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「愛」の伝染病 [心]

「生きているのが辛い…」 という 心の叫びに気付いてくれる人がいるというのは、ものすごく幸せなことです。 どんなに平静を装っていても、無理しているところに気付いてくれる人がいるというのは、とても とても 幸せなことです。
「何があったの?」 と聞いてくださった瞬間に、あぁ、私の悲鳴に気付いてくださった方がいたのだと…、私の叫びに耳を傾けてくださる方がいるのだと…、その優しさにふれた時、やっと泣き崩れる事の出来る甘えと出会わせていただきました。
そんな愛に包まれているからこそ、今日も生きていられるのだと思います。

人間って、ただ食しているだけでは生きていかれない生き物だと思います。
愛し、そして愛され、それを活力にしてこそ生きていられるのだと思います。
この私一人を生かすために、どれほど多くの命が犠牲となり…、どれほどたくさんの愛情というおかげ様が必要なのだろう… と思うと、本当に一人では生きてゆかれないなぁ~とつくづく思ったわけでございます。

「愛する」とは、「執着する」ことだと教えていただきました。 確かにその通りだと思います。
でも、「優しさを分け与える」というのも、「愛する」ということになるのではないでしょうか?
執着するだけならばそれは押し付けにしかならず、執着される側も辛くなるばかりだと思うのです・・・
愛するって、相手を苦しめることなのでしょうか? 愛されるって、辛く苦しいことなのでしょうか?
私が愛されていると感じるのは、私を想ってくださるその心にふれさせていただいた時です。
それは、あたたかくて安心のできる愛もあれば、時には厳しくて切ない愛もあります。
でも、その相手の想い云々を超えた、その人の幸せを願っての言動であれば、温かろうと厳しかろうと、その心・想いは、「愛」として、ちゃんと相手に伝わるものではないのでしょうか。
「愛しているから…(執着)」 という建前のもとに、自身の想いを最優先にこれを相手に押し付けることを「愛」と呼ぶのであれば、それはあまりにも悲しことだと私は思うのです。

如来さまが私を想ってくださる心を感じさせていただいた時、それはとってもあったかくって、すっごく安心ができて、本当に心地がよくって、 考えるよりも先に、「ありがとう、なまんだぶつ」って出てきました。
その愛は、とっても とっても ものすご~く大きくって、このあたたかさを他の人にもおすそ分けしてあげたい…、という気持も同時にいただいたように思います。

凡夫のほざく「愛」なんて所詮は「欲愛」でしかないでしょうし、私自身、人を愛する心なんて針の先ほどにもないと思いますが、それでも人からいただく愛によって心を癒されたり、勇気をいただいたりすると、他の人にもこのいただいた優しさを伝えたくなります。
そうかと言って、私の中には誰かにあげられる愛なんて全然ないのかもしれない・・・、 私はいつだって愛を求めるばかりの強欲な人間だもの・・・。 ホントに、私の中から出てくる愛なんて、「自分の為」ということが前提の醜い欲愛ばかりで、他の人におすそ分け出来るような愛なんてないと思います。
だけど、「いただいた愛」というのは、私の心を通り抜けて、他の人にもそのあたたかさを伝えることのできる力を持っていると感じています。

最後に・・・、 私は、血縁的な家族に恵まれた境遇にはありませんが、血のつながりを超えた家族には、とても とても 恵まれています。 父や母、兄弟・姉妹と、大家族です。
私は自分の都合やわがままでたくさんの人たちに迷惑をかけているのにもかかわらず、その家族はこんな私を愛してくだされる・・・、 私は、そんな愛に支えられて今を生きていられるのだって、自信をもって言えます。
私なんて・・・、自分の施した迷惑の代償に愛をいただくばかりです。 こんな理不尽な法則がなぜあるのかしら?と考えた時、やっぱり一つの答えにたどり着きます。
法の家族がこんな私を愛してくださる心は、私の本当の幸せをただ願う心でした。 だからこそ、あたたかい愛もあれば、厳しい愛もあります。 でもその心は一つなんだなぁ~、それが「愛」というものなのだなぁ~ って。

「愛」と言うものが存在して、こんな私を愛してくださる人が居てくださったから、その愛によって愛し・愛されることを教えていただきました・・・。 もし、誰からも愛されていなければ、「愛」という心を、私は知る由もありませんでした。
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「夢」 ありますか? [随筆日記]

書きかけの文章が貯まっています。 BLOGにUPするつもりで書いていたのですが・・・。
二,三日前に書いたものでも、私にとってそれは既に「過去」のものであります。
それでも自ら読み返すことによって新たに動いてくるものがあります。 それが「今」なのですね~。
その書きかけたもの・・・、というか、書きながら発見していきたいなぁ~ と思いつつも結局は書き進めることの出来なかったテーマについて、今一度再考してみたいと思いました。

2011.1.25  風南.JPG先日、法の親友二人と一緒に、先斗町の風南(HUNAN)というお店に行ってまいりました。
京野菜や鮮魚・お肉を洋風にアレンジした単品メニューが数多く取り揃えられた、大人のための創作洋風居酒屋といった感じのお店で、接客も お料理も お値段も かなりの高得点でした。
ちなみに、いただいたお酒は 「こころの京」 という伏見の地酒で、辛口ですが口当たりが柔らかくてサラッとした美味しいお酒でした。

この日、「夢」についての話題が出され語り合いました。
「夢」は大きく二種に分類できるかと思いますが、一つは睡眠中に見る夢であり、もう一つは願望として見る夢で、この夜は後者の「夢」が酒の肴となりました。

幼い頃に思い描いていた夢は、フィクション的なものが多かったのに対し、それが進学するにつれて薄皮を剥がされて行くかのようにノンフィクション的な夢となり、社会人になってしまうと、「夢」なんて所詮は「仮想世界への依存」でしかない… とばかりに、希望や目標としての「夢」・・・、それ自体も見失って夢を思い描くことすら出来ない・・・ という人も少なくはないと思います。
実際に私自身がその一人なのです。 現実的な目先の夢を思い描くことしか出来ません・・・。
それを「夢」と呼ぶにはあまりにも小さくて、身近過ぎて・・・、 そんなチンケなものでありながら叶えることの出来ない「願望」しか思い描けないのです・・・。 

親友の一人が言いました。 「人が聞いたら馬鹿にされるようなことだけど、僕は駄菓子屋さんをしたいんだ。 そんな夢をもっているんだ」 と。
もう一人の親友が言いました。 「僕の夢はミュージアムを作ること。 尊敬している師の書かれた絵や書や本などをコレクションして、それを後世に残したいという夢をもっているんだ」 と。
その二人に聞かれました。 「奈っちゃんは、どんな夢をもっているの?」 と。
私は、答えることが出来ませんでした。 答えたくなかったのではなく、答えがなかったのです。

作家になりたいとか、音楽家になりたいとか、そんな夢をもっていた時期もありますし、その夢が完全に消滅してしまったわけではありませんが、それに向かって何か努力をしているかと言えば何もなく、今は空想すらしていないのですから、これを夢とよぶにはあまりにもおこがましい・・・。  そうですね~、
夢らしい夢と言えば、「私は魔法使いのように空を飛んでみたい」と、そんな夢を思いついた程度です。 
それはそれでいいのかもしれません。 それが「夢」というものなのかもしれません。

でも、「奈っちゃんの夢は何?」 と 問われた時に私から出て来たものは、「今を幸せに生きたい」・・・、 そんな「欲望」しか出てきませんでした。

食欲を満たしたい、愛欲を満たしたい、名利欲を満たしたい と・・・・・ 私は、この地球に生まれさせていただきながら、餓鬼の世界に生きている鬼畜なんです。
人の姿をしたこの鬼畜が、“人間”という着ぐるみを奪い取られた時、いったいどんな怪物が出てくるのでしょう・・・ 
なんだか、笑っちゃいました。  「恐ろしい」なんて感覚などなく、鼻でフンッと笑っちゃいました。
でも、その「フンッ」って笑った心こそ、恐ろしい・・・  今、そう思いました。

「夢」  欲しいですか?
私はそれすらもわかりません。
叶えられる夢ならば欲しいと思います。 でも、所詮叶うことの不可能な夢ならば、それは思い描くほど苦しみに変わってしまうでしょう・・・。 「私の夢」なんて、そんな貧弱な「欲願」でしかありませんから・・・。

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騙し騙され地獄行き [御法縁]

グッチーさんから、「『親鸞展』も最終日だし、今から行こうと思うのだけど…」とのお電話をいただいたのですが、「残念! 実は私、もう行って来ちゃったの!」と・・・。
彼と一緒に見学することで、またいろいろな心の動きと出会えるかしら…、一緒に行きたいな… とも思ったのですが、すぐに出かけることの出来ない事情があって、彼が『親鸞展』を見学した後に会うことにいたしました。

グッチーさんとの待ち合わせ場所に向かう列車の中で、近くにいた70歳代ほどのご婦人二人の会話を聞くでもなく耳にしていたのですが、一方のご婦人が、「自分が、いつ、ど~なるかわからんもんね~」 とおっしゃった言葉にピクリッと反応いたしまして、フムフムという感じでその会話に興味を持ったのでありますが・・・、
 「自分が、いつ、ど~なるかわからんもんね~」
 「ホントよ~! だから人の話はちゃんと聞いておかんといかんのよ~!」
 「そうね、今度いつ車が壊れて、JAFを呼ばんならんかわからんもんね~」
と・・・、 結局は取るに足らないこんな会話だったわけですが・・・、無常を無常とも知らず…、ましてや我が身の無常には真逆に背を向けている私であるにもかかわらず、ピクリッと突いていただけるまでにお育てをいただき、まこと迷惑な有り難さにございます。

一度気になりだすと、どうも興味がそちらにそそがれ、名古屋駅に着くまでずっとそのご婦人らの会話を聞いていたのですが、こんなお話しもしておられました。
 「だけどニセ者だったらどうしよう~。 でもね、ホントにテレビで見るのと瓜二つだったのよ!」
 「イヤ~すごいね~、えらい得したね~、写真まで一緒に撮ってもらって、これ家宝になるね~」
 「そうでしょ! もしもニセ者だったらこんな写真撮らせてはくれんよね~。 
  でもさ~、もしニセ者だったら悔しいわ~、騙されたってことだもんね!」 と・・・。
どうやら一方のご婦人が、石原○○さんというタレントさんとヒョッコリ出会って、自宅に立ち寄ってもらうご縁に恵まれ、証拠の写メまで撮らせてもらったそうなのですが、それは彼女にとっては夢のような出来事であり、嬉しいけれども未だに信じられないというのです。
私からしてみたら、タレントさんと会うってそんなにエライことなん??? それが本物かニセ者か、それって重要なことなん??? なんで写真が宝になるっちゅ~ねん??? 騙されたってエエやん、何か減るものがあるわけでもなし…、 その時は有頂天に幸せだったんとちゃうの???  などと、まったく彼女らを小馬鹿にしながらその話を餌に時間を過ごしていたわけでありますが、そう言っている自分はどうなん? と、フッと立ち止まってみた時に、こんの言葉が浮かんでまいりました。

「たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候。」
『歎異抄』第二章にあるお言葉です。

一念の信に射抜かれた人は、「今生の一大事」よりも、「後生の一大事」の方が苦になって、この世のゴタゴタは二の次になるのだ・・・ なんてことはサラッサラございません。
私というヤツは死ぬまで 「今生の一大事」で逐一 悩み苦しみ続け、「後生の一大事」から逃げ続ける輩には変わりないのです。 
だから、「馬鹿された!」と怒り狂ったり…、「騙された!」と後悔をしてみたり…、 事あるごとに他人のせいにし続けて、いつだって相手が悪いと思い続けている、そんな自分が消えてなくなるわけではございません。

でも、たった一つだけ、人のせいにも出来ず、 「騙された~!」 との後悔の出来ないものがございます。
それが、上記のお言葉にございます。

人は騙せても、真実の目を通して観させていただいた私自身を騙すことはできません。
たとえそんな私を騙すことが出来たとしても、真実を騙すことは決して出来ないのです。
人を騙すことも、人から騙されることも日常茶飯事ですし、自分さえも自分に都合よく騙しているのが私です。 これを人のせいにして、騙した・騙されたと迷いの猛渦でもがき苦しんでいるのが私なのです。
その苦悩の猛渦を作っているのは、まぎれもないこの私自身で、そのスクリューの底の底に私の地獄の入り口があるのです。 私は、そこへ行くための渦を絶え間なく造り続けているのです。

自分の造った地獄へ堕ちるのに 騙した・騙されたもなく、また、これを後悔し、因果の道理を受け入れるということも出来ない・・・、 そんな私のためにお念仏となってくださったのが私の阿弥陀如来さまです。

お話しをきかせてくださった二人のご婦人とは名古屋駅にてお別れです。 南無阿弥陀仏
この後はいつも通り、Launchをして、Tea timeをして、Dinnerをいただきながらず~っとおしゃべりをして、楽しい時間を過ごさせていただきました。

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一人じゃないよ [詩・言葉]

今、すごく書きたい気持ちがあるのですが、それをどう書けばよいのかわかりません。
この気持を文字にして表したいなって思うのですが、言葉には限界があって…、
言葉では表現しきれないものがあって…、言葉ではとても伝えきれないけれど・・・・・。

  「一人じゃないよ

私は、その言葉がすごく嬉しかったんです。 その気持ちがものすごく嬉しかったんです。
だから、あげたいんです。
私がいただいて、とっても とっても 嬉しかったから、 私もあげたいんです。


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自分と向き合うということ [心]

