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読むためのBLOG [心]

いつもBLOGに向かう時、「書きたい」と思うことはあるのですが、それはとても断片的なもので、それだけを文章にしたならば、きっと一文か二文で終わってしまうことでしょう。
例えば、随筆にしろ、小説にしろ、自分が書きたいというテーマが出来ると、これを書く前に全体の構成を思い浮かべ、ある程度の方向性が決まった上で起承転結を設定してから書き始めますので、それを文字にする手前の時点で、「自分は何を書きたいのか」、つまり、「私が伝えたいこと」というものが必ず念頭にあるわけです。

でも、私がBLOGを書く時は、それがまるでないのです。 だから文章もチャランポランなものになってしまうのですが、それはそれでいいと思っています。
ある人から、「BLOGに自分の思いは入れるな」、「BLOGに一貫性をもたせろ」などと言われたこともありますが、それは出来ない相談でした。
だって、私にとってこのBLOGは、自分と対話をするための手段だからです。
例えば、会話を始める前に、自分と相手の起承転結を決定してから話し始めることなど出来ないように、私の言った一言を受けて相手が発言をし、その相手の発した言葉によって自分がどのような反応をするのか、そんな言葉のキャッチボールには常に未知の展開があるわけで、私のBLOGも同様に、このBLOGの中で私が発した言葉の対極に受け答えの会話がなされているような・・・、そこに、「自分の居場所」というものを発見していっているように思います。

「心の整理」とでも言いましょうか・・・
自分が何を思っているのか・・・、 あまりの「思い」の多さに、いつも訳がわからなくなってしまいます。
また、頭の中だけで縦横無尽に会話を続けていると、何処までがその時々の自分の思いで、どこから空想の域に入ってしまっているのかなど、ぐちゃぐちゃにさっぱりぼやけてしまったり、時には偏った考え方に固着をしたり、また変な方向へと自分を持って行ったり、大抵の場合は、肝心なこと(気付き)を流してしまったりするもので、まったくもって整理がつかないままに消去してしまうことがほとんどです。
それが、私の場合は、「書く」という作業を通して、気付かせていただくことが実に多いのです!
文字にしているうちに、自分でもハッと驚く気付きがあったり、過去を振り返ることが出来たり、少し遠くから自分を眺めることが出来たり・・・。  まぁ、我から離れて書くということは出来ませんが、それでも新たなる発見というものに出会うことは出来ます。

昨日、Inさんと電話でお話しをする機会をいただきました。
私のBLOGを読んでくださった感想をお聞かせくださったのですが・・・、 これは単なる自惚れかもしれませんが、「私が書いているものは、私であって私ではなかった…」 と、Inさんのお話しを聞いていてそう思いました。
決して自分の力では見ることの出来ないものを観さていただき、決して私の力では聞くことの出来ないことを聞かせていただき、自分では絶対に気付くはずのないことを気付かせていただいてるのだと・・・。

私は、自分のBLOGは、単なる心の整理として書いてきたつもりですし、これからもそんな書き方しか出来ないと思います。  でも、そこで止まっていてはいけなかったのです。
このBLOGは、他の誰でもない、まさにこの私自身のためのもので、それは書くことによって気付かせていただけるということのみに止まらず、如来さまの 「お願いだから聞いておくれ!」の願いのもとに書かせていただいているのだと・・・、  この私自身に読ませるためでした。 聞かせるためでした。 気付かせるためでした。
この私に実にピッタリと寄り添ったところで御説法くださっているのです。
だから私であって私ではないものとの出遇いをさせていただけるのです。

さて、今日のBLOGも、「こんなん出ましたけど~!」 みたいに書き終えようとしています。
読み返す中に、「如来さまは、私に何を言っているの?」ということを聞かせていただかなければ勿体ないことです。 南無阿弥陀仏
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