SSブログ

癒し [心]

「何をしている時に癒される? どこにいる時が癒される?」 と 聞いてくださった方がいます。
たぶんですが・・・、 普通 こんな質問をされたならば、まず自分の中で「癒し」というキーワードに引っかかったアレコレを思い浮かべて、自分にとっての最上の癒しとは?と考えるのではないでしょうか?
もちろん私も、この質問に答えるべく自分なりの回答は一考いたしました。
私が 「癒されている」 と感じるのは、 光を目に…、風を肌に…、水音を耳に…、そんな自然の不思議に抱かれながら「生きているということ」、それはつまり「愛されているということ」が実感できている時に癒されているなぁ~と感じます。 と、そうお答えさせていただきました。
でも、この時、まず私の頭に浮かんだのは、私はこの問いかけ自体にとても癒されているなぁ~と感じたことであります。

「癒す」とは、病気や傷、苦しみなどをなおすという意味であり、それを質問するということには、二種類の意味があると思います。
一つは、「自分に癒しが必要で、どうしたら癒されることが出来るのかと自身のためのアイデア(得策)を得るために聞く」ということ。 そしてもう一つは、「質問した相手を癒すために、何をするのがベストなのか、自分に何が出来のか、そのアイデア(得策)を得るために聞く」ということ。 この質問に限ったことではございませんが、自分の為に聞くのか、それとも相手のために聞くのか、という方向の違った二種があると思います。

私へのその質問は、後者の意味をもっていました。 つまり、自分が何をすれば相手を癒すことが出来るのかとの問いかけでした。 ですから、その心がとても嬉しくて、その心にとても癒されたんです。

相手にそう問いかけること自体はさして難しいことではないと思いますが、相手から受けた答えを実践していくとなると、出来ることと、出来ないことが出てきます。
ましてや抽象的な回答であった場合、よほど相手のことを理解していなければ、その真意を読み取ることは不可能で、せっかくの問いかけも、その心も、二束三文になってしまうでしょう。
でも、もしそれが出来たならば、それは癒しへの最短コースとなるでしょうね。

つまり、 「癒す」 = 「治癒する」 ということは、相手をよく知る必要があります。 これは不可欠です。
どんなに良い薬や治療法があったとしても、その症状に合致していなければ効力を発揮することはできません。 それどころか、余計に病気を悪化させてしまうということにもなりかねません。
その症状に合った薬や治療法というのは、細かく見て行けば見て行くほどに、一人一人違ってくるはずです。 簡単に見ていったとしても、例えば同じインフルエンザウイルスに感染した人でも、その年齢や感染時期や症状によって薬も治療法も違ってくるでしょう。

私は、仏さまというお医者様に、「無明業障」 という、この上ないおそろしい病にかかっているのだと診断され、そのお薬を処方していただきました。
同じ病気にかかっている人は、私の周りにもたくさんおられ、みな、同じお薬を処方されています。
でも、治療法は一人一人違います。 私には私に合った治療をほどこしてくださっています。
それが出来るのも、私の病状を事細かに、その根の部分から知りつくしておられるからです。

「どこにいたら癒せるのか」、「どうしたら癒せるのか」、これを知るために、私を知りつくしてくださったのが阿弥陀如来さまです。 そして如来さまご自身が“南無阿弥陀仏”というお薬になってくださいました。
だけど、その効果は私にはわかりません。 なんたって、私は病気である自覚がないのですから・・・
それでも、その御心にふれさせていただい時、とても癒されるんです。

「何をしている時に癒される? どこにいる時が癒される?」 と 聞いてくださったその心に癒されたんです。   南無阿弥陀仏

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

信じる心否定的人生観 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。