「自分と向き合う」 ということ・・・、  これは とても とても 難しいことです。

「仏法を聞く」 とは、「如来さまから見られた私を聞かせていただき」、「その私にかけられた如来さまのご苦労を聞かせていただくこと」だと教えていただきました。 いずれも、私が一人勝手に聞けることではありません。 真実を真実と疑いなく受けた方からお聞かせにあずかることでございます。

昨日は、支部の報恩講法座でございました。
御法話のテーマは、「聞信の一念」。 先生から、「私自身が一人となって如来さまと向き合う」ということがポイントであるとお示しいただきました。

以前、「自分と向き合う」 というのは、「如来さまと向き合う」 ということだとお聞かせいただきました。
私たち一人一人が、それぞれの業に従って具体的にこれを観させていただくことが「自分と向き合うこと」であり、こんな私だからこそというところで如来さまのご苦労を知らされることが「如来さまと向き合う」ということなのだと私は受けております。

しかし、「自分と向き合う」ということは、そう易々と出来ることではございません。
なぜならば、私が最も望んでいない、最も毛嫌いすることだからであります。
その根本にあるのが、「私は死ぬのだ」という変え難い事実であります。
「生きている今が全てであり、死んだ先は苦もなく安らかな眠りにつけるのだ」との、何の根拠もない私の理想に対して、真実は、「生きているということは罪(悪業)を作り続けているということで、死ねばその罪を償っていかねばならない業苦の世界があるのだ」と説き、私はこの事実をどうしたって受入れることが出来ないからであります。

それなのに、まるでこの事実を受け入れたかのように、平々とこの真実を口にしている人があります。
他でもない、私自身です。

自身の業縁を通して、「こんな私を観させていただきました・・・、 私ほどの悪人はおりません・・・、 だからこそのご本願でした・・・、 こんな私の為に如来さまは如何ほどのご苦労をしてくださったのか・・・、 私一人の為のご苦労でございました・・・」 そう言っている舌の根も乾かぬ内に、また次々と悪業を重ねている自分のことは棚に上げ、まるで「私は真実を知っています」と言わんばかりに人さまにむかって、真実はどうだ…、如来さまはどうだ… などと偉そうに言っている・・・、 いったい何様のつもりでしょう。
そんな自分が見えていない状態で、何を聞かせていただいているというのでしょうか。

また、人に向かって、「おまえのここが悪い! おまえはこうだから聞けないのだ! 自分の言ったこと、やったことを振り返ってみろ!」 などと言っているその口の持ち主自身がお留守の状態にいては、自分と向き合うということなど出来ているはずがありません。 そう言っている本人こそが、何一つとして聞けていないということです。

自分で自分を観るというのは、見ようと思って観られることでは決してございません。
仏智の御光に照らされたお育ての中で、その人その人の業縁に合わせて観させていただくのですが、私というヤツはどうしたって自身を悪く見ることが出来ません・・・。
業縁の中で他の人を介して我が身の姿と観させていただくのですが・・・、どうひっくり返っても、その人よりも随分と高いところから、自身をひいき目に見ることしか出来ていないのが私です。

「自分と向き合う」とは、ホンに難儀なことでございます。
でも、仏法を聞くとは、如来さまから見られたこの私がどんな輩かということを聞かせていただくことがまず第一にございます。 決して、人に向かって言うことではなく、この私が聞かせていただかなくては仏法にはなりません。
聞かせていただくことによって、私にかけられた如来さまの御苦労が知れてくるのです。

こんなことを偉そうに書いている私こそ聞けていないのです。 私こそが何も聞けていないのです。
聞けない私だから如来さまにご苦労をかけ通しで・・・、ホンに ホンに ご苦労のかけ通しで・・・、
だから、“南無阿弥陀仏”しか言えないんです。 南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏
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心の自傷 [心]

私は、すごく辛い時、如来さまを利用します。
泣いている私も…、 泣くことが出来ずに踏ん張っている私も…、 「みんな み~んな 知っているよ、わかっているよ」って・・・、 そう言ってくださっている如来さまの御心にすがりついて、駄々をこね、愚痴や悪態をつき、恐ろしい思案を胸に描いたままの私で如来さまを利用してしまいます。
私は物心のつく頃より親に泣きつくということが出来ず、いつも一人で泣いていました。
一人で泣きながら、自分で自分を責めてみたり…、また慰めてあげたり…。  結局今も変わらずに同じことをしているだけなでしょうね・・・。
それでも少しだけ違って来ているのは、最近は、自分で自分を責めなくなってきたことでしょうか? ・・・と 思っていたのですが…、 でも、ここ数日は逆戻りです。 言われたことをマル受けしてしまい、言われるがままに自分を責めて、どんどん自分を追い詰めてしまっている私がいます。

同じ病を持つ法友に、「負傷したら全身に包帯を巻いて安静にしていなければ傷は広がる一方だよ」と言われて、私が自身の無理に気がつかずに動き回ったりしたものだから、結果、それがどんどん自分を追い込でしまうことになったのだわと思いました。 
また、「奈っちゃんの命は奈っちゃん自身が守らなきゃ~。 自分を大事にして健康を保つというのも仏法だよ」と言われて、私は自分の命を過信しているなぁ~とも思いました。
それでも、「早くなんとかしなければ、どうせ死ねと言われている身だもの・・・」との思いが抜けなくて頑張ってはみたけれど、結局は自分で自分の傷を悪化させてしまっただけなのかもしれません。
きっと私は自傷が好きなのでしょうね・・・

夜は、悪人を取り巻くかのような魔の風が吹きます。 負傷した心は隙だらけなのでその風が身にしみます。

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死にたくない私へ [心]

本音のところは別として、「生きる」ということが、どうでもよくなる時があります。
でも対外的に、プライドであるとか、シガラミであるとか、そ~ゆ~理屈があるからこそ、そこにぶらさがりながら自分で自分を取り繕って生きていられるということもあるのかもしれません。
家族と暮らしていた時には、それらがとても邪魔なことのように思えていたのですが、一人で暮らしておりますと、自由であるが故に生きるということが無法地帯になってしまいます。
生きたい時には貪欲に生に執着し、生きることがどうでもよくなると仮想の死に向かって邁進を始める。
実に身勝手です。

先に記しました、「本音のところ」と言うのは、自己意識で感知していない部分と言うことです。
表面的に 「生きたい」だとか、「死にたい」などと願っていたとしても、所詮それは、その時々に起こって来る一時的な感情であり、今現在の私の思いでしかないということです。
本音のところでは、私は常に「生きたい」んです。 どんなに「死にたい」と願っていても、私は、いつも、いつまでも生きていたいんです・・・。

苦しい時には逃げ出したくなります。 辛い時には何もかも投げ出したくなります。 身体的な苦痛が伴っていればなおさらのこと、「こんな身体、もういらない!」と打ち捨てたくもなります。
でも、それは生きたいからでしょ? 
苦しくなく、辛くもなく、痛くも悲しくもなくて・・・、 楽しく、幸せに生きたいと願っているからこそ、苦悩から逃れたいと必死になってもがくのです。
つまりは、自身に欲深いだけなのです。 私は自分を見ていてそう思います。

因果の道理をないがしろにして独りよがりの快楽を求め、そんな一時的な快楽を幸福と呼んではこれを手に入れることに常に執着している。 しかしこれを手に入れることが出来なかった時、もしくは失った時には、世を恨み人をも恨み、自分自身さえも恨んですべてを壊してしまいたいという衝動に駆られる。
それってただのわがままですよね・・・。
「生きたい」とか、「死にたい」とか、それは究極のエゴイズムです。 でも、それが私なのです・・・。
つまり、「生きているのが嫌になった」とか、「死んでしまいたい」などの思いは、“わがまま”という延長線上にある一過性の“思い”でしかないのではないでしょうか。

見方を変えてみても行き着くところは同じです。
「頭で考えていること」と、「心に思っていること」とが一致しているとは限らず、また、それらと「実際の行動」とが同じであるかといえばそうとも限りません。 例えば、仕事に行かなければならないと頭では理解していても、本当は行きたくないのだと心に思い、そんな葛藤をしている間にも身体は職場に向かっているといった具合です。 しかも、ここに「身体症状」というものも加わってくると、職場には向かっているけど、胃痛や頭痛に見舞われるといったもう一つの不一致の存在もあきらかになります。
結局のところ、エゴイストでありながら、自分勝手には出来ないという自己矛盾を抱えて生きているのですから、そんな中で 「生きたい」とか「死にたい」とかいった思いが出てきてそれがすべてだ!などと思ったとしても、やはり顛倒矛盾した一過性の“思い”でしかないと思うのです。

ただ、そんな自己分析をしたところで、何の役にも立ちませんけどね。

本当は生きたいと願っていながら、精神的に追い詰められてどうしようもなく辛くなった時、また、発作によって身体が切り刻まれるように辛い時、いつも死を望んでしまう自分に対して言ってあげたい言葉を探してみただけです。

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PD(パニック・ディスオーダー) [随筆日記]

神経科の待合室は、いつも込み合っています。 予約なしで行けば3時間待ちは当たり前。
でも、結構長居の出来る環境にはなっているので3時間くらいなら何とか待つことも出来ますが、今日は4時間近くも待つこととなり、さすがに疲れてしまいました。
私の通っているクリニックは、長方形の敷地の中にL字型をした建物と中庭があって、Lの字の内側(中庭側)は全面窓となっており、中庭に向かって長いテーブルとイスが配置されているので、読書をしたり、書き物をしたり、飲み物をいただいたりと、左右に座る人たち以外をそうそう気にすることなく過ごすことが出来るような作りになっています。
クリニック.jpgまた、ドクターは一人で、午前中の受付だけでも100名近くの患者を診られているので、朝の9時から夜の9時頃まで、ほとんど休憩することなく診察されておられると思います。
患者さんは壮年層の男性が多く、私くらいの年代の女性は少ないように
見受けられます。

私が発病したのは、小学生の頃でした。
でも、その頃はまだ PD(パニック・ディスオーダー)という病名もなく、ましてや「脳機能障害」であることなど誰も知らずに、「心の病」だとか「性格的問題」としての認知にとどまっていたにすぎません。
私は、父親が仕事から帰宅するのが、怖くて、怖くて、どうしようもなく不安でしかたありませんでした。
小学校3年生の時には、夏休みに家に居ることが怖くて1ヶ月以上も高熱にうなされ、翌4年生の夏休みには、歩くことと話すことが一時的に出来なくなりましたが、いずれも原因不明との診断結果を受けました。
それが自律神経失調症の始まりだったのではないかと思っております。

成長するにつれて自分を誤魔化すことが上手くなってくるとその症状も薄らぎ、自分が安心できるように物事は良い方に考え、相手に疑心を抱かず、ほとんど自己催眠の世界ですが、きれいに都合よく思い込んで生きることで、その症状はほとんど改善されるまでに至ったのですが・・・
しかし、仏法と出会ったことで再びそのバランスが崩れてしまったのか、それとも他に原因があるのか・・・、 1年半前のある出来事がきっかけとなり突然PDの発作を起こし、それから通院が始まりました。
ちょうど、世間では夏休みが始まった日であり、蓮の花がきれいに咲き誇る頃でありました。

病院での治療はほとんど進んでいません。 ドクターやカウンセラーから聞かれたことに対してもほとんど打ち明けられない内容をかかえているので、薬物療法に頼る一方です。
しかし、病院とは無関係なところで、去年の春頃より真宗カウンセリングの道を開いていただいたことによって、少しずつですが話せるようになり、自分の病気も打ち明けられるまでになりました。
病気を克服したいと思い始めたのもこの頃からで、ここ最近は、薬物療法と並行して認知行動療法というものに取り組んだのですが、残念ながら上手くはいきませんでした・・・。

PD(パニック・ディスオーダー)は脳の不安神経の異常によって起こるものだそうです。
まだ研究段階でいろいろな仮説があるようですが、自分にとって「恐怖」と感じる対象物が迫った時に発動する警報を、その神経が過剰に反応・作動してしまうのだとの説明を受けました。

PDの発作を回避する二つの方法を示され、その一つ、「完全回避」というのも昨秋に試みたのですが、これはとても無理でした・・・。 「恐怖」の対象となっているものを自分の方から抹消するというもので、その対象物との接点を一切根絶するということは、物理的にも不可能でした。
そしてこの冬には、「暴露療法」というものを試みました。
不安や恐怖の要因となっている対象物から回避することなく、その状況に自らをおいて、徐々に慣れて克服の経験を積んでいくというものです。
少しずつ目標を上げていくことが基本ですが、対象物が「人」であれば、それは相手があることなのでとても難しいと思いました。 結局、逆効果となってしまって、薬のランクも上がってしまいました。

ここ数日、毎日発作を起こしているので、薬の影響もあってか体力的にも少しキツイものがありますが、回避して通ることの出来ないものならば、回避せずに解決していくしかないのだと・・・・・
そう自分に言い聞かせて、限界まで一歩ずつ進んで行かねば・・・、と思っております。

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感情は一方通行 [心]

動けない・・・、 動きたくない・・・・・・、

憎しみのエネルギーというヤツは、交通事故みたいに、こちらから起こさなくても、相手から一方的にぶつけられるということがあります。
直接ぶつかって来られたのならば、それはそれでキツイことではありますが、それでも文句や言い訳の一つや二つくらいは言えるかもしれません…。 でも、裏で工作をされていると、これを知った時には、疑心暗鬼になって余計にキツイものがあります。

当たり前のことですが、「感情」というものは、常に一方通行なのだということを知りました。
こちらがその人のことをどんなに好意的に思っていても、それはこちらの思いでしかなく、相手は憎しみいっぱいに憎悪の炎を吐き出してこちらを牽制していたのです・・・
これにいち早く気付けばよかったのですが・・・、私はいつも全身に火傷を負ってからでないと気がつかない・・・、 人からの憎しみのエネルギーに対して私はひどく鈍感なのかもしれません。 きっと、自分の思いが強すぎるからなのでしょうね・・・。

