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春の高山祭 山王祭の屋台 〚2〛 [御法縁]

前号に引き続いて、山王祭に曳き揃えられた屋台をKHさんの解説付きで見学するという贅沢な旅。
下の写真は左側から、琴高台(きんこうたい)、鳳凰台(ほうおうたい)、恵比須台(えびすたい) です。

琴高台 鳳凰台 恵比須台.JPG

『琴高台(きんこうたい)』 は、中国に伝わる鯉に乗った仙人「琴高」にちなんだ屋台で、「支那列伝史」より 「琴高、赤鯉に座し来る」との故事を引用して「琴高台」と名付けたのだそうです。
屋根には1対の飛龍、 上段には彩色された牡丹と、金色の兎と漆黒の烏、 中段には飛龍の彫刻が施されています。 飛龍は龍の子であるとの説を元に、欄間にも素木の波に金色の鯉が彫られていて、 この兎と鯉の彫刻は、後に記す谷口与鹿さんのデビュー作であると言われています。
中段幕は、緋の地に金糸で波が描かれ、その中を色糸の鯉が滝に見立てた柱を登る「鯉の滝登り」の刺繍が施され、本見送り幕は、この日かかっていた徳川家16代当主家達の書「琴高仙人の詩」の他にも、替見送り幕として、垣内雲庶(かいとううんりん)による琴高仙人が鯉に乗って登場するものとがあるそうです。

『鳳凰台(ほうおうたい)』 は、屋根中央部に赤木・白毛の長鉾(龍頭剣)を掲げ、緋羅紗(ひらしゃ)の屋根覆いをまとっています。
見た目にはとても地味な屋台ですが、古来の形態を保ちつつ、蛇腹形支輪が伸縮する仕組みを取り入れた屋台で、また、中段の赤・黒・黄の三色の大幕はオランダ産の大変珍しい毛織なのだそうです。
見送り幕はシンプルな鶴の図。 彫刻は、上段に彩色された牡丹、屋根と中段柱には鳳凰、下段には屋台一周、七宝格子の地に麒麟が彫られています。

『恵比須台(えびすたい)』 は、 KHさんが熱く語る、名工 谷口与鹿さんの大作が載っていて、金具の鍍金(ときん)には純金が使用されるなど、大層豪華な屋台です。
屋根には一対の鳳凰、彫刻は、上段には金彩の波と彩色された牡丹、そして中段には波間に飛龍の彫刻が施され、欄干の彩色された牡丹をくわえた素木の獅子の表情は一見して愛らしく、それとは対照的に下段に飾られた半月形の枠の中に彫られた龍は、一瞬ドキッともしますが、でもやはりどこか温かみのある表情をしています。
恵比須台の一番の見どころとも言える手長・足長の彫像は、以前このBLOGにも書きましたが、宮川にかかる鍛冶橋の欄干に飾られた手長・足長のレプリカのブロンズ像の実物で、与鹿さんが25歳の時の作品です。 (手長・足長 谷口与鹿さん  http://aa-mujyou.blog.so-net.ne.jp/2010-02-14
見送り幕は、金髪の婦人らが自然の中で戯れているという西洋の風俗画で、恵比須台とのイメージ的関連はありませんが、これは幡(はた)見送りといわれる形式で、日本で織られたオランダの綴錦織(つづれにしきおり)として大変重要なものなのだそうです。

谷口与鹿(よろく)さんは、1822年に大工一家である谷口家の飛騨の匠 谷口権守典三郎延伝さんの次男としてお生まれになられました。
16歳の時に大工で彫刻家の中川吉兵衛さんの下に弟子入りをして29歳までの14年間飛騨で彫り続け、デビュー作は先に記しました『琴高台』の波間の鯉と兎の彫刻と言われ、これは17歳の時に彫られた作品です。
そして29歳の時に高山を離れ一旦京都へと向かい、その後43歳という若さで亡くなるまで兵庫県の伊丹で生活をしていましたが、この間に彫られた作品はほとんどないのだそうです。

私は芸術を理屈で語ることなどできませんが、今回初めて与鹿さんの作品を見て思ったのは、子供のような無邪気さと夢・・・、 大人としての寂しさと孤独・・・、 そして、人としての弱さと温かさを感じました。
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