな中、いろいろなことを考えていました。

昨夜、親友との電話の中で母のことを話したせいでしょうか・・・、夢の中で母に逢いました。
いつも夢の中に母が出て来る時は、「あれ? お母さんはもう死んじゃったはずなのに・・・。 あぁそっか~、これは夢なんだ!」って、どこなく自覚しながら上の方から見ているもう一人の自分がいるのに、昨夜見た夢はいつもとは違う感覚で、母と一緒の時間を、一人の人格として共有できたように記憶しています。 もっとも、残念ながら夢の内容までは覚えておりませんが・・・。

昨夜私は、その法友に言いました。
「私は、私の母が人生をかけて教えてくれたことを・・・、母の壮絶なまでの死にざまを・・・、決して無駄にするわけにはいかないのです」と。
彼は一言、「重た過ぎる・・・」とだけ言いました。

確かに、一人で背負っていくのは苦しいことです・・・。 
現に今、こうして迷いのドツボにハマって動けなくなっている私がいるのですから・・・。
でも、私自身が抱えて行かなくっちゃならないことなんだって・・・、改めてそう思いました。

さてさて、とうとう今日期限の仕事を終わらせることが出来ませんでした。 申し訳ない・・・。
今年度もあと一時間で終わりです。 新年度は気持ち新たに頑張らねば・・・!
春はもう来ているのですから。

2011.3.25 春.JPG

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桜梅桃李 [随筆日記]

ご近所にも梅の花が咲き始めた三月の上旬、カメラと共にお出かけしてきました。

2011.2.26  梅園.JPG

梅の木は、遣隋使が中国から持ち帰り日本に伝えられたと言われています。
その中国の故事に、「桜梅桃李(おうばいとうり)」というものがあります。 
鎌倉時代に編纂された世俗説話集 『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』の中にある 「春は櫻梅桃李の花あり、秋は紅蘭紫菊の花あり、皆これ錦繍の色、酷烈の匂なり」 というのは、この故事が元になっているようです。
「桜梅桃李」というのは、桜と、梅と、桃と、李(すもも)のことです。
互いに似たような花ではあるけれど、桜は桜として、梅は梅として、桃は桃として、李は李として、個々の特徴を精一杯に生かし、いずれも独自に美しい花を咲かせるという意味です。
桜は桜のままに、梅は梅でしかないのだし、桃は桃のままだからよいのだし、李は李なのだから・・・、「そのままの私でいいんだよ」、「そのままの私でしかないんだよ」って、教えてくれているんです。

人は、己と他者と比べては、自惚れたり、卑下したり・・・、それで傷付いたり、傷付けたり・・・、そんなことばかりしているけれど、そんな人間界に、「もう、春はすぐそこまで来ているよ」と優しく囁きかけてくれる梅の花。

私、思うのです。 「桜梅桃李」というのは、桜のふりなんかしても無意味だよ、梅になったつもりでいてはもったいないよ、桃になろうとしても無理を重ねるだけだよ、李になる必要はないんだよ。
そのままの私でいいんだから、春に包まれるままに、私らしく花を咲かそう! って。
どんな私でも、そのままの私を春は包んでくれるのですから。
花が一つ開く時、南無阿弥陀仏と聞こえます。 花が一つ落ちる時も、南無阿弥陀仏と聞こえます。

法然さまの誕生から入寂に至るまでのご生涯の行状、また法語やご消息、著述などの思想なども描かれている『法然上人行状絵図』の中にも、「桜梅桃李」という言葉が見られます。

近来の行人、観法をなす事なかれ。 仏像を観ずとも、運慶快慶が造りたる仏程だにも、観じあらわすべからず。
極楽の荘厳を観ずとも、桜梅桃李の花果程も、観じあらわさん事かたかるべし。
ただ 『彼の仏今現に世に在して成仏し給えり。 当に知るべし、本誓の重願虚しからざることを。
衆生称念すれば、必ず往生を得』 の釈を信じて、ふかく本願をたのみて一向に名号を唱うべし。
名号を唱うれば三心おのずから具足する也」  (『法然上人行状絵図』巻第二十一)

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春を告げる花たち [随筆日記]

私は花が好きです。
今を一生懸命に生きている花を見るのが好きです。
花開くのを待ち詫びている蕾、そして自信に満ち満ちて咲き誇る花。
でも、やがて、みな枯れてしまいます・・・・・

華道の師範をしていた父の影響で、我が家の庭には年中絶えず花が咲いていました。
様々な花の名前も、父から教わりました。
私は、いけ花のお稽古はあまり好きではありませんでした。
理由はいくつかありますが、やはり、枯れてしまった花を捨ててしまう時が一番に悲しかったです。
だから私は、生花ではなく、ペーパーフラワーなどのアートフラワーを作って飾るのが好きでした。
でも父からは、「それは死に花だ」と否定され嫌悪れました。

父からは、「花をいける」とは、「花を生かす」ことだと教わりました。
確かに、その通りかもしれません・・・・・
また、「いけ花は、いける者の心を現わす」とも教わりました。
でも、それが、私の胸には落ちて来なかったのです・・・・・

生きている花を切り取って「生かす」というのは、傲慢のような気がしました。
花を生けることによって、その花の美しさは引き出され、それを見た人の心は癒されるでしょう。
また、その花をいける者の気持ちを現わすことは出来ても、では、その花の気持ちはどうなるの?

先日、お散歩で見つけた春の花たちは、待ちに待った春を楽しんでいました。
そして、春を見つけてくれた人の・・・、咲いている自分に気付いてくれた人の心を癒してくれました。
そんな花たちとお話しをするのが好きです。

2011.3.11 なばなの春.JPG

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梅の花 (妙好華の種) [随筆日記]

佐布里公園の梅園へ行った数日後の週末に四日市南部丘陵公園の梅園へ行ってまいりました。
四日市南部丘陵公園は29haもの広さを持つ市営の公園で様々な遊技場があり、その一角にある梅園には600本程の梅の木が植えられています。
この日はお天気もあまり良くありませんでしたし、梅の花もまだ二分咲きといったところでしたが、それはそれなりに楽しんでまいりました。

2011.2.24 四日市南部丘陵公園.JPG

先回の梅の花を書いたBLOGのご感想をいただいた中に、紀貫之さんの和歌を書いてくださったメールをいただきました。
    「人はいさ 心も知らず ふるさとは  花ぞむかしの香に匂ひける」 
【私釈】 人(あなた)のお心が、どのように変わってしまわれたのかはわかりませんが、懐かしき故郷に咲く梅の花は、昔と変わることなく馥郁かぐわしく今年も美しく咲いております。

梅の花を詠んだ和歌は、数多くあります。 「花(花見)」と言えば、今は桜の花を言いますが、奈良時代より前は「花」といえば、梅の花だったそうです。
梅の花は、英名で 「 Japanese apricot 」。 なんだか味気ないですね。
和名では、木の花(このはな)、好文木(こうぶんぼく)、春告草(はるつげぐさ)、香栄草(こうばえぐさ)、匂草(においぐさ)、初名草(はつなぐさ)、香散見草(かざみぐさ)、風待草(かぜまちぐさ)など、情景美しく、春香るような別名がたくさんあります。

『新古今和歌集』の中に、梅の花を詠んだ歌をみつけました。
   遅くとく つひに咲きぬる 梅の花  たが植ゑ置きし 種にかあるらむ  (藤原忠平さん)
【私釈】 遅く咲く・早く咲くの違いはあれども、とうとう梅の花が咲きました。 さて、どなたが植えた種から芽を出し、花まで咲かせたのでしょうか?

これを読んだ時、蓮如さまの『御一代記聞書』が思い出されました。

陽気・陰気とてあり。 されば陽気をうる花ははやく開くなり、陰気とて日陰の花は遅く咲くなり。 かやうに宿善も遅速あり。 されば已・今・当の往生あり。 弥陀の光明にあひて、はやく開くる人もあり、遅く開くる人もあり。
とにかくに、信・不信ともに仏法を心に入れて聴聞申すべきなりと云云。 已・今・当のこと、前前住上人仰せられ候ふと云云。 昨日あらはす人もあり、今日あらはす人もありと仰せられしと云云。

阿弥陀さまの智慧と慈悲の御光は、みな平等に絶え間なく照らし続けてくださっています。
では、何故に花の開くのに遅い・速いがあるのでしょうか?
私は思うのです。 一人一人が皆、違う種を持っています。 その種によって遅速があるのだと。
でも、私の蒔いている種は、今も、そして過去にも未来にも、毒花、悪花の種しか蒔いていません。
その種からは、決して、決して、かぐわしき芳香を放つ美しい花を咲かせることは有り得ないのです。
そんな種からは咲くはずもない「妙好華」と称される花を咲かせるだなんて・・・・・ いったいどなたが蒔いてくださった種から花開くというのでしょうか?

私は自らの地獄を造り続けるばかりです。 そんな私の為にお浄土をお造りくださり、そこに希有の妙華として花咲かせようなどと・・・、 これを必ず誓うと・・・、 そんな有り得ないような不思議をお約束してくださったのが阿弥陀如来さまなのです。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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佐布里公園の梅まつり [随筆日記]

スランプですかねぇ・・・  こちらのBLOGが書けません。 書きたいことは山とあるのですが・・・・。
友達へのメールとかコメントはスラスラと書けるのに・・・。 自分でもわけがわからないです・・・。
でも、写真日記くらいなら書けるかな・・・?

先月、知多市にある、佐布里緑と花のふれあい公園の梅まつりに連れて行っていただきました。
佐布里池(そうりいけ)は愛知用水の調整池で、池の周囲には梅林があって、佐布里梅と呼ばれる梅をはじめとして、25種類、約4,600本の梅が植えられている、県内でもトップクラスの梅林公園です。
久しぶりの外出にちょっと緊張しながら出かけたのが2月の21日。 まだ全体の三割ほどしか咲いていませんでしたが、それでも青空の下、穏やかな春の光にほころび始めた梅の花を見ていると、気持ちがとってもほぐれてきました。

2011.2.21 佐布里池.JPG

梅の木は、私の誕生樹です。 父が私の誕生を祝って、そして、思い、願い、愛情を込めて、庭に紅梅と白梅とを一本ずつ植えてくださいました。
今年も、実家の庭には、私と同じ年齢の紅白二本の梅の木が、今頃花を咲かせていることでしょう。

早春、私はその梅の花の開花を毎年楽しみにしていました。 花が咲いてくれるのが、ただ嬉しかったんです。 紅い梅が先に咲いて、後を追うように白い梅が咲き誇る頃、紅梅は散り落ちて行きます・・・。
それが自然でもあり、また不思議でもあり・・・。 だけど、花の咲くのが本当に嬉しかったんです。

2011.2.21 浜潮.JPG佐布里公園では、大好物のたい焼きと焼き芋を買っていただきました。 とっても美味しかったです。
この後、この日は久しぶりに着物を着て出かけましたので、Launchは和食にしようとうなぎ屋さんに連れて行ってくださいました。 お腹いっぱいいただいて、お腹も心も癒されました。

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“後生”に保険? [随筆日記]

