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「真実」と「不実」 [心]

お腹が痛い・・・。  いろいろな原因が重なって、ここ数日、お腹が不服を訴えています。
昨日は、支部法座がありました。 支部活動における種々の問題もあって何かと大変ではありましたが、まぁ~ それはそれ。 御法話をいただき、それなりに法悦をいただいて、これを大事に持ち帰ろうとする私に、「ホンマかいな?!」と私の体調が邪魔をします。
お腹が痛い・・・。  法悦・・・?  そんなもん、いつの間にか、どこへやら・・・?!
まったくもって「真実」とは無縁の我が身に、はぁ~・・・ とため息・・・。
自分の都合で法悦だ何だとほざいているだけで、所詮はこの程度なのです。 我が身の苦痛の前には、「法も悦も利用価値なし!」とばかりにサッサと切り捨て、‘「私」大事’ というヤツばかりがのさばります。
いただきものの法悦すらも自分の手柄にした上で、これを自身の中に取り込もうとするばかり・・・。 そして自分の気の向くままに、こっちにやったり、あっちへ放ったりと、本当に大事ものなどまるで存知なし。
そんな我が身を通して、「仏法まことやなぁ~」 と 味合わせていただきました。

仏法と出遇う前までは、「真実」って、自分が作るものだと思っていました。
でも、自分というヤツを知れば知るほどに、こんなモノ(私)に「真実」など作れるはずがないと知らされ、「「真実」は作るものではない!」 と断言出来るに至るまで、いったいどれほどの「偽真実」をこしらえてきたことか…。 そしてこれを壊される度に、何度悔しい思いに泣き、これを人のせいにしてきたことか…。

また、仏法を聞き始めた頃には、どこぞにある「真実」というヤツを手に入れることこそが、「真実への道」だとも思っておりました。
真実はいずこに? と・・・、 「真実」を発見するため、それと出遇う為の苦しい旅(人生)を「聞法」と呼び、そして、そこに苦悩と安心を交互に見つけては、その度に 「あぁ…、私は 「真実の道」を着実に歩んでいるのだ…」 などと本気でそう思っていました。

でも、これらを、「あぁ、間違いだった!」 と気付かせていただい時の、あの呆気らかんとした感覚・・・。
歓喜も懺悔もない・・・。

ただ、私が何と思おうとも、たとえどんな私であろうとも、絶え間のない「真実」が、「真実」の方から常にこの私に向かって働きかけてくださっている。 その光を真正面からこの身いっぱいに浴びながら、何も感じていない私がここにおった・・・。 「真実」を「真実」だとわかるはずのない私がここにおるのだと・・・。 これに対して文句や言い訳と言った類いの言葉が出て来んようになってしまった不思議を、ちょっぴり不思議に 「ありゃ?!」と感じただけのこと・・・。

お腹が痛けりゃ、御法どころじゃない私。 どんなに大そうな法悦であっても、身体の苦痛で即吹っ飛んで、今生の我が身の一大事、二大事、三大事こそが大事、大事と慌てふためき、そんな苦悩の連続に、出て来るものは愚痴ばかり・・・。 はぁ~・・・
こんなにもお粗末この上ない「私」というモノを観させていただける力こそ、ただ ただ いただくばかりの「真実」だったんやなぁ~。 「真実」を「真実」と知らせてくださる力こそが「真実」だったんやなぁ~。 「真実」なんてもんは、ようわからんけど、「虚仮不実」の私を知らされる度に、仏法まことと「真実」が浮き上がる。 自分勝手なものだけどね。
でも、有り難いさね~!  「虚仮不実」であることを観せられる度に、有り難いさね~ぇ!!
南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏

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