これも当たり前のことなのですが、人の心というものは、とても とても 移ろいやすいものです。
数秒前まで信頼し合っていた人間関係が、アッと言う間もなく一変するということも少なくないのかもしれません。 そして、この「信頼」というのも一方通行です。
こちらが今までと変わりなく相手のことを信頼し続けていたとしても、相手がこちらのことを信頼し続けてくれているとは限りません。 こちらの気付かぬ間に相手からの信頼を失っているということも往々にしてあるのですね、 しかも、徐々にではなく、アッと言う間に・・・。

嫌悪や憎悪と言った感情を相手からぶつけられても、信頼関係が出来ているから大丈夫だわ! なんてタカをくくっていましたが、信頼を寄せていたのはこちらの方からだけで、一方通行の思いでしかありませんでした。
これを、「裏切られた!!」といって 怒りの炎を燃え立たせ、憎しみの感情を増幅させて相手に立ち向かうことが出来たならば、もう少し楽に生きて来られたのかもしれません・・・。
私は、ただ臆することしかできませんでした・・・。 
甘い考えを捨て去る努力をするのが精一杯です・・・。

逃げることも出来ず・・・
耐え続けなければならない・・・・・・
仕方ないです、自分で蒔いたタネなのですから・・・、 命が終わりを告げるまで、耐え続けねば・・・・・。
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今、「聞く」体験 [心]

16年前の今日、阪神・淡路大震災が発生いたしました。
あの日、早朝に大きな地鳴りで目を覚まし、遠く離れた愛知でもその揺れに不安を覚えたのですが、夜が明けてからのテレビニュースに写しだされた数々の映像は衝撃的なもので、数時間前に日本で起きた事とは思えぬようなものでした。

東海地区に住んでいる者として、揺れが起きるといつも、「ついに来たか・・・」と、生れてこの方ず~っと騒がれている東海地震か東南海地震が来たのではないかとまず思い浮かびます。
ですから、揺れ始めて最初に思うことは、「この地震は、本物? 偽物?」と、この地に必ず来ると予知されている大地震かどうかを審議する考えが占領し、その揺れが小さければ、「あぁ、まだ本番ではなかった」と安心するのですがね・・・、これって随分おかしな反応ですよね?!
私の予定では、揺れ初めと同時に 「ついに巨大地震が来た! この命を守るためにどうしたらいい?!」と慌てふためく姿が想像されるのですが、実際は、「どうせこれも小さな地震だろう・・・、大丈夫、大丈夫、 たとえ大地震が起きたとしても、私はまだ死なん、私だけはきっと助かる・・・」と、恐ろしいほどに呑気に構え、無常も何もあったもんではありません。
とても とても 「次の瞬間にはとんでもないことが起きて、この私が死んでしまうかもしれん!!」とは想像に難く、災難も死も、自分とはまるで無縁なところに追いやっているのです。

1.19 メモリアルパーク・希望の灯り.JPG去年、神戸に遊びに行ったおり、メリケンパークにある「神戸港震災メモリアルパーク」に立ち寄りました。 神戸港も震災の被害を受け、その岸壁の一部を被災当時のままに保存してある所です。
また、東遊園地にある阪神・淡路大震災の復興のモニュメントや1.17希望の灯りも見てまいりました。
そして以前、神戸ルミナリエにも行きましたが、
しかし・・・、 どれもこれも震災の追悼や復興を伝えるものという意味を有しながらも、惨事・災害の「サ」の字も感じられないというのが正直なところです。
もっともこれは、私の側の問題であります。 たぶん、私にはその体験がないからでしょう。
それ故に共鳴する心もなく、そこのところで共感的に動く心もありません。
今日も各地で震災の体験者や遺族らの講演会などが催され、これらをメディアを通じて見聞きさせていただいたのですが、そこに心情的な共感は生まれても、それは人の体験を通して感じた私の思いでしかなく、その人の体験や心情は共有できるものではありません。
自分でも小難しいことを言っているなぁ~ とは思いますが…_(^^;)ゞ、 仏法における体験も同じなのではないかなぁなんて思ったわけであります。

真宗の「一念の体験」というものを、私は過去に空想し続け、求め続けてまいりました。
人の体験談を取り込んで自分に当ててみたり…、 自分に起きた「気付き」の体験、その一つ一つを その度ごとに 大切に 大切に握り込んでみたり…、 振り返ってみれば、私の聞法は、「理想の体験」を得るためのものであり、そこに確信があるのだと・・・、 そうであってほしいと願っていたのでしょうね。
人によっては、「体験なんて一度もない」とおっしゃる方もおられるでしょうし、私のように「何度も様々な体験させていただいている」という人も少なくはないと思います。

今、言えるのは、その「体験」というものがゴールではないということです。
「気付きの体験」というもののどれ一つをとっても決して嘘ではないと思うのです。 そのすべては如来さまからの廻向によって体験させていただいているのだと私は思うのです。
また、「一念の体験」というものも、ハッキリしている人、していない人と、人それぞれでありましょうが、でも肝心なのは、過去にどのような体験をしたのかではなく、「今、何をお聞かせいただいているのか」、それを問うていく自らの姿勢といいますか、そこで聞かせていただく体験こそが重要なのではないのかなぁと思ったわけであります。

災害に遭われて命を落とされた方々、 そこに苦悩を抱えて生きておられる方々、 その方々の体験は、人が取って代われるものでは決してありませんし、たとえ共感や理解を得られたとしても、それは一時的に役立つことはあっても、結局、何の力にもなれないのです。
人の体験に共感するも・しないも、そんなことを常に自分目線でほざいている私ってどんなん? なんなん? そこの視点が抜けてるんとちゃうの? と、震災のイベントを見て問われたのであります。
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『親鸞展』 ひっかかり編 [御法縁]

結局、今夜も眠れそうにありません。 もうすぐ夜が明けてしまいます。
もう雪は降っていませんが、お庭は薄らと白くなっています。 積雪2~3cmはあるのかしら?

前BLOGの続きですが、今度は引っかかりを感じたところを振り返ってみようと思います。

一番に引っかかったところですが・・・、 展示会場に入ったところに掲げられているパネルに書かれてあった文章の一節です。 それが、一緒に行った法友とは、別々のところで引っかかりを持ちまして、相手が引っかかったところにはお互い引っかからず・・・、 これを互いに議論しあっているところがまた面白くもありました。
だって、「法論」ではなく「議論」なのですもの! 仏法を語っているようでいて、その実、ただ単に自分の意見を申し立てているだけなのですから、熱くなればなるほどに笑えて来ました。

まず、私が引っかかりましたのは、「私たちは、誰ひとりとして例外なく生きる価値のある存在なのだ」 という文章です。
考える間もなく、私が生きているということは、多くの命の犠牲の上に君臨しているということであり、その命の代償をあがなわずして、「私は生きている価値のある存在なのだ!」とは、とても言えないと思うのです。
「私が生きる」という欲を満たしているということは、私が食している命の犠牲だけではなく、数限りないもののおかげさまと、そこには私のための犠牲が常にあるだと・・・、 これに「ハイ、その通りです!」と頷くことは出来ずとも、自分のやっていることを一つ一つ見ていけば、これを否定することなど出来ません。
でも、法友は言いました、「だけど、人として生きているから御法が聞けるんでしょ! それは生きている価値ではないの?」と・・・。 

人間として生まれさせていただき、これを価値のあることだとするか・しないかは、こちらの判断基準でモノ申せることでは全くないと思うのです。
確かにパネルに書かれてあるように、また法友が言うように、「人は皆、生きる価値のある存在」なのかもしれません。 でも、その「価値」って、どんな価値なのでしょう?
もし、「価値」があるとするのならば、それは、私が口にできることではないと思うのです。
「人身受け難し 今已に受く。 仏法聞き難し 今已に聞く。 この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてか この身を度せん。」
これは、私を仏法に引き付けた『三帰依文』の文頭ですが、やはり、「なぜ生まれさせていただいたのか」、「なぜ生かさせていただているのか」、「これらを抜きにして生きるということはど~ゆ~ことなのか」という疑問と出遇わせていただき、その解決の完了をもって初めて「生きる価値」というものが出てくるのではないでしょうか?
しかも、その「価値」は私の方が云々言えるものではなく、あくまでこの身をくださった真実の方が持たれる意味だと私は思うのです。

また、その法友が引っかかった文章というは、「“南無阿弥陀仏”を称えれば、すべての人が極楽浄土で救われる」 というところでした。
言葉尻の上げ足はともかくとして、「“南無阿弥陀仏”一つで救うぞ!」 と言うのが阿弥陀如来さまのお約束であり、 「“南無阿弥陀仏”に極楽往生させるための力を込めたぞ!」 とお誓いくださっているのです。
そして、「これを必ず受け取ってくれる」 と信じてくださっているのも阿弥陀如来さまなのです。
これに対して、「お念仏は、称えりゃいいってもんじゃないでしょ! その御心を聞かせてもらわにゃ~ならん! これを「ハイ!」と受けにゃ極楽浄土には参れんだろう!」 との意見を申し立てているのはこちらの側の話です。
こちらがいくら 「お念仏だけでは物足りない」と思っても、「如来さまのお心がわからないから救われない」と思っても・・・、何を思おうと、何を言おうと、すべて私の言い訳と計らいでしかありません。
そんな私に向かって、私の知らないずっと ず~っと昔の過去世より、「“南無阿弥陀仏”になってお前を救う! 必ず極楽浄土へ参らせてみせる!」と 如来さまはお誓いくださっているのです。
その誓いに…、その真実に対して、「称えただけでは救われるはずがない!」と私は自分を立てて、長い 長~い間、如来さまを泣かせ続けて来たのです。 
これをいつまで続けますか?
私の願いはコロコロ変わります。 でも、阿弥陀さまの願いは、「“南無阿弥陀仏”を称えておくれ、救わせておくれ」 という、その一つを私にかけてくださっているのです。  南無阿弥陀仏
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『親鸞展』 興味編 [御法縁]

この冬、初めての積雪です。
年に一度、降るか降らぬかといった土地に住んでいる雪好き娘にとっては、とても嬉しい出来事であります。 最近、また眠れない日が続いていますが、この雪のおかげで今夜は眠れそうな気がします・・・。

先日、親鸞聖人750回忌記念企画の『親鸞展』に行ってまいりました。 たいへんな盛況ぶりでずいぶん混雑しておりましたが、想像していたより展示品も多くて、けっこう面白かったです。

一番興味を惹いたのは、東本願寺より出展された園林堂の御本尊・阿弥陀如来立像でした。
何が興味深かったのかと言えば、やはり普段はここまで間近に、しかもショーケースにも入ってない、手を伸ばせば届くような距離にて阿弥陀如来像が安置…といいますか、展示されてあり、これを繁と拝することが出来たことに、「オォ~!」 と思ったわけであります。
が、 しかし・・・、 そこでまず私の視線を釘付けにしたものは、その阿弥陀如来像の御本体ではなくて、その足元に投げ入れられていた物であります。 つまり・・・、その如来像を囲むように敷かれたシートの上に投げ込まれた現金の山であります。
まるで、お金の池の中に咲いた蓮華の上におわす阿弥陀さま… と言った様相で、これを見てエゲツないものを感じつつも、その一方で大きく頷いている私もいて、ここ一ヶ所だけでも十分に親鸞展を堪能させていただきました。

主催者側が、この現金池を想像していたのなら、たぶん初めから賽銭箱を設置したでしょうね・・・。
きっと一番乗りに現金を置いた人の真似をして、次から次へとお金が投げ入れられたと想像しますが、俗な私が考えることといえば、「いったいいくらあるのかしら?」とか、「このお金の使い道は?」など、野暮のことばかりです。 それから、「どんな意味を込めて投げ入れられたお金なのかしら?」なんて…、現世利益を願って投げ込まれたお金かどうかはわかりませんが、そんなわずかばかりのお金を仏像に差し出して、人はいったい何を心に思い描くのか?!と・・・、 気がつけば他人はもちろんのこと、仏さまをも馬鹿にしている私でした。
常に自分は正しくて、周りの人たちはアホなことばかりしていると人を蔑み、そんな自分がまったく見えていなくて、 何よりも、私は自分がバカにしているその人たちに対して、「みんな如来さまの願いがかかっているからこそ、この親鸞展に来れたのよ!」なんて心の中で言ってのけている自分に、「オマエ、何様のつもりじゃ!!」 とのお叱りの声が聞こえてくるようでありました。

私が興味を惹かれるところと言うのは、まったくもって俗なところばかりでありますが、もう一つ、「へ~!」と思ったところがあります。 まぁ~、単なる知識不足だったということだけなのですが・・・。
親鸞さまのお父様であられる日野有範さまは、親鸞さまがまだ幼き頃に亡くなられ、親鸞さまの「無常観」への追及は、ご両親の死であると聞いていたのですが、親鸞さまは五人兄弟の長子で、父君の有範さまは、かなり老齢まで生きられたそうです。
これを知ってどうということはありませんが、「へ~」とは思いました。

俗話ついでにもう一つ、親鸞さまのご師匠さまであられる法然さまの肖像画が展示されていたのですが、その解説文に、「法然上人の特徴である後頭部のくぼみは、‘法然頭’と言われている」と書いてあり、「へえ?」という感じの苦笑いをさせていただきました。
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読むためのBLOG [心]