今日はお友達とのお食事会。 いつもは楽しくお出かけするのに、今朝から全然気分が乗りません…。
ここ最近、やらなきゃならないことはたくさんあるというのに何もやりたくない…、といいますか、頭も体も残りわずかなバッテリーでぎこちない音を発しながらやっとこさ動いているといった感じで、いつ止まってしもおかしくないような状態・・・。
今日も、申し訳ないという思いを胸にドタキャンを心に決めて、その言い訳をアレコレと考えるも思いつかず、結局はストレートに、「今日はなんだか気分が乗らないの・・・」とメールをしました。
もちろん私の方は、「気分が乗らない」 = 「食事会には行きたくない」 というつもりで送ったのですが、友達からしてみたらそこはイコールにはならなかったんですね~。 「そ~なんだ、それじゃ~後で話を聞くね!」って・・・。
ハッキリと、「行きたくないの!」とは言えないままにグダグダと独り言をつぶやいただけで、結局はお食事会へ行くことになりました。

仏法聴聞の姿勢と同じですね・・・。
「そなたを救う、今すぐに来い!」 との 如来さまのお呼び声を前にして、自分の思いをこねくり回すばかりです・・・。 「来い」と言われても、自分の気持ちが一番大事。 「救う」と言われても、大事があるとは思えないと、やっぱり自分の思いが邪魔をする・・・。

ハッキリと言えばいいんですよ、「わたしゃ死んだ先のことなんて何もわからん! 地獄だとか極楽だとか、行きたいヤツが行けばいいんや! こうして生きている“今”こそが一番大事なんじゃい!」と。
そして、「自分が地獄へ堕ちるとは思えんしなぁ~・・・。 でも、もし自分で選べるのなら、もちろん極楽行きがいい!  だけどさぁ~、今は “この世が極楽”であればいい。 “あの世の極楽”へ行きたいとは、まだまだ思っていないんじゃい!」と。
そうかと言ってハッキリと宣言出来ないのは、
「だってなぁ~…、 もしも死んだ先に行かんならん世界があって、地獄へ堕ちるようなことになったらかなわんで、“後生”っちゅ~もんに保険だけはかけておかんとなぁ~」と。
これが、私の言う仏法聴聞なんです。

でもね、こ~ゆ~自分が知れてくるという不思議に出遇わせいただくと、何だかポカポカしてくるんです。

2011.3.17 GiGi.JPGさてさて、今日はイタリヤ料理でした。
以前も入店したことのあるお気に入りのお店です。
耳に入って来る何気ない会話の数々が、仏法に翻訳されて行く不思議っていうのを味わいながらのお食事会に、チクリチクリと南無阿弥陀仏、ドヨヨヨ~ンと南無阿弥陀仏、私はアホやと南無阿弥陀仏、バカちゃうか~と南無阿弥陀仏、ただ ムシャムシャと 南無阿弥陀仏・・・・・・
今日はお食事会に参加できてよかったです。
不思議 不思議に 南無阿弥陀仏

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頭、愚者愚者 [随筆日記]

父とは、もう五年会っていません。 年に一度、父の日に短い手紙とプレゼントを郵送して、返却されて来なければ受け取り人が存在しているということで・・・、つまりは生存確認をしているだけの関係になっています。 私は、そんな親不孝者です・・・・・。
今まで、極力、父のことは思い出さないように…、ふれないように…、と生活をしてきたのですが、今年になってから何故かご縁続きで、私の中に父の存在がクローズアップされる日々が次々に続いています。

この一月、病気の悪化に伴い父の存在が私の中に浮上して来て、翌二月には、ある方とのメールをやり取りする中で父との関係を深く考えさせられる日々が続き、そして今月に入って、先週の東北地方を襲った三陸沖地震により、父と直接関わらなければならない状況になってしまいました。

父の実家は宮城県七ヶ浜にあり、この震災以降連絡がとれません。 塩釜や若林区に住む親戚も依然消息不明のままです。
「心配ですね~」との言葉をくださる方もおられますが、私が心配しているのは、声をかけてくださる方々が思っているような親類の安否の心配などではなく、父と接触しなければならないという自分自身の心配なのです・・・。
父をいたわって私の方から電話をすべきだという思いはあるのですが、受話器を握る手が震えます。
意を決してボタンを押すのですが、最後のワンプッシュが押せません・・・。
心の中には、言い訳、義理、誤魔化し、お上手、見栄、恐怖、不安、嘘、などなど…、様々な思いが次々と降ったり… 湧いたり…、ゴミ山のように山積するばかりで何も手がつかないのです・・・。
これに見かねたDaneが父に電話をして安否情報だけは確認してくれたものの、結局は私自身が父に電話をしなければ、このストレスからは抜け出せない私自身の問題なのです。 だけれども出来ない・・・。
こんなちっぽけなストレスで眠れなくなってしまうだなんて・・・。
おまけに頭の中が愚者愚者(ぐしゃぐしゃ)です。 なまんだぶつ~


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東北地方太平洋沖地震 [随筆日記]

日本三景の一つである宮城県の松島。 その松島にほど近い小さな港町である七ヶ浜町に父の実家があります。 子供の頃、毎年夏休みを過ごした想い出深い場所です。
その町が、昨日の地震による津波に飲み込まれた後、石油コンビナートの火災によって今現在も黒煙を上げながら真っ赤に燃え盛っており、テレビに映し出されるその映像は、まるで地獄絵でも見ているかのようです。
塩釜の港町や、その他の海岸沿いに住む親戚の家々も津波によってさらわれたとテレビで報じられました。 でも、安否情報は一切わかりません。
少し離れた青森県三沢に住む妹とも連絡がとれない状態です。 電話はつながらず、メールを送っても返事がありません。

そんな状況を、冷静に傍観している私があります。 まるで他人事なのです・・・。
いえ、、、、、  他人事としてしまいたい私もいます・・・。

共に御法を聞かせていただく友人等から、「今回のこの大地震で無常を知らせていただきました」 と書かれたメールが何通か届く度に、私は、「へぇ~」と上から目線で感心するばかりです・・・。
確かに、「常はないなぁ~」 と 頭ではわかっているつもりにはなっていますが・・・
この災害で、身内の生・死が未だに確認ができない…。 たとえ生きていたとしてもどのような現状におかれているかまったくわからない…。
そんな状況の中にあっても、私は平々凡々とマイペースな自分の生活の中で、ノホホンとしながら必ず来ると信じている明日の為の準備をアレコレとしているのですもの・・・
私には、「無常」の「ム」の字もなければ、いかに自分が、「この世は常ならん」 ということがわかっていないかということが身にしみるばかりです。

地震に対しても他人事…、 無常に対しても他人事…、 つまり、自分の死に対しても全くの他人事にしてしまっている私なのです。

でも、一番に他人事としてしまいたいのは、観るに堪えない自分自身です。

悲惨な現状をテレビ映像で目にして、興奮する心は何?!
押し寄せる津波…、飲み込まれる家屋や車、そして人々…。 「助けてあげたい! いてもたってもいられない! 私に出来ることは何かないのかしら?!」 な~んてのは表向きで、 「おぉ~、すごいよ~、津波だよ~! あらら~ぁ…」 なんて・・・、 テレビに映し出される映像が悲惨であればあるほどに逸る心が湧き上がってまいります。
“幸災楽禍(こうさいらくか)”  災(わざわい)を幸(さいわい)とし、禍(わざわい)を楽しむ。
つまり、他人にふりかかった災いを見て喜び、人の不幸を己の幸いとして楽しんでいるような心が、ここ(私)にはあるのです。  反吐が出ます・・・。  そんな恐ろしい自分・・・、認めたくないですよ・・・。

今回の件で、「も~ぉ イヤ!!」というほどに観せられた自分に対して、「許せない!」と 自分を責めても何も始まらない・・・ と言われれば、それはそうかもしれません。
深く 深く 内観したところで、我が悪性は果てしなく深く、際限のない闇が広がるばかりです・・・
だけど、あまりにも簡単に、「こんな私だからこその如来さまの御本願でした、 私には“南無阿弥陀仏” だけです!」 というところに スッと収まってしまうほど、仏法を聞くとは甘いものではないと思うのです。

仏法を聞くとは、聞かせていただいた方程式に自分の心を乗せることではありません。

際限のない深い 深い この私の闇を観ると言うのは、とても とても辛いことです。 仏法を聞くというのは、本当に 本当に 厳しいことです。
でも、深く知れば知るほどに、もっと もっと 深い大悲の御心にふれさせていただくことが出来ます。
厳しければ厳しいほどに、大きくあたたかな如来さまの慈悲の御心に出遇わせていただくことが出来ます。 だから南無阿弥陀仏なのです。 
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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二つの質問 [随筆日記]

「あと 5分間しか生きられない! となったら、何がしたいですか?」との問いに、彼女たちは思い思いの夢を脳裏に浮かべながら、口々に理想の“最後の時間”を語り始めました。
その中の誰一人として、「5分後のこと」など考えている人などおりませんでしたし、「あと5分間しか生きられない」という質問の恐ろしさを考える人もありませんでした。
それ以前に、“5分間”と限定された時間のシチュエーションは各々フリーでしたが・・・、
5分後に眠るようにこの世を去る? 5分後にこの部屋の時限装置が爆発する? 5分後に絞首刑の床板が抜ける? ・・・  それすらも誰一人として問題にすることなく・・・・・、
ただ ただ 残された5分間をいかに自分らしく有意義に過ごすか?! それが彼女たちの答えのすべてでした。 彼氏と抱き合いながら最後を迎える…、好きなものを死ぬまで食べ尽くす…、お金を使い切る…、身支度を整える…、などなど。

人は、問われたことのほんの一部からしか見ていません。 大方の人は、自分向きの一方向からしか見ることが出来ないし、受けることも出来ないのだなぁ~ と知りました。
「あと5分間しか生きられない!となったら、何がしたい?」との問いには、もちろん彼女たちが思い描いた「5分間の生き方」という問いも含まれてはいますがそれだけではなく、たとえば、「5分間という時間の大切さ」、「生きているということの意味」、「死んで行かなければならないということ」、「生・死と向き合う私自身のこと」、「そして5分後の自分」ということなどなど…、多方面からの問いかけが含まれていますのに、大半の人は、「理想の時間の過ごし方」しか思い浮かべませんでした。
これを世間では、「普通の人」と呼んでいます。

そういう私はどうなのか・・・・・
嘘か真か…、その真偽は私自身にもわかりませんが、「私は、たったの5分間だけ、お念仏をさせていただきます」と答えました。  これを世間では、「変な人(略して変人)」と呼んでいます。

もう一つ、質問をしました。
「たった一つだけ、現実的に自分に叶えられるとしたら、何を願いますか?」と。
こちらの答えも先ほどとほとんど変わることなく、宝くじが当たり…、好きな人と思いを遂げたい…、賞(名誉)が欲しい…、自分の納得のいく最高傑作を完成させたい…、などなど・・・。
そして私の答えは、「病気を治したい」でした。

この問いを、「自分は仏法を求道しています!!」と宣言している人たちに問うたなら、どのような答えが返って来るかしら?と想像してみましたが、未信の人ならば、「信心決定したい!(悟りを開きたい)」とか答えられるのかしら?
ただし質問は、「現実的に」「自分に」叶えられることを問うています。
聖道門であれ、浄土門であれ、「自分」を知れば知るほどに、その願いは「非現実的」なものだと知らされるはずですので、この問いの答えにはならないはずです。
では、「自分は既に獲信しています、悟っています!!」と宣言している人たちに問うたなら、どのような答えが返って来るかしら? なんてことは、あまり興味はありません。

少なくとも私自身は、仏法の「ぶ」の字も、南無阿弥陀仏の「な」の字も「あ」の字も出てきませんでした。 私の願いの中には、仏も法もなければ、三世も後生もないのです。 空っぽです。
あるのは、果てしない欲ばかり・・・。 自分の思いを遂げるための欲心だけで、その願いには切りがありません。 終わりがないのです。
一つ叶えば、また次の一つに手が伸びます。 死ぬまで、願い、願い続けて止むことはありません。
死ぬ前がこんなんですからね、死んで燃やされ骨になって後、何を願い続けるのでしょうかね・・・?

