高山 春の散歩道 (大隆寺・錦山神社) [御法縁]
日枝神社から城山を大きく回り込むように次に向かったのは大隆寺です。
ここまで来ますと観光客はもちろんのこと地元の人とさえも会うことなく、高山の春をみつけながら、の~んびりとお散歩を楽しむことができます。
でも・・・、 スーツケースを持っての山道はちょっと大変かなぁ~ なんて思っていたら、KHさんが荷物を持ってくださって・・・、それをRy君が代わって持ってくださったおかげで私は手ぶら状態・・・。 ちょっと申し訳なかったです。
桜の花の蕾がほころびかけたばかりの高山の春。 道端に咲くタンポポン、 あぜ道に芽を出したつくしんぼ、 山にはネコヤナギの花が咲き、 野にはいぬふぐりや仏の座が彩りを添えていました。
三人で何をお話ししながら歩いていたのか忘れちゃったけれど、瞼に残る春の風景は、とても穏やかで優しかったです。
日枝神社から20分近く歩いたかしら? 妙高山大隆寺(だいりゅうじ)に着きました。
本堂は小高い丘の上にあるのですが、その階段下には弁天池と呼ばれる小さな池があって、その池の中に乱石積基壇が盛られ、水上に浮いているかのような弁天堂が建てられています。
この弁天堂にもKHさんのお仕事が施されているとのことでいろいろお話しをいただいたのですが、専門用語にはまったくついて行けず … (^-^; 初めの内こそ聞き直してばかりいたのですが、途中からは聞き流しの体制に入ってしまいました。 KHさん、ごめんなさい …(^.^ゞ
階段を上がって本堂へと向かう途中に、ピンク色のかわいい花がたくさん咲いていて、KHさんからショウジョウバカマという名のお花だと教えていただきました。 これを漢字で書くと 「猩々袴」となります。 「猩猩」とは、中国の伝説上の生き物(?)で、お酒好きでいつも赤い顔をしているから酒豪や赤いものを指す代名詞にもなっているそうです。 きっと、愛嬌のある妖怪(?)なのでしょうね。
大隆寺は、1652年に京都大徳寺金龍院の末寺として第四代藩主金森頼直氏が創建したお寺です。
宗派は曹洞宗で、本堂には中央に座したお釈迦さまとその脇にたくさんの・・・・・ 何なのでしょう?
シンプルでありながら、いろいろな像が安置されてありました。
境内からは見晴らしがよく、目の前には遠く、真っ白な雪衣に覆われた美しい乗鞍岳を臨めました。
ここからは裏山を下ってKHさんのお家へと向かいました。 でも・・・、初めて通る道だったらしく、KHさんもあてずっぽうのまま、「たぶん、こっちの方でいいと思うけど・・・、 どっちの道から行く?」 と、私に帰宅ルートを尋ねる始末・・・ (;^_^A
それで私も適当に、「お花が咲いているからこっちの道を行きたいわ!」 と、その道を進んだ先の突き当りに小さな神社がありました。 錦山神社と言います。
これを見てKHさんがひどく感激をされたので、「どうしたの?」 と 尋ねると、この神社、以前からKHさんが探し求めておられた神社で、つい先日もRy君と二人で探し歩いたのだとか・・・。
それが、たまたま適当に歩いて来た所で出くわしたものだから、「いや~! 奈っちゃんのおかげだ!」などと褒めていただいちゃって! (^-^ゞ
錦山神社の祭神は、物部守屋大連命ということで、これは大変にめずらしのだそうです。
用明天皇の時代(587年)に、崇仏派の蘇我氏と、廃仏派の物部氏との間で崇仏排仏の争いが起き、これが皇位継承問題にまで発展した結果、その抗争に敗れた物部守屋大連命は、一族でこの地に逃げ落ちて来たのだと伝えられています。
その後、物部守屋大連命の御霊を奉斎したのがこの神社の起源なのだとか・・・。 そんなお話しをしながらH家に向かって野の道を行き、お家に着いたのは3時頃、ちょうどおやつの時間でした。