いつもBLOGに向かう時、「書きたい」と思うことはあるのですが、それはとても断片的なもので、それだけを文章にしたならば、きっと一文か二文で終わってしまうことでしょう。
例えば、随筆にしろ、小説にしろ、自分が書きたいというテーマが出来ると、これを書く前に全体の構成を思い浮かべ、ある程度の方向性が決まった上で起承転結を設定してから書き始めますので、それを文字にする手前の時点で、「自分は何を書きたいのか」、つまり、「私が伝えたいこと」というものが必ず念頭にあるわけです。

でも、私がBLOGを書く時は、それがまるでないのです。 だから文章もチャランポランなものになってしまうのですが、それはそれでいいと思っています。
ある人から、「BLOGに自分の思いは入れるな」、「BLOGに一貫性をもたせろ」などと言われたこともありますが、それは出来ない相談でした。
だって、私にとってこのBLOGは、自分と対話をするための手段だからです。
例えば、会話を始める前に、自分と相手の起承転結を決定してから話し始めることなど出来ないように、私の言った一言を受けて相手が発言をし、その相手の発した言葉によって自分がどのような反応をするのか、そんな言葉のキャッチボールには常に未知の展開があるわけで、私のBLOGも同様に、このBLOGの中で私が発した言葉の対極に受け答えの会話がなされているような・・・、そこに、「自分の居場所」というものを発見していっているように思います。

「心の整理」とでも言いましょうか・・・
自分が何を思っているのか・・・、 あまりの「思い」の多さに、いつも訳がわからなくなってしまいます。
また、頭の中だけで縦横無尽に会話を続けていると、何処までがその時々の自分の思いで、どこから空想の域に入ってしまっているのかなど、ぐちゃぐちゃにさっぱりぼやけてしまったり、時には偏った考え方に固着をしたり、また変な方向へと自分を持って行ったり、大抵の場合は、肝心なこと(気付き)を流してしまったりするもので、まったくもって整理がつかないままに消去してしまうことがほとんどです。
それが、私の場合は、「書く」という作業を通して、気付かせていただくことが実に多いのです!
文字にしているうちに、自分でもハッと驚く気付きがあったり、過去を振り返ることが出来たり、少し遠くから自分を眺めることが出来たり・・・。  まぁ、我から離れて書くということは出来ませんが、それでも新たなる発見というものに出会うことは出来ます。

昨日、Inさんと電話でお話しをする機会をいただきました。
私のBLOGを読んでくださった感想をお聞かせくださったのですが・・・、 これは単なる自惚れかもしれませんが、「私が書いているものは、私であって私ではなかった…」 と、Inさんのお話しを聞いていてそう思いました。
決して自分の力では見ることの出来ないものを観さていただき、決して私の力では聞くことの出来ないことを聞かせていただき、自分では絶対に気付くはずのないことを気付かせていただいてるのだと・・・。

私は、自分のBLOGは、単なる心の整理として書いてきたつもりですし、これからもそんな書き方しか出来ないと思います。  でも、そこで止まっていてはいけなかったのです。
このBLOGは、他の誰でもない、まさにこの私自身のためのもので、それは書くことによって気付かせていただけるということのみに止まらず、如来さまの 「お願いだから聞いておくれ!」の願いのもとに書かせていただいているのだと・・・、  この私自身に読ませるためでした。 聞かせるためでした。 気付かせるためでした。
この私に実にピッタリと寄り添ったところで御説法くださっているのです。
だから私であって私ではないものとの出遇いをさせていただけるのです。

さて、今日のBLOGも、「こんなん出ましたけど~!」 みたいに書き終えようとしています。
読み返す中に、「如来さまは、私に何を言っているの?」ということを聞かせていただかなければ勿体ないことです。 南無阿弥陀仏
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生きている感情を言葉に! [真宗カウンセリング]

正午を少し回った頃に自宅の電話が鳴りました。
「1時37分に名古屋駅に到着! もしよかったら出てこない?」 と。
あと1時間ちょっとしかない! でも逢いたい!!  躊躇なくバスルームに飛び込んで準備開始!!!
洗った髪を乾かしながら歯を磨き、化粧をしながら服を選び、服を着ながらワンちゃんたちにトイレをさせて、電話をもらった30分後には車を発進! 女を捨てたような早さに我ながら感心!!(^.^ゞ
1時30分には名駅に到着し近鉄の改札口にてその方をお待ちする。 が…、列車が到着しても姿が見当たらず・・・、アレッ?  しばらくして携帯が鳴り、お互いがお互いを見落とした事実に口閉・・・。(^^ゞ
目の前にある探し物を見つけることが出来ないなんてね…、 たった一つのものしか探していないのに。
目にしていながら目には映らず・・・、耳にしていながら耳には聞こえず・・・、 それは何故?
みんな私の「思い」が邪魔をしている、常に正しいと感違いをしている私の思いが邪魔なんだなぁ~・・・。

GS先生とお逢いするのは4ヶ月ぶりでした。 メールでは時々お話しさせていただくのですが、お逢いした瞬間、すご~く遠い時間的な距離を感じました。 うぅ~ん・・・、なんだかとっても懐かしかったです。
Launchはレジャックの南山にていただき、この後はPastelにてSweet time!
初めはお話しを聞いているだけの心地よい時間が流れていたのですが、途中から、「でっ? 奈っちゃん、何が変わったん??」 との質問が向けられ、その瞬間に感情が停止してしまいました。
それまではいろんな思いが私の中に溢れていて、五感で入って来るものの全て、その一つ一つに反応して動き続けている感情、常に湧き出て来る感情というものが確かに存在していたのですが、「奈っちゃんはどうなの!?」との質問が飛んで来た瞬間、その問いを刃として捉えてしまうのか、致命傷にならないようにと一瞬にして感情を凍てつかせてしまい、心がその動きを止めてしまう… というか・・・、 WHITE OUT  何も見えなくなってしまうのです。
でも、質問には答えなくっちゃならない・・・。
そう・・・、 「絶対に答えなければならない」、「言葉にして出さなければならない」と、脅迫的に決め切っている私がいて、そこで活動し始めるのが、「相手は何を望んでいるのだろう・・・?」との思いです。
トラウマ・・・、と言ってしまえば身も蓋もありませんが、幼い頃から訓練されてきたことが身についてしまっているようで、我が身を守るために相手の思いを推し測り、自分の思いを抑えてしまう・・・、そんなことを未だ繰り返しているのですね・・・・・

でも、後々になって思い返せば、確かにその時々に動いている感情はあったのです。
例えば、「結局、僕と初めて会った時から何も変わっていないよね」 と言われた時、その場では 「返す言葉がない…」 との思いから何も言葉にすることは出来ませんでしたが、その土台には、「何が変わるっていうの? 私は、ずっと ず~っと 自分の革変を求め続けて来たけれど、何も変わらない・・・、変わるわけがない!・・・。 だって、変わり様のない自分と出遭っちゃったのだもの・・・。 だからおっしゃる通りよ、私はチッとも変わっていないと思う・・・」 と、 その結論が、「返す言葉がない…、何も言い返せない…」 でした。
それをそのまま言葉にしていけばいいって、教えていただいたところなのに・・・。

GS先生から今の今、「何を聞かれても、その時 その時に動いている感情を言葉にしていけばいいんだよ。 その質問に答えたくないと思ったならば、それをそのまま言葉にすればいいし、その質問に腹が立ったのであれば、その思いをそのまま口に出していけばいいんだよ」 と 教えてくださったばかりなのですが・・・・・、
これに対して、「あぁ、そうなんだ! その質問の答えを自分の中から探し出そうとしたり、相手を見ながら無理に作り上げたりするのではなく、今、動いている私自身を、ちゃんと聞いてあげることが第一歩なのだ!」 と受けていながらも、結局は聞きっぱなしで何も身についていない私でした。

過去に三回、カウンセリングのワークショップに参加させていただき、少しは自分が見れるようになった…、それを言葉に出来るようになった…、などと自讃していたのですが、やっぱり私は「言い訳」しかしていないなぁ~ って思いました。
今日、教えていただいたこと、すぐに実践することも、上手く言うことも出来ないとは思うけれど、行き詰った時には思い出して実行していきたいと思います。
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2011年 「報恩講」法座 [御法縁]

今週頭に一泊二日で報恩講法座に参加させていただきました。
報恩講に始めて参加させていただのは三年前で、この時は「受付・会計係り」としてのお役目をいただいての参加でした。 二年目の去年は初めて「総括」という大役をいただき、この時は事前準備の段階からかなり忙しくて アップ アップの状態であったことを、今回、懐かしく思い出しました。
そして今年は初めて「生活係り」というものをさせていただき、それもリーダーとしての任をいただいておりましたのでそれなりに不安とか緊張とかもありましたが、実際の仕事としては、今まで興味本位でお手伝いをさせていただいてきたことが役に立ち難なく動くことは出来ました。
ただ、毎年のことですが、反省点とか問題点とかは後に残ります。 そういった、今も自分の中で動いている何かを整理したくて、今日もこのBLOGに書いていこうと思います。

今回、世話役のSyoちゃんから、「生活のリーダーをしてほしい」と頼まれた時には、「とても無理!」と、すぐに了承することは出来ませんでした。  お手伝いをさせていただくのは大好きですし、裏方の仕事も嫌いじゃない。 ただ、リーダーとしての責任を考えた時、私には無理と思ったのですが、Syoちゃんからその他いろいろな相談をされる内に、これを受ける決心がつきました。 

事前準備の段階から気になっていたことは、そのメンバーでした。 経験者がほぼゼロのうえに人員も少なく、それが不安のタネでもあったのですが・・・、 当日は、これが別の形でストレスとなり、それ故に良い経験をさせていただいと思っております。

一番に考えさせられたのは、「何が聴聞なのか・・・」ということです。
メンバーに仕事の依頼をしても、「ハイ」と返事はしてくれるのですが、仕事はしてくれない・・・。
「私は聴聞に来たのだから」という理由で、他人のお世話よりも、まずは自分さまのご信心が最優先!
「法話を聞かなきゃ始まらない! 座談に出なきゃ意味がない! 私だけが一大事!」 と・・・。
ご名答! それはその通りなのですが、しかし、「聞かなきゃ~、聞かなきゃ~」と言っているだけで、何を聞かせていただくのか? その軸はどこにあるの? そこのところが抜けているように思いました。

以前 Yuさんから 「奈っちゃんは御法座だけの仏法になっている」と指摘された言葉を思い出しました。
確かにそうだった! と、今にしてやっと、なんとなくですが頷けます。
だって私は、ただ自分の気休めのために法座に出ていただけだったと、今にして思います。 あの時は、「自分は真剣に聴聞をするんだ!」という意気込みだけで、何を聞かせていただくのかということが、ブレにブレていました。
それに、こうして法座に座らせていただけた御縁ところを喜ぶだけで、この御座が催され、今、この私に至るまでのご苦労なんて、頭の中でチョチヨッと触れる程度で、微塵もわかっちゃいませんでした。

仏法は、この私の身を通して聞かせていただくものです。
だって、この私が居ったからこその仏法なのですもの。
「この私」の中に居ってくださる如来さまのご苦労を聞かせていただくのですもの。

この報恩講法座の二日間で、私はどれほどの怒りを生みだし、愚痴を吐き出し、人に迷惑をかけ、自惚れを肥大させてきたのか・・・・・  悪に限りなし! 私は悪の製造工場でした。
係りの仕事が忙しくて法話や座談に参加出来なかったのではなく、もとより聞きたくないんです。
係りの仕事が気にかかって御法話に集中できなかったのではなく、もともと聞く気がないんです。
それなのに自分の都合に合わせて、自分を正当化させるばかり・・・
つまり、じっくり腰を据えて法座に参加できなかったことを「損」としてみたり…、この身を通して聞かせてもらったと自讃して「得」としてみたり…、我が心で自分に都合のよい損得勘定をしているだけなのです。
そんな心には一切用事はないけれど、そんな心しかない私だからこそ、そこのところで、想像を絶する御苦労の末に “南無阿弥陀仏”となって届いてくださるその御心にふれさせていただける。

「報恩講」って、どんな意味があるの?
その御恩徳というものを考える時、私はいつも思うのです。 この場に私が居らせてもらえるのはなぜだろう?って・・・
その末席に居らせてもらっているということは、この私一人がお目当てだったということです。
「この私」を抜いては、仏法は聞かれないです。

報恩講法座のお世話を通して、「こんな私」を いっぱい いっぱい 観させていただきました。
その数分だけ、如来さまの御苦労を聞かせていただき、同じ数だけ、何も聞けていない自分を知らされました。  南無阿弥陀仏
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私の居場所 [心]

昨夜はかなりHeavyなBLOGとなってしまい、やはり少々後悔の念もあります。
ですが・・・、 まぁ~ 何でもアリですわ~ と、ちょっぴり開き直っている私も居て、そこのところはここ最近の心境の変化とも言えるような気がします。
ただ、開き直れない部分ももちろんあります。 それ故に、年末からず~っと心に引っかかっていることがあって、ここ最近、そのことが今の私の問題点として頭から離れずにいるのでちょっとイヤな感じです。
もしかしたら、それを文字に表してゆくことで何か見えてくるかもしれない・・・、なんて思いましたので、ここに書いてみることにします。

先月のXmas・eveに、ある会議がありました。 本来ならば主催者側の立場にいなければならない会議でしたが、開催4日前に「決まったから」と出席の有無だけを問われ、欠席する訳にもいかずに了解するという事態。
しかし、その日の内に会議開催が危ぶまれる事件が発生し・・・、これを収拾する立場に追い込まれて揉まれに揉まれ、なんとか形の上だけでも会議開催の運びとなりましたのが会議の前々日でした。
そして精神的なバランスが取れないままに、会議の案内状を作成・発送したり、議事案をまとめて会議資料を作ったりと、心身ともにハードな時間を過ごし、その上、会議出席者等からの遠慮のないメールに追い込まれて、とうとう会議の前夜にはPD(パニック・ディスオーダー)の発作を起こしてしまいました。