私の「病気を治したい」との願いの先には、「もう病気にはなりたくない」→「死ぬまで健康でいたい」→「死にたくない」にたどり着くでしょう・・・。
お金を欲した人も、愛を欲した人も、名誉を欲した人も、結局はみな同じ・・・、「死ぬまで幸せでいたい、苦労はしたくない」→「死ぬのは恐い、死にたくない」に収まって来るのではないでしょうか?
哀れですね・・・・・

「あと5分間しか生きられない!となったら、何がしたいですか?」
「たった一つだけ、現実的に自分に叶えられるとしたら、何を願いますか?」
今一度、考えてみませんか? 今一度、自分を顧みてみませんか?  南無阿弥陀仏

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涅槃 [随筆日記]

今日は、涅槃会です。 お釈迦さまがご入滅なされた日とされています。
実際に正確な月日がわかっている訳ではありませんが、南方仏教からの伝承により、中国にて2月15日(旧暦)と定められたそうです。

涅槃(ニルヴァーナ)とは、煩悩の火が吹き消された状態をいい、迷妄のなくなった心の境地ということなのだそうです。 一切の迷いを離れるというのは、現在迷いの真っただ中におります私には、とても とても 想像の及ばない世界です。

お釈迦さまは、「生きることは‘苦’である」と教えてくださいました。 でも、「苦」とは何でしょう?
私は、常に苦悩の中に居ます。 でも、今までは、そんなことも知りませんでした。
悩みのある時だけが、「苦」であり「不幸」であると思い、その悩みが解決してしまえば、「楽」であり「幸福」だと思っていたからです。
でも、姿かたちは違えども、悩みや苦しみといったものは次から次へと私に襲いかかってまいります。
波のように寄せては引き、寄せては引き、決して絶えることがありません。
その苦悩の根源は何なのか・・・?  お釈迦さまは、それは「煩悩」であると教えてくださいました。

では、「煩悩」とは何なのでしょうか?
煩悩とは、自分で自分を苦しめる、私自身だと思います。
辛くて、悲しくて、苦しいのは、みんな みんな 私の欲のいたすところでございます。
途絶えることのない欲望は、叶えられれば叶えられるほどに深くなり終わることを知りません。
叶えられても、叶えられなくても、終わりなき欲望は怒りを生みだし、愚痴を作り出します。
常に自分の思いに執着をしているが故に煩悩は絶えることがない・・・、 これが私の正体であります。

煩悩だるまの私だもの、苦しいのは当たり前です・・・。 でも、この涙は何なのでしょう・・・
今、自分が何に悲しんでいるのかわかりません。 でも、涙が止まりません・・・・・
なんで泣いているのか私自身わからないけど、でも、如来さまはわかってくださっています・・・。
この私の苦しみも、私のこの悲しみも、そしてどうしようもないこの気持ちも・・・、 自分のことなのに私にはわかりません・・・、 全然わからないけど、でも、如来さまだけはわかってくださっている・・・。
我に迷い…、我に苦しみ…、何もわからないまま不安を抱え…、それでも生きていかねばならない私に、いつも いつも 寄り添ってくださっているのは、如来さまだけです。

悲しいです…。 辛いです…。 でも、そんな私と共に涙して苦しんでくださっている如来さまには涅槃の安らぎなどなくて・・・、 ただ ただ 私の苦悩の深海で、この私一人の幸せを願って御苦労をしてくださっています。
ごめんなさい南無阿弥陀仏  ごめんなさい南無阿弥陀仏   そして、南無阿弥陀仏

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Valentine's Day [随筆日記]

今日は、バレンタインデーでした。
学生時代は好きでしたね~! 大学の帰り道、贈る人の顔を思い浮かべてぇ~… な~んてことは皆無でしたが、毎日、自分にプレゼントをするためのチョコレートを物色するのが楽しかったです。o(^o^)o
銀行員時代は嫌いでしたね~! 職場は圧倒的に男性のが多く、義理チョコを渡さなければならない習慣に、「何でこんなことにお金を使わなくっちゃならないんだ!」って、ホント愚痴っていました。(一_一;)

アメリカに住み始めて驚いたのは、日本式バレンタインデーというのは、あくまで日本独自の習慣であったという発見です。 つまり、日本のバレンタインデーは、本来欧米でいわれているバレンタインデーとは、全く異なった日本独自の風習であったということを知りました。

バレンタインデーの起源は紀元前までさかのぼり、セント・バレンタインズデーとも言われていますが、実はキリスト教を起源にもつ祭典ではありません。
ギリシア神話に伝えられる結婚と母性の女神・ヘーラーを原型にもつ、ローマ神話の家庭と結婚の女神・ユーノーの日(2月14日)にちなんで始まった行事が起源とされていますが、今では「愛を誓う日」として、世界各国で独自のスタイルにてイベントが催されています。

ただ、世界の中でも日本のバレンタインデーは独特で、まず、「女性から男性への一方的な愛の告白をする日」とされているのは日本だけのようです。
また、贈り物がチョコレートに限定されているという点も特徴のようですね。

私が住んでいたアメリカ東部のバレンタインデーでは、男性から女性へ、それも親しい恋人や奥さんに対して、日頃の感謝や愛の言葉と共にスイーツや花などを添えてプレゼントを贈るという習慣があります。
ですからアメリカ人の友達には、「女性から男性に愛の告白?! それも、親しい間柄ではない人にも贈るの?!」 と、日本のバレンタインデーの習慣にはかなり驚かれ、軽く非難されたこともありました。
でも、私はアメリカのバレンタインデーが好きでしたね~。 何で?って・・・ _(^^;)ゞ  それはですね、
バレンタインデー当日になると、バレンタインギフトの半額セールが始まるんです~ぅo(^o^)o
Godivaのチョコレートなど、ここぞとばかりに買い貯めたりなんかして!(((^^;) OH! LUCKY!!

そう言えば、一年くらい前だったと記憶しますが、「鬱病の人はチョコレートを多く食べる」との研究結果を発表した医学雑誌の記事に対して、「チョコレートをたくさん食べるから鬱病になるのだ」との見解で対抗した心理学者がいたことを思い出しました。
NETで記事を探してみたのですが見つからなくて確かなことは言えませんが…、少なくとも私自身、普段はあまりチョコレートを口にすることはないのですが、気分の落ち込みが激しくなるとやたらとチョコレートが食べたくなります。
現にここ最近、波はあるものの禁断症状的にチョコレートを欲することがあります。
今日もチョコレートとコーヒーでお腹がいっぱい・・・  これでは、胃を悪くしても仕方がありませんね。

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赤いガーベラ [随筆日記]

今日は、久しぶりに忙しい一日を過ごしました。 でも、久しぶりに動くことの出来た一日でもありました。 体調は徐々に回復傾向に向かっていて喜ばしいことでありますが、でも、まだ無理は利かないようです・・・、今日は少々疲れました。

急激に病状が悪化してからちょうど一ケ月になります。 
私は、自分自身を騙しつつ表面的に誤魔化すことを特技としておりますので、元気がなくとも元気にしていられることは結構上手に出来るのですが、でもそこで、ちょこっとでも気を抜けば、糸の切れたマリオネットのように動けなくなってしまいます。 だから緊張は必需品!
糸の切れぬように祈りながら・・・、 でも、もし切れちゃったら出来る範囲で切れたことに気付かないふりをして、動ける範囲のところを酷使するのが好きみたいです。
はぁ~・・・・・、 また無意味な自己分析などをしてしまいました・・・・・

2.10 花と団子.JPG今日の午前中は、ちょっと嬉しいことがありまして、所要もあったので少しばかり外出をいたしました。 ホンの数日前までは、新聞を取りに出ることも出来なかったのに、快方を実感できて我ながら嬉しい~!
用事を済ませてお花屋さんの前を通りかかった時、菊の花のよい香りがしたので、それに釣られてお店の中でしばらく和ませていただき、久しぶりにお花を購入、ガーベラとかすみ草をいただきました。
花には団子・・・、という方程式が働いたのか、お花を買ったら今度はお団子が食べたくなりまして、2軒隣りの和菓子屋さんでみたらし団子を購入しました。 なんだかとってもHappyで、久しぶりに春のような心持ちになって、ポカポカした感じで帰宅したのですが、それからが忙しかったです。
明日の法座の準備は、ある程度のことは事前に済ませておいたのですが、最終確認や不足していたものを揃えたりと・・・、それに電話やメールに追われ、ナガラ作業でアレコレこなして、久しぶりに頑張った気がいたします。

それにしましても・・・、 人と接するのには、健康であることが不可欠だなぁ~ と、実感いたしました。
「人と接する」ということは、イコール、「御法を聞かせていただく」と言えると思います。
今日も、法友との電話やメールなどのやり取りをする中で、数々の無慚無愧な自分を、その人を鏡として観させられ、その度に、「ホントに・・・、御法を聞かせていただくとは厳しいことなのだなぁ~」と、切に感じました。 これを書き始めたら長~い文章になってしまいそうなので、ここではやめておきますが・・・。

話しをお花屋さんに戻しまして・・・
店内を物色しながら、春っぽいお花が欲しいなぁ~と思ったのですが、なんだかピンとこなくて・・・
目を惹かれたのは、赤いガーベラの花でした。 それに合わせて黄色のガーベラと白いかすみ草を選びました。
家に帰って、自作のカップに花を活け、これを眺めながらお団子をいただき、ホッと和みの一時。

夜になって仕事もひと段落ついたところで、デスクの片隅から真っ直ぐに私を直視している赤いガーベラの花を見ていたら、その花言葉を調べたくなりましてネットで検索してみました。
驚きました・・・・・・
ちょうど一年前にも同じことがございました。  私が・・・・・・・、 自死しようとした時と同じです・・・。
母からのメッセージが届きました・・・・・・。

