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6月 浅野屋交流会 [座談会・懇親会]

昆虫はとても苦手ですが、蜘蛛が巣を作っているのを見ているのは面白いものです。
今、書斎のデスクから見える窓の軒先で一匹の蜘蛛が巣作りをしているのですが、そのこが可笑しいほどに不器用で、時々足を踏み外しながら一生懸命にマイホームをこしらえている姿は、なんとも微笑ましいものであります。

そう言えば、先月の浅野屋交流会では、虫の話題で盛り上がりました。(^-^ゞ
きっかけは、「こころ」について語っていた時、「本能」と「脳」と「心」って・・・? という疑問からでした。

仏法を聞かせていただき知らされるのは、 「私(我)」ばかり! ということ。
「君は、自分の気持ちばかりじゃないか!」 、「君は、自分の思いばかりに囚われている!」
この一年、 いつも いつも 言われ続けてきた言葉・・・。 
そして私は、そんな自分を ず~っと責め続けてきました。  自分の気持ちは捨てなくっちゃいけない! 自分の思いが出てきてもそれを言葉に出してはいけない! 私は、「私(我)」ばかりだからダメなんだ! と・・・、 自分の心が動いて、それに囚われて行く自分自身を、私は責め続けてきました。
でも ある時、そんな自分に苦しくて仕方がなかった時にKnさんがくださったメールには、
「それが 「奈っちゃんだよ」 と教えてくれているのが阿弥陀様だよ。
阿弥陀様の声をまったく聞かないのが「私」。 聞かん奴に聞かすのが阿弥陀様の仕事(お力)。」
と教えていただいて、「あぁ、どんな私であっても私は私。 「私(我)ばかりの私」と教えてくださっているのも如来さまの御力で、「私(我)ばかりの私」だからこその御本願なのね。
でも、私は「私(我)」で充満しているから如来さまの御心の入る隙間がなくって・・・。 そうかと言って自分の心の隙間を空けることなど出来ない私だから、こんな私のまんま丸ごとスッポリと包み込んでくださっているのね・・・」
そう受けた時から、私から出てくるモノは「私の思い」しかないのは当然のことで、そんな自分本位の私の思い、その一つ一つにめがけて如来さまの御心がかかっている・・・。 それを聞けるような私じゃないのに、時折 フッと 私のものではない御心に触れさせいただける不思議・・・。
こうして止めどもなく溢れ出てくる「私の思い」こそが迷いそのもので、そこにかけられた如来さまの願い・御苦労を聞かせていただくのね・・・ と。 
それ以降は、自分から出てくる様々な「思い」に嫌悪することはあっても、「思ってはいけないんだ」とか、「思うからダメなんだ」と、自分を責めることは止めにしました。

それでも、「本当に私の心って厄介モノだわ~!」 との愚痴の中から、 ところで、「心」ってどこにあるの? 「脳」と「心」は同じなの? 「本能」に「心」は伴わないの? などの疑問が湧き出して来ちゃったので、Dr.Fさんにお聞きしてみたわけであります。
そこで、「脳は、脊椎動物固有のものだけど、無脊椎動物にも同じような機能をもつ神経節があって、でも、「心」が「脳」にあるかという問題は、まだ解明されていない」と教えていただき、「本能」と「心」については、昆虫を例にして医学的な見地からお話しくださいました。
が・・・・・、 すっごく興味深くて面白いお話だったのだけど、もう一ヶ月も前のことなので、ほとんど忘れちゃいました~ (^.^ゞ
一つだけ覚えているのは、多数体で行動する蟻や蜂などは、その一つの集団をもって一個体とする考え方があるのだそうです。
蟻一匹にも「脳」はありますが、「生きたい」という本能はあっても一匹で生きて行くことは出来ません。
集団を一つの個体として考えた時、蟻一匹が単純な神経細胞であり、それが多数集まることによって「生きる」という営みができるのだとお話しくださったことだけは、なんだかとても印象に残っています。

さてさて、今回も美味しいお料理をいただきました。 どうもごちそうさまでした。[るんるん]
6.18 浅野屋交流会.JPG

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