不安を抱え、時間的な収拾もついていないままに会議の当日を迎えて、過量に薬を摂取ながらなんとか症状を抑えて会議に臨みましたが、現実はそんなに甘いものではありませんでした。
爆弾を抱えながらの自分との闘い、そして進行を補佐しつつも薬でぼやけた頭を呼び起すために給仕に終始したりと、気の置けない時間が3時間、4時間と経過したところで、OG先生が他の人の話を奪うような形で突然尋ねてこられたのが、「副支部長として、奈っちゃんの信心はどうなんですか?」との問いかけでした。
「信心」、そして「後生」。 当然のことを問われたわけで、これに反発はありません。
ただ、私なりに答えた後にOG先生より、「言葉上ではそうかもしれないが、実際に、奈っちゃんの居場所はどこなんですか?」と言われたことで、まず、「言葉以外に、今ここで表現できるものなんてあるの?!」と引っかかってしまいました。
その上、Imさんが覆いかぶせるように、「僕も奈っちゃんの信心をハッキリさせたい」と言われたことで、それまで彼に対して募らせていたわだかまりを言葉として吐き出してしまいました。 「あなたに人の信心の良し悪しを判定されたくない!」と・・・。  これを受けてImさんは、「帰る!」と席を立たれ帰ってしまわれました。

その後もOG先生から執拗に問われたのですが、何を聞かれているのかさっぱりわかりませんでした。
自分が言葉にしてしまったことを後悔し、不安で胸が押しつぶされそうになり、ただ問い続けられることが恐怖でしかありませんでした。
そして何よりも、仏も法もまるで空っぽのそっちのけで、自分の心身にだけしか興味のない私というヤツが怖かった・・・、恐ろしいと思いました。

この日以降、「私の今居る場所」というのが、ず~っと引っかかっています。
少し前までは、「どうして彼らは私の信心を判定したがるのか? 私は彼らを納得させるために聞いているわけじゃない!」という反発心があり、また、「彼らを納得させられないような私だからダメなんだ…」という卑下心もあって、それらの方のがはるかに多く私の感情を牛耳っていたのですが、今は、「自分の居場所」という問いかけの方に重心が移って来ています。

OG先生が、どのような言葉を望み、どのように納得したかったのかはわかりません。
でも、「私の居場所」を考えた時、昨日のBLOGを書きながらフッと思ったんです、「地獄は一定住みかぞかし」と。
人として生まれさせていただき、真実の法とも出遇わせていただきながら、私は好き好んで地獄に居るんですよね・・・。
でも、そこで親と出遇わせていただいた。 そこでしか出遇えなかったと思うのです。
南無阿弥陀仏
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地獄は一定住みかぞかし [心]

精神的に落ち着く暇のないのは私の性分でもありますが、ここ最近は特にいろいろな事に気を回さなければならないことが多いせいか、体調の方も少し不安定な感じであります。
もし、誰にも気を使うことなく、自分が自分であるがままに私速度の時間を過ごすことが出来たならばどんなに気楽かしら…、なんて夢を思い描いたりなんかして・・・、 やっぱり疲れているのかしら・・・?

昨日は、Oさんの御本を読ませていただきながら少し自分に入り込み過ぎてしまったため、心身のバランスを失いかけました。 もちろん、御本は縁となっただけで、あきらかに自業自得です。
その時のことを、ここには書きたくない! ・・・ というが本心です。
でも、「偶然」という「必然」のご催促があり、「書くべき…と言うことかしら・・・」と思い立って書く決心をいたしました。 ただ、その時そのままの感情は既に過去の産物でしかありませんので、それを回想しながら、今、思うところをここに書いていこうと思います。

直球で衝撃を受けたのは、私の罪の重さでした・・・・・。
「私さえよければいい」とか、「私が一番大事」とか、その「オレが~!」の心があるということはG先生からもよく聞かせていただき、本当にそ~だなぁ と 肯定せざるを得ない自分を観させていただいておりました。
でも、そんな生ぬるいものではありませんでした・・・。 自分を甘く買い被っておりました・・・。
「自分さえ助かればいい」のその先には、「他人の不幸を喜ぶ心」があって、その上、「人を地獄におとしめることを生きがいとしている」・・・。  そんな、地獄の鬼よりも恐ろしい私だったのだと知らされました・・・。
今まで、「私ほどの悪人はおりません! 他の誰よりも私が一番の悪でございます!」などと、チラッとでも観せられた折にはこれを口に出しておりましたが、今、知らされた私の悪は、言葉に出来るような甘い悪ではありません。
自分が自分であることを拒絶したくなるような得体の知れぬ怪物・・・、底知れぬ悪が私の正体でした。

誰が何と言おうと、私は絶対に救われない! 決して救われるはずがない!! 人を地獄に蹴落とすことを何よりの楽しみとして生きている私が、「どうか私の後生を助けてください」だなんて・・・、 誰にモノ申す! 何をほざいておるか! 我をよく見よ!!!
堕ちるのは私でした・・・・・  私に、地獄より他に行き場などないじゃない・・・・・
言葉にならない悲鳴が胸を貫き、呼吸が乱れ、頭が割れるように痛くなり・・・、でも、誰も助けてくれない。
独り生れ来て、独り死しても、せめてこの世に居る間だけは孤独とは無縁でありたいと願い、孤独を偽って生きて来たのですが、どんなにこれを否定しようとも、孤独という事実はここにあるのです。
そして、すべてを背負って私が堕ち行く世界は、私自身が築き上げた世界であり、その「私の地獄」という世界を作り上げることを私は何よりの楽しみとして生きていながら、そこへは行きたくないだなんて全く矛盾しています。

でも如来さまの御本願がある・・・、南無阿弥陀仏も聞かせてもらってる・・・、 って? それはムシがよすぎるんじゃない?!?!?
私は地獄から生れ来て、地獄へと帰って行くのです。 それは私を観ればあきらかで、いた仕方のないことです。
仕方がないですって?! そんな言葉で諦められるものか!! 私は堕ちたくないんだ!!! 怖いのはイヤなんだ! 痛いのもイヤ! 苦しいのもイヤ! 寂しいのも、悲しいのも、辛いのも、イヤ! イヤ! イヤ!
地獄なんかに行きたくない・・・ 私は自分の責任なんて果たせない・・・、 ただ堕ちたくない! 絶対に堕ちたくない! 堕ちたくないったら堕ちたくないの!!

・・・・・・ だけど、  地獄は私の故郷なのです・・・、 今の私の住みかなのです・・・・・・  
指先の力がめけるように、しがみついていた思いから手を放した瞬間・・・、私はなすすべもなく堕ちて行きました。 そしてそこには、地獄へと堕ちていく私をほんわりと受け止めてくださる「力」がありました。

無始より迷い続けてきた私ですが、その「力」は教えてくださいました。 私は親元で誕生したのだと。
真実の親よりその子どもとして生れ来て、真実の親の愛に育まれながらも、その親の愛がわからずに逆らいながら悪に手を染め、悪を愛するようになってしまいました。
そして真実を見る目を失い、真実を聞く耳も失い、暗黒の闇を好んで、生れ・死に・生れ・死に と 繰り返す内に こんなにも悪を重ねて、既に手の施しようのない私になっていました。
でも、親は見捨てなかった・・・。 こんな私を見捨てはしない、放ってはおけぬと・・・。
真実の親は、ずっと ず~っと どんな私であっても愛し続けてくださっていました。

私は、その親に手を引かれて帰るのです。 最初の最初に生まれた場所に、親と一緒に帰るのです。
それは、私の願いではなく、真実の親の願いでした。  南無阿弥陀仏
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初詣の願い [心]

数年前までは、神社と寺院の区別もつかなかった私ですが、今はちょこっとだけ知識が増えまして、神さまをお祀りしてある所と、仏さま・菩薩さまをお祀りされている所の、表向きの区別はつくようになってまいりました。 (とは言いましても、寺院の中に鳥居が在る所などもございますのでそこら辺は曖昧なのですが…(^^ゞ)

辞典によると、「初詣(初参り)」とは、新年に初めて神社や寺院などを参拝する行事のことで、一昨年の感謝を捧げたり、今年一年の無事と平安を祈願したりすることなのだと書いてありました。

今日、昨年同様に、名古屋東別院と 西別院へ 新年の参拝に行ってまいりました。
チラホラと参拝客はいたのですが、どなたの口からもお念仏が聞こえてこない・・・。
代わりに東別院の本堂にてこんな言葉が耳に入ってまいりました。
「さぁ、昨年の御礼もしたし、今年のお願い事もしたことだし、今日の予定はこれで終わりね!」 と。
当然のことながら、これを口にした彼女が本堂に座してからお参り(?)を終えその言葉を発するまでに、何一つとして声に出した言葉はございませんでしたので、彼女がどのような御礼をして、どのようなお願い事をしたのかは窺い知れませんし、また、お念仏を称えようとする心があったのかどうも私にはわかりませんが・・・。

この時、つい先日 Iuさんが教えてくださった、「どの人にも皆平等に如来さまのお慈悲の願いはかけられているのだよ」との言葉が不意に思い返されました。
これまでにも諸師・先輩方から同じようにお聞かせていただいていたのですが、一方向の聞き方をしていたため、「私だけは特別・・・」なとど自惚れてみたり、「あの人にかけられているお慈悲は・・・」などと他人を羨み嫉妬してみたり、平等であるということをまったく抜きに、何が平等なのかもわかっていない私でした。
でもこの時、お寺に参りに来てもなお、南無阿弥陀仏を横に置いて自身の願いを申し立てている彼女を見ていて、「生きている」ということ自体が既にお慈悲に包まれているのだなぁ~というように感じました。

仏法では、死んで地獄に堕ちてもなお、如来さまは私一人を願ってお慈悲で包んでくださっているのだと聞かせていただきましたが、そんなこと私には全くわかりませんし、今現在、この私がお慈悲に包まれているという実感があるかと問われても、そんなものはありません。 たとえあったとしても妄想という一時的な飾りものにしかならないと思います。

ただ、たまたま隣りに座り合わせた彼女の中に私の相を見せさていただいた時、「受け難い人身」をいただい時点でまるのまんまお慈悲の中に生かさせていただいているのだなぁ~、 それをこちらの「思い」一つで、自分は~、他人は~、などと勝手な沙汰をして、いったい私は何やっているのか・・・。 「聞き難い仏法」を、なんと聞かせていただいているのか・・・。 そんな問いかけが胸に突き刺さりました。

本堂から出る時、一枚のポスターが目に入りました。 そこには、こんな言葉が書かれてありました。
「人間は、死を抱いて生れ、死をかかえて成長する」 と・・・。
だからこそ、人間として生まれさせていただいたその意味と出遇わずして死を迎えては申し訳ない。
「私を救う」という、有り得ないお慈悲の願いを元に人間として生まれさせていただいたのだから。

初詣は、私の願いを聞いてもらいに行くのでなくて、如来さまの願いを聞かせていただき行くのだということを、今年初めて知りました。
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孤独 [心]

今日は、Daneの最後の引っ越し荷物を積んでドライブに行ってまいりました。
これで全ての荷物が運び込まれ、お掃除も済ませて、電気・ガス・水道も使えるようになったので、もう、いつでも入居OKです。
チョッピリ羨ましい気がします・・・。 新転地で新しいスタイルの生活が始められるのですもの・・・。

行きのドライブも、帰り道でも、今日はなんだか無性に寂しさが込み上げて来て、切ない気持が心の中で自分の居場所を探しているような・・・  そんな孤独感に包まれていました。
愛する人や家族や親友や、どんなに親しく身近な人と一緒の時を過ごしていても、時折、自分だけ違う世界に居るような孤独を感じたり・・・、愛おしい人たち全てが消えてしまい一人取り残されてしまったような孤独を感じたり・・・、ただ ただ 凍えてしまいそうな孤独を感じたり・・・、と 孤独の感じ方は様々ですが、
今日は、手にしているもの全てがこぼれ落ち、それらを掴んでいた私の手さえも砂のようにこぼれ落ちていくような錯覚に襲われ、込み上げる恐怖と、泣き叫びたくなるような気持を抑えるのに必死でした・・・。

いつか離れ離れになる・・・。 離れたくないものも、放したくないものも、願い空しく別れの時が訪れる。
それが、「いつか」、ではなく、「今」、消え去ってしまう・・・・・、 そんな、どこからともなく沸き起こって来た思いに涙が込み上げて来たのですが、泣くわけにはいきませんでした・・・。
こぼれ落ちそうになった涙を隠すため、彼に背を向けて助手席の窓から外の風景に目を移したのですが、人も、街も、草木も、空さえも、切ないほどに虚しくて・・・。

この時 フッと思ったのは、「私は、本当に孤独なのだろうか?」という疑問でした。
大切な人、大切なモノ、そしてこの私自身の肉体も含めて、別れは、「いつか」ではなく、「今」この瞬間が永遠の別離の時となるやもしれぬ、と・・・、 唐突に沸き起こったその思いに対して抵抗している私がいました。
私は、独りになるのが怖いのです。 孤独な私と認めてしまうのが怖いのです。
孤独を感じても、これを拒否しているのが私であり、孤独を知らされても、その真実に抵抗しているような私に、本当の孤独なんてわかるわけがないじゃない!