「1リットルの涙」という本の主人公と同じ病で母はこの世を去りました。
その本が映画化され、ドラマ化もされたのですが、私はその映画もドラマの最終回も見てはいないので知りませんでしたが、ネットにはこんなふうに書いてありました。 「赤いガーベラといえば、ドラマ「1リットルの涙」のラストシーンで、主人公のお墓に皆がこの花を添えて涙を誘ったことで有名です」 と・・・。
赤いガーベラの花言葉は、「前進」。 そして「元気な笑顔」と書いてありました。 南無阿弥陀仏

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「業」ってなに? [随筆日記]

「魂の記録」というのは、「業の履歴書」とも言えるのでしょうか。
人は、フッとした瞬間に魂の記憶を垣間見ることがあると聞きました。
でも、「業」って何なのでしょう・・・・・?
私がやっている全ての「行為」だというのは聞いて知ってはいるのですが、「業」って何なんだろう・・・?
そんな質問をしたら、「業というのは、身・口・意の三業のことで、「身業」は行動のこと、「口業」は言動のこと、そしてその大元ともいえる「意業」は心で思うこと、この三業で作り続けているものが阿頼耶識にため込まれ・・・云々 などと説明をしてくださる方もおられると思いますが・・・、 でも・・・、よくわからないけれど、私はもっと別なことを聞きたいような気がします。

お釈迦さまが教えを説かれる以前から、「三世」だとか、「因果の道理」という思想があったのだと聞きました。 でもそれは、真理を知らぬ人々の作り上げた空想の産物であったということも聞きました。
そんなことを頭の片隅でモヤモヤっと考えていたからでしょうか・・・、 「業」って何? なんて疑問を自分の中に繰り返してしまうのは・・・。

今日は、お昼を過ぎた頃から不調に見舞われて、そんな体調の優れない時には、フルボディーのレッドワインのようなどす黒い赤紫色の世界が全身を覆っているような感覚で、なんだか自分の「業」という激流に飲み込まれながら、そして酔っぱらいながら溺れ流されているみたいです。
でも、時々息継ぎをするために水面に顔を出すことの出来る瞬間があって、その一瞬だけはフワッと楽になれるのですが、でもまたすぐに激流に飲み込まれ、魑魅魍魎とした妄想の世界でもがき苦しんでいるような・・・。
このどす黒い赤紫色の激流から、ピョコンと顔を出し時にだけ垣間見ることの出来る世界は、子供がクレヨンで描いたような薄黄色の光の世界です。 熱くもなく、寒くもなく、眩しさもなくて、ただ ただ 心地いい光の世界です・・・。
熱にうなされた身体に翻弄されている時には、こんなヴィジョンのシネマを見ながら、「生」について、そして「死」について、フッと考える時間をいただけます。 でも、どれもこれも全部私の妄念妄想です。 だから、答えはないんです・・・。

「業」もそう・・・。 いくら考えたとて、答えの出ることではないのでしょう・・・。
たとえ答があったとしても、それは知識レベルにとどまる程度のものであるか、あるいは私の智慧ではとても受け入れることなど出来ぬものであるかのどちらかでありましょう。
それに、今の私には、自分が何に引っかかっているのかすらわかっていないのですら・・・、まったく、どうしようもないですね~。

ただ、夢見心地に熱にうなされながら脳裏に見たことを、ここに書き留めておきたかっただけなんです。

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二年前はインドでした。 [随筆日記]

書きかけた文章があるのですが・・・、 途中からチョットばかり体調が思わしくなくて…、全く書き進めることが出来なくなってしまいました。  でも今は、薬でボ~ッとはしていますが、少しずつ良くなって来ています。
それで、なんとなく二年前のことが思い返されたので、昔のBLOGを何気なくサラサラッと目を通しておりました。 ちょうど二年前にインドへ行った時のBLOGです。

出発の前の緊張感が日々綴られていて、今にして思えば、「いったい何を心配していのだろう・・・」という感じですが、あの時は本当に不安でいっぱいだったのですね~。
でも一人で頑張っていたあの日の自分をほめてあげたい! って思いました。

そう言えば、あの時、何度もデジャヴュを体験しましたっけ~・・・。
最近も、ある方とメール交換をするようになってデジャヴュの体験をいたしましたが、
実際は、ど~なのでしょうね~ぇ・・・、 記憶の錯誤なのか・・・、白昼夢のようなものなのか・・・
その辺のところはよくわかりませんが、子ども時代には頻繁に体験したことです。

インドの大地を初めて目にした時、言いしれぬ懐かしさを目にしました。 と言っても、実際に目で見ているものに対して懐かしさを感じたわけではございません。
次から次へと脳裏に映し出される、まだ見たことのないビジョンに興奮して、夜もなかなか寝付くことが出来ずに、同室のMrさんが眠ってしまわれるまで、ず~~~っと一人でお話しし続けていましたっけ!
今も、あの時に見た風景のいくつかを覚えています。

私にとってインドって何なのでしょうね~・・・
今週も京都へ行った際、S先生とインドの想い出話しなどをしておりましたが、「昔に戻りた~い!」なんて、そんな気持ちになりました。 でも、「昔」っていつのことなのでしょう? 自分でもよくわかりません。
だけど、もう一度行きたいな~ インドへ・・・・・・  今度は、もっとゆっくり滞在したいです。

先日、支部のKLにて、実際にインドへ行った者としてサールナートのことを書かせていただきました。
きっかけは、その日の御法話の中で「初転法輪」の話しが出されて、支部員の数名の方から質問されたのが縁となったのですが、UPした後の感想文は一通だけ・・・  それも、「よくわからなかった・・・」と言われて、ちょっとショックを受けました。 正直なところ、もうちょっと嬉しい反応を期待していたのですが・・・(^-^;
まぁ~、また気が向きましたら、インドのこと、改めて書いていきたいと思います。

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解き放った思い [随筆日記]

メインBLOGを 『蓮華の薫るこの庭で』 に引っ越しをしてから、ちょうど一年が経ちました。
毎年、年末になりますとBLOGのお引っ越しがしたくなり、年始を期に移転し続けて来たのですが、今年は何故かその気も起こらず・・・、なので、もうしばらくはこちらで続けていきたいと思います。

今は・・・・・・、 なんだか、放心状態・・・、 こ~ゆ~感じを久しぶりに味わっております。

以前、「話す」ことは、「放す」ことだと教えていただいたことがあります。
おしゃべり好きな人がやたらめったら喋りまくるということではなく、自分の内なるものを「解き放す」には、「話す」という手段を用い、「話す」ことによって、自身の内に秘めたるモノ、あるいは蓄積されてきたものを「解き放つ」という意味にございます。
それを容易く出来る人もいれば、全く出来ない人もいるでしょう。 また、場所や相手によって出来たり出来なかったりもするでしょう。 ちなみに私は、文字にして(書いて)放つことは苦手ではありませんが、口に出して(話して)放つことは苦手でございます。
まぁ~、どちらにせよ解き放っていることには変わりはないと思うのですが・・・?

そうかと言って内なるモノのすべてを放っているわけではもちろんございません。 放ちたいけれども放てないというモノもたくさんございます。 それはなぜかしら?
一つには、格好の悪い自分、悪性な自分と言うものは隠しておきたいですからね~。 そしてもう一つは、自分に火の粉のかかるのがイヤなんです。 つまり、嫌われたくないんですね~、 私は良い人と思われていたいですもの。
ですから、言いたいことも言えずに内に秘めたまま「放つ」ということは極力避けて生きてまいりました。 私さえ我慢すれば…、私がこの思いを放たなければ、私も世間も丸く収まる・・・と、そう信じておりましたし、それが人のためでもあると思い込んでおりました。
でも、フッと思ったんです・・・・・、 それって本当かしら?  私は今、何を頑張って装っているのかしら? 誰の為? 何の為? 何を守ろうとして取繕っているのかしら・・・? 自分を押し殺しておかなければならない理由はいったい何処にあるのかしら・・・? そんな疑問が出て来て、自身に問いかけてみました。
でも・・・・、 答えはみつけられませんでした。 ホントに ボ~~~~~ッ としていて・・・。

今日、私は、私にとってとても大きなことを解き放ちました。
昨夜からず~~~っと思案しながら意思を固め、睡眠薬を飲んでも眠れないほどに悩み続け、そしてやっとの思いで決意をしました。 でも、決意はしても、解き放つにはすごく勇気が必要で・・・、何度も 何度も挫折しそうにならながら、それでも一つのことを解き放ちました。
それは私にとって、ある意味、逃避行してでも生きる道を選ぶか・・・、それとも命を賭けての棘の道を選ぶか・・・、そんなとても大きな選択をある方に解き放ちました。
解き放った後は、足の力が抜けてしまい、しばらくの間は立つことも出来ず・・・、それほど緊張いたしました。

でも、解き放ってよかったと思っております。 後悔はないです。
これから、新たなる棘の道を進むことを選択いたしました。 とても厳しく、か細く、不安定な道です。
失敗は・・・・・・・・・・、終わりを意味することになるでしょう。
でも、解き放ったことでスタートラインに立つことが出来ました。 今は、感謝 感謝 です。
南無阿弥陀仏

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ただ取りとめもなく・・・ [随筆日記]

「私、もう大丈夫です! こんなに元気になりました! 今はとってもHappyで~す!」 なんて・・・
それは嘘であると、私自身が気付いていないということが問題のようでして、「ホントはどうなの?」と、自分自身に耳を傾けてあげることが大切ですよと教えていただきました。
でも、それは私にとってなかなか難しいことです。 私は、自分の身体を過信するばかりで、とても粗末に扱っているのではないかなぁ・・・。 「自分ほど大切なものはない! 他に比ぶるものなどない程に我が身が大切!」という心の持ち主でありながら、私は、自分の声に全然耳を傾けてあげていないのですもの・・・。 それでホントに自分が大切、愛してる って、言えるのかしら?
「私は大丈夫!」との自分勝手な思い込みだけで、本当の声を聞いていないどころか、聞いてあげようとする心もない・・・。 それって、ものすごく自分勝手な愛し方ですよね。
「奈っちゃん、今日はどう? 今、どんな感じ?」 自分に聞いてみました。
気持がぶらぶらしています。 そんな自分にイライラしたり、鈍い疲れを感じたり、少し気分が沈みがちです。 なんだか昨日の憂鬱をそのまま引きずっているようで、書きたいことも途切れ途切れに止まってしまいます。

昨日のお昼頃にちょっとだけ悲しいメールがいくつか重なって入って来たためか、ここ最近、下降線状に悩んでいたことが、またまた坂道を転がり落ちて行くかのように心身共に右肩下がりとなってしまい・・・、おまけに夕方には、先週の検査結果をいただきに病院へ行って来たのですが、ドクターから 「よろしくないねぇ・・・」との報告をいただき、薬の数もレベルもアップしてしまい、ますます下落に拍車がかかって少し自暴自棄になりかけていました。

帰宅してからは、現在進行の問題に一点集中で頭がいっぱいになっていたのですが、夜になって親友からのメールが届き、それですごく気持ち的に救われました。
薬なんか比じゃないですね~、人の心の温かさというのは。 本当に助けていただいています。
言葉一つで人を殺すことも出来ます。 そして、言葉一つで人を救うことも出来ます。
「言葉」なんて、ものすごく頼りなくて、嘘っぱちなモノかもしれないけれど、それでも、たった一つの言葉が、凶器にもなり、薬にもなるのだということを忘れてはいけませんねぇ・・・
私というヤツは、そんな頼りのない「言葉」に頼ってでしか生きていかれない孤独な凡夫なのですから・・・。

その親友からのメールに返事を書いているところに、恩師ともいうべき方からのメールが届きました。
それを 何度も 何度も 読み返す内に、どんどん視野が広がって来たように思います。
視野が広がってきますと、逆に自分がどんどん小さくなっていきます。 自分の大きさが変わるというわけではありません。 たとえばトイレの個室に籠もっている間は、目の前の壁とそれに付属した備品しか目に入らず、その空間の何割かを私一人で占有していことになりますが、たとえば東京ドームという空間に居たならば、視野の中には私の目に入らない事実も存在し、自分という存在の小ささが実感できてくるでしょう、そんな感じです。
そうかと言って何がどう変わったのかはわかりませんが、いろいろな意味でちょっとだけ動けるようになってきたと感じています。

でも、やっぱり取りとめのない事を書いて、何も進展していない・・・。
う~ん・・・  この世も 自分も わからんことだらけです。 なんもわからんのを「無明」って言うんです!
ありゃ?