ここまで来ますと観光客はもちろんのこと地元の人とさえも会うことなく、高山の春をみつけながら、の~んびりとお散歩を楽しむことができます。
でも・・・、 スーツケースを持っての山道はちょっと大変かなぁ~ なんて思っていたら、KHさんが荷物を持ってくださって・・・、それをRy君が代わって持ってくださったおかげで私は手ぶら状態・・・。 ちょっと申し訳なかったです。
桜の花の蕾がほころびかけたばかりの高山の春。 道端に咲くタンポポン、 あぜ道に芽を出したつくしんぼ、 山にはネコヤナギの花が咲き、 野にはいぬふぐりや仏の座が彩りを添えていました。
三人で何をお話ししながら歩いていたのか忘れちゃったけれど、瞼に残る春の風景は、とても穏やかで優しかったです。
日枝神社から20分近く歩いたかしら? 妙高山大隆寺(だいりゅうじ)に着きました。
本堂は小高い丘の上にあるのですが、その階段下には弁天池と呼ばれる小さな池があって、その池の中に乱石積基壇が盛られ、水上に浮いているかのような弁天堂が建てられています。
この弁天堂にもKHさんのお仕事が施されているとのことでいろいろお話しをいただいたのですが、専門用語にはまったくついて行けず … (^-^; 初めの内こそ聞き直してばかりいたのですが、途中からは聞き流しの体制に入ってしまいました。 KHさん、ごめんなさい …(^.^ゞ
階段を上がって本堂へと向かう途中に、ピンク色のかわいい花がたくさん咲いていて、KHさんからショウジョウバカマという名のお花だと教えていただきました。 これを漢字で書くと 「猩々袴」となります。 「猩猩」とは、中国の伝説上の生き物(?)で、お酒好きでいつも赤い顔をしているから酒豪や赤いものを指す代名詞にもなっているそうです。 きっと、愛嬌のある妖怪(?)なのでしょうね。
大隆寺は、1652年に京都大徳寺金龍院の末寺として第四代藩主金森頼直氏が創建したお寺です。
宗派は曹洞宗で、本堂には中央に座したお釈迦さまとその脇にたくさんの・・・・・ 何なのでしょう?
シンプルでありながら、いろいろな像が安置されてありました。
境内からは見晴らしがよく、目の前には遠く、真っ白な雪衣に覆われた美しい乗鞍岳を臨めました。
ここからは裏山を下ってKHさんのお家へと向かいました。 でも・・・、初めて通る道だったらしく、KHさんもあてずっぽうのまま、「たぶん、こっちの方でいいと思うけど・・・、 どっちの道から行く?」 と、私に帰宅ルートを尋ねる始末・・・ (;^_^A
それで私も適当に、「お花が咲いているからこっちの道を行きたいわ!」 と、その道を進んだ先の突き当りに小さな神社がありました。 錦山神社と言います。
これを見てKHさんがひどく感激をされたので、「どうしたの?」 と 尋ねると、この神社、以前からKHさんが探し求めておられた神社で、つい先日もRy君と二人で探し歩いたのだとか・・・。
それが、たまたま適当に歩いて来た所で出くわしたものだから、「いや~! 奈っちゃんのおかげだ!」などと褒めていただいちゃって! (^-^ゞ
錦山神社の祭神は、物部守屋大連命ということで、これは大変にめずらしのだそうです。
用明天皇の時代(587年)に、崇仏派の蘇我氏と、廃仏派の物部氏との間で崇仏排仏の争いが起き、これが皇位継承問題にまで発展した結果、その抗争に敗れた物部守屋大連命は、一族でこの地に逃げ落ちて来たのだと伝えられています。
その後、物部守屋大連命の御霊を奉斎したのがこの神社の起源なのだとか・・・。 そんなお話しをしながらH家に向かって野の道を行き、お家に着いたのは3時頃、ちょうどおやつの時間でした。
コメント 0