孤独感に襲われた時にだけ心の拠り所として如来さまを求めているような私です。
私が独りぼっちで泣いているから、そんな私を如来さまが抱きしめてくださっているのだと・・・、
それは、私の思いにかかわらず事実なのでしょう。 でも、「そんなんでいいの?!」と、自分に対して疑問符を立てている私がいます。
また御法を自分に都合よく持ち替えて、 生きて行く糧に仏法を利用しているだけの私なのです。
こんな身勝手でお粗末な私に、真実の「孤独」なんてわかるはずがない! って思ったんです。

でも、それこそが孤独な私にピタッと寄り添い護ってくださっている如来さまの御力なのでしょうね。

帰り道、春まだ早い菜の花畑に立ち寄りました。 そして、美しい夕日とも出会うことが出来ました。
1.2  菜の花と夕陽.JPG

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元日の火災 [随筆日記]

今日のお昼を少し過ぎた頃、地域の防災サイレンが鳴り渡りました。
「お正月早々に防災訓練かしら? あぁ、もしかしたら消防の出初式?」なんて思いながらもパソコンに向かい続けていたのですが、しばらくすると今度は消防車のサイレンが聞こえて来たので、「あら、火事だったのね?」と、やっとパソコンから道路の方へと視線を移したのですが、その消防車が家の前を通り過ぎたところで徐行を始めてサイレンを止めたので、今度ばかりは「えっ?!」と驚き、慌てて道路に面した窓のある階段の上の窓を開けてみると・・・、 お茶畑を挟んだ向いの家から出火しているではありませんか!!
1.1 火災.JPG炎は民家を丸飲みするように包み込こんでおり、隣りの材木工場の窓からは黒煙が噴き出して、その排煙が風に乗って我が家の横を勢いよくかすめて行きました。
消防車が次々に到着する頃には、野次馬らがどこからともなく集まって来て、車道はたまたま通りかかった見物客で大渋滞となり、人と車のお祭り騒ぎの様相となってきました。
そうこうしている間に煙火は風下にあった商店に襲いかかるが如くその手を伸ばし、これを消防隊員らが必死で阻止している中、先ほどまで黒煙を上げていた材木工場の屋根が炎で吹き飛び辺りは瞬く間に火の山の様になってまいりました。

向いの家と言いましても お茶畑を挟んでおりますので、その距離は 200mほどあります。
また、風下ではありましたが、30度ほど角度がずれておりましたので、「まぁ、我が家に飛び火の心配fないだろう・・・」 との見解で、人の不幸を遠巻きに眺めながら、ロイヤル席から野次馬たちに心中でヤジを飛ばしておるような、 なんとも醜い私であります。
おまけにカメラまで構えて、BLOGネタにしてやろうだなんて・・・・・、 はぁ~゛、なんて 酷い!

昨夜、ブログに 「無常」だの、「後生」だのと書きましたが、隣りの家が全焼しているのを、今、目の前にしていながらも私ってこんなんなんです。
全くの他人事です。 私は大丈夫と安心しきっています。 この二年間、私は何を聞いて来たんだ?
狂ってる・・・、 まったく狂ってます・・・。
自分を横に置いて野次馬たちを見下し、人の不幸をあざ笑うかの如くネタにしている私って・・・。
自分でも気味が悪いほど、醜く 恐ろしいヤツです。

冷たい北風にあおられながら、遠巻きに燃え上がる炎を見みつめていた時、二つのことが思い浮かびました。
一つは、以前 G先生に言われた 「あんたは熱湯を浴びせられたら熱いと思う前に、熱い!と感じるやろ~!!」 とのお叱りを受けた時の言葉です。
そしてもう一つは、お釈迦さまの「四馬(しめ)」の譬えです。
「四馬」とは、四種の馬に譬えられた教えで、第一の馬は、鞭で打たれたわけではないのに御者のふりあげた鞭影(ムチの影)を見ただけで驚いて走り出す馬です。 
第二の馬は、その鞭が毛の先に触れた瞬間にハッと驚き走り出す馬です。
第三の馬は、振り下ろされたその鞭がピシャッと肉に当たって、その痛さに驚いて走り出す馬です。
そして第四の馬は、ひどく打たれながらもその痛さが骨身に徹しないと走り出さない馬で、これを駑馬(どば)と言います。 つまり鈍い馬と言うことです。

私は・・・、 そのどれにも属さない・・・。 第五の馬です。 例外であり、番外です。
熱湯を浴びせられても、熱いと感じるか感じないかのところでゴチャゴチャと自分をさばくっているだけ・・・。
また、どれだけひどく鞭に打たれても、骨身に沁みない自分なのだから仕方ないじゃん、などと居直るばかり・・・。
だから「唯除」されたんです。 例外の例外、 番外の番外で、全くお呼びでないヤツなのに・・・・
それなのに、そんな私だから呼んでくださっていた。 南無阿弥陀仏

この火事で電線も焼かれて、ご近所一帯が停電となりました。
寒気が来ている元日に、暖房器具が一切使えなくなりました。 照明も消え、パソコンも、電話も、冷蔵庫も動かなくなり、ライフラインが停止してしまいました。
なくなってみて初めてわかるのですね~、 あぁ、こんなにも電気に頼っていたんだ!って。
知っているのに知らなかった・・・。 当たり前だと思っていたけど当たり前ではなかった・・・。
この身体も、なくなってみて初めてわかる・・・、では、遅すぎるのです。

元旦に隣家の火災・・・。 また、私のために犠牲になって教えてくださった。 それを、こんなにも軽く流している私って・・・・・。  果てしないなぁ~、私は・・・・・

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来た年 [随筆日記]

明けました。 いわゆる「新年」と言うヤツが来たようです。
なんだか、もうチョミットだけ寿命をもらったような気がして、どこかホッとした感じがしています。
変ですね・・・、 「もう時間がない!」 と焦っていた時には、あれも これも と 切羽詰まった感じで落ちつかずにいて、言いたいこととか、やっておかなきゃならないこととか、次から次へと溢れ出ていたのに、「まだ時間がある」と腰を落ち着けたとたんに、のんきに今を過ごしている私が出てきました。
結局、こんなんなんですよね~。 私は、自分の思いに仕切られているだけなのです・・・。

新年を迎えてからのこの二時間に、我が家の前を救急車が二台(2回)走り去りました。
普段は、一週間に一台も通るかなぁ~と言うほどの田舎道です。
この年末には、乗用車によって踏み切り内に押し出された人が列車にはね飛ばされるという事故や、パトロール中に雪崩に巻き込まれるなどの死亡事故などが相次ぎましたが、年末・年始には、突発的な事故で不意に命を落とす人が多いなぁ~なんて感じているのは私だけかしら・・・?
でも、そんなニュースを通して、「おまえの足元はどうなん? 行く先は大丈夫かえ?」との問いかけに胸を貫かれるのですが、私は常に、「無常だ・・・」、「後生は・・・」 などの真実からは逃げてばかりいる・・・。

「焦る」というのも、数分先の自分の思いの所でボーダーラインを引いて、そこに向かって自分勝手に焦っているだけなのです。
もし、真実に対して 「ハイ」と頷けているのなら、「ただ今」のところに、「私の後生」というボーダーラインが引かれてあるのだと聞けているはずで、そう聞けていれば、焦る間もなく、今の今が真っ逆さまなはず! 私の足元など既になくて、「ただ今」が真っ逆さまの後生であり、アッも ンッも ないはずなのに、私ときたらホンに呑気なもので・・・・・、
いつも いつも 最短でも数分先に甘ったるいタイムリミットを据えては勝手に焦ったりなんかして、「無常だ~」、「後生は~」と、たった一言ほざくのみ・・・。 ホントに何も聞いていない。 本当に全く聞く気もない。
それでよくも 「無常」だの 「後生」だのと 口に出来たもんだ!って・・・!

もう、あと数時間で初日の出です。 それを見ている自分の姿は思い浮かべることが出来ても、明けの太陽を見ることの出来なくなった自分の姿など、まったく想像すらしていない・・・。
こんな私が、仏だ 法だ なんて、何ぬかしとる! です。 あかん・・・ 恥ずかしいですわ・・・

さあ~、新年です。
「明けましておめでとう!」とは、今年一年も死ぬこた~ないだろ~ とほざいておる「おいらのおめでた頭が明けちゃってパー!」ということで・・・(^.^ゞ、本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。m(__)m

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行く年 [随筆日記]

なんと・・・、半月近くもBLOGの更新が滞ってしまいました。
いろいろな災難をしょい込んで自滅しそうになっても、これを清算する暇のないほどに忙しくしていて、とてもハードな二週間を過ごしていたら、いつの間にか大晦日になっていました。
ご心配をいただきました方々には申訳ございませんでしたm(__)m & ありがとうございます(#^^#)
この期間に、様々に味わったことなどを書いておくとよいのでしょうが、何から書いてよいのやら・・・
心身ともにハードな12月を駆け抜けて来て、今は、「やっとここまで来た…」という一服感を味わってはいるものの、頭の中は まだ せわしく落ちつかない… といった感じです。
そんな時にこそ今一度振り返って足元を見直すとよいのでしょうが・・・、年末・年始ということもあって、なかなか一人で書斎にお籠りをするというわけにもいかず、ちょっとばかり不自由な大晦日を過ごしております。

2010年も残すところあと10分を切りました。 除夜の鐘の音が聞こえてまいりました。
この一年を振り返りますと、今までになく 辛く 苦しい一年でした。
過去にも生き苦しい年を過ごしたことはありますが、それは言い方を変えたなら「充実した一年であった」とも言えたのに対して、今年一年は、「充実」とは言い難い・・・、ただ ただ、人として生きて行く苦しみを浴びせられ、実感させられた一年であったように思います。

「生きること」・・・、そして「死ぬこと」・・・、 その意味を目の前に突き付けられて、その答えを見つけようと必死になって足搔きに足搔き・・・、そしてコテンパンに打ちのめされました。
答えは自分で見つけるものだと思っていたのがそもそもの間違いだったのです。
目の前に差し出されたものが視界に入っていながらも見れていなかった・・・。 耳に入って来たものが聞こえていながらも聞いていなかった・・・。 私は、私ばかりを見て、私ばかりに聞いていただけでした。

近所のお宮さん(神社)の花火の打ち上げが始まりまして外がとても賑やかになってまいりました。
世間では、行く年・来る年をいかに楽しく過ごそうかと苦心しながら華やかに賑わっています。
しかし・・・、 カウントダウン・・・、落ちつきませんね~~~。
もうすぐ今年が終わりを告げ、新しい今年がやってまいります。
そう区切りを付けているのは私自身なのです。 何もかもがそうです・・・。 私が勝手に思い計らっているだけのことなのです。 それが虚仮でした・・・。
この一年、この一生が虚仮なのだと教えていただき、これを「ほんまやな~」って頷いている私がいて、これに何故かプスッとほくそ笑みながらも、新年を祝う花火の音を疎ましく思っている私がいます。

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永観堂のみかえり阿弥陀さま [TRAVEL]

11.18 永観堂3.JPG永観堂の正式名称は、「聖衆来迎山 無量寿院 禅林寺」といい、浄土宗 西山禅林寺派 に属するお寺です。
私は、このお寺の宗祖が法然聖人であるという知識を元に、法然さま亡き後に開かれた寺院かと思っていたのですがそうではなくて、千年以上も前に真言密教の道場として創建されたお寺であると今回初めて知りました。 そして、永観(ようかん)律師がご住職となられた840余年前より三論宗系の浄土教寺院となり、その後 約140年を経て 静遍(じょうへん)僧都が、法然さまの書き遺された 著 『選択本願念仏集』を批判するために再三再四読み下された結果、自らの非を覚って浄土教の教えに帰依されたことで浄土宗となって、この時、静遍さまは自身の誹謗の罪を悔いて法然さまをこのお寺の11代住職に推し、自身を12代住職とされたのだという経緯があることを知りました。

みかえりの阿弥陀さま.JPG永観堂といえば、「みかえりの阿弥陀さま」です。
初めてこの阿弥陀さま像を正面から拝した時は、「あぁ・・・、私は、阿弥陀さまからそっぽを向かれている・・・」と、何とも寂しい気持ちになりました。
そして、本堂に向かって右側横から回り込み、左肩を向かれた阿弥陀さまのお顔を正面から拝した時には、「わざわざ私の方から出向いてやって、その嫌々にそむけられた顔を見に来てやったわい!」みたいな、腹立たしく傲慢な気持ちでこの阿弥陀さまの像を眺めたという記憶があります。

永観堂の解説によると、本堂で念仏三昧の行をしておられた永観律師が御本尊の如来像の周囲を行道されていた時、不意に阿弥陀さまの像が須弥壇より下りられて、永観律師の前を先導されたそうです。
これに驚いた永観さまが呆然と立ちつくしていると、阿弥陀さまが左肩越しに振り返り、「永観、おそし」と声をかけられたとの謂われがあるのだとうかがいました。
それは、○自分より遅れる者を待つ姿 ○我が身の位置を省みる姿 ○愛や情けをかける姿 ○思いやり深く周囲を見つめる姿 ○衆生と共に正しく前進する為のリーダー的把握の振向き とのことですが・・・・・・。
しかし、何だかこれにはすんなりとは頷けない私がありました・・・、 全然、ピン!とも来ないですし・・・、 正直、私の中では「それがど~した?!」と言う感じです・・・。

そんな心の愚痴をKさんに打ち明けると、「「永観、遅し!」とは、「今すぐ来い!」との如来さまの勅命。
「立ちすくんでいるまま、信じられないままでいいから、そのまま来い! 直ちに来い!」との阿弥陀さまの御本願の勅命なのだと僕は聞かせていただいているよ」 と教えてくださり、「あぁ~、そうだった! そうだったのか!」と、突っかかっていたものが、ポトリッ と落ちて行きました。

阿弥陀さまがそっぽを向いておられたのではありませんでした・・・。 私が阿弥陀さまに対してそっぽを向いているのです。 いつも、いつも、お慈悲の勅命から目を背けて、あ~でもない、こ~でもないと計らい続けて来たのは私の方です。 それを横に置いて、「如来さんが私を拒否している!」と癇癪を起こしていたのです。