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「夢」 ありますか? [随筆日記]

書きかけの文章が貯まっています。 BLOGにUPするつもりで書いていたのですが・・・。
二,三日前に書いたものでも、私にとってそれは既に「過去」のものであります。
それでも自ら読み返すことによって新たに動いてくるものがあります。 それが「今」なのですね~。
その書きかけたもの・・・、というか、書きながら発見していきたいなぁ~ と思いつつも結局は書き進めることの出来なかったテーマについて、今一度再考してみたいと思いました。

2011.1.25  風南.JPG先日、法の親友二人と一緒に、先斗町の風南(HUNAN)というお店に行ってまいりました。
京野菜や鮮魚・お肉を洋風にアレンジした単品メニューが数多く取り揃えられた、大人のための創作洋風居酒屋といった感じのお店で、接客も お料理も お値段も かなりの高得点でした。
ちなみに、いただいたお酒は 「こころの京」 という伏見の地酒で、辛口ですが口当たりが柔らかくてサラッとした美味しいお酒でした。

この日、「夢」についての話題が出され語り合いました。
「夢」は大きく二種に分類できるかと思いますが、一つは睡眠中に見る夢であり、もう一つは願望として見る夢で、この夜は後者の「夢」が酒の肴となりました。

幼い頃に思い描いていた夢は、フィクション的なものが多かったのに対し、それが進学するにつれて薄皮を剥がされて行くかのようにノンフィクション的な夢となり、社会人になってしまうと、「夢」なんて所詮は「仮想世界への依存」でしかない… とばかりに、希望や目標としての「夢」・・・、それ自体も見失って夢を思い描くことすら出来ない・・・ という人も少なくはないと思います。
実際に私自身がその一人なのです。 現実的な目先の夢を思い描くことしか出来ません・・・。
それを「夢」と呼ぶにはあまりにも小さくて、身近過ぎて・・・、 そんなチンケなものでありながら叶えることの出来ない「願望」しか思い描けないのです・・・。 

親友の一人が言いました。 「人が聞いたら馬鹿にされるようなことだけど、僕は駄菓子屋さんをしたいんだ。 そんな夢をもっているんだ」 と。
もう一人の親友が言いました。 「僕の夢はミュージアムを作ること。 尊敬している師の書かれた絵や書や本などをコレクションして、それを後世に残したいという夢をもっているんだ」 と。
その二人に聞かれました。 「奈っちゃんは、どんな夢をもっているの?」 と。
私は、答えることが出来ませんでした。 答えたくなかったのではなく、答えがなかったのです。

作家になりたいとか、音楽家になりたいとか、そんな夢をもっていた時期もありますし、その夢が完全に消滅してしまったわけではありませんが、それに向かって何か努力をしているかと言えば何もなく、今は空想すらしていないのですから、これを夢とよぶにはあまりにもおこがましい・・・。  そうですね~、
夢らしい夢と言えば、「私は魔法使いのように空を飛んでみたい」と、そんな夢を思いついた程度です。 
それはそれでいいのかもしれません。 それが「夢」というものなのかもしれません。

でも、「奈っちゃんの夢は何?」 と 問われた時に私から出て来たものは、「今を幸せに生きたい」・・・、 そんな「欲望」しか出てきませんでした。

食欲を満たしたい、愛欲を満たしたい、名利欲を満たしたい と・・・・・ 私は、この地球に生まれさせていただきながら、餓鬼の世界に生きている鬼畜なんです。
人の姿をしたこの鬼畜が、“人間”という着ぐるみを奪い取られた時、いったいどんな怪物が出てくるのでしょう・・・ 
なんだか、笑っちゃいました。  「恐ろしい」なんて感覚などなく、鼻でフンッと笑っちゃいました。
でも、その「フンッ」って笑った心こそ、恐ろしい・・・  今、そう思いました。

「夢」  欲しいですか?
私はそれすらもわかりません。
叶えられる夢ならば欲しいと思います。 でも、所詮叶うことの不可能な夢ならば、それは思い描くほど苦しみに変わってしまうでしょう・・・。 「私の夢」なんて、そんな貧弱な「欲願」でしかありませんから・・・。

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PD(パニック・ディスオーダー) [随筆日記]

神経科の待合室は、いつも込み合っています。 予約なしで行けば3時間待ちは当たり前。
でも、結構長居の出来る環境にはなっているので3時間くらいなら何とか待つことも出来ますが、今日は4時間近くも待つこととなり、さすがに疲れてしまいました。
私の通っているクリニックは、長方形の敷地の中にL字型をした建物と中庭があって、Lの字の内側(中庭側)は全面窓となっており、中庭に向かって長いテーブルとイスが配置されているので、読書をしたり、書き物をしたり、飲み物をいただいたりと、左右に座る人たち以外をそうそう気にすることなく過ごすことが出来るような作りになっています。
クリニック.jpgまた、ドクターは一人で、午前中の受付だけでも100名近くの患者を診られているので、朝の9時から夜の9時頃まで、ほとんど休憩することなく診察されておられると思います。
患者さんは壮年層の男性が多く、私くらいの年代の女性は少ないように
見受けられます。

私が発病したのは、小学生の頃でした。
でも、その頃はまだ PD(パニック・ディスオーダー)という病名もなく、ましてや「脳機能障害」であることなど誰も知らずに、「心の病」だとか「性格的問題」としての認知にとどまっていたにすぎません。
私は、父親が仕事から帰宅するのが、怖くて、怖くて、どうしようもなく不安でしかたありませんでした。
小学校3年生の時には、夏休みに家に居ることが怖くて1ヶ月以上も高熱にうなされ、翌4年生の夏休みには、歩くことと話すことが一時的に出来なくなりましたが、いずれも原因不明との診断結果を受けました。
それが自律神経失調症の始まりだったのではないかと思っております。

成長するにつれて自分を誤魔化すことが上手くなってくるとその症状も薄らぎ、自分が安心できるように物事は良い方に考え、相手に疑心を抱かず、ほとんど自己催眠の世界ですが、きれいに都合よく思い込んで生きることで、その症状はほとんど改善されるまでに至ったのですが・・・
しかし、仏法と出会ったことで再びそのバランスが崩れてしまったのか、それとも他に原因があるのか・・・、 1年半前のある出来事がきっかけとなり突然PDの発作を起こし、それから通院が始まりました。
ちょうど、世間では夏休みが始まった日であり、蓮の花がきれいに咲き誇る頃でありました。

病院での治療はほとんど進んでいません。 ドクターやカウンセラーから聞かれたことに対してもほとんど打ち明けられない内容をかかえているので、薬物療法に頼る一方です。
しかし、病院とは無関係なところで、去年の春頃より真宗カウンセリングの道を開いていただいたことによって、少しずつですが話せるようになり、自分の病気も打ち明けられるまでになりました。
病気を克服したいと思い始めたのもこの頃からで、ここ最近は、薬物療法と並行して認知行動療法というものに取り組んだのですが、残念ながら上手くはいきませんでした・・・。

PD(パニック・ディスオーダー)は脳の不安神経の異常によって起こるものだそうです。
まだ研究段階でいろいろな仮説があるようですが、自分にとって「恐怖」と感じる対象物が迫った時に発動する警報を、その神経が過剰に反応・作動してしまうのだとの説明を受けました。

PDの発作を回避する二つの方法を示され、その一つ、「完全回避」というのも昨秋に試みたのですが、これはとても無理でした・・・。 「恐怖」の対象となっているものを自分の方から抹消するというもので、その対象物との接点を一切根絶するということは、物理的にも不可能でした。
そしてこの冬には、「暴露療法」というものを試みました。
不安や恐怖の要因となっている対象物から回避することなく、その状況に自らをおいて、徐々に慣れて克服の経験を積んでいくというものです。
少しずつ目標を上げていくことが基本ですが、対象物が「人」であれば、それは相手があることなのでとても難しいと思いました。 結局、逆効果となってしまって、薬のランクも上がってしまいました。

ここ数日、毎日発作を起こしているので、薬の影響もあってか体力的にも少しキツイものがありますが、回避して通ることの出来ないものならば、回避せずに解決していくしかないのだと・・・・・
そう自分に言い聞かせて、限界まで一歩ずつ進んで行かねば・・・、と思っております。

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元日の火災 [随筆日記]

今日のお昼を少し過ぎた頃、地域の防災サイレンが鳴り渡りました。
「お正月早々に防災訓練かしら? あぁ、もしかしたら消防の出初式?」なんて思いながらもパソコンに向かい続けていたのですが、しばらくすると今度は消防車のサイレンが聞こえて来たので、「あら、火事だったのね?」と、やっとパソコンから道路の方へと視線を移したのですが、その消防車が家の前を通り過ぎたところで徐行を始めてサイレンを止めたので、今度ばかりは「えっ?!」と驚き、慌てて道路に面した窓のある階段の上の窓を開けてみると・・・、 お茶畑を挟んだ向いの家から出火しているではありませんか!!
1.1 火災.JPG炎は民家を丸飲みするように包み込こんでおり、隣りの材木工場の窓からは黒煙が噴き出して、その排煙が風に乗って我が家の横を勢いよくかすめて行きました。
消防車が次々に到着する頃には、野次馬らがどこからともなく集まって来て、車道はたまたま通りかかった見物客で大渋滞となり、人と車のお祭り騒ぎの様相となってきました。
そうこうしている間に煙火は風下にあった商店に襲いかかるが如くその手を伸ばし、これを消防隊員らが必死で阻止している中、先ほどまで黒煙を上げていた材木工場の屋根が炎で吹き飛び辺りは瞬く間に火の山の様になってまいりました。

向いの家と言いましても お茶畑を挟んでおりますので、その距離は 200mほどあります。
また、風下ではありましたが、30度ほど角度がずれておりましたので、「まぁ、我が家に飛び火の心配fないだろう・・・」 との見解で、人の不幸を遠巻きに眺めながら、ロイヤル席から野次馬たちに心中でヤジを飛ばしておるような、 なんとも醜い私であります。
おまけにカメラまで構えて、BLOGネタにしてやろうだなんて・・・・・、 はぁ~゛、なんて 酷い!

