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梅の花 (妙好華の種) [随筆日記]

佐布里公園の梅園へ行った数日後の週末に四日市南部丘陵公園の梅園へ行ってまいりました。
四日市南部丘陵公園は29haもの広さを持つ市営の公園で様々な遊技場があり、その一角にある梅園には600本程の梅の木が植えられています。
この日はお天気もあまり良くありませんでしたし、梅の花もまだ二分咲きといったところでしたが、それはそれなりに楽しんでまいりました。

2011.2.24 四日市南部丘陵公園.JPG

先回の梅の花を書いたBLOGのご感想をいただいた中に、紀貫之さんの和歌を書いてくださったメールをいただきました。
    「人はいさ 心も知らず ふるさとは  花ぞむかしの香に匂ひける」 
【私釈】 人(あなた)のお心が、どのように変わってしまわれたのかはわかりませんが、懐かしき故郷に咲く梅の花は、昔と変わることなく馥郁かぐわしく今年も美しく咲いております。

梅の花を詠んだ和歌は、数多くあります。 「花(花見)」と言えば、今は桜の花を言いますが、奈良時代より前は「花」といえば、梅の花だったそうです。
梅の花は、英名で 「 Japanese apricot 」。 なんだか味気ないですね。
和名では、木の花(このはな)、好文木(こうぶんぼく)、春告草(はるつげぐさ)、香栄草(こうばえぐさ)、匂草(においぐさ)、初名草(はつなぐさ)、香散見草(かざみぐさ)、風待草(かぜまちぐさ)など、情景美しく、春香るような別名がたくさんあります。

『新古今和歌集』の中に、梅の花を詠んだ歌をみつけました。
   遅くとく つひに咲きぬる 梅の花  たが植ゑ置きし 種にかあるらむ  (藤原忠平さん)
【私釈】 遅く咲く・早く咲くの違いはあれども、とうとう梅の花が咲きました。 さて、どなたが植えた種から芽を出し、花まで咲かせたのでしょうか?

これを読んだ時、蓮如さまの『御一代記聞書』が思い出されました。

陽気・陰気とてあり。 されば陽気をうる花ははやく開くなり、陰気とて日陰の花は遅く咲くなり。 かやうに宿善も遅速あり。 されば已・今・当の往生あり。 弥陀の光明にあひて、はやく開くる人もあり、遅く開くる人もあり。
とにかくに、信・不信ともに仏法を心に入れて聴聞申すべきなりと云云。 已・今・当のこと、前前住上人仰せられ候ふと云云。 昨日あらはす人もあり、今日あらはす人もありと仰せられしと云云。

阿弥陀さまの智慧と慈悲の御光は、みな平等に絶え間なく照らし続けてくださっています。
では、何故に花の開くのに遅い・速いがあるのでしょうか?
私は思うのです。 一人一人が皆、違う種を持っています。 その種によって遅速があるのだと。
でも、私の蒔いている種は、今も、そして過去にも未来にも、毒花、悪花の種しか蒔いていません。
その種からは、決して、決して、かぐわしき芳香を放つ美しい花を咲かせることは有り得ないのです。
そんな種からは咲くはずもない「妙好華」と称される花を咲かせるだなんて・・・・・ いったいどなたが蒔いてくださった種から花開くというのでしょうか?

私は自らの地獄を造り続けるばかりです。 そんな私の為にお浄土をお造りくださり、そこに希有の妙華として花咲かせようなどと・・・、 これを必ず誓うと・・・、 そんな有り得ないような不思議をお約束してくださったのが阿弥陀如来さまなのです。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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