永観律師は、 「 みな人を 渡さんと思う 心こそ  極楽にゆく しるべなりけれ 」 『千載和歌集』 と詠まれました。
「みな人」は、「この私いち人なり」。 「浄土へ渡すとの御心」は、如来さまの大慈悲心であり、その御心こそが、「永観、遅し!」との言葉に現われた御本願の勅命でありました。

11.18 永観堂2.JPG

11月半ばを少し過ぎた秋の永観堂は、紅や黄に色づいて一年で一番華やいだ時期を向えております。
しかしながら、その色鮮やかな葉のすべては、やがてその彩を欠き… 散り落ちて行くでしょう。
水気を失ってシワクチャになりながらもしぶとく枝にしがみついている葉もあれば、まだ色づく前に風に吹かれて落ち行く葉もありましょう・・・。
その時期は誰にもわかりません。 わからない私だからこそ、「今すぐに来い!」との切なる願いが、もみじの葉一枚となって私に問うてくださるのです。 「今、無常の風が吹いても大丈夫か?」と
「永観、遅し! グズグスしている間はないぞ!」とは、他の誰でもない、私自身への勅命でありました。
それは、そっぽを向いている私に向かって、如来さまの方が頭を下げられての勅命でありました。

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2010年 秋色の京都へ [TRAVEL]

賞見期限の切れたお話ではありますが、先月半ばに京都へ紅葉狩りに行ってまいりました。
京都まで高速バスを利用するのは久しぶりでした。
名古屋駅には早めに到着したものの、いつものように「高山行き」のバス乗り場でバスを待ち、出発予定時刻となった頃にハッと気付いて、「今日は高山じゃない! 京都へ行くんだった!」と・・・(^_^;)
慌てて「京都行き」のバス乗り場に行くとちょうどバスが到着! 高山行きと同時刻に出発する京都行きのバスにギリギリセーフで乗車完了(^^ゞ なんともボケたスタートとなってしまいました。

名古屋を出た時には青空が覗いていた空も、滋賀にさしかかる頃には冷たい雨模様の天候となって紅葉狩りには少し不安なお天気ではありましたが、目的地の京都では雨上がりの曇り空となりました。

さて、今回の旅のテーマは、「秋色の京都めぐり旅」です。
京都には毎月のように訪れているのですが、紅葉ベストシーズンの京都観光は未体験でした。
今回の旅は、身内よりも身内的な親友との二人旅でしたが、その相方さんも京都にはもう十数年も足しげく通っていながら、秋色シーズンどころか京都観光さえも未体験という稀なお方…(^^ゞモッタイナイ
二週間ほど前にフイッとこの話しが持ち上がり、即決で意気投合して秋の京都を散策するこのご縁に恵まれたわけであります。

11.18 Launch.JPG当日、京都駅のインフォメーションセンターにて待ち合わせをし、まずは最新の情報収集をした後、ランチに向かいました。 以前、MRさんと来て、隣り合った人気のラーメン店の「どっちに入ろうか?」と迷って入店をしなかった方のお店 「新福菜館本店」に入りました。
人気のラーメン店の行列の一部になって待つこと十数分…、 オーダーしたラーメンもチャーハンも、見た目と味とのアンバランスさに食べてみる価値アリの一品です!(^◇^)v クセになるかも!

お腹が満足したところで、まずはバスに乗って紅葉の名所・永観堂に向かいました。
なんか…、想い出しちゃいました・・・。 今回と同様に御法座の日程と重ねて京都の観光を楽しんじゃおうと、お初に試みたのが二年前の秋でして、この時、最初に訪れたのがここ永観堂でした。
そしてそれは、ある方とのメール交換の始まりでもあり、私にとって辛く苦しい日々の始まりでもありました。
二年前のあの日、ここ永観堂に足を運びながらも見学しているような暇などまったくなくって、途切れることなく届くメールに返信するのが精一杯の状態のまま、結局半日近くもここに滞在していながら、ほとんど何も見ることが出来なかったあの日のことを想い出してしまいました。
あれ以来、永観堂を訪れる度にいつもあの日の記憶に足を取られてしまって、この日もほんのちょっぴりそこのところに心を囚われながら永観堂へと向かったのでありますが、今回は道中のおしゃべりも楽しくて、また門前まで来るとちょうどピークを向かえたモミジの赤やイチョウの黄に視覚も気持ちも奪われ、今までになく有意義な永観堂参拝となりました。
(つづく)
11.18 永観堂1.JPG

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帰宅報告 [随筆日記]

長くて短い、そして短くて長い旅から帰ってまいりました。 
どこへ旅に出ていても、「私」という小さな世界から抜け出すことは出来ませんねぇ・・・。
今回の旅は、あちらこちらで様々な人たちと出会い、そして言葉を交わし合いながらいろいろな心に触れさせていただき、充実した旅路であったと全般を振り返っているのですが、帰宅して、今、思うことは、「私」という世界がいかに小さいか… ということです。
そんな小さな世界観の中で、時には女王様を気取ってみたり、また時には貧弱な迷子の子猫のような自分を、バカだなぁ!アホだぁ!と見ながら、それでも割り切ることの出来ないところで アップ アップしている自分はやっぱり誤魔化しきれなくて、ちょっとだけ疲れを感じています・・・。

今回の旅のテーマは、「島根の妙好人めぐり旅」で、有福の善太郎さんと、岩見の浅原才市さんに縁のお寺をいくつか訪問いたしました。
この旅を思い立ったのはもう一年以上も前の話なのですがなかなかご縁が整わず、ようやく念願叶って今回の旅の日程が具体化した頃、ちょうど時を同じくして ある方から 「島根で会って来て欲しい人がいる…」 と、フツッと沸いたお話しをいただきました。
その偶然に少々驚きながらも、その方とお目にかかるという新たな目的も楽しみの一つとなり、しかも、訪ねましたその方のお寺が、なんと才市さんとたいへん縁の深いお寺であったということを先方で知り得まして少々では済まない驚きとなり、そこで興味深いお話をいくつか聞かせていただくことが出来、とても有意義な旅となりました。

そんな旅の記録を、また時間をみてこちらのBLOGに綴っていきたいと思っておりますが・・・、 それよりも先に先月の「秋の京都旅行」をBLOGに書いておきたい!・・・(^^ゞ  なにせ、季節モノなので・・・、とは言っても既に紅葉の季節は終わってしまいましたが・・・(^_^;)
まぁ~ 今日のところはとりあえずの帰宅報告です! なにせ昨日から大幅なスケジュール変更を余儀なくされまして、今日は早くに帰宅していながらも帰宅することが出来ずに冬の厳しさを満喫した一日となってしまい、思いがけず「マッチ売りの少女」の気分でございました。
しかしながら、マッチを擦る間に読書をする時間には恵まれましたので、お土産にいただきました本などを読みながら、フツッと心にふれた言葉の幾つかをここに記しておきます。

          あさましいのも あなたでわかる
          あなた なければ わかりません  (浅原才市)

          くらしがよすぎりゃ 浮き世にのぼせ
          大事な後生を しくじるに  (小川仲造)

          我に 「こそ」を付けずに
          如来(おや)なれば 「こそ」を  (足利源左)

          うれしくば なむあみだぶつを とのうべし
          うれしくなくば なお とのうべし この善太郎  (有福の善太郎)

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仏法領 [随筆日記]

今日からまた旅に出ます。 先月の旅行記も、先々月の旅行記も、まだ書けていないのに・・・ (^_^;)
最近は私の記憶力も秋の枯れ葉状態ですからね~、思い出しながら書いても、ただの観光ガイドになっちゃうかも (;^^? ですが、暇をみつけて順次UPしていきたいとは思っております。ハイ~(^^ゞ
それはそうと、旅に出る前にはいつも、「無事に出発の当日を迎えることが出来るかしら?」なんて不安に思ったり、「無事に帰って来れるかしら?」なんてマイナス思考な思いに揺れることが多いのですが、出発当日の朝を迎えれば、「旅を終え、無事に帰宅するビジョンに洗脳されている私」がいます。
これって、いわゆる自己催眠ってやつですかね~・・・、そうやって、私は私をいつも騙しているんですね。

旅のお供にもって行くのは、携帯用のノートパソコンです。
今回も持って行こうとファイルなどを整理していたら、過去に記したメモにこんなものが見つかりましたので、旅立つ前にチョットだけBLOGを更新して行こうかななんて思ったわけであります。
昔見た映画で、気に入った言葉を書き留めておいたメモです。

その題名に引かれて見たのは、『阿弥陀堂だより』という映画です。 確か、心疾患を患った女医の妻を連れて故郷の信州に帰った売れない作家の夫婦が、阿弥陀堂に住む老女と心を交わしながら「生きる」意味を見つけていくといった映画だったと記憶しています。
その老女の役を演じた北林谷栄さんという女優さんがとても気に入ったのですが、作品の中で彼女の口を通してつむぎ出される言葉のいくつかが心に残ってメモしておいたものです。

劇中の老女、お梅さんは96歳です。 そのお梅さんが主人公の売れない作家に尋ねました。
「小説っていうのは、嘘の話しでありますか? それとも本当の話し?」
これに、 「あぁ…、嘘の話しなんだけども、本当のことを伝えるための嘘の話しって言ったらいいかな」と彼は答えたのですが、お梅さんにはその意味が飲み込めませんでした。
この会話を横で聞いていた確か村長さんの娘さんだったと思うのですが、彼女は病気で声を出すことが出来ませんので、筆談でこれに答えました。 そのノートに書かれた言葉は、「小説とは、阿弥陀さまを言葉で作るようなものだと思います」 と言うものでした。
これでお梅さんも飲み込めたようで、すごく嬉しそうにこう言われました。
「わしはねぇ、この歳まで生きて来たけど、せつねぇ話しはうんと聞いたから、いい話しだけ聞きてぃでありますよ。 誰もせつねぇ話し聞くために、わざわざ金出して本買うのはやだもんなぁ。 わしゃ~、ええ話聞いて、ええ気持になりたいでありんすよ」

仏法を聞かせていただくなかで、「この世のすべてのものは如来さまの御手のもので、仏法領でないものはなに一つとしてないのだ」と教えていただきました。
目に映るものすべて、耳に聞こえるものすべて、鼻にかぐものも、手・足にふれるものも、そのすべてが如来さまからの切なるメッセージなのだと・・・。 そう受け取れないのは、こちら側、私の側に問題があるからです。
「私」を通せば、そのすべてが地獄行きのタネとなるばかり・・・。 目に映るもの、耳に、鼻に、手に、足に・・・、 この「私」というフィルターが迷っているからです・・・。
お梅さんが言われたように、私は辛い話など聞きたくないし、自分にとって都合のいい話だけを聞いて気持ちよくなりたいだけだもの・・・。

作品の後半に、こんな会話もありました。 主人公の作家とお梅さんとのやり取りです。
「お梅さんが一番大切に思っていることは?」
「一番大切・・・・・ う~ん、やっぱり阿弥陀さんだなぁ。 なまんだぶつ なまんだぶつ」

仏法に出遇うということは、当たり前のことじゃないんです。 
自分を振り返った時、そこには私のものであって私のものではない道がひかれてありました。
真宗にひっかかったのも、なまんだぶつに反応した心も、みんなみんな私のものではありませんでした。
「私が一番大切に思っていることは?」と自問した時、私は、「自分」と答えました。 私は、私ばかりで、私しかないんです。 そんな私が、なまんだぶつにひっかかっただなんて、奇跡です。
その奇跡を、「偶然や当たり前」と聞くか、それとも「如来さまの御苦労でした」と聞けるか、この二つが両立している不思議に何となく書いてみたいという気持ちになったのであります。
では、そろそろお時間となりましたのでこれにて御免! そんじゃ~、行ってまいりま~す!\(^o^)/
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死んでいく「死」 [随筆日記]

今年もあと半月余りで暮れてしまいます。 本当に、人生なんてアッという間ですね・・・。
そう言えば先回の座談会で、「最近、自分の死に方についていろいろと思いを巡らせているんですよ~」 とおっしゃった方がおられました。
「死に方」といえば、病死、事故死、自死などといった大雑把な分け方で言われることが多いですが、例えば「病死」ひとつをとってみても、癌や心筋梗塞といった病名によっても幾通りの死に方がありますし、また「癌」といっても、細胞を侵す癌もあれば血液や骨の癌もあって様々で、その中でも苦しみもがいて死を向かえる人もあれば、眠るように亡くなられる方もあるでしょう・・・。
そうやって 細かく 細かく 見ていきますと、「死に方」というのは人それぞれなのだなぁ~と・・・、つまり、生まれた命の数分だけの「死に方」があるのだなぁ~なんて思ったのであります。

先日、先輩お同行さんで、薬を飲む分量を間違えて死の淵をさまよった方がおられました。 また、不慮の事故で危うく命を落としかけたという先輩お同行さんもおれたのですが、お二人が共通して言っておられたのが、「あぁ…、死というものは、こんなにも当たり前に来るのだな…」 というお言葉でした。

私は、「死にかけた」という経験は記憶にありませんが、「死でしまおう」と試みた経験は、まだ新しい記憶のところにもあります。
悲しいかな・・・、死のう、死のう と思えば思うほど、いかに自分が「本当の死」とはかけ離れた遠い所に「自分の死」を置いているか…、と言うことが知れてきました。
「私が思い描く死」は、所詮、自我が作り出した空想上の産物でしかありません。
だから、「当たり前の死」ということがわからないのです。 
「私の追い求める死」に手を伸ばせば伸ばすほど、本当に行くべきところとは真逆なものを必死になって作り出している私がいて、そこに「夢想の死」という落とし穴を、自らが掘っているに他ならないのだと思いました。