昨夜、ブログに 「無常」だの、「後生」だのと書きましたが、隣りの家が全焼しているのを、今、目の前にしていながらも私ってこんなんなんです。
全くの他人事です。 私は大丈夫と安心しきっています。 この二年間、私は何を聞いて来たんだ?
狂ってる・・・、 まったく狂ってます・・・。
自分を横に置いて野次馬たちを見下し、人の不幸をあざ笑うかの如くネタにしている私って・・・。
自分でも気味が悪いほど、醜く 恐ろしいヤツです。

冷たい北風にあおられながら、遠巻きに燃え上がる炎を見みつめていた時、二つのことが思い浮かびました。
一つは、以前 G先生に言われた 「あんたは熱湯を浴びせられたら熱いと思う前に、熱い!と感じるやろ~!!」 とのお叱りを受けた時の言葉です。
そしてもう一つは、お釈迦さまの「四馬(しめ)」の譬えです。
「四馬」とは、四種の馬に譬えられた教えで、第一の馬は、鞭で打たれたわけではないのに御者のふりあげた鞭影(ムチの影)を見ただけで驚いて走り出す馬です。 
第二の馬は、その鞭が毛の先に触れた瞬間にハッと驚き走り出す馬です。
第三の馬は、振り下ろされたその鞭がピシャッと肉に当たって、その痛さに驚いて走り出す馬です。
そして第四の馬は、ひどく打たれながらもその痛さが骨身に徹しないと走り出さない馬で、これを駑馬(どば)と言います。 つまり鈍い馬と言うことです。

私は・・・、 そのどれにも属さない・・・。 第五の馬です。 例外であり、番外です。
熱湯を浴びせられても、熱いと感じるか感じないかのところでゴチャゴチャと自分をさばくっているだけ・・・。
また、どれだけひどく鞭に打たれても、骨身に沁みない自分なのだから仕方ないじゃん、などと居直るばかり・・・。
だから「唯除」されたんです。 例外の例外、 番外の番外で、全くお呼びでないヤツなのに・・・・
それなのに、そんな私だから呼んでくださっていた。 南無阿弥陀仏

この火事で電線も焼かれて、ご近所一帯が停電となりました。
寒気が来ている元日に、暖房器具が一切使えなくなりました。 照明も消え、パソコンも、電話も、冷蔵庫も動かなくなり、ライフラインが停止してしまいました。
なくなってみて初めてわかるのですね~、 あぁ、こんなにも電気に頼っていたんだ!って。
知っているのに知らなかった・・・。 当たり前だと思っていたけど当たり前ではなかった・・・。
この身体も、なくなってみて初めてわかる・・・、では、遅すぎるのです。

元旦に隣家の火災・・・。 また、私のために犠牲になって教えてくださった。 それを、こんなにも軽く流している私って・・・・・。  果てしないなぁ~、私は・・・・・

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来た年 [随筆日記]

明けました。 いわゆる「新年」と言うヤツが来たようです。
なんだか、もうチョミットだけ寿命をもらったような気がして、どこかホッとした感じがしています。
変ですね・・・、 「もう時間がない!」 と焦っていた時には、あれも これも と 切羽詰まった感じで落ちつかずにいて、言いたいこととか、やっておかなきゃならないこととか、次から次へと溢れ出ていたのに、「まだ時間がある」と腰を落ち着けたとたんに、のんきに今を過ごしている私が出てきました。
結局、こんなんなんですよね~。 私は、自分の思いに仕切られているだけなのです・・・。

新年を迎えてからのこの二時間に、我が家の前を救急車が二台(2回)走り去りました。
普段は、一週間に一台も通るかなぁ~と言うほどの田舎道です。
この年末には、乗用車によって踏み切り内に押し出された人が列車にはね飛ばされるという事故や、パトロール中に雪崩に巻き込まれるなどの死亡事故などが相次ぎましたが、年末・年始には、突発的な事故で不意に命を落とす人が多いなぁ~なんて感じているのは私だけかしら・・・?
でも、そんなニュースを通して、「おまえの足元はどうなん? 行く先は大丈夫かえ?」との問いかけに胸を貫かれるのですが、私は常に、「無常だ・・・」、「後生は・・・」 などの真実からは逃げてばかりいる・・・。

「焦る」というのも、数分先の自分の思いの所でボーダーラインを引いて、そこに向かって自分勝手に焦っているだけなのです。
もし、真実に対して 「ハイ」と頷けているのなら、「ただ今」のところに、「私の後生」というボーダーラインが引かれてあるのだと聞けているはずで、そう聞けていれば、焦る間もなく、今の今が真っ逆さまなはず! 私の足元など既になくて、「ただ今」が真っ逆さまの後生であり、アッも ンッも ないはずなのに、私ときたらホンに呑気なもので・・・・・、
いつも いつも 最短でも数分先に甘ったるいタイムリミットを据えては勝手に焦ったりなんかして、「無常だ~」、「後生は~」と、たった一言ほざくのみ・・・。 ホントに何も聞いていない。 本当に全く聞く気もない。
それでよくも 「無常」だの 「後生」だのと 口に出来たもんだ!って・・・!

もう、あと数時間で初日の出です。 それを見ている自分の姿は思い浮かべることが出来ても、明けの太陽を見ることの出来なくなった自分の姿など、まったく想像すらしていない・・・。
こんな私が、仏だ 法だ なんて、何ぬかしとる! です。 あかん・・・ 恥ずかしいですわ・・・

さあ~、新年です。
「明けましておめでとう!」とは、今年一年も死ぬこた~ないだろ~ とほざいておる「おいらのおめでた頭が明けちゃってパー!」ということで・・・(^.^ゞ、本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。m(__)m

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行く年 [随筆日記]

なんと・・・、半月近くもBLOGの更新が滞ってしまいました。
いろいろな災難をしょい込んで自滅しそうになっても、これを清算する暇のないほどに忙しくしていて、とてもハードな二週間を過ごしていたら、いつの間にか大晦日になっていました。
ご心配をいただきました方々には申訳ございませんでしたm(__)m & ありがとうございます(#^^#)
この期間に、様々に味わったことなどを書いておくとよいのでしょうが、何から書いてよいのやら・・・
心身ともにハードな12月を駆け抜けて来て、今は、「やっとここまで来た…」という一服感を味わってはいるものの、頭の中は まだ せわしく落ちつかない… といった感じです。
そんな時にこそ今一度振り返って足元を見直すとよいのでしょうが・・・、年末・年始ということもあって、なかなか一人で書斎にお籠りをするというわけにもいかず、ちょっとばかり不自由な大晦日を過ごしております。

2010年も残すところあと10分を切りました。 除夜の鐘の音が聞こえてまいりました。
この一年を振り返りますと、今までになく 辛く 苦しい一年でした。
過去にも生き苦しい年を過ごしたことはありますが、それは言い方を変えたなら「充実した一年であった」とも言えたのに対して、今年一年は、「充実」とは言い難い・・・、ただ ただ、人として生きて行く苦しみを浴びせられ、実感させられた一年であったように思います。

「生きること」・・・、そして「死ぬこと」・・・、 その意味を目の前に突き付けられて、その答えを見つけようと必死になって足搔きに足搔き・・・、そしてコテンパンに打ちのめされました。
答えは自分で見つけるものだと思っていたのがそもそもの間違いだったのです。
目の前に差し出されたものが視界に入っていながらも見れていなかった・・・。 耳に入って来たものが聞こえていながらも聞いていなかった・・・。 私は、私ばかりを見て、私ばかりに聞いていただけでした。

近所のお宮さん(神社)の花火の打ち上げが始まりまして外がとても賑やかになってまいりました。
世間では、行く年・来る年をいかに楽しく過ごそうかと苦心しながら華やかに賑わっています。
しかし・・・、 カウントダウン・・・、落ちつきませんね~~~。
もうすぐ今年が終わりを告げ、新しい今年がやってまいります。
そう区切りを付けているのは私自身なのです。 何もかもがそうです・・・。 私が勝手に思い計らっているだけのことなのです。 それが虚仮でした・・・。
この一年、この一生が虚仮なのだと教えていただき、これを「ほんまやな~」って頷いている私がいて、これに何故かプスッとほくそ笑みながらも、新年を祝う花火の音を疎ましく思っている私がいます。

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帰宅報告 [随筆日記]

長くて短い、そして短くて長い旅から帰ってまいりました。 
どこへ旅に出ていても、「私」という小さな世界から抜け出すことは出来ませんねぇ・・・。
今回の旅は、あちらこちらで様々な人たちと出会い、そして言葉を交わし合いながらいろいろな心に触れさせていただき、充実した旅路であったと全般を振り返っているのですが、帰宅して、今、思うことは、「私」という世界がいかに小さいか… ということです。
そんな小さな世界観の中で、時には女王様を気取ってみたり、また時には貧弱な迷子の子猫のような自分を、バカだなぁ!アホだぁ!と見ながら、それでも割り切ることの出来ないところで アップ アップしている自分はやっぱり誤魔化しきれなくて、ちょっとだけ疲れを感じています・・・。

今回の旅のテーマは、「島根の妙好人めぐり旅」で、有福の善太郎さんと、岩見の浅原才市さんに縁のお寺をいくつか訪問いたしました。
この旅を思い立ったのはもう一年以上も前の話なのですがなかなかご縁が整わず、ようやく念願叶って今回の旅の日程が具体化した頃、ちょうど時を同じくして ある方から 「島根で会って来て欲しい人がいる…」 と、フツッと沸いたお話しをいただきました。
その偶然に少々驚きながらも、その方とお目にかかるという新たな目的も楽しみの一つとなり、しかも、訪ねましたその方のお寺が、なんと才市さんとたいへん縁の深いお寺であったということを先方で知り得まして少々では済まない驚きとなり、そこで興味深いお話をいくつか聞かせていただくことが出来、とても有意義な旅となりました。

そんな旅の記録を、また時間をみてこちらのBLOGに綴っていきたいと思っておりますが・・・、 それよりも先に先月の「秋の京都旅行」をBLOGに書いておきたい!・・・(^^ゞ  なにせ、季節モノなので・・・、とは言っても既に紅葉の季節は終わってしまいましたが・・・(^_^;)
まぁ~ 今日のところはとりあえずの帰宅報告です! なにせ昨日から大幅なスケジュール変更を余儀なくされまして、今日は早くに帰宅していながらも帰宅することが出来ずに冬の厳しさを満喫した一日となってしまい、思いがけず「マッチ売りの少女」の気分でございました。
しかしながら、マッチを擦る間に読書をする時間には恵まれましたので、お土産にいただきました本などを読みながら、フツッと心にふれた言葉の幾つかをここに記しておきます。

          あさましいのも あなたでわかる
          あなた なければ わかりません  (浅原才市)

