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言い訳 [心]

私は、お相撲さんの世界のことにつきましては頓と疎いのですが、今、世間をお騒がせしておりますニュースの概要くらいでしたら、ある程度のところまでならついて行けます。

「八百長」というのは、相撲界に限らず、スポーツ界ではあるまじきこと・・・。 
でも、この「八百長」という言葉、その由来は相撲界と全くの無関係というわけではないのですね~。
その昔、八百屋をしている長兵衛さんという人が囲碁仲間の伊勢ノ海五太夫(大相撲の年寄)さんと碁の勝負をしては、わざと負けていたのですって。 なぜ?って、お店の商品を買っていただくためのご機嫌取りです。
しかしこれが後にバレましてね、真剣勝負を装いながら事前の打ち合わせ通りの勝負をつける「いんちき」という意味で、八百屋の長兵衛を略して「八百長」と呼ばれるようになったそうです。

八百屋の長兵衛さんの場合も「理由」があって八百長をしたように、今回の事件で関与を認められた関係者の方々にも「言い分」というモノがあったわけです。 これ、いわゆる 「言い訳」というやつですね。
この「言い訳」ってやつですが、この世を生き抜くためには大切な行為だと思います。
世間の人たちは、その「言い訳」を聞いて、これを各々独自の世界で「善し」・「悪し」との判断をつけて、敵にも・味方にもなってくれるのですからね! 内容によっては、刑罰だって減刑されます。

自分の行動には、必ず「言い訳」がついて回ります。 たとえ無意識にしたことでも、後々には立派な言い訳が組み立てられて、いつも自分の行為を正当化しようとします。
でもまぁ~、この世のことならこれでOKです!!
だって、言い訳もせんと寡黙な人を気取っておっても、あんまりいい目はみませんからね~ぇ・・・
それから、たとえ言葉には出さなくとも、他の人からは見えないところ、つまり、私の心のド真ん中にズボンッ!と立っているのは、やっぱり 「でも私は!」、「だけど私は!」という 『我』 であり、言い訳をしまくっている人も、無言を貫いている人も、所詮はみな同じな穴のむじなだなぁ~と思うのです。 少なくとも私自身はそうです。
快調に言い訳の出来る時には、裏も表もなく他人のせいにしまくっておりますが、言葉に出せない心境だったり、口には出せない事情があったりした時でも、心の中では 「たとえ世間が認めてくれなくても私は悪くない! 私は正義を貫いているのだ!」と少なからず思っている自覚はありますし、たとえ鬱症状の出ている時に、「全部 全部 私が悪いんだ! すべての悪の根源は私なのだ!」って思っていながらも、身体はこれを受け付けていないというのが正直なところです・・・。

人に対しても、自分に対しても、私は、いつも いつも 言い訳ばかりです。
世間向きには通用する「言い訳」というやつも、閻魔さまの前ではまったく通用いたしません。
いくら自分で自分を「善し」としていても・・・、 世界中の誰もが「善し」と認めてくれたとしても・・・、 私のする行為のどれ一つをとってみても通用する「言い訳」など一欠片もござらん!! とのお叱りを受けたことがございます。

今・・・・・、 とても悲しい気持ちになりました・・・・・・。

言い訳の出来ない世界があることを教えてくださっても、言い訳の止まない私・・・。 そんな私を如来さまは責めたりなどなさいません。 でも、悲しんでおられます・・・。 この涙が、そう教えてくださいました。
言い訳をしたくなったら、 他人ではなく・・・、 自分でもなく・・・、 私の如来さまに言ってみます・・・。
南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏

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