でも、「真実の死」は、すぐここにあるのです。 今、ここです。
そう思えても・思えなくても…、そんなの当たり前じゃんと肯定しても・否定をしても、そんなことを頭の中で論議していても・していなくても、「私の死」は、今のこの私の足元にあるという事実があるのです。
最近、「今が後生」という言葉が頭から離れません。 と言えば嘘になるけど、何か事あるごとに、「今、後生、今、後生、今、後生、・・・」 と、頭の中で繰り返されるのです。 わけわかんないです・・・。

「人間、生まれてきたのだから死んでいくのは当たり前」、「生きているものは必ず死ぬのさ」、と・・・、そう言っている自分はどうなん? 死は、他人事ではありませんぞ~!!
「生あるものは死するなり」 と 言葉で言うはとても易いです。 教えてもらったことを知識として覚えて、これを自身が肯定すれば自分の考え・意見として、これぞ間違いなし!との合格印を押印した上で、人さまの上に立って偉そうにホザクだけですからね・・・。
でも、「この私の死」が抜けちゃっているんです・・・、いつも、いつも、「私が死ぬ」というのが抜けているんです・・・。

今日は、「いろいろな死」を書きました。 「本当の死」、「思い描く死」、「当たり前の死」、「追い求める死」、などなど。 でも、どれも これも 「嘘の死」です。 全~部 嘘っぱちです!
どんな「死」を思い描こうとも、どれだけ多彩な「死」を言葉にしようとも、「私の足元にある死」とは、全く寄り添わないのです。

「死に方」にはいろいろあります。 私の死は、私の業にしたがってその死は訪れるでしょう。
我が死をも知らぬ私が、「死ぬぞ、死ぬぞ、今が後生だ!」などと人に向かって言った自分が、今、すごく恥ずかしいです。
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久しぶりの『グッチー語録』 [詩・言葉]

「口(クチ)」っていうのを濁らせたのが、「グチ(愚痴)」なのかしら? な~んて、フッと思いました。
「口」の付く単語を考えた時、「悪口」、「蔭口」、「ため口」、「悪たれ口」、「告げ口」、「憎まれ口」・・・
良い言葉が思い浮かびません・・・。 私の口から生み出されるものは、こんなものばかりなのですね。

「グチ」と言えば…(^^ゞ、グッチーさんからいただく電話は、いつも 「また愚痴だけど・・・」 との前置きをされてから始まるのですが、でも結局、彼からの愚痴を聞くよりも、私の愚痴を聞いていただくばかりなのですが…(^_^;)
しかも、それを全部御法で返してくだされる。 私にとってグッチー妙好人はなくてはならないお方です。

先日も、「高山どうやった?」とのお電話をくださいました。
私が、「こんなイヤな思いをした…」と言うと、「それはめでたい、ええこっちゃ!」と喜ぶし、「こんなことがあって辛かった…」と言えば、「そりゃ吉本新喜劇よりも面白いな~!」と笑われるし、グッチーさんがヘンなのか、私がヘンなのか、よくわからなくなることもあるけど、その「ヘン」が嬉しかったりもします。

グッチー語録は前のBLOGから時々UPしていますが、最近は書いてなかったので久しぶりの更新です。

「最近なぁ~、“現在説法” が、ず~~~っと なんや…。
「今」は「今」であって、いつも「今」。 その「今」が、「今」「今」「今」・・・ と 連続してるの。
その「今」のところで阿弥陀さんは説法しておられる。 わたしが何をしていても、何を思っていても、そんな私に関係なく、「今」「今」「今」・・・と、阿弥陀さんの説法は、ず~~~っと途切れることなく続いてるんや。
わたしの方では、「これは仏法」、「これは世間事」 と 自分の判断で決めてかかっておるけど、そんなわたしに阿弥陀さんは、ず~っと説法しておられるんや。
このわたしには、気づきようもないけどなぁ~・・・・・」

グッチーさんの言葉に、「私」が入り込む隙などありません。
ほんに私は仏法音痴で、仏法不感症だなぁ~と・・・、ただそれだけです。

それから、「どう求めて行ったらいいのですか?」って聞かれたのだけど、グッチーさんなら何て答える? と質問すると、 「あんたアホか!」 で ええんとちゃう?! と。

「どうしたら・こうしたら とか、わかる・わからん だとか、 あ~だ、こ~だ と言っているのは全部こちらの思いであり計らいや。 「これで!!」 というものを捕まえようとしているだけやないか。
信の一念のところで言えば、「捕らえよう」としておったんが、実は 「捕らえられてた」って気付かせてもらうだけや」

「そんでな、「わからん、わからん」と言っておる人の前に座らせてもらうと言うことは、「おまえは、どう聞かせてもらっとるんや?!」 とのご催促や。 わたしにはそう聞こえる。
わざわざわたしの前に座ってくださり、「どうすれば?」とか、「わからん…」とか言って、「おまえはどうなんや?!」と問うてくださる。 わたしへのご催促ばかりや・・・」

まだまだ書いておきたい言葉はあるのですが、今日はこのへんで!
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初対面のお念仏 [随筆日記]

11.9 アミリヤ 東山公園.JPG先月半ば、妹とその娘アミリヤ(3歳9ヶ月)がお泊りに来ました。 たった三日間の滞在でしたが、賑やかく、楽しく、でもちょっとお疲れの時間を共に過ごしました。
初日は我が家でゆっくりとおしゃべりなどして過ごしたのですが・・・、 お互い愚痴ばかりです… (^^ゞ。
私たちのお郷はちょっとばかり複雑な事情をかかえておりまして、普段は目に触れぬよう、心に触れないような生活をしておりますが、やはり妹と会えばこの話題は避けられず、それに毎度の事ではありますが今回も一悶着ありまして、妹にとっては辛く悲しい帰省になったことと思います。 そしてアミリヤにとっても・・・。
子供というのはすごく敏感ですね。 我が家で過ごした三日間はとても元気に楽しんでいたアミリヤでしたが、この後、父(アミリヤからみておじいちゃん)を訪ねた時には、「お家に帰りたい」と泣き出し、実家に立ち寄った後には熱を出してしまったそうです。

さて、妹たちの滞在二日目は東山動植物公園に遊びに行ってまいりました。
ここは、私や妹にとっても幼い頃からの思い出がつまった公園でありますので昔話にも花が咲き、またアミリヤとの園内散策はとても楽しかったです。

翌日は妹が日本的な所に行きたいというので、真宗大谷派・名古屋東別院へ行くことにしました。
山門をくぐった境内では、お東幼稚園の園児らが遊んでおり、それを遠巻きに眺めているアミリヤ。
この秋から日本の幼稚園に通い始めたのですが、やっと5,6個の挨拶言葉が日本語で言えるようになった程度ですので、今はどこへ出かけても言葉の壁が彼女の動きを制限してしまっているようです。

本堂に入ると私たち以外に参拝客はおらず、アミリヤはその広さに少し興奮気味でしたが、私が仏さまの真正面に座しますとアミリヤも私の横にピッタリとくっついて仏さまの前に座しました。
そして私が合掌をすると、アミリヤはこれを少し不思議そうに眺めながらも、その小さな手と手を組み合わせるしぐさをしたのですが、これがちょっと違うんです。
妹夫婦はモルモン教徒なのでいわゆるキリスト教の信者です。 ですからアミリヤも食事の挨拶や祭壇の前では、仏式の指をのばしたままの合掌とは違い、手と手の指を組み合わせて両手でグーの形を作るのです。
まずはこれを修正して、手と手の指と掌を合わせた合掌の仕方を教えます。
そして、「Please call the ‘na・mu・a・mi・da・du・tsu’.(‘南無阿弥陀仏’と呼んでみて)」と言うと、ちょっと困った顔をしながら身体を動かすも口は動かず・・・。 それで今度は少し短めに、「アミリヤ、‘なまんだぶつ’」と促すと、声にこそ出しませんでしたが小さな口がかすかに動き、頭の中ではこの単語を言葉にしようと何度も繰り返しているように見えました。
「なまんだぶつ なまんだぶつ なまんだぶつ ・・・」 私の称えるお念仏がアミリヤの耳から入って行き、合掌、礼拝する姿を見て、アミリヤの頭がコクンと下がりました。
そこで、「アミリヤが‘なまんだぶつ’と言ってくれたら私はとても嬉しいのだけどなぁ~」と言うと、彼女は少し照れ恥ずかしそうにしながらも 「na・n・du・da …?」 と、さな声ではありましたが彼女の口から声となってそれは発せられました。
それがなんだか無性に嬉しくて、私は 「なまんだぶつ なまんだぶつ」とアミリヤに向かって称えると、それに応えた彼女の口からカタコトではありますがお念仏が声となって何度も飛び出してくださった。
「ありがとう、ありがとう」。 私はアミリヤに向かってそんな気持ちでいっぱいになりました。

この時、自分の過去を思い返してみても、私が初めて自分のお念仏と出遇った日の記憶はありません。
ですが、誰かが教えてくださったから合掌も出来るようになったのだし、‘南無阿弥陀仏’と言えるようになったのです。 その御苦労を私は知らないし考えたこともありません。
ただ、これを喜んでくださっている如来さまがおられるのだということを、意味もわからずに 「なまんだー、なまんだー」とはしゃぎながら称えているアミリヤの姿を通して教えていただきました。
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高山支部報恩講 (後編) [座談会・懇親会]

報恩講の準備もひと段落して、ちょこっと休憩したいな~ぁ・・・ なんて思っているうちに報恩講さんは始まりました。
まずは、『禮讃文』と『正信偈』と『六首引き御和讃』をあげさせていただき、続いて『御文章』をいだいたのですが、でも、まったくの他所事・・・。 阿弥陀さまも、親鸞さまも、スッポリと抜けてしまっている・・・。
勤行の後にお斎をいただきながら、「あぁ、報恩講だったわね~!」なんてやっと気付く程度です・・・。

初日の御法話は、「『正信偈』とは…」 という大枠からお話ししてくださいました。
ここは先月の輪読法座でもお聞かせいただいたところですが、『正信偈』は、親鸞さまの信仰体験の告白であり、その喜びを話すことが如来さまの御徳を褒め称える仏恩になるのだと教えていただきました。
思い返せば、縁あって浄土真宗と出遇い、最初に興味を引かれたのが『正信偈』であり、その内容が知りたいという思いから私の聞法はスタートしました。
そして去年、報恩講の世話人をさせていただきましたのをきっかけに、「御恩徳」ということが初めて自分の中で問題になってきたのであります。
それまでは、「この御恩、どうお返ししていこうか」と、恩を返すことの出来る自分だと思っておりました。
それ以前に、「如来さまの御恩徳を、いかにして深く感じることが出来るようになれるのか」と、恩を感じることの出来る自分であることを前提にして、機(私自身)の詮索ばかりをしていました。
ところが、知れてくるのは自分の欲望を満たしてくれたものに対する薄っぺらな感謝の気持ちしかない。
そして自分が受けた喜びの分量を自身の都合で推し量り、これを対価計算したものを返すことで、「この恩は返した」と自惚れるばかり・・・。
私が見聞していない所でどれほど広く深い御恩徳があったのか・・・、私の存知しない所でいかほどの手厚い御恩徳が今も働いているのか・・・、そんなこと微塵も考えたことなどありませんでしたし、まったく気付きもしませんでした。 いえ、たとえ気付いたところで、「こんな私」ではこれを御恩として感じ得ることなどなりえないのです。
ただ、人智でわかる範囲のところから教えてくださる先輩がいます。 御法のところから説き開いてくださる先生がおられます。 こうした身で聞いたところから指し示してくだされる先達方の御苦労の結果として、今、ここの私のところに届けられた御恩徳が、いかに 尊く 大きく 深いものであるか・・・、それをお聞かせていただく御縁の一つとして、報恩講さんがあるのだなぁ~ というのが私のお味わいです。

初日の法座が終わった後は、お楽しみの懇親会で、ここでも美味しいお酒やご馳走が振舞われます。
少々眠たい目をこすりながらも、深夜遅くまで ワイワイ ガヤガヤ と 凡夫まるごとをさらけ出しつつも、その話のすべてが御法になって行く不思議・・・。 すべてが仏法領のものであり、何一つとして仏さまの願いのかかっていないものはないのだと、フッとした瞬間に感じさせていただける不思議・・・。 他の命を喰らいながら、愚痴ばかりを吐き出しながら、その口から 「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」と飛び出してくださったお念仏が、御恩報謝になるというのだから・・・ まったくもって不思議、不思議・・・・・・。

二日目の午前の御法座では、『正信偈』の構成について教えていただき、その日の午後は、『正信偈』の最初の二行 「帰命無量寿如来 南無不可思議光」についてその御心をお聞かせいただきました。
「南無阿弥陀仏」は、「早く来い! 今すぐ来い!」との如来さまの招喚の勅命。 その命令は、上から頭ごなしにではなく、私の足元で、「お願いだから今すぐに来て!」と額を地に付け、血が滴るほどの絶叫で呼び続けてくださっている大慈悲心なのだと・・・。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

御法座の後は、S先生とTuさんと三人でイタリアンレストランにてディナータイム。
久しぶりにS先生とゆっくりお話しする機会に恵まれ、本当に何から何まで「私のため」でした。
と言うことは、御恩を恩とも存ぜぬ私が、いかに大きな御恩徳を賜っているのか・・・ ということ。
大願のもとの御苦労をほんのチョッピリ感じさせていただきながらも、報謝の心は泡のようにはじけて終わり・・・。 その報謝の念も如来さまからのいただきもので、私にあるのは高慢な自惚ればかりです。
私の迷いは果てしないな~ぁ   南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
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