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6月の輪読法座 [御法座・仏法]

輪読法座の当日、午前中は前日にOPENしたばかりの京都駅前のショッピングモールにて時間つぶしにふらふらとお散歩・・・、 と 言いながらも、赤札のワンピースとサンダルを買ってしまいました。(^.^ゞ
店内は、思っていたよりも店舗数が少なくてすぐに飽きてしまいましたが、その分、広々とした作りになっていてベンチスペースもたくさんあるので、なかなか都合のよい遊び場 & お休み処が出来ていい感じです(^-^)v

そして午後、久しぶりの会館訪問でしたが、予想外にリラックスしている自分にチョット嬉しかったです。
それに、少しだけでしたが、久しぶりにMrさんとお話しすることができて、それはとても嬉しかったです。
そんな落ち着いた気持ちで御法の円座に座らせていただいたのですが、この日の輪読会は、全体的に今までにない方向へと流れが偏った感じで、私自身も小さな戸惑いの渦中に停滞してしまったように思います。

この日の私のテーマは、「如来さまと向き合う」 ・・・・・ でした。
輪読会は、『法蔵菩薩のご修業』の最終回でしたが、初めから通して読んでいただき、有福の妙好人・善太郎お同行さんのお言葉を通して、如来さまが、どんな私をお目当てにご本願を建ててくださったのかということを改めて聞かせていただいたわけであります。 が・・・、 最終的に知らされたのは、如来さまと向き合うことなど鼻っから出来ない私でした。
どこどこまでも仏道に寄り添うことのない私が、この場に座らせていただき、お念仏を称えさせていただいているという不思議さえも、不思議と思うこともなく・・・、 ここに至るまでの如来さまの御苦労を、苦労と深く知ることもなく・・・、 「仏法嫌い」を盾にして、「自力」の矛で楯突くことしかできない私です・・・。

今回は、御法座の最中にあるお同行さんが、煩悩の熱火をめらめらと燃しながら、「自分は聞けている」という高座布団の上から、恩ある先輩同行に火の粉を投げつけるという場面が2,3度あって、そんな場面になる度に、自身を守ることに必死になっている私が前面に出てきました。
何が辛かったのかといえば、 それは、見たくない自分を観せられて・・・、 受け入れ難いそれが自分自身なんだと知らされて・・・、 御法を全身で拒絶している自分と出遭わされことが何よりも辛かったです。
このような御縁をいただき、たった今、聞かせていただいたばかりの善太郎さんのお言葉を何度読み返してみても、その御意見は私の薄っぺらな頭の先の方でヒラヒラとなびくばかりで・・・、 ちっとも私の中へは入って来やしません・・・。

私が地獄で泣いていがるを、ひと目この阿弥陀如来がご覧あらせられたのが不憫のはじまり。」
法蔵さまのご修業(ご苦労)の始まりは、こんな私がいたからでした・・・・・・。

御法座の終わりの時間が迫ってきてもなお、そのお同行さんの怒りの炎は落ち着き処を見失ったままで、私は、見たくない・聞きたくないの心いっぱいに、一人、御法へと逃げ込みました。
この時、Ukさんの書かれた4コマ漫画がフッと視界に入ってきて、それが痛く胸に突き刺さり・・・、
私というヤツは、如来さまからいただいたこの身体を、さも自分のモノのように粗末に扱いながら、その半面でこれを誰よりも愛し、それ故に人を平気で傷つけ、悪を造り続けるのだと・・・・・
それなのに、そんな私を 不憫だ、かわいいと言って自らの御命まで差し出して下されるとは・・・・・

すっかり自分の世界に入ってしまった私でしたが、この時、不意に名指しで当てられたために、何か取り繕ったようなチンプンカンな言葉を紡ぎ出してしまいました。  でもこれをきっかけに、ここのところだけはもう一度読ませていただきたい! という思いが出て来て、善太郎さんのそのお言葉を再度読ませていただく機会に恵まれました。

  おがんで助けてもらうんじゃない
  おがまれて下さる如来さまに 助けられてまいること
  こちらから思うて助けてもらうじゃない
  むこうから思われて、思いとられること この私・・・・・

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