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京都へ向かう車中にて [御法縁]

京都へ向かう列車の中で、S先生の書かれた高山BLOGを、「誰のことだろう…」ではなく、この私へのメッセージとして、何度も 何度も 繰り返し読みました。
ときに空を仰いで大きなため息をついたり・・・、ときに固く目を瞑って両の手に握り拳を作っていたり・・・、ときに口を真一文字に結び瞳に涙を浮かべたりと・・・、読む度ごとにいろいろな思いが波うってめぐって来ました。

ここしばらく、このBLOGでは、御法のことも、自分自身のことも、なるべく書かないように・・・ と言うよりも、 書きたくない・・・ という思いがあって、それらを回避しながら綴っていましたが、 今こうして、ちょっとだけ書く気になったのも、先生のそのBLOGにあった 「自分の生地いっぱいで聞くしかない」 という言葉が、頭に絡み付いてしまったからなのかもしれません。

鉄橋を渡る大きな音に驚いて フッと窓の外に目を向けると、まるで時間が止まっているかのように静止した川の水面に鏡面して、岸辺の並木が現実のものとは反転した姿で映っている風景が目に飛び込んできました。
鏡面した世界では、木々は地面から地中に向かって生えているし、空は頭上ではなく足下に広がっています。  そのどちらが現実の世界なのか・・・・・、 不意にそんな疑問が頭をもたげました。

私は、「私が自覚している私」を「私」だと思っています。 同様に、その私が認識している世界を「現実の世界」だと思い込んでいます。 でも、それは真実なのでしょうか・・・・・?
そんなあてもない疑問が脳裏をよぎり、私は空想の中でその川岸に立って水面を覗き込みました。
そこには、地面に足裏を張り付けられた、頭下足上の姿の私自身がこちらの世界を覗き込んでいて、「こちらの世界こそが現実の世界よ! この私こそが現実の私よ!」 と言わんばかりの自信に満ちた目で私を見ていました。
私は、その水面の世界の私に向かって、「何の因果でこの地面に張り付いているかわからないけど、その足裏の粘着力が切れた瞬間に、あなたは頭下足上のまま落ちて行ってしまうのよ!」 と、思わず叫ばずにはいられないほどの衝動に襲われ、いったい何が夢で何が現実なのか・・・、混乱した妄念妄想の中を 長い 長い間 さ迷っていたように感じました。
でもそれはホンの数秒間の出来事で、我に返った時には、まだ列車は鉄橋を渡っている途中でありました。

私は再び、プリントアウトしてきたS先生のBLOGに目を落としてそれを読み返していたのですが、その時、何気なく視線が文字を離れて、そのペーパーを持つ自分の手の方に意識を奪われました。
「小さい・・・・・・。 私の手って、こんなにも小さかったかしら?」 
プリントペーパーを膝の上に落として、私は自分の両手のひらをシカと眺めながら、自分の手の中に、亡き母の手を思い描きました。
私の母はとても小柄な人で、故にその手もとても小さくて・・・、 そんなことを想い出しながら自分の手をみつめ、 「小さいのは母の手だけではなかった・・・、 私の手もこんなにも小さい・・・、 こんな小さな手では、何もつかめない・・・」 と 思いました。
そして、その両の手をグーにしたり、パーにしたりしながら、「私は、何を握っているのだろう・・・・・」 と 小さな声で呟いた後で、喉元まで出かかったその答えをゴクリと飲み込みながら、車窓より流れ行く風景に視線を移しました。
妄念・・・  妄想・・・  こんな小さな手では、何ひとつとして掴めない・・・・・。 
たとえ握りしめたと思ってみても、 開いたその手のひらには何も残ってはいない・・・・・。

そんな私が、とてつもなく 大きな 大きな手の中で駄々をこねているなんて、笑っちゃいます。
如来さまの その大きな 大きな手は、そのまんまの私を丸ごと包み込んでも余りあるのに・・・。
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