          くらしがよすぎりゃ 浮き世にのぼせ
          大事な後生を しくじるに  (小川仲造)

          我に 「こそ」を付けずに
          如来(おや)なれば 「こそ」を  (足利源左)

          うれしくば なむあみだぶつを とのうべし
          うれしくなくば なお とのうべし この善太郎  (有福の善太郎)

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仏法領 [随筆日記]

今日からまた旅に出ます。 先月の旅行記も、先々月の旅行記も、まだ書けていないのに・・・ (^_^;)
最近は私の記憶力も秋の枯れ葉状態ですからね~、思い出しながら書いても、ただの観光ガイドになっちゃうかも (;^^? ですが、暇をみつけて順次UPしていきたいとは思っております。ハイ~(^^ゞ
それはそうと、旅に出る前にはいつも、「無事に出発の当日を迎えることが出来るかしら?」なんて不安に思ったり、「無事に帰って来れるかしら?」なんてマイナス思考な思いに揺れることが多いのですが、出発当日の朝を迎えれば、「旅を終え、無事に帰宅するビジョンに洗脳されている私」がいます。
これって、いわゆる自己催眠ってやつですかね~・・・、そうやって、私は私をいつも騙しているんですね。

旅のお供にもって行くのは、携帯用のノートパソコンです。
今回も持って行こうとファイルなどを整理していたら、過去に記したメモにこんなものが見つかりましたので、旅立つ前にチョットだけBLOGを更新して行こうかななんて思ったわけであります。
昔見た映画で、気に入った言葉を書き留めておいたメモです。

その題名に引かれて見たのは、『阿弥陀堂だより』という映画です。 確か、心疾患を患った女医の妻を連れて故郷の信州に帰った売れない作家の夫婦が、阿弥陀堂に住む老女と心を交わしながら「生きる」意味を見つけていくといった映画だったと記憶しています。
その老女の役を演じた北林谷栄さんという女優さんがとても気に入ったのですが、作品の中で彼女の口を通してつむぎ出される言葉のいくつかが心に残ってメモしておいたものです。

劇中の老女、お梅さんは96歳です。 そのお梅さんが主人公の売れない作家に尋ねました。
「小説っていうのは、嘘の話しでありますか? それとも本当の話し?」
これに、 「あぁ…、嘘の話しなんだけども、本当のことを伝えるための嘘の話しって言ったらいいかな」と彼は答えたのですが、お梅さんにはその意味が飲み込めませんでした。
この会話を横で聞いていた確か村長さんの娘さんだったと思うのですが、彼女は病気で声を出すことが出来ませんので、筆談でこれに答えました。 そのノートに書かれた言葉は、「小説とは、阿弥陀さまを言葉で作るようなものだと思います」 と言うものでした。
これでお梅さんも飲み込めたようで、すごく嬉しそうにこう言われました。
「わしはねぇ、この歳まで生きて来たけど、せつねぇ話しはうんと聞いたから、いい話しだけ聞きてぃでありますよ。 誰もせつねぇ話し聞くために、わざわざ金出して本買うのはやだもんなぁ。 わしゃ~、ええ話聞いて、ええ気持になりたいでありんすよ」

仏法を聞かせていただくなかで、「この世のすべてのものは如来さまの御手のもので、仏法領でないものはなに一つとしてないのだ」と教えていただきました。
目に映るものすべて、耳に聞こえるものすべて、鼻にかぐものも、手・足にふれるものも、そのすべてが如来さまからの切なるメッセージなのだと・・・。 そう受け取れないのは、こちら側、私の側に問題があるからです。
「私」を通せば、そのすべてが地獄行きのタネとなるばかり・・・。 目に映るもの、耳に、鼻に、手に、足に・・・、 この「私」というフィルターが迷っているからです・・・。
お梅さんが言われたように、私は辛い話など聞きたくないし、自分にとって都合のいい話だけを聞いて気持ちよくなりたいだけだもの・・・。

作品の後半に、こんな会話もありました。 主人公の作家とお梅さんとのやり取りです。
「お梅さんが一番大切に思っていることは?」
「一番大切・・・・・ う~ん、やっぱり阿弥陀さんだなぁ。 なまんだぶつ なまんだぶつ」

仏法に出遇うということは、当たり前のことじゃないんです。 
自分を振り返った時、そこには私のものであって私のものではない道がひかれてありました。
真宗にひっかかったのも、なまんだぶつに反応した心も、みんなみんな私のものではありませんでした。
「私が一番大切に思っていることは?」と自問した時、私は、「自分」と答えました。 私は、私ばかりで、私しかないんです。 そんな私が、なまんだぶつにひっかかっただなんて、奇跡です。
その奇跡を、「偶然や当たり前」と聞くか、それとも「如来さまの御苦労でした」と聞けるか、この二つが両立している不思議に何となく書いてみたいという気持ちになったのであります。
では、そろそろお時間となりましたのでこれにて御免! そんじゃ~、行ってまいりま~す!\(^o^)/
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死んでいく「死」 [随筆日記]

今年もあと半月余りで暮れてしまいます。 本当に、人生なんてアッという間ですね・・・。
そう言えば先回の座談会で、「最近、自分の死に方についていろいろと思いを巡らせているんですよ~」 とおっしゃった方がおられました。
「死に方」といえば、病死、事故死、自死などといった大雑把な分け方で言われることが多いですが、例えば「病死」ひとつをとってみても、癌や心筋梗塞といった病名によっても幾通りの死に方がありますし、また「癌」といっても、細胞を侵す癌もあれば血液や骨の癌もあって様々で、その中でも苦しみもがいて死を向かえる人もあれば、眠るように亡くなられる方もあるでしょう・・・。
そうやって 細かく 細かく 見ていきますと、「死に方」というのは人それぞれなのだなぁ~と・・・、つまり、生まれた命の数分だけの「死に方」があるのだなぁ~なんて思ったのであります。

先日、先輩お同行さんで、薬を飲む分量を間違えて死の淵をさまよった方がおられました。 また、不慮の事故で危うく命を落としかけたという先輩お同行さんもおれたのですが、お二人が共通して言っておられたのが、「あぁ…、死というものは、こんなにも当たり前に来るのだな…」 というお言葉でした。

私は、「死にかけた」という経験は記憶にありませんが、「死でしまおう」と試みた経験は、まだ新しい記憶のところにもあります。
悲しいかな・・・、死のう、死のう と思えば思うほど、いかに自分が「本当の死」とはかけ離れた遠い所に「自分の死」を置いているか…、と言うことが知れてきました。
「私が思い描く死」は、所詮、自我が作り出した空想上の産物でしかありません。
だから、「当たり前の死」ということがわからないのです。 
「私の追い求める死」に手を伸ばせば伸ばすほど、本当に行くべきところとは真逆なものを必死になって作り出している私がいて、そこに「夢想の死」という落とし穴を、自らが掘っているに他ならないのだと思いました。

でも、「真実の死」は、すぐここにあるのです。 今、ここです。
そう思えても・思えなくても…、そんなの当たり前じゃんと肯定しても・否定をしても、そんなことを頭の中で論議していても・していなくても、「私の死」は、今のこの私の足元にあるという事実があるのです。
最近、「今が後生」という言葉が頭から離れません。 と言えば嘘になるけど、何か事あるごとに、「今、後生、今、後生、今、後生、・・・」 と、頭の中で繰り返されるのです。 わけわかんないです・・・。

「人間、生まれてきたのだから死んでいくのは当たり前」、「生きているものは必ず死ぬのさ」、と・・・、そう言っている自分はどうなん? 死は、他人事ではありませんぞ~!!
「生あるものは死するなり」 と 言葉で言うはとても易いです。 教えてもらったことを知識として覚えて、これを自身が肯定すれば自分の考え・意見として、これぞ間違いなし!との合格印を押印した上で、人さまの上に立って偉そうにホザクだけですからね・・・。
でも、「この私の死」が抜けちゃっているんです・・・、いつも、いつも、「私が死ぬ」というのが抜けているんです・・・。

今日は、「いろいろな死」を書きました。 「本当の死」、「思い描く死」、「当たり前の死」、「追い求める死」、などなど。 でも、どれも これも 「嘘の死」です。 全~部 嘘っぱちです!
どんな「死」を思い描こうとも、どれだけ多彩な「死」を言葉にしようとも、「私の足元にある死」とは、全く寄り添わないのです。

「死に方」にはいろいろあります。 私の死は、私の業にしたがってその死は訪れるでしょう。
我が死をも知らぬ私が、「死ぬぞ、死ぬぞ、今が後生だ!」などと人に向かって言った自分が、今、すごく恥ずかしいです。
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初対面のお念仏 [随筆日記]

11.9 アミリヤ 東山公園.JPG先月半ば、妹とその娘アミリヤ(3歳9ヶ月)がお泊りに来ました。 たった三日間の滞在でしたが、賑やかく、楽しく、でもちょっとお疲れの時間を共に過ごしました。
初日は我が家でゆっくりとおしゃべりなどして過ごしたのですが・・・、 お互い愚痴ばかりです… (^^ゞ。
私たちのお郷はちょっとばかり複雑な事情をかかえておりまして、普段は目に触れぬよう、心に触れないような生活をしておりますが、やはり妹と会えばこの話題は避けられず、それに毎度の事ではありますが今回も一悶着ありまして、妹にとっては辛く悲しい帰省になったことと思います。 そしてアミリヤにとっても・・・。
子供というのはすごく敏感ですね。 我が家で過ごした三日間はとても元気に楽しんでいたアミリヤでしたが、この後、父(アミリヤからみておじいちゃん)を訪ねた時には、「お家に帰りたい」と泣き出し、実家に立ち寄った後には熱を出してしまったそうです。

さて、妹たちの滞在二日目は東山動植物公園に遊びに行ってまいりました。
ここは、私や妹にとっても幼い頃からの思い出がつまった公園でありますので昔話にも花が咲き、またアミリヤとの園内散策はとても楽しかったです。

翌日は妹が日本的な所に行きたいというので、真宗大谷派・名古屋東別院へ行くことにしました。
山門をくぐった境内では、お東幼稚園の園児らが遊んでおり、それを遠巻きに眺めているアミリヤ。
この秋から日本の幼稚園に通い始めたのですが、やっと5,6個の挨拶言葉が日本語で言えるようになった程度ですので、今はどこへ出かけても言葉の壁が彼女の動きを制限してしまっているようです。

