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PD(パニック・ディスオーダー) [随筆日記]

神経科の待合室は、いつも込み合っています。 予約なしで行けば3時間待ちは当たり前。
でも、結構長居の出来る環境にはなっているので3時間くらいなら何とか待つことも出来ますが、今日は4時間近くも待つこととなり、さすがに疲れてしまいました。
私の通っているクリニックは、長方形の敷地の中にL字型をした建物と中庭があって、Lの字の内側(中庭側)は全面窓となっており、中庭に向かって長いテーブルとイスが配置されているので、読書をしたり、書き物をしたり、飲み物をいただいたりと、左右に座る人たち以外をそうそう気にすることなく過ごすことが出来るような作りになっています。
クリニック.jpgまた、ドクターは一人で、午前中の受付だけでも100名近くの患者を診られているので、朝の9時から夜の9時頃まで、ほとんど休憩することなく診察されておられると思います。
患者さんは壮年層の男性が多く、私くらいの年代の女性は少ないように
見受けられます。

私が発病したのは、小学生の頃でした。
でも、その頃はまだ PD(パニック・ディスオーダー)という病名もなく、ましてや「脳機能障害」であることなど誰も知らずに、「心の病」だとか「性格的問題」としての認知にとどまっていたにすぎません。
私は、父親が仕事から帰宅するのが、怖くて、怖くて、どうしようもなく不安でしかたありませんでした。
小学校3年生の時には、夏休みに家に居ることが怖くて1ヶ月以上も高熱にうなされ、翌4年生の夏休みには、歩くことと話すことが一時的に出来なくなりましたが、いずれも原因不明との診断結果を受けました。
それが自律神経失調症の始まりだったのではないかと思っております。

成長するにつれて自分を誤魔化すことが上手くなってくるとその症状も薄らぎ、自分が安心できるように物事は良い方に考え、相手に疑心を抱かず、ほとんど自己催眠の世界ですが、きれいに都合よく思い込んで生きることで、その症状はほとんど改善されるまでに至ったのですが・・・
しかし、仏法と出会ったことで再びそのバランスが崩れてしまったのか、それとも他に原因があるのか・・・、 1年半前のある出来事がきっかけとなり突然PDの発作を起こし、それから通院が始まりました。
ちょうど、世間では夏休みが始まった日であり、蓮の花がきれいに咲き誇る頃でありました。

病院での治療はほとんど進んでいません。 ドクターやカウンセラーから聞かれたことに対してもほとんど打ち明けられない内容をかかえているので、薬物療法に頼る一方です。
しかし、病院とは無関係なところで、去年の春頃より真宗カウンセリングの道を開いていただいたことによって、少しずつですが話せるようになり、自分の病気も打ち明けられるまでになりました。
病気を克服したいと思い始めたのもこの頃からで、ここ最近は、薬物療法と並行して認知行動療法というものに取り組んだのですが、残念ながら上手くはいきませんでした・・・。

PD(パニック・ディスオーダー)は脳の不安神経の異常によって起こるものだそうです。
まだ研究段階でいろいろな仮説があるようですが、自分にとって「恐怖」と感じる対象物が迫った時に発動する警報を、その神経が過剰に反応・作動してしまうのだとの説明を受けました。

PDの発作を回避する二つの方法を示され、その一つ、「完全回避」というのも昨秋に試みたのですが、これはとても無理でした・・・。 「恐怖」の対象となっているものを自分の方から抹消するというもので、その対象物との接点を一切根絶するということは、物理的にも不可能でした。
そしてこの冬には、「暴露療法」というものを試みました。
不安や恐怖の要因となっている対象物から回避することなく、その状況に自らをおいて、徐々に慣れて克服の経験を積んでいくというものです。
少しずつ目標を上げていくことが基本ですが、対象物が「人」であれば、それは相手があることなのでとても難しいと思いました。 結局、逆効果となってしまって、薬のランクも上がってしまいました。

ここ数日、毎日発作を起こしているので、薬の影響もあってか体力的にも少しキツイものがありますが、回避して通ることの出来ないものならば、回避せずに解決していくしかないのだと・・・・・
そう自分に言い聞かせて、限界まで一歩ずつ進んで行かねば・・・、と思っております。

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マリオネット

この病は外見から察知できないことが辛いですね。
少なくとも私はそうです。
話しは聞いてくれてもすぐに忘れられてしまいます。
悲しいかな、原因である夫にさえも忘れられてしまう。
わかってもらえたと思ってもいちじしのぎ。
今は離婚を考えるばかりです。
by マリオネット (2011-01-29 22:38) 

奈っちゃん

マリオネットさまのお気持ち、とても共感できます。
他の誰にわかってもらえなくても、発作の原因となっている人にだけは理解してもらいたい・・・、 本当にそうですよね。
でも、私には、相手を変えるほどの力などありません。
私自身はもちろんのこと、その人(マリオネットさまなら夫)自身が何かのきっかけ(縁)によって自身に気付きが芽生え、これによって変わっていくしかないと思うのです。
相手に求めれば求めるほど、虚しさが募り、病はますます悪くなる一方です。
離婚を勧めるわけではありませんが、私自身、その「距離」は大切なことだと感じております。
by 奈っちゃん (2011-01-30 11:20) 

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