本堂に入ると私たち以外に参拝客はおらず、アミリヤはその広さに少し興奮気味でしたが、私が仏さまの真正面に座しますとアミリヤも私の横にピッタリとくっついて仏さまの前に座しました。
そして私が合掌をすると、アミリヤはこれを少し不思議そうに眺めながらも、その小さな手と手を組み合わせるしぐさをしたのですが、これがちょっと違うんです。
妹夫婦はモルモン教徒なのでいわゆるキリスト教の信者です。 ですからアミリヤも食事の挨拶や祭壇の前では、仏式の指をのばしたままの合掌とは違い、手と手の指を組み合わせて両手でグーの形を作るのです。
まずはこれを修正して、手と手の指と掌を合わせた合掌の仕方を教えます。
そして、「Please call the ‘na・mu・a・mi・da・du・tsu’.(‘南無阿弥陀仏’と呼んでみて)」と言うと、ちょっと困った顔をしながら身体を動かすも口は動かず・・・。 それで今度は少し短めに、「アミリヤ、‘なまんだぶつ’」と促すと、声にこそ出しませんでしたが小さな口がかすかに動き、頭の中ではこの単語を言葉にしようと何度も繰り返しているように見えました。
「なまんだぶつ なまんだぶつ なまんだぶつ ・・・」 私の称えるお念仏がアミリヤの耳から入って行き、合掌、礼拝する姿を見て、アミリヤの頭がコクンと下がりました。
そこで、「アミリヤが‘なまんだぶつ’と言ってくれたら私はとても嬉しいのだけどなぁ~」と言うと、彼女は少し照れ恥ずかしそうにしながらも 「na・n・du・da …?」 と、さな声ではありましたが彼女の口から声となってそれは発せられました。
それがなんだか無性に嬉しくて、私は 「なまんだぶつ なまんだぶつ」とアミリヤに向かって称えると、それに応えた彼女の口からカタコトではありますがお念仏が声となって何度も飛び出してくださった。
「ありがとう、ありがとう」。 私はアミリヤに向かってそんな気持ちでいっぱいになりました。

この時、自分の過去を思い返してみても、私が初めて自分のお念仏と出遇った日の記憶はありません。
ですが、誰かが教えてくださったから合掌も出来るようになったのだし、‘南無阿弥陀仏’と言えるようになったのです。 その御苦労を私は知らないし考えたこともありません。
ただ、これを喜んでくださっている如来さまがおられるのだということを、意味もわからずに 「なまんだー、なまんだー」とはしゃぎながら称えているアミリヤの姿を通して教えていただきました。
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信頼関係という器 [随筆日記]

自作の陶製の器が割れてしまいました。 とてもお気に入りの、とても大切にしていた器でした。
それを、ただ虚しく眺めている私がいます。  虚無・・・・・  壊れてしまうことなど百も承知でした。
だから、今はただ眺めているだけです。 カケラ一片拾うことなく、ただ虚しく眺めているだけです。

人間同士の信頼関係って、お互いが信じ合い、依存・助け合って、時には揉まれながらも切磋琢磨した結果、時間を積み重ねてやっと得られるものなのでしょうが、それが崩れるのは一瞬です。 アッと言うまもなくその輝きを失くし、粉々に砕け散ってしまいます。
まるで陶器のようですね。

お茶碗一つを作るのに、まずは山から粘土を採取し、これを水に溶かしては漉して乾かし、また水に溶いて漉しては乾かしという地道な作業を何ヶ月もかけて繰り返し余分なものを取り除いていきます。
ようやく器を作る粘土として使えるようになったものを今度は練って練って、余分な空気を抜き粘土を一つの塊に整え、やっと器として形成していくのですが、その粘土の性質に適合した形の器でなければ上手く形成することが出来ませんので、その粘土の性質をよく理解する必要があります。
このように、適正に合った形が作られるまでにもかなりの時間を要しますが、ここからはさらに過酷です。
一つの形に整えられた器は、急がず慌てず何日もかけてゆっくりと乾燥させ水分を飛ばした後に火釜の中に入れられます。 そこで何時間も焼かれた後、素焼きの器として出来上がりますが、この状態では水漏れもしますし、器としては軟弱なものですので使用用途が限られてしまいます。
そこで、この素焼きの器にガラスや鉄などを溶かした釉薬という色薬を付けて、素焼きの時よりも高温で長い時間をかけて焼き上げることによって、やっと一つの器として完成品となるのですが、これにさらに上絵などの装飾を施してからもう一度焼き上げる場合もあります。
このように、長い時間と手間暇をかけながら、干され、もまれ、焼かれた後に、やっと出来上がった器も、落としてしまえばアッと言う間に粉々に飛び散り、器としての機能を失ってしまうのです。 それが、人間同士の信頼関係に似ていると思いました。

いったん壊れてしまったものでも必要とあらば修復することもあるのですが、しかし、どう頑張ったとしても決して元の形に戻ることはなく、その傷も表面化してしまいます。 これを繰り返せば繰り返すほどに傷だらけとなって、いつかは修復することすら出来なくなってしまうでしょう。
しかも、一度傷ついたものはさらに壊れやすくなります。 もう、取り返しがつかないのです。

人間関係の場合は単体ではないのでさらに複雑ですよね・・・。
こちらの思いと、あちらの思いがあります。 こちらの性質と、あちらの性質があります。 こちらの過去や今があり、あららの過去や今があります。 ですから、所詮、一つの器になれるはずなど無いのです。
もし、信頼関係という一つの形に仕上がったと思っても、それは夢・幻の産物でしかない・・・・・。
しかし、たとえ幻影のような信頼関係であっても、これがなければ何も深まりはしないでしょう。
逆に言えば、信頼関係が築けた上でしか人間関係は深まらないということが言えるのではないでしょか。

いったん壊れてしまったものは、元の形には戻りませんが、直す気になれば、似た形には仕上がるかもしれません。
しかしその修復は、これを作り上げた時以上の時間と労力と根気を要するでしょう。 壊れた破片の細部までじっくりと観察してこれを理解しなければいつまでもパーツは合致せず、器は穴だらけのままで、そんな欠け欠けの器にどれだけものを流し込んだところで何ともならないてすよね・・・。

人間同士の信頼関係で言えば、まずは壊れてしまったという事実を知ること。 壊れたものには何も入りません。 信頼関係という器があってこそ信頼は深まるのですから。
そして何が原因でその信頼関係が崩れてしまったのかをちゃんと振り返り、今どんな壊れ方をしているのかをよく知り、どうしたらこれを修復できるのか、細かく理解していく必要があるように思います。
そして出来ることならば同じ壊し方は二度としないよう、これをしっかりと学んでいかなければと思っています。

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♪初めの一~歩♪ [随筆日記]

ありがとう。
感謝の心なんぞ持ち合わせてはいないけれど、ひと言、「ありがとう」という言葉を使いたい。

BLOG、再開することにしました。  「♪ 初 め の 一 歩 ♪」 です。

小さな私が、小さな苦悩を 大きく 大きく 膨らませて、そしてついにはその重さに耐えられなくなってしまったけれど、その自分の思いに押し潰されたと思ったその時、これを支えてくれている大きな力に気付かせていただきました。

私はホントに小さな人間です。 でも、自分の中ではすっごくドデカイ存在なんです。
そんな ‘気’だけはやたらと馬鹿デッカイけれど 実はミニミニちっぽけ私が、小さな 小さな日々の出来ごとに大きく一喜一憂して、同じ事にクルクル、同じ場所でクルクル、そんなことを 何度も 何度も 懲りずに繰り返しながら生き苦しいこの世を生かさせていただいているのですが、その 一ページ 一ページに感じたことを またこのBLOGに書き綴っていこうと思っています。

このBLOGの題名、気に入っているんです。
蓮華の薫るこの庭で、「私らしく」しか生きることの出来ない私が、「私のまんま」で、思い・感じたことを書いていきます。 
「自分の思いは書くな!」、「御法のことはふれるな!」、「BLOGはやめろ!」 とのご意見にはもう従わない勇気。 私の思いにちゃんと耳を傾けてあげる勇気。 それが今の私に課せられたテーマだと思いました。

大~きく息を吸って~~~、 そして吐いて~~~、 ちゃんと前を向きましょ~~~ o(^o^)o
「♪ 初 め の 一 歩 ♪」 です。  ヨッシャ~~~[exclamation]
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寄せかけ 寄せかけ 海の波 [随筆日記]

今日は、ちょっと海までドライブに出かけてまいりました。 風光明美(・・・)とは言い難い、三河湾まで!
波は穏やかでしたが、一寸足りとも止まることがないんです・・・・・・
そんな当たり前のことが、少し怖く感じられました。

「寄せかけ 寄せかけ 帰らんに同じ・・・」  親鸞さまの 『御臨末の御書』の一句が頭をよぎりました。
私には、これを記された時の親鸞さまの御心は推測でしかわかりません。
ただ、止まることのない この海の波を眺めながら、二つのイメージが私の中で生まれました。

 一つは、 如来さまみたい・・・ と・・・・・。

“ 御法 ” という大海の波打ち際で、チャポ チャポ と 波と戯れ 遊んでいる私・・・。
その 大きな 大きな 海の水を、 私の 小さな 小さな 両の手で、すくっても すくっても、 決して この手を満たし続けること叶わず・・・  アッという間に流れ落ちて、一時は濡れた両手もすぐに乾いてしまいます。
御法を・・・、 真実のひと欠片でも握りたい! 私のモノにしたい! と思って頑張ってはみても、所詮、無理なことなのです・・・。

私は、自分の力でこの海の畔まで来た・・・ という、大きな勘違いをしていました。
こうして海まで来て、その波打ち際に立たせていただけているのは、偶然でもなければ、自分の意思で…、私の力で成したことでもありません。
私にはまったく感知の出来ないところで、深くて大きなご苦労があってこそ、その御働きによって、今、ここに立たせていただいているのです。
その波打ち際で、この海の大きさも、深さも、なんにも知らないままに、ただ自分勝手に遊んでいるのが私です。
でも、私は飽き性だから、「や~めた! もう帰る!」 って、海に背を向けるの・・・。 自分の都合で、何度も… 何度も…。
だけどね、波は止まってくれないの・・・。 決して止まってくれないの・・・。
「聞いて! 聞いて!」 って、 寄せかけ 寄せかけ 私に打ち寄せるの・・・。

海の水ってね、すごく不味いのよ! 飲めたものじゃない!
私が求めているのは、もっと もっと 美味しいものだもの。 夏には冷たくて、冬には温かいもの・・・、 そして
私は、この私が満足出来るものしか求めていないの・・・。 苦くて 辛い 海の水など、求めていないの・・・。

 もう一つは、私の ‘思い’ みたい・・・ って・・・・・。

寄せかけ 寄せかけ、 止まることなく・・・、絶えることなく・・・、 「私の思い」は 次から次へとあふれ出てまいります。 私は、「私の思い」で 常に満ち満ちています・・・。
それを自身で叱咤したところでしかたないのに・・・、 何も変わらないのに・・・、
それをわかっていても止まないのは、実際はわかっていないからなのでしょうね・・・、 それすらもわからない私なのです。 自分のことすら何もわかっちゃいない・・・・・

でもね、私のことを100% わかっているよ! って、自信満々に言っておられる方がいるのです。
「私は、私のことすらわからない・・・」 って、泣いている私に、「よく気付いてくれたね」って、褒めてくださる方がいるんです。
何にもわからない私がいたから、そんな私一人のために、「私」というものを調べ尽くしてくださった。
それが、阿弥陀如来さま。 
そして、法海に飛び込めないまま、波打ち際にて戯れることしか出来ない私と解かって、私一人のために苦労に苦労を重ね、南無阿弥陀仏さまになってくださったのが、私の口から出てくださる、私の南無阿弥陀仏なのです。
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